2009/07/27 - 2009/08/10
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ウィーンの旅行記なのにタイトルがフランス語です。
Hommage a Clara - 1. Souvenir de Vienne
英語にすると
tribute to Clara ー 1. Souvenir from Vienna
クララ(・シューマン)への賛歌 ー 1. ウィーンの思い出
私の10年前のこのヴィーン旅行、現時点での最後の海外旅行、これは、全くと言っていい程、今の私にとって、なんというか、複雑な出来事でした。
この旅行、一体何のための旅行であったのか、全く以て、わからないのです。
無論、その時はいろいろ「目的」らしきものを掲げていたとは思います。でも、その後の私と言うのは、このような長距離のお出かけからは完全に隔絶された、そしてずっと身動きが取れない(?)時間が過ぎたんです。そんなことになるとわかっているなら。。。はたくさんあります。この旅行は往復飛行機でしたが、きっと片道は列車にしたでしょうし、いろいろ「ああすればよかった」があります。
今となってはほとんど思い出もありません。忘れたいことかもしれません。
でも、唯一、今思えば、面白い出会いがありました。その時から数えて190年前、今から数えて200年前に生まれた方と、そして10年後の私に唯一繋がることが。いろいろ不満は多いのですけど。。。
忘れたいと思ったことも多いです。本当に嫌な思い出です。でも。。。
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ウラル山脈上空
(私の初めてのデジカメ写真。。。)
実はこれ、機内の窓ではありますけど、非常ドアの窓からとってます。機内はなんと照明なし、 読書灯のみ! で、すべてのシェードが閉められて。。。という真っ暗状態。機内食もそんな状況で配られると言う異常な飛行機でした、オーストリア航空。。。二度と乗りません。
777の横10列もめちゃくちゃ狭い、と思ったところですが、今やそれより狭いボーイング787の横9列がデフォルトになっちゃいましたもんね。。。
やっぱり、我々エコノミー客の味方はエアバスのようです。で、今度はエアバスの飛行機に乗ってヨーロッパ行く、って言ったのに、これ以来ヨーロッパ行ってません。。。 -
シュテファン
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シュテファンの近くのカフェ、オーバーラーだったかな?で夕食。
周りの日本人観光客が、ウェイターに一切チップを払わないと言う奇妙な光景を見かけましたね。私は、ちゃんとお釣りを切り上げてお支払いしましたから、 Danke, schön ! と喜んでくれましたよ。。。周りの連中も慌てて払ってました。。。 -
翌日、カールスプラッツ駅のカフェ
オットー・ヴァーグナーの建築がカフェになっているわけです。これに見慣れているので、地元弘前で明治時代の建物がスターバックスになっていても、特に反感は持ちません。ただ、ヨーロッパのカフェは、個人営業が多くて、個性的で、文化財とマッチしてます。
遠くに楽友協会が見えますね。 今回の旅では行く事はありませんでした。。。(だって夏だもん。。。どうせまたすぐ来るし。。。)
ここのカフェでも、日本人がチップを払わないのが常識化しているようで、人にチップも含めて飲食代として請求されました。メニューは回収されてたので細かい金額は忘れたのですが、あれおかしいな、と思いながら請求された金額+チップを渡すと「あ、どうしよう」みたいな反応をウェイターさんが。。。 -
別の日、王宮内の楽器博物館に行きました
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うまく写せてませんねぇ。。。
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またブレブレの写真
解説プレートも写真に撮ってないので今となっては分かりませんが、まぁぶれた写真を見る限りでは、18世紀中頃以降のチェンバロですね。
ネットに所蔵品リストが出ていれば、それから探せるのですが。。。 -
これまた写真撮影に失敗して真っ黒の写真。。。フォルテピアノですね
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この角度で写真撮ってると言う事は、膝レバー式のペダルの写真を撮ったつもりなのだと思います。その頃私はフォルテピアノに関して、(今では信じられませんが)ほとんど知識がなくて、「ペダルは昔のピアノは膝式だった」位しか知りませんでした。今行けば1日では足りないんでしょうね。で、きっと係りの人に「これはどうなのか?あれはどうなのか?」とか質問攻めにすることでしょう。
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これもブレまくっていて全く分かりませんが、楽器が年代順に陳列されているとして、写真の撮影順から判断すると18世紀末から19世紀初めの楽器と思いますが、となるとこのデザインだと。。。イギリス系の製作家の楽器かもしれません。
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解説プレートの写真を撮ってましたが、全然読めません。ただ、「ハンマーフリューゲル」と、「C」と言う文字が見えます。。。ということは、もしかして。。。?
