2019/03/24 - 2019/04/02
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azianokazeさん
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2019年3月27日 フンザ観光1日目の午後
午前中の「デュイケル」ウォーキングに引き続き、カリマバード市内の主な観光スポットを散策します。
途中、貧血で体調を崩したり、長谷川スクールでは思いがけず校長室に連れていかれて慌てたり・・・といったことも。
表紙写真は、カリマバード市内バザール通りからの眺め
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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「デュイケル」ウォーキングを終えて、次に向かうのは写真中央に見えている「アルティット・フォート」
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フォート近くで見かけた猫
自宅で飼い猫に留守番をさせているため(便利屋さんに餌やりなどは頼んではありますが)、猫を見かけると気になります。
この猫とは、あとでまた会うことになります。 -
フォート近くの広場で遊ぶ子供たち
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フンザの一帯は、女性教育にも積極的なイスマーイール派が多い地域ですので、子供たちも男女入り乱れて遊んでいるようです。
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フォート周囲はアンズの木で囲まれています。
花が咲いていれば綺麗でしょうが・・・、まあ、インシャラー(神の御心)です。 -
アンズの木の向こうに見えるのが「アルティット・フォート」
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フンザのミール(藩主)の居城としてつくられた城塞で、フンザにはもうひとつ「バルティットフォート」と呼ばれるものがあります。
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写真は翌日撮影のものですが、フンザ川からそそり立つ崖上に建ち、川を隔てて対峙するナガール国からの侵攻を防ぐためものだったそうです。
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フォートから見下ろすフンザ川
川沿いの道路がカラコルムハイウェイ -
周囲の山並み
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画像中央部の白っぽい建物が、もうひとつの城塞「バルティットフォート」
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興味のある方は、お読みください。
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フォート内部を詳しく案内・解説してくれるローカルガイド。もちろん、英語ですが。
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フォート周辺には、非常に古い建築の集落が残っています。
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ガイドのカリームさん(右)とローカルガイド
フォート内部の見学を終える頃から、なんだか頭がクラクラしてきました。
脳貧血の軽い症状のようです。 -
フォート周辺でしばらく休みます。
カリームさんの仕事仲間が、紅茶とアンズの実(体調回復にいいとか)を持ってきてくれました。
日本から移動、カラコルハイウェイの二日がかりの移動、夜間の氷点下の寒さ、2500mほどの高度・・・といった急激な環境変化・疲れで体のバランスが崩れたのでしょうか。
足元にいるのは、先ほどの猫。
なお、この写真は撮影を頼んだものではなく、カメラを預かっていたカリームさんが勝手に撮ったもの。撮れていることは知りませんでした。完璧なお疲れモードです。 -
しばし猫との戯れ
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口をモゴモゴやっているのは、もらったアンズの実を食べているせい。ドライフルーツなので、ちょっと硬くて食べづらい。
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完全に回復ということもありませんでしたが、そんなにひどくもなかったので、カリマバードのローカルレストランで昼食。
「Beef Karahi」
カレーと似ていますが、「歩き方」によれば、“カライは鉄鍋を使って水分がなくなるまで蒸し煮したもので、味は似ているが、注文されてから作るので多少時間がかかる。料金的にはカライの方が高い”とのこと -
プレーンライスがなかったので、プラウだかビリヤーニだか。
当初は、食べたらホテルに戻って休もうか・・・とも考えていたのですが、食べているうちに体調も回復して、午後の観光も支障なくなりました。 -
午後部の最初は、カリマバードのバザール
「バザール」と言うので、いわゆる市場みたいなものかと思っていたのですが、要するに土産物屋などが並んだ“バザール通り”のことのようです。
それはいいとして、休店状態の店もあって、やや寂しい感も。
というのは、冬の間は観光客が来ませんので、3月に入ってから開業するということで、今はようやく営業シーズンが始まったところ。
ですから遅い店はまだ閉まっている、準備中という状態です。 -
土産物屋のひとつ。ざっと店内を見学。
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帽子などはかわいいかも。
アンズオイルは、使い道がないし、重いし・・・といったことで、今回は何も買わずにパス。 -
バザール通りからの眺め。
全体に、長い眠りからようやく目覚めた・・・といった雰囲気。 -
次にやってきたのは、カリマバードの「長谷川メモリアルスクール」
日本人登山家で、1991年にこの地の未踏峰ウルタル2峰(7388m)に挑み雪崩により命を落とした長谷川恒男氏(1947~91)を記念して建設された学校です。
登山の前に、妻に「もしも、私になにか起こったときには、土地の人たちを幸せにする事を考えて欲しい」との遺書を残していたとのことで、その遺言にもとづいて、長谷川夫人や登山仲間が考えた結果、長谷川氏が遭難したウルタルを望む場所が選ばれて、学校を創ることが決まったそうです。
約3000万円の寄付が集められ、1997年に開校しました。 -
校内に掲げられている登山家長谷川恒男氏の写真
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簡単に“覗いてみるだけ”のつもりで来たのですが、思いがけず校長室に案内され、お仕事中の校長先生と対面することになり慌てました。
