2019/04/28 - 2019/04/29
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たびたびさん
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長野県は、長野市と松本市が両雄。それぞれ善光寺と松本城という他には代えがたい自慢があって、我こそが信州の代表という自負を持っています。ほかの区分としては、長野市を中心とするのが北信で、上田市・佐久市を中心とする東信、松本市を中心とする中信、諏訪・伊那・飯田市を中心とする南信と四つに分けるのもあったりして。
そうした中で、東京からのアクセスでいうと最難関は飯田市でしょうね。JRで行くとすると特急あずさで上諏訪まで。そこから飯田線でまた3時間近くの、都合5時間強。なかなか容易ではないです。新宿からの高速バスの利用がまだましかもしれません。
今回、安曇野から飯田駅まで飯田線を使ってやっぱり3時間半弱。飯田市って本当に遠いなあの感を改めて強く持ちました。ちなみに、飯田市から名古屋までの高速バスは2時間ほど。こっちの方は、かなり便利がいいですよね。私もこのあと飯田市から馬籠に抜けて、所要時間は30分。あっけないほどの便利さでした。長野もここまでくると、首都圏よりも中京圏とのつながりが深くなるようです。
さて、飯田市ですが、いずれにしてもかすかな情報しか持ち合わせていない。直前のテレビ番組で、焼肉日本一の街であることを知りましたが、一番のアピールは、毎年8月上旬に行われる「いいだ人形劇フェスタ」に象徴される人形劇の街ということ。全国から約300劇団が一堂に会し、140もの会場で、400以上の公演。のべ4万人が人形劇を鑑賞するという一大イベント。今回は、川本喜八郎人形美術館と竹田扇之助記念国際糸操り人形館を拝見して、その匂いを少し感じましたが、日本にはこんな街もあるんですねえ。また新たな発見をしたような気持ちになりました。
それと、ここまで来たら天竜峡も気になりましたが、一日ではそこまでは手が回らない。市街の街歩きでは寺の多さもかなりだし、元善光寺を訪ねたところまでで限界でした。
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安曇野を昼過ぎに出発。飯田駅に到着したのは夕方です。
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うーん。念願だった飯田市。これが駅前ですか。
やっと来ることができましたね~ -
そこから、りんご並木の方に出まして。
今日の時間は限られますが、それでも少しずつ、観光スポットのチェックです。
峯高寺は、飯田駅からほど近く。浄土宗のお寺です。市街地に建つんですが、敷地はまあまあ広いですね。その角っこに端正な姿の本堂が建っていて、きちんと整備された感じがします。誰でも気軽に入りやすい雰囲気もあるのですが、観光的な要素はどうでしょうか。飯田藩主、小笠原家に関係する寺ではあるようですが、よくわかりません。 -
みつばつつじは、りんご並木の中ほどにある大きな構えのお菓子屋さん。
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飯田の名物は何ですかと言ったら、これこれときんつばを勧めてくれました。ただ、このきんつばって、和泉庄のきんつばでしょ。ほかのお店の商品も扱う総合的なショップなんですね。その分、品ぞろえは豊富です。
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改めて、これがりんご並木。飯田市街は坂の町。駅から市街の中心に向かって、けっこうはっきりした下り坂。りんご並木はそれを横切るように走っていますが、これも上がったり下がったりのアンギュレーション。どうして、こんな坂道ばかりで、平地になってないのという感じもしなくはないのですが、そういう地形しかなかったんでしょうねえ。それに、水道管とかのなかった時代では坂がある方が水を配給しやすいし、街づくりには適していた面もあったのだと思います。
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ちょうどりんごの花が見ごろを迎えていて、
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イチオシ
白い可憐な花が夜に映えて美しい。
なかなかいいじゃないですか。 -
そして、ここからは、グルメチェック。
一不二は、商店街にある老舗のお菓子屋さん。赤飯まんじゅうの看板が目立っていて、それがウリのようですね。 -
赤飯まんじゅうは北関東だと餡子をしっかり入れて、割と甘さがきついんですが、
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こちらは赤飯に出汁の効いたような味が添えてある感じ。お菓子というより食べ物に近い感覚です。一方で赤飯がお餅のようにもっちり固まっているのもこの店の特徴かなと思います。