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メーカープレートがかろうじて読めますね。これは、コンラート・グラーフの楽器です。
ここに何台グラーフのピアノがあったかは覚えていませんが(数台ある筈です)、そのうち1台は1838年に製造された後期の楽器で、クララ・シューマンが長年愛用していた楽器です。彼女はロベルト・シューマンとの結婚生活をグラーフのフォルテピアノと共に過ごしたわけです。シューベルトやベートーヴェンの時代のグラーフより恐らく重い楽器でしょう。音域はベートーヴェンのグラーフと同じです。
これ、もしかしたらそれかもしれない。。。
ちなみに、クララのより1年後に製造されたグラーフが日本にありまして、かつて日本文化財団と言う呼び屋さんが持っていて、マルコム・ビルソンやオルガ・トヴェルスカヤなど大物演奏家の演奏会で20年位前頃使われてました今は上野公園の意味不明な国立大学が持ってる)。
ヴィーンのクララ・シューマンの楽器はどうだろうとは(恐らくないと勝手に推測してますが)思うのですが、「金属フレーム付き」と書いてあるピティナのネット情報がありまして、今すごく気になってます。事前に連絡して、蓋開けて見せてもらうとか、今ならきっと考えるんでしょうね。探せば写真はあるはずなのですが。 -
これも、かろうじてメーカープレートが読めます。。。ベートーヴェンの最大の友人の楽器製作家ナネッテ・シュトライヒャー の息子のヨハン・バプティスト・シュトライヒャー の楽器です。
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これは、、、19世紀のベーゼンドルファー。
今、当時私は、グラーフも、シュトライヒャーも、エラールも、ブロードウッドも、どっかで名前を聞いた事はあったとしても全然知りませんでした。。。ウィーンのピアノ製作家といえばベーゼンドルファーしか知らなかった。。。
10年経った今は、ナネッテ・シュトライヒャーとか、グラーフとか、そしてヨーゼフ・ブロートマン(ベーゼンドルファーの先生)とかの楽器をもうとにかくとにかく賞賛し、録音を聴きこんでますが。。。そして、イギリスのブロードウッドのオリジナルを買おうとしている(お金はそんなないけど、ブロードウッドは買えるんです!)という。。。 -
これもベーゼンドルファー
展示の最後は、なんとカワイのシンセサイダーでした。 -
ミュージアムショップで、CDか何か買おうかと思ったのだけれど、何か激安のCDがいっぱいありました。ギーゼキングとかフルトヴェングラーとか、昔の演奏家のCDが3ユーロとか4ユーロ、お土産用に売ってるウクライナのオーケストラが演奏した第九は2ユーロでした。買っておくべきだったんですが、重さを気にして1枚だけ買うことにしました。でも、私が買ったのは。。。なんかわかんないけど、ここにある楽器のCDみたい。で、なんかクララ・シューマンと関係するみたい。
ブラームスは蝋管録音が残ってるから、あれ?クララ・シューマンも何か録音残ってるの?と一瞬思ったけど、CD 1枚分録音が残ってるわけありませんし(実際は録音はありません)、ちゃんと見れば「クララ・シューマンのピアノ」と言うタイトルのCDです。19ユーロ。高いですね。。。
でも、なぜかこれを買ったんです。 -
午後は向かいの美術史美術館
これ半年位前に青森県立美術館に来てたんですよー。。。また会えたねー -
吹き抜け
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カフェ
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別の日にシェーンブルン
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グロリエッテまで来たよ~
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グロリエッテ
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ここもカフェになってる。
家族が「アイスコーヒー」で失敗しました。ニヤニヤされながらね~。。。「アイスコーヒー」の説明はこちらご覧ください!https://4travel.jp/travelogue/11297185 -
グロリエッテ
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シェーンブルン動物園
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ペンギンだよ~
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パンダ!
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コアラ!
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何の鳥だったっけ?
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忘れてしまった。。。
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赤い鳥。これ何だったっけ?
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ゾウガメだったっけ?
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別の日: 移転直前だったベーゼンドルファーの本社に行きました。なんか寂しい感じだったけど引越し中だったんです。今思えば。
ヨーゼフ・ブロートマンの弟子、イグナーツ・ベーゼンドルファーの会社は、なんと日本のピアノメーカーの支援を受け、資金を確保。。。それでも、ブロートマンの時代、ウィーンには100~200ものピアノメーカーがあったわけですが、唯一現在まで残ったのがブロートマンの弟子ベーゼンドルファーの後継者たち。そしてベーゼンドルファーはなんとか生き残ったのです。ヤマハありがとう。。。
ヤマハグループになって変更された部分はほぼありません。唯一変更された箇所は鍵盤の蓋が指を挟まないようにゆっくり閉まるようにするバネの装置、これがヤマハの設計のものに変更された、ということだけです。音の部分には一切手は加えられていません。ほんとにヤマハに感謝したいところです。
