2018/12/01 - 2018/12/10
74位(同エリア297件中)
タヌキを連れた布袋(ほてい)さん
- タヌキを連れた布袋(ほてい)さんTOP
- 旅行記112冊
- クチコミ183件
- Q&A回答0件
- 110,352アクセス
- フォロワー33人
「午後2時26分。プノンペンのUNTAC本部で執務中だった隊長の山崎のもとに文民警察本部作戦部長のアイルランド人から一報があった。
『アンピルとフォンクーの間でUNTACの車列が襲撃され,日本文民警察官が死亡した模様』
山崎は『とにかく誤報であってほしい』とひたすら祈るような気持ちであったが,今川大使と東京の警察庁に一報を入れた。」
「襲撃現場に到着したベリストロムが目撃したのは想像を絶する光景だった。
『全員が負傷していました。ある人は車の外に横たわり,ある人は車の中に横たわったままでした。内臓が飛び出ていた日本人もいました。何か映画のワンシーンのようでした。いちばん若い日本人はタニ(谷口)でしたが,彼は手紙の上に倒れていました。奥さんからの手紙でした。手紙は彼の血で真っ赤に染まっていました。それをはっきりと憶えています。
酷暑,流血,火薬の臭い,人の叫び声……。ハエが飛び交っていました。もうあれから何年も経っていますし,警察官としてさまざまな悲惨な現場を経験してきましたが,あの修羅場だけは忘れることができないのです。今でも目にしっかりと焼き付いています。』」
「川野邊班長の手記
高田はまだ生きていた。何とも凄い生命力であった。スウェーデン警察のレナートが病院の中から,酸素ボンベを運んできた。
私は酸素マスクを高田の口に押し当てながら,耳元に大声で『高田吸え』と叫んだら,彼は口を尖らせて最後の力をふりしぼって酸素を吸い込もうとしていた。彼は,まだ生きていたのだ。撃たれてから二時間以上もがんばっていたのである。
最後に,トドメで撃たれた弾は,首の付け根から縦に肺を貫通している。胸から両足のふくらはぎまで,無数の弾丸が彼の身体を引き裂いている。
それにもかかわらず,ふつうの人なら絶命している状態であるのに,彼の生きて帰りたいという願いが,そうさせていたのではないだろうか。
高田は,スウェーデン警察の車両から病院の木製カウンターの上に運ばれて,その上で,軍医が懸命に心臓マッサージを施したが,やがて,腕時計を見て彼の死を告げた。
1993年5月4日午後3時5分であった。
諦めてはいたが,現実を受け入れるのは非常に辛かった。悔しかった。
彼の遺体にこびりついている血液を軍医から渡されたアルコール綿で丁寧に拭き清めた。身体中に数え切れないほどの貫通銃創やロケット弾の破片による傷跡が認められた。
遺体を乗せたヘリが飛び立ち,これが,高田との永遠の別れになってしまった。
涙というものは,いったいどれくらい流せば涸れるのであろうか。止むことなく,流れ落ちる。(中略)今は,ただただカンボジアが憎い。カンボジアの平和の構築のために働いている人間を平気で殺すカンボジア人が憎かった。正直,こんな国なんか,すべて灰になってしまえとまで思った。」
「午後5時半過ぎ。フォンクーのCT4基地にいた川野邊から山崎のもとに電話があった。
『隊長,やられてしまいました』
電話越しの悲痛な叫び。川野邊の第一声だった。
死傷状況
日本文民警察隊
高田警部補 死亡(頸部,肺貫通および全身に多数被弾)
八木警部補 重傷(背中,左肩および左腕被弾)
谷口巡査部長 重傷(頭部被弾,腹部多数貫通)
川野邊警部 軽傷(頭部,左手,左脇腹,左大腿部および右膝被弾)
鈴木巡査部長 軽傷(右肩から腋下に貫通)
オランダ海兵隊
小隊長 重傷
フェルワーテル伍長 重傷
フォンク一等兵 重傷
後部座席の兵士 重傷
後部座席の兵士 重傷
殉職した高田警部補は1993年5月4日付で,二階級特進した。階級は警視となった。33歳だった。」
旗手啓介著「告白 あるPKO隊員の死・23年目の真実」(講談社)より(※引用者註記:文中,高田警部補と山崎隊長の氏名の一部が文字化けするため,適宜,文字の置き換えをさせて頂いた。)