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上海楼は、飯田市内では圧倒的な人気を誇るラーメン屋さん。いつも行列ができています。
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イチオシ
ストレート麺ですが、味わいは喜多方ラーメン風。素直で優しい出汁だと思いましたが、地元の常連さんは「スープ薄めで」といった注文をしている人もいて、これでもまだ濃いの?みたいな感じでした。
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そして、もう一軒。
飯田は人口比で一番焼肉屋さんが多い街なんだそう。その飯田にあって、老舗の店として最近全国ネットのテレビでも紹介されたのが、このやきにく徳山。飯田駅前の通りを歩いていていたらひょっこりあったので、さっそく予約をしておいたんですよね。 -
店内は地元の人でワイワイガヤガヤ。けっこうな盛り上がり。私は名物の牛のホルモンとさがりを注文。ホルモンの方は下ゆでがしてあって、それを改めてあっためるくらいの焼き加減。タレがシンプルなしょうゆ味だし、これがまた無駄がない。
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イチオシ
どうしたら焼肉をおいしく食べられるのか。その必要最小限のところでしっかり基本ができています。飯田市の焼肉にはやはりそれなりの歴史があるような。少し思い込みもあるかもしれませんが、ここまでくると焼肉も飯田市の立派な文化の一つとなっている感じがします。
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今夜の宿はシルクホテル。飯田駅から少し歩きますが、これならアクセスは問題なし。便利がいい場所だと思います。
建物は立派だし、これなら安心感もありますね。泊まるだけみたいに考えていましたが、客室にも余裕があってそれなりにゆっくりできました。 -
翌日は、飯田市街の北端から。
飯田の市街は北に向かってだらだらと高くなっていて、大宮諏訪神社は上っていく感じです。 -
鳥居からすぐに立派な山門。
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その先に、さらに石段が本堂まで続いていて、
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本殿も雰囲気がありますねえ。それに全体がしっかりした石垣で支えられていて、どうかすると小さなお城みたいです。
室町時代に、お隣りの長久寺の鎮守として、諏訪から分霊を迎えて再建された神社です。 -
なので、長久寺は、その隣り。この寺も、気が付くと市街を臨める高さになっています。
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こちらは、飯田の地を治めた領主の菩提寺。山門から本堂にかけての構えは重厚だし、よく手入れが行き届いて美しい庭が印象的です。
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ちなみに、領主は、毛利秀頼。江戸時代に入ってからだと、飯田藩の藩主、脇坂安元。その後の堀氏など。やっぱり、領主・藩主に関係する寺は違います。
ところで、毛利秀頼は、織田信長の下、高遠城攻めで功を挙げ、武田氏の滅亡後の論功行賞で飯田城主に。その後、本能寺の変で所領を放棄しますが、前田利家の組に属して小田原の役に参陣し、再び飯田城主として返り咲いたという人物。知行は7万石です。
そして、面白いのは脇坂安元。賤ヶ岳の七本槍の一人、脇坂安治の次男ですが、関ヶ原の戦いの際、小早川秀秋の裏切りを機に東軍に寝返った四将の一人。飯田藩主になったのも、豊臣恩顧の大名のくせに大坂夏の陣での功績のためですから、あんまり印象は良くない。知行は5万5千石。しかし、豊臣恩顧の危険を感じてか堀田家から養子を迎えたことで、脇坂氏はその後譜代大名に転身。苦肉の策とはいえ、つらい判断をしたのはさすがかもしれません。 -
ここからしばらくは、寺巡り。
大雄寺は、臨済宗妙心寺派の寺。 -
境内はとっても広くて、山門から
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イチオシ
奥の塀に囲まれた
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書院造りもある客殿のような本堂のしっかりした構成など。かなりの名刹だという雰囲気が漂います。
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そして、目を引くのは見事な枝垂れ桜の大木。参道やあちこちいくつかあって、見事この上なし。私はこういうのに弱い。ちょっとときめいてしまいました。