ちなみに、ヤマハとベーゼンドルファーの買収競争したメーカーが「ブロートマン」を自称していて、なんかわけわかんないんだけど、その「ブロートマン」は、風の噂によれば、はじまりとしては、ベーゼンドルファーが、ベヒシュタインのホフマンとかスタインウェイのボストンに相当する機械生産の第2ブランドを作ることを検討したことがあったらしくて、そのでブランド名に先生の名前の「ブロートマン」を使うことを考えたらしい。で、結局第2ブランドはやらないことにしたんだけど、やりたがる一部の技術者が独立してはじめちゃったらしい。。。風の噂ね、これ。ベーゼンドルファーの技術者からはベーゼンドルファーが第2ブランドを検討したことはないとも聞いてますから。自称「ブロートマン」、 中国で作ってるとか噂が来たよ。。。ウェブサイトもギリギリの表現で「偽ブランド」を避けてますね。。。
でも、彼らはヨーゼフ・ブロートマンとはな~んにも関係ないわけで。
一流ピアノメーカーの第二ブランドの話が出たので、おまけのおまけにミニ情報。ベヒシュタインの第二ブランドの「ホフマン」、「わたしスタインウェイよりベヒシュタインが好きなの、でも高いから」という理由でホフマン買ってはいけません。ホフマンは実はスタインウェイのコピーに近い設計なんです。それより中古のベヒシュタイン をお探しください。一方、スタインウェイが好きな方にはホフマンはたいへんお勧めでしす。。。
そしてベーゼンドルファーは真面目にトップブランドばかりで作っておりますので、「ベーゼンドルファー大好き、でも新品は高い」と感じられる方は、信頼できる調律師さんと一緒に忍耐強く中古をお探しになられることをお勧めします。「ピアノは15年で買い替え」とか言うのは、ヤマハ・カワイのセールスマンが作り上げた嘘八百です。ヨーロッパの一流メーカーの楽器は、適切な整備がなされてあれば100年以上現役で活躍します。くれぐれも、「何か知らないけどウィーンのピアノメーカーなんだって、ベーゼンドルファーの先生?が~???」と言って、自称「ブロートマン」は買わないでくださいね。 -
ピアノスタジオ前のソファー
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本社入り口
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本社ホール内
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現代的なデザインの特別仕様
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一方、これは初期のベーゼンドルファー
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解説プレートがぼやけていて読めません。大変申し訳ありません。ただ、1840何とかと書いている風に見える気がします。もしかしたら、鉄骨の補強が縁取りのようにあるかもしれません。写真を見る限り。。。
今となって、「いつごろのぽいなぁ」と知ったかぶりをしていろいろ書いてますが、10年前はほんとに何も知りませんでした。なので、とりあえず写真を撮ってくるだけで、しかも使い始めて数日のカメラ、ちゃんと使えなくてみんなぼやけた写真で本当に残念です。今見に行けば全く違った知見が得られることでしょう。
それでも、イギリス式とウィーン式の2種類のハンマー装置がある事は知っていましたよ。でも当時は何のことか分かりませんでした。。。今のわたしなら、写真でハンマーの部分を見ればどちらかがすぐわかると言うのに。。。ベーゼンドルファーがイギリス式アクションに切り替えるのは20世紀に移り変わろうと言うこと。この時代の楽器はもちろんウィーン式のアクションです。。。と書きたいのですが、「もちろん」と言う表現はちょっと適正じゃなくて、なぜなら、ベーゼンドルファーの最大のライバル、ヨハン・バプティスト・シュトライヒャー は、祖父がウィーン式アクションの考案者であるアンドレアス・シュタイン、そして母がベートーヴェンの最大の友人の1人、ナネッテ・シュタイン=シュトライヒャーであるにもかかわらず、ウィーン式を早くに捨てて、イギリス式をベースに独自の改良を加えた「アングロ=ジャーマン・アクション」に乗り換えていたのです。
でも、より大音量を出すためにベーゼンドルファーは20世紀初めにイギリス式に変えたわけだけど、当時、ほぼイギリス式のシュトライヒャーよりウィーン式のベーゼンドルファーの方が楽器が頑丈で大音量が出ると言う評判だったらしいので、これもまた不思議な話です。
さらに、この写真の楽器の時代、イギリスのブロードウッドやフランスのプレイエル、エラール等は、鉄骨のフレームを導入しています。でもこの写真。。。
それでも、よく言われる言い伝えによると「ベーゼンドルファーのピアノはリストの激しい演奏に耐え~」と言われてます。。。ベーゼンドルファーって、弦を上から押さえるアグラフと言う部品の採用でも他のメーカーよりかなり遅いらしいですよ。アグラフこそ、強く打鍵しても安定しているようにする部品では? でもそれがなくてもリストの演奏に耐えたと言う伝説があるんです。。。うーん、私の理解できる範囲を超えています。もっと勉強が必要ですね。。。私はリストにはぜ~んぜん興味なくて、ハイドンやシューベルトが好きだから、これは別の方にお任せですね! -
ブロートマンの弟子、イグナーツ・ベーゼンドルファーが作ったアップライトピアノ。
当時、グランドピアノより小さい小型ピアノと言えば、テーブル型のスクエアピアノ、私が今買おうとしているタイプですが、と言う楽器が主流でしたので、アップライトピアノと言うのは比較的新しい発明品と言えるのかもしれません。 -
このプレートはちゃんと文字が読めました。
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工場の中なので、あまり写真は撮らない方が良いのでは、と言うことで完成した現行モデルピアノの写真はありませんでした。
ということで、東京のショールームに展示されていたベーゼンドルファーの現代のピアノの写真です。これは、インペリアルモデルで、ベーゼンドルファーのフルコンサートモデルです。100年位「大体似たような」設計で完全に手作りで生産され続けています。そして、ここ数年で新たに「ヴィエナ(ウィーン)コンサート」と言う、より大きなホールに対応した(悪く言えばスタインウェイの影響を受けた)ピアノも製造されています。でも、そこそこベーゼンドルファーらしい音がしますよ。
インペリアルモデルはこんな音の楽器です。先日亡くなったイエルク・デームスと、その親友パウル・バドゥラ=スコダの演奏のビデオです。
https://youtu.be/Dp8W7pSTBmw -
現在、現代ピアノでの演奏会はほとんどがニューヨークのスタインウェイ社製(のドイツ・ハンブルク工場)の楽器で演奏されています。それでいいんでしょうか?もっと、各メーカーの個性を生かした演奏家が出てきても良いのでは?
