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1.旅の契機<br />靖国神社へは久しぶりの参拝である。参拝したいと思い立ったのは、湯河原226事件の現場を訪問したことにより、靖国神社と軍人会館を思い出したことに依る。<br />2.二・二六事件と靖国神社と九段会館(旧軍人会館)<br />二・二六事件の前から、二・二六事件に参加した部隊は訓練と称して、深夜、靖国神社に参拝していた。<br />その結果、二・二六事件当夜において部隊の出動があっても、憲兵や警察に何ら不思議に思われなかった。<br />近くの軍人会館には戒厳司令部がおかれた。<br />3.二・二六事件と天皇と太平洋戦争<br />松本清張著「昭和史の発掘」には二・二六事件の詳細が描かれている。一読を奨める。<br />私の印象では、その当時の天皇は、単なる国の機関の一つでしかない。天皇の補佐する機関の主要なメンバーを殺され、排除されれば、何もできない天皇である。<br />天皇は中国での戦線拡大を防ごうとの意志を持っていたが、天皇一人では軍部をその意志に従わせることができなかった。その結果、太平洋戦争に突入した。<br />4.太平洋戦争と日露戦争<br />私の意見では、太平洋戦争と日露戦争の大きな違いは、戦争開始の時から、計画的に戦争終結の方法を描いて開戦したかである。日露戦争の場合は、「坂の上の雲」に描かれている。<br />戦争は、目的を明確にし、どのように終結させるのか、考えておかねばならない。<br />終結の方法を明確にしないで、日華事変、太平洋戦争に突入した軍部の責任が重大である。<br />5.日本の歴史教科書<br />日本の高校で使われている歴史教科書(世界史、日本史)を高く評価する。<br />その理由は、事実関係のみを記載した客観的な記述であることである。その中にある事実をどう評価するかは、読者に委ねられている。虚偽の記載により、現在の政権の正当性を示そうとはしていない。<br />また、世界史を学ぶことに依り、海外で現地の人と、過去の歴史を語ることがあったとしても、決して知識の不足を感じさせることがない。<br />息子の一人が米国で米国に依る日本への原爆の討論会に参加した。息子は「1st is enough, 2nd is too much.」と発言したそうである。原爆の投下を正当化しようとする米国で一人の日本人が発言する限界ではないか。<br />6.家庭での歴史教育と家族史<br />三人の息子に歴史について教育したことがない。<br />私の友人の息子はその母親に「ガールフレンドの両親とガールフレンドは、どうしてお母さんのようにノルウェーの歴史について知らないの?」と聞いたそうである。<br />このことを彼女は誇らしげに語っていた。彼女の息子は、ノルマンディ半島を車で彼女を案内してくれた。ノルマンディ上陸作戦をその現場で生き生きと息子は母親に語ってくれたそうである。<br />彼女の家に滞在中に、OSLO市内とストックホルム市内の多くの歴史博物館と戦争博物館を訪問した。訪問時、見学者が彼女と私しかいない博物館が多かった。ノルウェー人も行かない博物館に彼女は息子を連れて行き、歴史の説明をしていたようである。彼女は息子にうれしそうに次のようなことを語っていた。<br />どこの博文館に行ったのか、そこでノルウェーの国旗の変遷を見てきたこと、「あの黄色いノルウェー国旗を見てきた。」。ノルウェーの国旗の変遷を知っているノルウェー国民が何人いるだろうか。母親は息子にノルウェーの国旗の変遷を語っていた。私がストックホルムからOSLOに戻り、彼女の家に入る時に「ピクチャーストーン、ルーンストーン」とノルウェー人のほとんどが見たことがない、バイキングの遺物を私が見てきたことを息子に語っていた。<br />彼女の母親は一家の200年史を著した。200頁になる膨大な著作である。<br />物語はノルウェーの北極圏、トロムセーの一人の母親と父親なしの息子から始まり、第二次世界大戦中に、彼女の母親と父親がOsloから疎開して地方に移り、Osloに戻り現在を家を建て、現在までが記載されている。<br />疎開地では父親がドイツ軍の命により、ドイツ軍の設計通りに施工しようとしたが、なかなか出来上がらなかったそうである。父親は、ドイツ軍の設計ではうまくいかないことを知っていて、ある種のサボタージュをやっていたのではないか。<br />私も、家族史を著したいと思っている。先祖の戸籍謄本を集めただけに終わっている。特に著したいのは私の両親と私の妻の両親が戦争中、戦後どう生きたのかである。戦後の日本を作った二組の夫婦の物語である。<br />私の母親は9人兄弟の長女である。戦争中は長兄と次兄が出征し、弟妹の世話と農作業で小学校に行くことができなかったそうである。その結果、読み書きができないことを、父の死後初めて知った。<br />母親は、その妹とともに次兄を横須賀海軍基地に訪問したことがあり、<br />その時が、次兄との最後の別れとなった。次兄はフィリピン沖で駆逐艦乗船中戦死する。貧乏小作人の姉妹がどのようにして、横須賀までの電車賃を工面したかは知らない。