スレイ・サフォン(シソポン)逍遥その1:コンポントムからスレイサフォンへ移動&街歩き
https://4travel.jp/travelogue/11483443
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 2.5
- ショッピング
- 2.0
- 交通
- 2.0
- 同行者
- その他
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 航空会社
- ベトジェットエア
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
今日の仕事はアンピルへ行くことである。ただし,行き方はさっぱり分からない。
夜中から雨が降っていた。日中に雨が来ないか心配だ。 -
そもそも,目的地のアンピルはどこにあるのか。
スレイサフォン(シソポン)から56号線を約60km北上したところに,カンボジア五大遺跡のひとつ「バンテアイ・チュマール」がある。
Googleマップ上では,バンテアイ・チュマールの北20km付近に「Ampil Chas」や「Banteay Ampil」の地名が確認できる。
しかしそれは,地図上で(隣州の)オッドー・ミエンチェイ州内にある。事件当時の国会の議事録によれば,文民警察官が配置された「アンピル」はバンテアイ・ミエンチェイ州内にあるように読める。もしかしたらアンピルというは,両州にまたがる広い地域の名前なのかもしれない。
また,文民警察官を含む一行は「フォンクー」からアンピルの任地へ戻る途中で襲撃されたのだが,フォンクーという地名はGoogleマップ上で確認することができない。(資料を読む限り,アンピルとフォンクーは約20km離れており,襲撃地点はアンピルよりフォンクーに近そうだ。)
結局,手がかりは「アンピル」という漠然とした地名と,文民警察官が遭難した現場の近くに「Neak Reach Primary School」という小学校があり,そこに殉職された高田警視の慰霊碑があるということくらいなのである。 -
56号線を北上してバンテアイ・チュマール方面へ行く交通機関(乗合タクシーやバイタクなど)は,スレイサフォンのチャムカーコー市場付近から出ることが判っている。
先日,コンポントムから30km離れたサンボープレイクック遺跡をトゥクトゥクで往復したときの料金は15USDで妥結した。だから,スレイサフォンから60km離れたバンテアイチュマール遺跡への往復分の料金は30USDが自分の中での目安になる。
問題は,その先だ。
目的地がどこにあるのかよく分からないから,30USDプラスいくらになるのか予測が難しい。
とりあえず運転手には,「バンテアイチュマールへ行きたい。その際,その近くにある『ネアク・レアク小学校』へ先に立ち寄ってほしい」と言っておいて,後から追加料金の交渉をすることにしよう。 -
とりあえずOld Bus Stationからチャムカ―コー市場へ行ってみなければならない。
トゥクトゥクを拾おうと探すのだが,運悪く一台もいない。
シェムリアプやポイペト行きの乗合タクシーばかりがたくさんいる。
ついでなので,暇そうにしている運転手に「バンテアイチュマールまでいくら?」とか訊いてみる。すると運転手らは「駄目だ。お前,シェムリアプへ行け。な?なっ?」とか勝手なことを言ってくる。たぶん運転手の縄張りとか掟があって,ここでは国道6号線方面の客しか乗せてはいけないことになっているのだろう。 -
と思いきや,あとから数人の運転手が離れたところまで追ってきて,「…40USDでどうだ?」とか交渉を図ってくる。掟破りだ。
少し話をしてみると,40USDと言ってくるうちの一人は,トゥクトゥクではなくタクシーの運転手だった。トゥクトゥクで30USDと思っていたから,タクシーなら40USDを支払ってもいいかも知れない。今日は雨降りになる可能性があるからだ。