今年10月のスコダの東京公演(92歳になっての来日!)では、スコダはベーゼンドルファー・インペリアルを使います。私がこの前、9年前に聞きに行った時は残念ながらスタインウェイでしたが、今回はベーゼンドルファーを使うのです。私も行きますよ~
スコダがベーゼンドルファーの特徴を解説したビデオ。
https://youtu.be/ryLrhDRKW6g
フォルテピアノから学んだことと共通点がある、とおっしゃっています。これは本当だと思います。
私がここまで18世紀、19世紀の古楽器に入れ込んでいるのも、私が、現代ピアノの演奏を、ヤマハやスタインウェイではなく、私のベヒシュタインとピアノの先生にあったベーゼンドルファーで学んできたからです。(ベーゼンドルファーとベヒシュタイン はかなりキャラクターが違う楽器ですが) 私は今年手放したベヒシュタインのアップライトを、あたかもフォルテピアノのような音域による変化のある音を持った楽器に仕上げることに成功しました。 -
ところが。。。。
スコダが亡くなりました。
最後の演奏会になった、Musikverein の新しいホールでの演奏会
https://youtu.be/rduDr4xwCFI -
ところで、なんであんたはベーゼンドルファーの先生のブロートマンのことばかり書くの???
ベーゼンドルファー本社にはブロートマン先生の作った楽器はありませんでした。楽器博物館にはもしかしたらあった筈なのですが記憶がありません。。。
ところでブロートマンの楽器ってどんな楽器なの?ということで、手持ちのCD解説書から、ヨーゼフ・ブロートマン1823年製作の楽器を1995年にイギリスの楽器修復家David Winstonがコピーした楽器の写真を載せておきます。この楽器で録音したCDに魅了されすぎてしまっているので、ベーゼンドルファーの話なのに先生のブロートマンの話ばかりしているのです。。。
こんな音です。このYouTubeリンク、私の複数の旅行記に登場してますね。。。
https://youtu.be/X-ZKerRpaXQ -
ブロートマンの設計の楽器は、絶対的な音量は現代のピアノと比較になりませんが、相対的な存在感で見ると、現代からは考えられないような強烈な存在感を持ったフォルテシモも出るのです。
https://youtu.be/VLsRd4kpPZA
クララ・シューマンのコンラート・グラーフはどんな音なのでしょう? きっと、細かいところはともかくとして、全体的な流れとしてはブロートマンやシュトライヒャー など他のウィーン系製作家に共通するところがあるのでしょう。クララのより18年古いグラーフ(響板などの設計が異なると思われます) を使用したCDを聴きましたが、恐るべきダイナミックな表現力を持っています。。。そのCDの楽器は、ベートーヴェンやシューベルトの後期の時代の楽器。古典派の音楽が限界まで拡大し、ロマン派への峠を越えようとしているまさにその瞬間と楽器です。
クララの楽器はきっと完全にロマン派の世界の楽器。
パリで活躍して、プレイエルやエラールを弾いていたショパンも、グラーフなどのウィーンのフォルテピアノが実は好きだったそうです。ウィーンの良い楽器はショパン時代のエラールより明かに繊細で細やかな表現ができますから。 -
旅行記に戻ります
ベーゼンドルファー本社近くの交差点
右端にスーパーマーケット、スパーの看板が見える。ホテルの近くにもあった -
近くにあった小学校。
素敵な建物ですね。。。で、こういう建物の写真はいくつか残ってるのに、肝心の地下鉄車両や路面電車の写真が一切ありません。これって何なんでしょうね。。。
フィルム式カメラや、「走ルンです」じゃなかった「写ルンです」のようなカメラの感覚が残ってたんでしょうね。。 -
ホテルのロビー
シェーンブルン宮殿の西隣にあるホテルで、結構古い建物で真偽は不明ながらショパンも泊まったことがあるとかないとか。。。
ロビーの雰囲気も良かったですよ。最近写真見たらかなり改装されてしまって、木のぬくもりあるインテリアはなくなったみたい。。。
「ホテルのロビー」と聞くと、リヒャルト・シュトラウスのオペラ「アラベッラ(アラベラ)」の第3幕に「ホテルのロビー」と言う場面の名前が付いているのだけれど、そんな雰囲気の高級ホテルのカフェとかに入ってみる事はありませんでした。ちなみに、第一幕は「ウィーンのホテルの1室」もちろん、市内の超高級ホテルのことでしょうか。。。うん、でも、お金なくなった貴族が高級ホテルに泊まるのかなあ。。。多分見栄を張って無理して泊まってる設定なんでしょうね。
私、この頃はリヒャルト・シュトラウスのオペラとかいっぱい聴いてたんですよ。。。大好きでした。アラベッラは、影のない女、ばらの騎士と並んで特に大好きな曲でした。何とも言えない、微妙な雰囲気が好きだったんです。そうなんですよ!ワーグナーだってバイロイトのビデオでちゃんとマイスタージンガーとか、ベルリンフィルで神々の黄昏通しで聴いた。カラヤンとシュヴァルツコップフの薔薇の騎士だってくいいるように聴きましたよ、この私が。
数ヶ月前メッセージを送ってくれた下関の方、明治鉄道建設史の方、私だってちゃんとこんな音楽聴いているんです。
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四つ星で、エアコンは無いもののすごく快適なホテルでした。