<br />母親は、露天商をしながら、サラリーマンの父親と働き続け、財をなしたが使うことがなく使い方も知らず、財は私と私の息子達に引き継がれた。孫達にいつの日か、私の両親と妻の両親が戦争中戦後をどのように生きたのか、<br />孫達が住んでいる家は、土地は、どうして住むことができるようになったのか孫達に伝えたいと思う。<br />7.遊就館<br />遊就館を訪問することを推奨する。<br />理由は戦争という視点から、日本史を客観的に展示している。<br />特に、明治以降の日清日露太平洋戦争の説明が充実している。<br />展示は、多数の図を駆使して、軍の動きを説明しており解りやすい。<br />国内外の多くの戦争博物館歴史博物館を訪問したが、ここ遊就館のように長い期間(蒙古襲来以降)、戦争史に焦点を当てて展示してある博物館は知らない。<br />特に、敗戦国である日本、ドイツ、イタリアでは第二次世界大戦についてどこでどのような戦いがどこで行われたのか、説明してある博物館は少ない。<br />中でもドイツでは、ナチスのハーケンクロイツ、鉤十字の写真を私が見たことがあったのは一回だけ、ヒットラーの「我が闘争」はドイツでは発禁図書であり、ドイツ人はヒットラーが何を意図していたのか、知ることができない。<br />日本は世界でも最も自由な国と思う。それが日本史の教科書の客観的な記述に現れているのではないかと思う。日本史の教科書は特定の歴史観に依って記載された書物ではない。<br />中国のように、中国共産党の支配を正当化する正史ではない。韓国のように、自らの民族を如何に優れた民族であること示そうとはしていない。<br />遊就館の展示は、淡々と全く評価を加えず、事実の列挙のみである。中国人も韓国人もぜひ一度見に来てほしい。<br />孫達が、中学生になったら、ここ遊就館に連れてきたい。曾祖母の兄がどこで戦死したのか説明したい。曾祖母の兄がどこで抑留され、シベリアで長いこと働かされたのか説明したい。<br />客観的な展示を下に、私の独自の歴史観で解説したい。<br />8.周辺諸国と靖国神社<br />韓国では、伊藤博文を暗殺した安重根と昭和天皇を暗殺しようとした李 奉昌を英雄として称えている。<br />そのことに刺激を受けた、韓国人全昶漢は靖国神社南門に爆弾を仕掛け、爆発させた。幸いにもけが人はでなかったが死者がでてもけが人がでても不思議ではない事件である。<br />爆弾を仕掛けたトイレは南門にあったが、縁起が悪いので撤去した(靖国神社の警備員談)とのことである。犯人の全昶漢はマスコミに褒められたかったそうである。<br />靖国神社の鳥居を中国人が放火し、中国人が韓国へ逃げた時、韓国は靖国神社は戦犯が祀られているとして、政治的動機にもとずく犯罪は、犯人引き渡しになじまないとして、日本への中国人の引き渡しを拒否した。<br />韓国の国会議長が平成天皇を戦犯の息子と呼んでいる。では天皇一家へのテロを韓国人が実行した際には、実行犯は英雄として、称えられるのだろう、何故なら天皇ご一家は戦犯の息子一家である又実行犯が韓国へ逃げ帰れば、政治的理由があるので、引き渡しは拒否するだろう。<br />多くの韓国人が日本に観光と称して日本に来ている。爆音事件の犯人全昶漢は二度に渡って、韓国から爆弾の材料を持ち込むことができた。天皇ご一家の安全を危惧する。<br />9.リンク<br />安重根<br />https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E9%87%8D%E6%A0%B9<br />李 奉昌<br />https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E5%A5%89%E6%98%8C<br />桜田門事件<br />https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%9C%E7%94%B0%E9%96%80%E4%BA%8B%E4%BB%B6<br />靖国神社・日本大使館放火事件<br />https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%96%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E3%83%BB%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%A4%A7%E4%BD%BF%E9%A4%A8%E6%94%BE%E7%81%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6<br />靖国神社(東京都千代田区)の爆発音事件<br />https://www.sankei.com/affairs/news/170207/afr1702070027-n1.html<br />靖国神社<br />https://www.yasukuni.or.jp/<br />遊就館<br />https://www.yasukuni.or.jp/yusyukan/