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専照寺は、曹洞宗の寺。まずは山門に目が行きますが、屋根の上に鐘が直接見えている変わった構造。しゃちほこがのって、なんとかバランスを保っています。
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境内に入ると正面に本堂。この本堂は風情がイマイチなんですが、その前に立つ枝垂れ桜はなにげに樹齢400年以上の古木。その下にお地蔵さんもあって、ちょっとしたビューポイントかなと思います。
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西教寺は、浄土宗の寺。なまこ塀の古びた塀を備えた山門を入ると
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モミジの大木の先に黒い屋根の本堂が見えてきます。
二層の屋根の重厚さに加えて、正面には大型の軒破風と華頭窓の意匠。さりげなく見ごたえがあるような気がします。 -
善勝寺は、真宗大谷派の寺院。幼稚園も経営していて、境内は幼稚園の敷地と一緒で広々したスペースとなっています。
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その分、本堂は端っこかな。大谷派の寺院にはいかめしい感じの寺が多いのですが、ここは気軽な感じ。普通に納骨堂にお参りする人の姿も見えました。
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龍翔寺は、臨済宗妙心寺派の寺。リンゴ並木通りの坂の途中。通りから覗くとそのまま鉄筋コンクリートの本堂がすぐそこに見えています。大屋根ですが、周囲は格子のデザインの戸が囲んでいて軽快。よく見るとちょっと変わった意匠です。
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来迎寺は、浄土宗のお寺。周囲は駐車場というか、空き地といっていいかも。
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そこの一段高い場所に、ポツンと本堂が建っているだけ。
ただ、破風とその屋根の派手な瓦装飾が見どころといえば見どころ。そこで最低限の風情を保っています。 -
その向かい側に建つのは人形時計塔ハミングパル。人形劇フェスティバルなど人形劇の街、飯田市のシンボルとして設けられたモニュメントです。
並木通りの端っこにあって、それなりに見通しのいい場所なので目立ちます。最上部にはラッパを手にした小鬼かなあ。メルヘンチックな雰囲気がにおいます。 -
これは、すぐそばの一二三屋まん十店。
朝早くから開いていて、こういうお店は名店が多いんですよね。 -
いわゆる黒糖まんじゅうというやつです。しっとりした皮のおいしさにこれもしっとりした甘い餡子の組み合わせは、なるほど老舗の味わいです。忙しそうに働く大将の動きにも元気をもらったような気がします。
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この店の前から、りんご並木は始まります。
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さらに、さらに。
正永寺は、曹洞宗の寺。現在の地に移ってきたのは文禄3年(1594年)。当時の飯田藩主、京極高知の命によるもの。
残念ながら、自慢の二重屋根の仏殿様式、本堂は修復工事中。しかし、その手前にある古木の枝垂れ桜は片側に垂れた姿がなかなかの迫力。こうしたものはある程度の歴史がないと生まれないような。。歴史の重さも感じるお寺です。 -
青松山黄梅院の創建は天正10年(1582年)。武田信玄と正室、三条の方との間に生まれ、一度は北条氏政の正室となった黄梅院姫の菩提寺だとか。
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見どころは、山門の傍らに立つ枝垂れ桜。
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推定樹齢400年といわれる飯田市天然記念物。勢いもあって、本当に力強さを感じます。
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本堂はこんな感じです。
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そして、続いては。。
なるほどーの菱田春草生誕地公園。 -
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公園は、白い塀とか、けっこう立派に整備されていて、郷土の誇りとして大事にされていることを感じます。36才で早世した天才画家。
「黒き猫」「落葉」とかの代表作が有名ですが、私は特に大作の「落葉」が好きですねえ。永青文庫美術館で間近に見た時の感動がまた蘇りました。 -
下伊那教育会館は、菱田春草生誕地公園と同じ通り沿い。少し高い場所に敷地いっぱいに建てられた洋館が見えてきて、すぐにそれとわかりました。