他にもいくつか観光地はどこかに行ったような気がしますが、写真もなくて全く思い出せません。 -
最終日、高速バスで空港に向かっていたところでやっとこさ路面電車の写真を撮っていました
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これは古いの
1日ブラチスラヴァに行けばタトラカーいっぱい見れたのに。。。。もう。。。。 -
オーストリア航空のボンバルディアでワルシャワへと向かいます
これも、よくよく考えてみれば、モスクワ行き寝台特急にワルシャワまで乗るべきでした。
オーストリア航空の赤い制服は現在も健在のようです -
駐機場へ向かうバスはCobus3000と言うバスの車種で、空港ターミナルの駐機場へ向かうバス専用に設計されています。羽田空港や成田空港で使われる、国産の一般路線バスをちょっといじっただけの使いづらい車両とはかなり勝手が異なります
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ホテルに着いたら、日本人観光客と判断されたのか(確かにそうですが)、「ショパンコンサートツアー」をフロントで勧められまして判断力が鈍っていたのか買ってしまいました
ベンツのマイクロバスでホテルから連れて行かれます -
市内の各ホテルを回って連れていかれたのは、今画像検索で調べたところ(それまでどこに連れていかれたかもわからなかった!?)、はワジェンキ公園内にある小さな宮殿、Myślewicki 宮殿でした。
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クジャクがいたよ~
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天井の装飾
コンサートはポーランドの地元のピアニストが、演奏していました。あったピアノはカワイでした。。。残念ながら、東ドイツの銘器ブリュートナー(東ヨーロッパの主力コンサートピアノでした)や、チェコのペトロフ、東ドイツのAugust Förster といった楽器ではありませんでした。。。東ヨーロッパは、ソ連崩壊後の混乱で、かなりピアノも状態が悪くなったので、そこに日本の外務省は一部の国(ルーマニアなど)にカワイのグランドピアノを贈るなどしていて、その影響なのか?日本製ピアノの影響力が比較的強い気がします。 -
で、演奏はですね。。。そうですね。日本で一般に流布している、平均的なショパン演奏が頭のどっかにあると、それらとは桁違いに素晴らしい演奏に聞こえる演奏でした。
会場は真っ暗で、若い地元の演奏家の方のように感じましたが、いやいや、それがすごくうまいんです。。。家に帰ってきてCDの経歴見たら青森県の、五能線沿線の鰺ヶ沢のコンクールにも来たことがあるそうです。。。ということで、どんな人付き合いがある人なのかわかってしまいました。。。
鰺ヶ沢ってね、私が絡んでいた青森県の音楽業界とはまた別の音楽グループがありましてね、ワルシャワのショパン音大でステファンスカに習った確か函館出身の日本人の人が、ポーランド人の妻を捨てて、鰺ヶ沢の町長の娘と再婚して、それで鰺ヶ沢の町長に取り入って日本海拠点館と言うホールを拠点にいろいろコンクールとかイベントやってた時期があるんです(今はやってなくて、青森県の五能線沿線の鰺ヶ沢から今度は八戸に会場を移してイベントやってるんだって)。そのコンクールに出たみたいです。もちろん、賞をとられているようです。。。当然ですよね、ハリーナ・チェルニー=ステファンスカにショパン音大で習った優秀な地元の演奏家、それでステファンスカの名前を冠したコンクールですからね。。。
それがわかったのは10年前なわけですが、今、この旅行記を書くにあたって名前を検索してみたところ、今も同じ宮殿でのコンサートに出続けているそうで、しかしながら、なんと、ショパン音楽大学の准教授に就任したそうです。立派になられたんですね~。
良い演奏だと書きましたが、今の私には。。。ちょっと合わない演奏ですね。CD聴き直すと。。。。 -
翌日、ワルシャワの計画は全くしていなかったのですが(ちょっとでも下調べをしたり、鉄道ジャーナルとか読み直しておけば、ワルシャワ中央駅から半日列車に乗って、また折り返して帰ってくるとかしたんでしょうけれど)何にもすることなくホテルにいてしまったので仕方なく市内観光に行きました。。
まずホテルがあるラウンドアバウトの反対側にある、スターリンゴシック様式の高層ビル、文化科学宮殿に行きました。
ロシアテレビのニュースで、モスクワのロシア外務省(もちろんソ連外務省)の建物はよく見ておりましたので、これがスターリン様式の建物である、と言うことがすぐにわかりました。何にも予備知識はないのですが、こういう知識が役だったりします。 -
大きいですね~
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展望台から見たワルシャワの街並み
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連接バスが見えました。やっとズーム機能とかが使えるようになったらしい。。。
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線路!