「今は生徒数はどのくらいですか?」「600名以上(日本で言えば幼稚園児から高校1年ぐらいまでの年齢層)?」「随分大きな学校ですね」みたいなやりとり(もちろん英語)でお茶を濁し、早々に校長室から逃げ出しました。
学校を見学した際に、校長室に連れていかれ焦るという展開は、昔バングラデシュでも経験しました。あのときも困りました。 -
校長先生からは、「この時間は、あいにく生徒たちはいませんが、校内を見ていってください」とのことで、案内男性に連れられて校内を見学することに。
生徒たちがいないのは好都合です。
この上、生徒たちと対面させられたら大変です。
日本から団体で人がやってきたときなどは、生徒たちがダンスなどのパフォーマンスを見せたりもするようです。
校内や生き生きとした生徒たちの様子、歓迎セレモニーなどについては、mikoyan358さんの旅行記(https://4travel.jp/travelogue/11121758)などにも詳しく紹介されています。
私の方は、ひと気もない校内の写真を簡単に数枚だけ。
画像は図書室 -
本棚の上には日本人寄贈者のお名前が。
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こんな掲示も。
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パソコンを配置した視聴覚教室
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日本のいろんな方の寄贈で整備されているようです。
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教室
生徒たちがいて、「さあ、日本からのお客さんとお話してみましょう」なんて展開になったら大ごとでした。生徒がいない時間帯で超ラッキー。 -
長谷川メモリアルスクールへの道筋にある「ジャパンチョーク」と呼ばれている交差点
インド圏では、何本かの通りが集まる賑やかな一帯を「チョーク」と呼んでいます。 -
長谷川メモリアルスクールが契機となって、いろんな事業が日本の支援で行われているようです。
この記念碑はパキスタンと日本の共同プロジェクトによる環境衛生事業完成を記念したもののようです。 -
次に向かったのは、この日最後のスポット、「バルティット・フォート」
お昼前に訪れた「アルティット・フォート」から見えていた、もう一つの城塞です。
山の中腹にありますので、車を置いて坂道を上がります。 -
授業を終えた帰りでしょうか。
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手前は、うっすらと咲き始めたアンズ
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道には土産物屋がいくつか。
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砦入口の監視所
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フォート付近からの眺め
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同上
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フォート外観
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画像中央部に見える細長い空き地はポロ競技場
ポロは“1チーム通常4人で構成され、メンバーは馬に乗り、マレットと呼ばれるスティックで球を打つ。この球を相手チームのゴールに運べば得点となる。”【ウィキペディア】という、世界で最も古い歴史をもつ競技の一つです。
この地域で盛んなスポーツは、このポロとクリケット。(どちらも、日本にはなじみが薄いですが)
という訳で、このようなポロ競技場をあちこちで目にします。 -
フォート前に展示されている大砲
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ローカルガイドの案内で内部見学
チケットを買いに行くガイド氏(簡単な日本語を多少は理解)に「ローカルガイドはいいです。どうせ説明もよくりかいできないし」と日本語で言ったのですが(英語で話すのが面倒なときは、つい日本語になります)、ローカルガイド案内となりました。
日本語の“いいです”がどのように伝わったのか。“good”の意味で伝わっても不思議はないですね。このあたりの日本語は微妙です。
なお、ここのローカルガイドの英語はくせがなく、日本人にも比較的聞き取りやすい英語でした。あんまり聞いていませんでしたが。 -
15世紀はじめ、藩主に嫁いできたチベット支配地域のスカルドゥ地方の王女が多くの職人たちをつれて来たことで、このフォートの建築や内部装飾にはチベット文化の影響が強くみられるそうです。
この弓もそのひとつだったかどうか・・・忘れました。 -
丸みを帯びた建築というのは珍しい感じも。
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ポロのスティック 当時も盛んに行われていたようです。
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フォートからの眺め
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天井装飾もユニークです。
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藩主とは言っても、現代的な感覚からすると質素な暮らし向きのゆにも見えます。
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楽器
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同上
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チベット・新疆地方が中国の支配下に入れば、中国との関係が強まります。
最初の行には新疆カシュガルの地名、行政長などの文言も。何かの信任状でしょうか。 -
20世紀半ばに流通していた中国紙幣
この地域と中国の関係・つながりは、別に現代の「一帯一路」に始まった訳ではなく、こうした長い歴史の一部であることがわかります。 -
観光を終えていったんホテルに戻り、夕食はアーリアバードのレストランにでかけました。
チキンのボディ・カバーブ(食べかけで見苦しいですが) -
店先で焼いていたこっちの方が気になりました。
ハンバーグのようです。 -
もともと、この地域には「チャプリ・カバーブ」という料理があります。
“チャプリ・カバーブは、挽肉を用いたパシュトゥーン風のケバブである。用いられる肉は牛肉か羊肉が多く、これに各種の香草、香辛料を加えてパティ状に整えて作られる。ペシャーワル周辺に起源があるとされ、ペシャーワル・カバーブとしても知られている。”
チャプリ・カバーブをバンズにはさめばハンバーグです。
これで3月27日を終了
翌日は、カリームさんの出身村で親戚の結婚式があるそうで、その様子を見学します。
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