2019/04/07 - 2019/04/12
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alchemistさん
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初めてローマに来たのは1970年。
ヒッピー華やかなりしころだ。
その時は通算1週間程度滞在しているが、
スペイン階段に座り込み一日を過ごしいていた。
仲間は馬の蹄鉄用の釘を曲げてアクセサリーに加工し、観光客に売りつけていた。
ヘップバーンの『ローマの休日』が鮮烈な印象を残していたころだ。
特に思い出されるのがローマオリンピックの選手村で野宿したこと。
懐かしいなあ。今どうなっているのだろう。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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大学四年の1970年。初めてヨーロッパに行った。
当時飛んでいたPANAMの001便で32時間かけてロンドンへ。
そのあとパリを回ってローマに入った。
ローマでツアーと別れ、パンナムの帰国チケットをもらい、ヨーロッパアジアをひとりで2か月ほど放浪していた。
途中、ローマにもどりここからアジアに飛んでいる。
写真はツアーの最後、エセドラ広場でカンツォーネを聞いていた時のもの。
一緒だったのは、玉池、糸井、相川、鷲山、荒蒔ら各氏。
ぼくの後ろに写っているのは相川さんだ。
今はどうしておられるのだろう。そもそもご健在なのだろうか。共和国広場 広場・公園
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次にローマに来たのは1982年の春。
ビジネススクールの研修旅行だった。
朝日生命、八十二銀行、佐藤工業などからの派遣研修生仲間で、コロッセオの前で撮った写真が出てきた。
イタリアのオリベッティやスイスのネスレ、ドイツではベンツ、ウェールズにあった日産の工場などを訪問する傍ら、個人的なテーマとして各地の墓地を見て回っていた時だ。コロッセオ 建造物
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大学生の時は、ツアーと別れてから西ヨーロッパを回り、資金も底を尽きかけてきたので、PANAMでインスタンブールに飛ぼうと、再度ローマにもどってきた。
ところが、飛行機が満席で予約が取れない。予約できたのは6日後の便。
ユーレイルパスも使用期限を過ぎ、動くに動けない。
やむを得ずローマオリンピックの選手村を活用したユースホステルに沈澱していたし、野宿もその時の話しだ。
そんな思い出の地は今どうなっているのだろう。スタディオ・フラミニオ スタジアム・スポーツ観戦
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スタートはポポロ広場。ここからフラミニア街道が始まる。
ポポロ門 建造物
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フラミニア街道はアッピア街道などと並ぶローマの主要街道の一つ。
ローマからアドリア海沿いのリミニまで続いている。
ローマ市内では、その道をトラムカーが走っている。ポポロ広場 (ローマ) 広場・公園
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トラムカーで北上し、テヴェレ川を目指す。
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これが、フラミニア街道の現在進行形。
幹線道路の位置を保っている。 -
テヴェレ川に行きついた。
ミルヴィオ橋 アンティーク市 市場
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かつては、ここまでがローマ市内。
フォロロマーノにあったマクセンティウスのバジリカで知られるマクセンティウス帝は、帝位継承の争いの中、このミルヴィオ橋でコンスタンティヌス大帝と闘った。
ローマに入ろうとするコンスタンティヌス大帝をこの橋で阻もうとするのだ。
しかし、コンスタンティヌス大帝の勢いに押され、敗走する途中、テヴェレ川に落ちて溺れ死んだ。
この橋は古代から交通の要所であり古戦場でもあったのだ。ミルヴィオ橋 アンティーク市 市場
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ミルヴィオ橋を渡ったこのあたりが激戦の繰り広げられた場所。
ローマオリンピックのメイン会場は左の方向にしばらく進んだところにある。ミルヴィオ橋 アンティーク市 市場
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今日のミルヴィオ橋は古戦場としてよりも恋人たちの聖地として知られるようになった。
橋の至る所に錠前がつけられている。ミルヴィオ橋 アンティーク市 市場
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恋人たちが恋愛成就を祈念して祈りをささげるパワースポットとなっている。
ミルヴィオ橋 アンティーク市 市場
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恋人たちは2人で南京錠をかけた後、川に背を向けて鍵を投げ入れるという儀式を執り行うのだ。
ミルヴィオ橋 アンティーク市 市場
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オリンピックのメインスタジアムはテヴェレ川の外側だが、選手村は川の内側、ミルヴィオ橋の手前にあった。
当時の最新技術を詰め込んだおしゃれな建築だ。スタディオ・フラミニオ スタジアム・スポーツ観戦
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一階はピロティになっていて、玄関はガラス張りという当時では斬新な設計。
スタディオ・フラミニオ スタジアム・スポーツ観戦
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このあたりはソ連選手団の宿舎。
ソ連のお家芸レスリングをモチーフとした彫刻が置かれていた。スタディオ・フラミニオ スタジアム・スポーツ観戦
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選手村はオリンピック終了後、人気アパートメントや公共施設として活用された。
その中にユースホステルがあり、飛行機の空席待ちの私は、お金もなくてここに沈殿していた。スタディオ・フラミニオ スタジアム・スポーツ観戦
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ユースホステルでも、あるいは街中でも一人旅の学生やヒッピーまがいの日本人は多く、若者同士すぐに友達になった。
その中に佐世保からローマに留学している大石博さんという画家の卵がいた。
彼はその時チャイというマレーから来た青年と一緒に行動していた。スタディオ・フラミニオ スタジアム・スポーツ観戦
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そのころのマレーシアは、マレー系住民と中国系住民が深刻な対立関係にあった。
人口は少ないが豊かな中国系と人口は多いものの貧しいマレー系との反目の中、政府はブミプトラ政策と呼ばれるマレー系優遇の民族差別政策をとり、前年には200人近い死者を出したマレーシア史上最悪の民族衝突事件も起こっている。
チャイはこの民族対立抗争を逃れローマに来ていた男だった。スタディオ・フラミニオ スタジアム・スポーツ観戦
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なぜそうなったのかはっきり覚えていないのだけれど、ユースホステルの前で三人で自炊をしようという話になった。