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バス。。。乗りたいけど、地図もガイドブックも読んでなかったので、どこに向かって走っているのか全然わからないと言う。。結局乗れずじまい
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ドイツあたりの中古かなドイツあたりの中古かな
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「ショパンと彼のヨーロッパ音楽祭」のチラシ
シュタイアーが目立ってるね。。。隣のAIMI Kobayaって誰? 下にFrans BruggってあるのはもしかしてFrans Bruggen??? Orkiestra xviii って書いてるってことはブリュッヘンだね! Aimi Kobaya...って日本人っぽいけど誰なの? 私日本人のピアニスト全然知らないので誰が誰だかわかりません。 -
ネット検索したら日本人の若手演奏家のようですね。。。 12歳でブリュッヘンとプレイエルでショパンですか。。。
モダンピアノで弾いたベートーベンの演奏をネットで聞いてみましたが全然良くありませんね。強弱の変化を一生懸命つけているけれどあくまでも人工的なもので、自然に音楽の流れから出てきたのではない、という風に感じてしまうんです。。。あれではプレイエルは弾けないと思うし、ブリュッヘンとリハーサルすることも無理っぽい気が。
そもそも、プレイエルでモーツアルトを弾くのであれば、「ショパン時代にはどんなモーツァルトが演奏されていたのか」を探求すると言う難題に取り組まねばなりません。モーツアルト時代のピアノによるモーツアルトは、参考演奏もいろいろあるし、探せばいろいろ本も出ています。でも「ショパン時代のモーツァルト」は結構難しい課題です。 そういえばピアノ協奏曲の20番には、クララ・シューマンによるカデンツがあります。
「ベートーベン時代のバッハ」であれば、チェルニーが編集した楽譜と言うありがたい参考資料があり、それを読んでみると、本当に1820~30年代頃のウィーンのフォルテピアノ、例えばブロートマン、初期のベーゼンドルファーやグラーフ、シュトライヒャーなど が似合う音楽になっています。
まぁ、演奏できない、弾きたくない音楽ファンにこんなこと言われて当人はむかつくかもしれませんが、ブリュッヘンとモーツァルト弾くなら私の方が音楽が合うかも。。。?私は小さい頃から、ブリュッヘンやアーノンクールを聴いて育ってきましたから。。。。音楽の感覚がその流れなんです。まあこの日本人は表面的な意味でのテクニックで押し倒す傾向の人ですから、技巧的なものには興味がなかった、ない私とは音楽感が対極にあると思います。
「弾きたくない」「技巧的なものには興味ない」あれ。。。。。。。??? -
やっとまともな電車の写真が出てきました
路面電車ですね。乗りたいのですが、系統もわからず、切符の買い方もわからず。。。事前準備ゼロの訪問でしたので一体どうしたら良いのでしょう。。。??? -
乗りたいよ~~~
写真を振り返ってみると、いろいろな車両がいて、東ヨーロッパ標準のタトラカー以外も(が)走っていると言う事は、中古車を集めている可能性が考えられます。
今度専門家に聞いてみます。 -
だから、乗りたいの!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
当時は、BBCの国際ニュースチャンネルとか見ていなかったので、英語は日本の学校英語ばかり。どうやって質問すればいいのか、なかなか文章が出てきません! ハウキャン アイ バイ ザ チケット フォア ディス トラムくらいしか言えない。。。 (そんなこともできんかい!)
そして、一定の年齢以上の世代になると外国語の授業と言えばロシア語だったであろう国ですから、英語がみんなに通じるとは限らないんです! それでも、街の人は親切で、私とお店の人とかが英語会話で詰まっていると自主的に通訳してくれる人とかがいらっしゃって、本当に助かりました。。。この経験が、私が、これまた(あらゆる世代の人が英語を学習しているにもかかわらず)英語が通じないどこかの国の駅でも親切にしてあげる理由の1つです -
確か政府庁舎だったかな~大統領府だったっけ?