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建物は、戦前の昭和13年築。木造二階建で、正面屋根中央にマンサードの破風を頂くのがアクセント。ライトブルーの色調と玄関のガラスに教育会館と装飾文字が入っているのもおしゃれですよね。
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これは、中央公園。飯田市の市街中心部、東和町から長姫町の間に整備された公園です。谷川が流れていた場所のようで、周囲が崖のように切り立つ側があったり。都市型公園だと思っていたら、予想外の地形を目にして、ちょっと驚きました。ただ、飯田市は坂の町。それからすれば、こんなのどうってない工事だったかもしれませんけどね。
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そして、この和泉庄こそは、江戸時代には飯田城主御用達の御菓子司だったという200年以上の歴史を持つ老舗。
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文政年間からの伝統を持つ「大きんつば」はこのお店だけではなく、昨日のみつばつつじでも扱っていましたが、飯田市を代表する銘菓となっています。
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イチオシ
ぼってり入った餡子は意外に甘さ控えめ。始めはちょっと違和感がなくもないのですが、その分、小豆の香りが前面に出ているような気もする。何度も食べるうちにじわっと良さが分かってくるようなきんつばだと思います。
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ここから、いよいよ飯田城址へ。
城跡なのですが、ただ、飯田市街中心部からむしろ下っていく感じ。しかし、その先は厳しい崖となっていて、ここが天竜川の支流、松川と野底川にはさまれた河岸段丘の先端であることに気づきます。
信濃飯田藩は、小笠原氏1代、脇坂氏2代までは5万石。その後の堀氏の時代からは2万石ばかりなので、まあ、規模的にはしれている。城というより陣屋だったのではないかと思います。
どっちにしても、飯田城の遺構はほとんどなくて、ただ飯田市美術博物館と長姫神社があるところといった方が正直な実態かと思います。 -
その飯田市美術博物館がこれ。かつての飯田城二の丸跡。
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ちょっと荒れ地のようなデコボコ微妙な敷地に立派な建物が立っています。
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お目当ては、菱田春草の所蔵作品だったのですが、入れ替え中ということでこの日は見れず。代わりに菱田春草の生涯をたどるビデオを拝見しました。それから、企画展は中国の染付。
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地元の収集家のコレクションでしたが、
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イチオシ
なかなかの迫力。
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悪くないですねえ。
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こちらも楽しませてもらいました。
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同じ敷地内ですが、保存建物が二つあって。
これは、日夏耿之介記念館。 -
ちなみに、日夏耿之介は、飯田市名誉市民第1号。明治に生まれ、詩人、文学者、翻訳家として活躍しました。この建物は、余生を過ごした邸宅。程よい規模で、暮らしやすそうなたたずまい。朝から係の人が戸を開けたりして忙しげ。今でもちゃんと住める状態なので、ゆっくり味わいたい建物です。
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そして、もう一つは柳田國男館。日本民俗学の創始者である柳田國男の自宅を世田谷区から移築したものです。
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自宅らしく、趣味のl関係展示も
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余裕のあるスペースを活かして、自然体。
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しかし、一番の見どころは、柳田が多くの人をサロンのように招いてもてなしたというこちらの奥の洋風広間。