牛肉、米、タマネギ、ピーマン、卵、トマトを買い込んで煮込む。
ほとんどはチャイが調理し、塩、コショウ、ケチャップ、砂糖でうまいシチューを作り上げた。スタディオ・フラミニオ スタジアム・スポーツ観戦
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また、オリンピック選手村では、ユースホステルに泊まらず野宿した覚えもある。
大きな建物の外構のコンクリートの梁がちょうどベッドサイズで、寝やすい構造だった。つまりは一日ホームレス。
あれはどこだったのだろう。スタディオ・フラミニオ スタジアム・スポーツ観戦
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ここじゃないかと探し当てたのがスタディオ・フラミニオ。
ラグビーイタリア代表の拠点だ。スタディオ・フラミニオ スタジアム・スポーツ観戦
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ローマはおりしも、花蘇芳が花盛り。
この花の西洋での花言葉は「裏切り」「不信仰」「反逆」とか。
キリストの処刑を知って後悔したユダは、この花の下で自殺したとされ、西洋では「ユダの木」とも呼ばれているようだ。スタディオ・フラミニオ スタジアム・スポーツ観戦
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町も変わり、記憶も薄れている。
『これだ!』という確信の持てぬまま、ポポロ広場に戻ってきた。ポポロ広場 (ローマ) 広場・公園
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あてどもなく街を歩いて行くとコンドッティ通りにでた。
コンドッティ通り 散歩・街歩き
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有名なカフェグレコの前を進むと。
アンティコ カフェ グレコ カフェ
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おなじみのスペイン広場だ。
スペイン広場 広場・公園
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スペイン階段の下の噴水も観光客であふれている。
バルカッチャの噴水 モニュメント・記念碑
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広場では大道芸人が、
スペイン広場 広場・公園
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アクロバチックな技を披露している。
スペイン広場 広場・公園
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階段に植生が置かれているが、昔はこれはなかった。
階段はヒッピーのたまり場となり、みんな日がな一日、ここで時間をつぶしていた。
日本人のヒッピーも多く、古株は当時ここの名物だった馬の蹄鉄用の釘を加工し十字架などのアクセサリーを作って売っていた。スペイン広場 広場・公園
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古川さんやチャイくんと出会ったのもここ。
百貨店への就職が決まっているという河村コージ君は、博物館でネズミを研究している佐々木さんと一緒。
ヨーロッパまでネズミをつかまえに来たということで、しおりのようにペタッと押しつぶした標本を見せてもらった。
早大の久保寺光男くんともよく一緒に行動していた。スペイン広場 広場・公園
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『ローマの休日』の影響でスペイン階段ではソフトクリームを食べるのがお約束だった。
今考えればジェラートだが、当時はそんな名前は知らなかった。
ヘップバーンのローマの休日は、言ってみればローマ観光のPR映画。
みんなそれを見ており、その影響は極めて大きかった。
写真はその時の私。まだ体重が50キロぐらいしかなかった。
往時茫々である。スペイン広場 広場・公園
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スペイン広場からポポロ広場の方にしばらく北上するとマルグッタ通りがある。
マルグッタ通り 旧市街・古い町並み
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ローマの街もすっかり変わってしまったが、昔の雰囲気をよく残しているエリアだ。
マルグッタ通り 旧市街・古い町並み
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その51番地は『ローマの休日』の聖地。
マルグッタ通り 旧市街・古い町並み
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建物の下を通り抜けた中庭が『ローマの休日』のロケ地だった。
マルグッタ通り 旧市街・古い町並み
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ヘップバーンの演じたアン王女は、自由を求めて滞在中の宮殿を抜け出し、ローマの街に出る。
宮殿で処方された精神安定剤で意識朦朧となったアン王女は、たまたま出会った新聞記者ジョー・ブラッドリーに助けられ、ジョーのアパートで目覚めることになる。マルグッタ通り 旧市街・古い町並み
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グレゴリーペックが演じたジョー・ブラッドリーの住むアパートが、このマルグッタ通り51番地なのだ。
マルグッタ通り 旧市街・古い町並み
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マルグッタ通りにも再開発の波が押し寄せており、隣接する53番地は改装工事が行われている。
マルグッタ通り 旧市街・古い町並み
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ただし、聖地である51番地は幸いにも手がつかずに残っている。
マルグッタ通り 旧市街・古い町並み
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中庭を中心に4面をアパートが囲んでいる。
マルグッタ通り 旧市街・古い町並み
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緑豊かな落ち着いたところだ。
マルグッタ通り 旧市街・古い町並み
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この通りは芸術家に愛されており、ピカソやデ・キリコもこの通りにアトリエを構えていたことがあり、この51番地にも多くのアーチストがスタジオやアトリエを構えている。
マルグッタ通り 旧市街・古い町並み
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この界隈は恰好の散歩道で、映画の巨匠フェデリコ・フェッリーニ監督も、妻とともに好んでこの道を散策していたようだ。
マルグッタ通り 旧市街・古い町並み
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おしゃれなレストランやセレクトショップもこの通りの散策を楽しいものにしてくれる。
マルグッタ通り 旧市街・古い町並み
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散歩の途中でのどが渇けば、この通りにある芸術家たちの噴水で潤すこともできる。
懐かしさとともに青春をいつくしむこのができた。マルグッタ通り 旧市街・古い町並み
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