それに,どのみちこの金額で済まないことは初めから判っている。
タクシーの運転手に「まずネアク・レアク小学校へ行くこと。バンテアイチュマールはそのあと」としつこく確認を取る。運転手は「分かったわかった。小学校の場所は知らないが問題ない。了解した」ということで交渉妥結。
この運転手は,仮に「ポリさん」と呼ぶことにしよう。 -
というのは,この「ポリさん」,どう見ても現役の警察官である。
カンボジアの公務員法がどうなっているのか知らないが,迷惑がかかってはいけないので名前と顔写真は伏せておこう。 -
チャムカーコー市場で昼食を買って,56号線を一路北上。
道路はきれいに舗装されている。車窓には水田が広がる。 -
小一時間ほど走ると,バンテアイ・チュマール遺跡の付近に達した。
-
ポリさんは,小学校の場所について聞き込みを始めた。
-
さすが本職で,フットワークが軽い。そのうち村の学校の教員をしているという女性を連れてきて,「直接話せ」という。たしかに学校の先生なら英語が分かるし,小学校のことも知っている可能性が高い。
その若い女性教員はとてもきれいな英語を話した。「ネアク・レアク小学校」と聞いてしばらく思案していたが,「バンテアイ・ミエンチェイ州の学校ではないのかもしれない」と言って,自分の学校の校長先生にまで電話をかけてくれた。そして判ったことをポリさんに話し,メモを取らせていた。
メモを取り終わったポリさんは,すかさずその女性を通訳にして交渉してきた。
「ネアク・レアク小学校は隣の州にある。ここから遠い。40ドルに,プラス20ドルだ」 -
教員の方やその場にいた村の人たちに厚くお礼を述べて辞去する。
-
その後,舗装道路を北へ約30分走った。脳内航法によれば,州境を越えてバンテアイ・アンピル付近に達したと思われる。
仮に文民警察官のアンピルの任地(ジャパンハウス)がこの辺りにあったとしたら,襲撃現場ないしネアク・レアク小学校はここから走行距離で10~20km離れた場所にあることになる。 -
ところが,ここからの捜索は難渋した。
-
どうやら,住民は付近にある学校を名称や種別で把握したりはしていないようで,ポリさんは学校をひとつずつ突き止めては,「ああ,ここは小学校じゃない…」「また名前が違った…」と疲労の度合いを深めていく。
アンピルの集落以降,道路は未舗装になっており,時には幅員が狭くて引き返すところもあった。ポリさんはしきりにガスの残量を気にし始めた。 -
ここまで来ると,辺りに水田は見られず,あるのは荒れ地かキャッサバの畑ばかりだ。
-
アンピル高校の前を通りかかったとき,偶然,教員らしき男女が校門から出てきた。帰宅途中のようだった。
さっそくポリさんが聞き込みに走る。長い間,遠くを指さすようなしぐさを交えながら話をしてくれ,有力な情報が手に入ったようだ。
私も横から精一杯の感謝の念を表す。 -
ここでポリさんの車がガス欠。アンピルの集落まで戻り,十字路のところで給油(プロパンガス)。
-
ついでに横の茶店で,チャムカーコー市場で買ってきたヌンパンサンドを食べさせてもらう。
-
ポリさん,ここでもさらに聞き込みをして情報の補強をしてくれる。
ポリさん戻ってきて曰く,「これからもう一箇所行く。これで駄目なら,諦めてバンテアイ・チュマールへ行こう」。
ポリさんはここまで非常に頑張ってくれたと思う。ここが潮時か。 -
そして再出発。
アンピルの十字路から未舗装の道路を東方向へ進む。
途中,道は別の集落に入ったが,ポリさんはそこで方向を変えることなくずっと東へと進む。 -
道路沿いは民家もまばらで,不毛の地が続く。
走行している未舗装の道は,この地域では幹線道路だと思うのだが,道路沿いに電柱が立っていない。この地域に電気はまともに通っているのだろうか。 -
20分くらい走っただろうか。
ネアク・レアク小学校が,突如として左手前方に現れた。 -
“You MADE IT !!”