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イチオシ
図書館のように周囲が書棚で埋められていますが、その中央部が気持ちの良いスペースになっていて、柳田國男の心の内までが想像できるような感じです。
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これも、しっかり時間を取って味わうべき建物です。
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城址にはもう一つ赤門というのがありまして、それは、この飯田城桜丸御門のこと。飯田市立図書館の敷地奥にあるのですが、ちょっとわかりにくいかもしれませんね。
さて、この門は、飯田藩主堀家9代親長の時代のもの。ちなみに、赤門は、大名に嫁いだ将軍徳川家の娘のために許された特別な門。9代藩主堀親長が将軍徳川綱吉の側用人柳沢家から室を迎える際に許されたということです。ただ、華美ではなく、意外にシンプルで力強い印象の意匠です。 -
再び市街中心部に戻ってきて。
いとうやは、飯田のメインストリートからは外れますが、老舗風のこの立派な構えは飯田市内では一番でしょう。 -
こちらでも、看板商品の一つ、大名きんつばをいただきました。さっきの和泉庄と比較するとこちらは甘さがしっかりあって、こちらの方が標準的かな。違和感なくいただけるヘビータイプのきんつばです。
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ここから、いったん飯田駅へ。
鉄道交流サロン 結いの駅というのは、JR飯田駅構内にある観光案内所。少し探してみましたが、特に鉄道関係のものはないように思います。 -
実は、ここで元善光寺の情報をゲット。行き帰りの時間を調べてもらったり、けっこうお世話になりました。また、地元の名物料理の五平餅定食を紹介するコーナーがあったり、これも晩飯の参考にさせてもらいまし。
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飯田駅から元善光寺の最寄り駅、元善光寺駅まで移動して。
門前町というほどのものはありませんが、吉丸屋は、元善光寺の名物。おまんじゅう屋さんです。 -
イチオシ
おまんじゅうは、いわゆる炭酸饅頭だと思いますが、ふっくらふかした厚手の皮。甘い餡子に、皮自体もちゃんと自己主張をしていて、豊かな味わいがありますね。まんじゅうは粒餡と漉し餡。白と黒の二種類があります。
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ここで、昼飯にしましょうか。
そば善は、元善光寺の門前にあるそば屋さん。元善光寺の門前でまともに食事ができそうなのはここだけかな。
見た目はパッとしないし、仕方なしくらいな気持ちで入ったのですが、 -
いや、ここのそばなかなかいいです。おろしそばは出汁をぶっかけて、サラサラっと。何気にキレがあってうまいじゃないですか。これはお見それいたしました。
やっぱり、長野のそばは、どんなところでも甘く見てはいけません。 -
ここから、この石段を上ると元善光寺なんですが、その前に。。
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向かったのは、「舞台桜」を抜けた先の
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竹田扇之助記念国際糸操り人形館。想像以上になかなか立派な建物ですね。
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展示の中心は地元出身の人形芝居の名人、竹田扇之助氏のコレクションなんですが、これがまた素晴らしい。国内外の操り人形は生き生きとしていて、命が吹き込まれているのを感じます。
そして、「雪ん子」の特設ステージは、人形芝居の範疇を超えて、世界最高峰の芸術。高い天井裏からはるかに長い糸を何本も垂らして微妙な動きを表現する。大がかりな舞台装置でしたが、それにふさわしい繊細な表現が可能になるんですね。
また、係の人が世界の操り人形を実演しながら説明してくれましたが、日本の操り人形の特徴は首を傾げたり、首の操作が多彩にできること。それによって、より繊細な感情の表現が可能になるんですね。
美しい操り人形に、的確な説明。施設も立派だし、ここには深い感動があると思います。 -
そして、最後は元善光寺へ。
善光寺と元善光寺と両方にお詣りしなければ片詣り。そこまで言われる元善光寺です。
さきほどの石段を上がって、すぐが本堂。 -
でも、善光寺を知っているだけに、規模はそこそこにしか見えないかな。
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イチオシ
それでも、やっぱりこれを見ないとあれこれは言えないですよね。
全体としてまあまあでしたが、やっぱりここに来たことで気分は落ち着いたように思います。 -
元善光寺駅からの帰りは伊那上郷駅で途中下車。ここから飯田市街までは、歩いて帰ります。