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なんだったか忘れたのですが、確か。。。あれ、。。。。。。。
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旧市街の中心広場が見えてきました
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あ、有名なエリア。。。
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路上演奏の人たち
結構うまいし、若い感じの方でしたので、音大とかの学生さんでしょうか? 路上演奏もすごい演奏に遭遇することもあると聞きます。どうなんでしょうね。。。
1990年頃?にロンドンの街角に「お金が欲しくなったら」出没していたといわれるヴァイオリンとヴィオラの2人組なら、日本から飛行機に乗って聴きに行く価値もあったと思いますが。。。 -
王宮の博物館に入ってみましょうか。。。
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ホール
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絵
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あ、これ
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旧市街広場
ナチ・ドイツの爆撃で全壊した後、できるだけ元通りに再建されたところです -
旧市街入り口の門
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ワルシャワ蜂起の博物館。後から知ったので中に入らなかったのが悔やまれます。。。
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ワルシャワ蜂起のシンボルマーク
このマークをつけて、観光客に説明していらっしゃる方が何人もいらして、最初ポーランド語しかできない方が話しかけてくださったのですが、英語ができる方に代わってくれて説明していただけました。不思議なことに英語もある程度聞き取れましたし、一応ワルシャワ蜂起のことはおぼろげながら知っていたので最低限は説明を聞けたかな。。。
市民が壮絶な戦いをナチ軍と始めたのに、ソ連軍は近くまで来ていたのに、動かなかったんですよね。。。 -
第二次世界大戦の歴史認識については東ヨーロッパでもいろいろな問題があります。ドイツやポーランドだけではなく、例えばリトアニアにおいては、ホロコーストにリトアニアの住民の多くが積極的に関わった、と言う事実についてどう捉えるか、と言うところで、最近国内で大論争が起こったのです。
論争のきっかけとなった本「同胞たち(ロシア語:СВОИ )」の著者、ルタ ・ヴァナガイテ氏の講演会に今年2月に伺いましたが、いろいろ考えさせられる内容でした。現在の日本で起こっている歴史認識問題とも共通する点が多いと感じました -
そこそこ充実したような、そしてすごい不満があって、それで1日過ごした時間が終わりました。
ワルシャワではレストランにも入らず、近くのパン屋でパンを買ってホテルで食べるだけ、と言う。。。
ホテルのエレベーター乗り場から見たラウンドアバウト -
こうしてみると、文化宮殿は大きいですね
好き嫌いは別として、現代の?ワルシャワのシンボルです。
そういえば、テレビ番組で、ピョートル・アンデルジェフスキ(ポーランドの有名ピアニスト)が「文化宮殿を取り壊し本来の景色を」とか言ってましたね~。
そういえばアンデルジェフスキの演奏会がすみだトリフォニーであったらしいけど、なんか。。。。なんかあったんだってさ。 -
翌日、またワルシャワから飛行機でウィーンに行って(これもボンバルディアのデハビランドカナダQ400)。。。(いい加減ワルシャワ中央駅からモスクワ行きに乗りたかった!)
-
乗り換えて、
-
日本時間の8月9日1時8分に撮影した写真です
ここから、絶景区間が始まったのです。。。 -
夕方の日が差す北極の山々
ウラル山脈の手前でしょうか? -
きれい
-
北極の太陽
-
翼の位置からして、これは反対側南側を撮った写真と思います(これ以外の写真は、進行方向左側の窓側の席に座ってましたので、北側の写真になります)
-
日が暮れてきた。ウラル山脈です。
-
1時32分
-
1時37分
-
1時44分
夕暮れ -
太陽がどんどん沈んで
-
きれい。。。
-
わーっと見てるうちに(機内は真っ暗)
-
1時50分
オビ川の河口です。
この川の地形を見て「あ、オビ川だ」とすぐ気づきました。この景色には本当に感動しました。。。 -
2時3分
日が暮れたけど、真っ暗にはまだなりません
見えます?ガス田の炎です。
今でこそ、ロシアの情報にたくさん触れるようになって、北極などを含む津々浦々にいろんなものがあることを知っていますが、この時は「北極のガス田ってこうなんだ~」とすごい不思議な、北極が秘境ではなく現実の世界だ、と言う現実を突きつけられた瞬間です -
このあたりです。「シ」が「ミ」になってるね。。。
機内ビデオとかもなんか調子が悪かったですね。
この後、ヤクーツクの南数百キロのところで感動的な朝を迎えた(あまりにもまぶしかったのでちょっとしか見ていない)のですが、何故か写真がありません。。。
あのオレンジの光は、出発直前にテレビで聴いていたとあるシューベルトのD959の大ソナタのブレンデルの演奏と結びついて何故か記憶されています。。。??? -
成田に着いたらシンガポール航空のA380
-
乗ってきた777。。。もう絶対乗らないと決めました。
この後、羽田に移動して、このたびで1番快適な、と言うより広いエコノミー座席の飛行機、青森行きのA300に乗って青森に戻ってきました。 -
て、行ってきたには行ってきたけど、何してきたの?
実際問題、1度目の暴力事件の被害から3年ほど経っていましたが決して良い体調では無いわけで、ホテルで休んでいる時間も長かったです。
で、コンサートにも行ってないし(観光客向け除く)、楽譜とかの調査も全然してないし、列車の写真も撮ってないし、乗ってないし、一体何してきたんでしょう?