不謹慎ながら,このときばかりは思わず歓声を上げてポリさんの肩を叩いた。
ポリさんは車を校庭に乗り入れて停めた。
今日は学校は休みのようで,人影は無かった。 -
校門前からフォンクー方向を望む。
-
校門を出て道路向かいすぐの場所。ここが襲撃を受けた地点だと思われる。
-
校庭のほうへ戻って,
-
慰霊碑に線香を上げさせて頂く。
-
碑文を拡大。
(反射で読みにくい点は悪しからず。) -
さっき道を教えてくれた女性の教員は,別れ際にこう訊いてきた。
「あなたはどうしてその小学校へ行くのですか。あなたは,その殺された警察官の家族なのですか?」
いいえ,私はただの旅行者です。足早に名所旧跡を見て回り,あっという間に見たものを忘れてしまうよりは,こういう場所を訪れておきたいと思うだけの,縁もゆかりもないただの浮浪者です。ご面倒をかけて本当に恐縮です。 -
タカタハルユキスクールに別れを告げ,来た道を戻る。
-
今回,タカタハルユキスクール(ネアク・レアク小学校)及び日本文民警察隊遭難の地点は,Google座標「14.248033,103.237839」付近と特定することができた。
-
帰途,バンテアイ・チュマール遺跡に立ち寄る。
時間が遅いせいか,ガイドのような人はいない。怖いのは地雷ではなく瓦礫の山 by タヌキを連れた布袋(ほてい)さんバンテアイ チュマール 史跡・遺跡
-
修復作業中。
-
こちらも修復中。気の遠くなるような,根気のいる作業である。
-
応急措置か。不安定なのでハラハラする。
-
仮の歩道が遺跡の奥へと伸びている。
-
立木の根は,横にも伸びてきて遺跡を破壊する。
-
この遺跡では,それ以上に,人間の手による破壊(盗掘)が凄まじいらしい。
-
やがて仮の歩道は尽き,
-
あとは瓦礫の山を上り下りすることになる。
-
サンダル履きなどの軽装なら,勇気をもって途中(仮歩道)で引き返すべし。こんなところで怪我をしたら大変である。
-
ここを訪れるなら,旅立つ前に周到な準備を。
怖いのは地雷ではなく瓦礫の山 by タヌキを連れた布袋(ほてい)さんバンテアイ チュマール 史跡・遺跡
-
☆近年,道路は整備されてきているが,それでもシェムリアプからバンテアイ・チュマール遺跡へは片道約3時間はかかる。日帰りは強行軍となり,賢い選択とは言えない。
☆シェムリアプ=スレイサフォンの乗合タクシーは片道5ドル前後で所要約2時間。スレイサフォン(チャムカーコー市場)=バンテアイ・チュマール遺跡は,乗合いなら片道一人5~10ドル程度と推測する。
☆スレイサフォンの宿はそこそこの選択肢があり,コスパ良し。バンテアイ・チュマール遺跡周辺の民家に泊まることもできるが(予約サイトで予約可),あくまでもそこは「民家」である。宿泊するにはそれなりの経験が必要か。
☆スレイサフォンは大きな街だが,中心部の食堂や商店の数はそんなに多くはない。特に夕食の選択肢は限られる。
☆バンテアイ・チュマール遺跡は,日本のフィールド・アスレチックより厳しいと思っていたほうがよい。高齢・幼児連れの人は危険。
☆日本文民警察官高田警視の慰霊碑が建つ「タカタハルユキスクール」は僻地にあるため,地元の運転手などにその場所を分からせ,連れて行ってもらうにはそれなりの困難が伴う。訪れる際は本文記載のGoogle座標を活用されたい。最寄りの集落はフォンクー。
☆位置的には,バンテアイ・チュマール遺跡とタイ(スリン)国境の遺跡タ・ムアン・トム寺院の間にあるため,それらの遺跡を訪れる際に立ち寄ることもできよう。距離的にはタ・ムアン・トム寺院のほうに近い。
スレイ・サフォン(シソポン)逍遥その1:コンポントムからスレイサフォンへ移動&街歩き
https://4travel.jp/travelogue/11483443
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
タヌキを連れた布袋(ほてい)さんの関連旅行記
この旅行で行ったスポット
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
その他の都市(カンボジア) の人気ホテル
カンボジアで使うWi-Fiはレンタルしましたか?
フォートラベル GLOBAL WiFiなら
カンボジア最安
112円/日~
- 空港で受取・返却可能
- お得なポイントがたまる
0
43