で、その目的は上郷考古博物館。 -
伊那谷で発掘された
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石器や
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土器から始まって、
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旧石器、奈良・平安時代までの様々な生活道具類が美しく展示されています。
日本で伊那谷が特にということではないと思いますが、日本中に広くこうした古代の文化が広がっていたということを思わせるもの。そういう目で眺めると理解が深まるような気がします。 -
そして、上郷考古博物館の隣りに建つのが秀水美人画美術館。上郷考古博物館と共通券で拝見します。
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浅井秀水は、大正8年、飯田市に生まれた女性画家。伊東深水に師事し、美人画を学びます。館内にはその作品群がずらり。美人画の巨匠たちと比べると、やはり細かいところで、少し鋭さに欠けている気がしなくもないですが、その伝えんとするところはよくわかる。素直に穏やかに鑑賞できる美術館だと思います。
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そして、また飯田市街に帰ってきまして。
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田月はさりげない構えで、街のお菓子屋さんといった感じ。
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赤飯まんじゅうをいただきました。赤飯をそのままふっくら饅頭に包んで、白餡が仕込まれていますが、甘さはかなり控えめで自然な味わい。赤飯まんじゅうはけっこう甘いイメージでしたが、これくらいもありかなと思いました。
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さて、ここからが、いよいよ川本喜八郎人形美術館ですよ~
で、その一階にあるのがまちなかインフォメーションセンター。通りからすぐ見えています。 -
元気のいい女性のスタッフがいて、取りあえず食事処とかの情報をいただきました。ただ、飯田駅の方にも観光案内所がありましたから、飯田を訪ねた観光客は、大半はそっちの方で情報を得ることになるような気がしますけどね。
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イチオシ
川本喜八郎人形美術館を入ると、正面には諸葛孔明の人形。我々の世代だとNHKの「三国志」で見ていますし、むしろ懐かしい記憶の人形でしょうか。
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このロビーの左手が悠々とした展示室。
川本喜八郎が生涯をかけて取り組んだ三国志の人形たちがずらりと展示されていて、見るものを圧倒します。やはり実物は迫力が違いますね。
一方で、人形のいでたちとか、詳しく調べた歴史考証の結果だと思っていましたが、実は川本喜八郎が想像力を働かせて工夫したものだとか。その逸話にもけっこう驚きました。 -
当然、館内は撮影禁止なのですが、その後、東京国立博物館で9体の人形が公開されていました。こちらは撮影可だったので、それを載せたいと思います。
孫権
呉の初代皇帝。劉備、曹操と並ぶ、三国志の三人の英雄の一人。呉は長江流域の豊かな地域であり、水軍も強力。赤壁の戦いでは、劉備と連合し、南下する曹操の大軍を破った。その後は、荊州を巡る諸葛孔明との闘い、曹操の跡を継いだ曹丕との戦いでも一歩も後れを取っていません。 -
劉備
蜀を建国し、魏・呉に対抗した三国志の英雄。漢の末裔。
義兄弟でもある勇猛果敢な将軍、関羽、張飛を従え、そのうえ、諸葛孔明を三顧の礼で迎えます。 -
曹操
先祖は前漢の丞相。黄巾の乱による混とんの中から董卓、袁紹といったライバルに打ち勝ち、漢の丞相、実質的な権力者へ。
魏・呉・蜀。三国の中では一番勢いのある魏の基礎を作った英雄。赤壁の戦いでは、呉・蜀の連合軍に敗北し、中国の統一は叶いませんでした。 -
献帝
後漢第14代、最後の皇帝。曹操を重く用いるも、実権は奪われ、曹操の子、曹丕に皇帝の座を譲ることとなりました。 -
曹丕
曹操の長男。父曹操の勢力を受け継ぎ、献帝から禅譲を受けて王朝を開く。魏の初代皇帝。呉を三度攻めて三度とも敗北したり、父と比べると能力が劣ることは否めませんが、それでも父から受け継いだ国力は衰えなかったとされます。在位わずか6年で崩御。 -
諸葛孔明
劉備に三顧の礼で迎えられ、天下三分の計をもって、三国時代を切り開いた、実質的に三国志の主人公。政治的な能力だけではなく、赤壁の戦いなど、戦場での天才的な閃きもあって、すべてにおいて神がかり的な活躍を見せる、中国の歴史上でも最高の人物の一人でしょう。 -
孟獲