お土産はなんだろう。。。あれ、これしかないよ。。。
楽器博物館CDシリーズ
「Clara Schumanns Klavier (Clara Schumann’s Piano・クララ・シューマンのピアノ)」 -
帰ってきてから、あ、ロシアの列車乗ろうと思えば乗れたんだ、どうしよう?とか
(画像、ウィキペディア) -
「あ、音楽祭も、ザルツブルクは無理でも(実際は、日本のバカ高い演奏会を考えれば決して無理じゃない)、ロンドン経由にすればプロムスに行けたんだ」とか、一気に気づいてしまい、私はどうしていいかわからなくなりました。。。。
(画像:ウィキペディア) -
でも、帰ってきてしまったんです。。。
やり残したことが多すぎるので「近いうちにまた行こう」と思いましたが、その後事件の被害に遭いまして、海外旅行はほぼ不可能に。。。
で、先程のCD、クララ・シューマンの曲を、彼女が1870年の楽友協会小ホール(ブラームスザール)のオープニングで弾いたJ.B.Streicherのフォルテピアノで演奏したものです。
とりあえず聞いてみました。なんかビミョーな雰囲気です。曲の雰囲気は古典派ぽかったりブラームスぽかったり、楽器も微妙な年代のものです。モーツァルト時代のフォルテピアノはテレビで梅岡さんの楽器とか聴いたことあったけど、それとも違い、モダンとも大違い。逆言えばそれしか知識がなかった私に、とりあえず、曲がりなりにも「ロマン派時代のフォルテピアノってこうなんだ」と言う知識を与えてくれました。「ロマン派時代の楽器」といってもいっぱい種類があるわけですが(今色々と知識を持ってみると)、この当時は「ロマン派の楽器」と言えばこんな風なんだろう、と浅はかに決めつけました。。。 -
こんな楽器
作ったのは(前半でも書きましたが)、ベートーヴェンの親友ナネッテ・シュトライヒャー の息子のJ.B.シュトライヒャー
祖父がウィーン式アクションの創始者ですが、孫はいち早くウィーン式を捨ててイギリス式ベースの独自のアクションを作りました。ブラームスはこのメーカーが好きだったらしいです。
https://youtu.be/5fPKluJk0Wg -
ビデオから抜き出してみましたが、なんと交差弦なんです。。。
もちろん、10年前はこんな楽器の分類法など全然知りませんでした。485系特急型電車の詳細な分類法は知ってましたが。。。とにかく「ロマン派の楽器」と言う誠におおざっぱな括でしか理解できなかったのです。でも、誰にも教わらず、たいして本も読まずに18~19世紀のピアノの分類を覚えたのは「485系の分類」という経験があるからでしょう。 -
それでもウィーンのお土産にはちょうどいいCDかもしれません。
だって3番目にズバリ「Souvenir de Vienne (Souvenir from Vienna) 」という曲が入ってますから。
クララ・ヴィークがまだ18歳の頃にウィーンを訪れた際、あまりにすごい演奏でたいへんな衝撃を与えたようですが、その際、オーストリア政府から「宮廷室内楽奏者」のタイトルを受賞しています。
そのウィーンでの演奏旅行の思い出に極めて短期間で作曲されたらしいのですが、ハイドンの作曲した、(当時の)オーストリア国歌のテーマをいろいろ即興して飾っていくスタイルの曲です。http://conquest.imslp.info/files/imglnks/usimg/1/12/IMSLP174918-SIBLEY1802.5029.259a-39087012639029.pdf -
ハイドンの皇帝賛歌が見え隠れしてますね。
シューマンとかショパンの曲、私は。。。この頃、嫌というより怖かったのです。
みんなガンガン凄まじいパワーでスタインウェイを叩いて弾く、それが耐えられませんでした。それでショパンを知っていたから兎に角嫌だったのでしょう。
でも、基本的には同年代、同じような傾向(いや、年齢的には9歳年下ですがスタイルでは若干古い時代に寄ってるかも) のクララの曲にはなんにも先入観なしに入っていきました。素朴な雰囲気だけど、なんか落ち着く感じ。なんとなく好きになりました。
この曲の最後はだんだんとフェイドアウトして終わります。当時のピアノはうまくやれば、モデレーターペダルの助けも得られるので完璧なフェイドアウトが可能です(!!!)
このCDはそこまでいった演奏でもなく、また(現在の私の知識でわかるのは)作曲時の楽器よりだいぶ新しい楽器です。
このCDもそんなたくさん聞いたわけじゃありません。1回くらい聴いて、後はDVDレコーダーの上に放置されていました。
でも、頭の隅っこに「クララ・シューマン」と言う人の名前が意識されていました。そして、たいした演奏では無いのだけれど、これをきっかけに「フォルテピアノ」と言うものも意識されるようになりました。
今となっては忘れてしまいたいこの10年前の旅行、記憶も、いろんな感情も、フェイドアウトしてどこかに消えて行きました。
でも、「クララ・シューマン」「フォルテピアノ」、このキーワードが、どこかに
’Souvenir de Vienne’ として残ったのでした。
第2部に続く(いつ書くの???)
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