南蛮の王。諸葛孔明に7度反乱を起こし、7度敗北し捕まりますが、その度に放される。最後は、諸葛孔明に心服し蜀漢への帰順を誓ったという「七縦七擒」で知られる人物。 -
甘寧
呉の武将。孫権に仕えた曹操が荊州に進出すると対決を主張。赤壁の戦いはじめ各所で、曹操に対し手痛い打撃を与えました。 -
曹植
曹操の五男で、詩・賦の才に優れる。唐の李白・杜甫以前における中国を代表する文学者であり、「詩聖」の評価も。曹丕との後継争いにより、地方を転々とすることになりました。 -
川本喜八郎人形美術館で、やっと飯田の観光は完結した感じ。これで落ち着いて、今夜の宿の馬籠に向かえますね。
リンゴ並木を通って、駅の方へ向かいます。 -
その途中、なにかあるなと思ったら三連蔵。なまこ壁が美しい蔵なので、これなら誰でもすぐに気が付くかな。一の蔵から三の蔵。骨とう品や小物のショップや喫茶店などが入って、ここだけは別世界。小さな庭のスペースもあるし、入りやすいと思います。
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ただ、晩飯はっと。。
そういえば、観光案内所で飯田には五平餅定食という郷土料理があるということでしたよね。ということで訪ねたのが三河家。 -
地元ではそれなりに知られた老舗の食堂です。
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五平餅と山菜そばに小鉢が付いて、なんというか田舎料理。しかし、山菜そばも小鉢もやっぱりじんわりおいしさが伝わってくる。老舗の味がすると思いました。
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そして、最後のおまけは、飯田市立動物園。飯田市の市街中心部からでも割と近い場所。園の運営費用を飯田市が負担していて、入場料は無料です。
それだと入場者が多くても少なくても収入は同じなので現場の努力はどうなのかなあと思いましたが、質問したりすると係の人が気さくにいろいろ説明してくれたりしていい感じ。経営に関する負担が少なくなっている分、本来の動物園の仕事に集中できているように感じました。 -
馬籠までの高速バスは飯田駅前からの乗車。
飯田市から名古屋行のバスで、馬籠宿の最寄りバス停、上坂パーキングエリアまで利用しました。この路線は、代替できるJRがないので、このバスはとっても貴重です。
席の横にコンセントが付いていて、充電が可能。最近の高速バスは進化しているのかな。けっこうありがたく感じました。
さて、今日もぎりぎりまでめいっぱい。明日は馬籠と妻籠を回ります。
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この旅行記へのコメント (2)
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- mistralさん 2019/12/08 09:46:55
- 飯田市
- たびたびさん
いつもご投票をありがとうございます。
飯田市、確かに首都圏からですと行きづらい感があって
関心が薄かったように思いました。
今回旅行記を拝見して見どころ満載の街ということがわかりました。
人形劇の街、焼肉が美味しい、枝垂れ桜の時期には目も醒めるような桜が、
柳田國男さんの自邸が公開されている、
地元のお菓子をいつもご紹介されますが、行ったら食べてみたい、
などなど,たくさんの情報を頂きました。
圧巻はお人形との対面でしょうか。
表紙の諸葛孔明のお人形のお写真が、多くの旅行記の中で目を惹きました。
圧倒的存在感、端正な佇まいの姿、などなど、
川本喜八郎さんという方が、NHKの三国志でお人形を制作されていた事、
初めて知りました。もちろん番組の存在も知っておりましたし、チラッと
みた記憶もありますが、夕方の番組だったように記憶していますので
じっくりとは見ておりませんでした。
一編の旅行記にかなりお時間をかけられていることが伝わりました。
最後に一つ質問が (笑)
和菓子は、その都度購入されるのはお一つでしょうか?
いろいろ食べ比べてみたいけど、老舗のお店で一個下さいというのも
なかなか勇気がいりそう?に思いました。
mistral
- たびたびさん からの返信 2019/12/09 11:16:08
- RE: 飯田市
- 丁寧にご覧いただいてありがとうございます。
飯田は、関東からだとどういうルートで行っても時間がかかって、けっこうハードルが高いし、また、名古屋方面に対してもバスじゃないととんでもなく時間がかかる。隠れた一種の秘境かもしれませんね。ただ、街はすたれた感じはなくて、生き生きとした街並み。それなりの豊かさがあるように感じました。
ちなみに、お菓子のことですが、まあ旅の恥はかき捨てでしょうか。何個も買っていては食べきれないし、結局はこのスタイルを変えることはできないかなと思います。確かに、常識あるナイーブな方にはあんまりマネはできないかもしれんが。。
たびたび
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