靖国の御霊に新元号「令和」の報告と「令和」の時代も平和が続くことを願って靖国神社へ 桜満開 2日3日4日夜薪能

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2019/04/02 - 2019/04/02

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kirstiNorge

kirstiNorgeさん

1.旅の契機
靖国神社へは久しぶりの参拝である。参拝したいと思い立ったのは、湯河原226事件の現場を訪問したことにより、靖国神社と軍人会館を思い出したことに依る。
2.二・二六事件と靖国神社と九段会館(旧軍人会館)
二・二六事件の前から、二・二六事件に参加した部隊は訓練と称して、深夜、靖国神社に参拝していた。
その結果、二・二六事件当夜において部隊の出動があっても、憲兵や警察に何ら不思議に思われなかった。
近くの軍人会館には戒厳司令部がおかれた。
3.二・二六事件と天皇と太平洋戦争
松本清張著「昭和史の発掘」には二・二六事件の詳細が描かれている。一読を奨める。
私の印象では、その当時の天皇は、単なる国の機関の一つでしかない。天皇の補佐する機関の主要なメンバーを殺され、排除されれば、何もできない天皇である。
天皇は中国での戦線拡大を防ごうとの意志を持っていたが、天皇一人では軍部をその意志に従わせることができなかった。その結果、太平洋戦争に突入した。
4.太平洋戦争と日露戦争
私の意見では、太平洋戦争と日露戦争の大きな違いは、戦争開始の時から、計画的に戦争終結の方法を描いて開戦したかである。日露戦争の場合は、「坂の上の雲」に描かれている。
戦争は、目的を明確にし、どのように終結させるのか、考えておかねばならない。
終結の方法を明確にしないで、日華事変、太平洋戦争に突入した軍部の責任が重大である。
5.日本の歴史教科書
日本の高校で使われている歴史教科書(世界史、日本史)を高く評価する。
その理由は、事実関係のみを記載した客観的な記述であることである。その中にある事実をどう評価するかは、読者に委ねられている。虚偽の記載により、現在の政権の正当性を示そうとはしていない。
また、世界史を学ぶことに依り、海外で現地の人と、過去の歴史を語ることがあったとしても、決して知識の不足を感じさせることがない。
息子の一人が米国で米国に依る日本への原爆の討論会に参加した。息子は「1st is enough, 2nd is too much.」と発言したそうである。原爆の投下を正当化しようとする米国で一人の日本人が発言する限界ではないか。
6.家庭での歴史教育と家族史
三人の息子に歴史について教育したことがない。
私の友人の息子はその母親に「ガールフレンドの両親とガールフレンドは、どうしてお母さんのようにノルウェーの歴史について知らないの?」と聞いたそうである。
このことを彼女は誇らしげに語っていた。彼女の息子は、ノルマンディ半島を車で彼女を案内してくれた。ノルマンディ上陸作戦をその現場で生き生きと息子は母親に語ってくれたそうである。
彼女の家に滞在中に、OSLO市内とストックホルム市内の多くの歴史博物館と戦争博物館を訪問した。訪問時、見学者が彼女と私しかいない博物館が多かった。ノルウェー人も行かない博物館に彼女は息子を連れて行き、歴史の説明をしていたようである。彼女は息子にうれしそうに次のようなことを語っていた。
どこの博文館に行ったのか、そこでノルウェーの国旗の変遷を見てきたこと、「あの黄色いノルウェー国旗を見てきた。」。ノルウェーの国旗の変遷を知っているノルウェー国民が何人いるだろうか。母親は息子にノルウェーの国旗の変遷を語っていた。私がストックホルムからOSLOに戻り、彼女の家に入る時に「ピクチャーストーン、ルーンストーン」とノルウェー人のほとんどが見たことがない、バイキングの遺物を私が見てきたことを息子に語っていた。
彼女の母親は一家の200年史を著した。200頁になる膨大な著作である。
物語はノルウェーの北極圏、トロムセーの一人の母親と父親なしの息子から始まり、第二次世界大戦中に、彼女の母親と父親がOsloから疎開して地方に移り、Osloに戻り現在を家を建て、現在までが記載されている。
疎開地では父親がドイツ軍の命により、ドイツ軍の設計通りに施工しようとしたが、なかなか出来上がらなかったそうである。父親は、ドイツ軍の設計ではうまくいかないことを知っていて、ある種のサボタージュをやっていたのではないか。
私も、家族史を著したいと思っている。先祖の戸籍謄本を集めただけに終わっている。特に著したいのは私の両親と私の妻の両親が戦争中、戦後どう生きたのかである。戦後の日本を作った二組の夫婦の物語である。
私の母親は9人兄弟の長女である。戦争中は長兄と次兄が出征し、弟妹の世話と農作業で小学校に行くことができなかったそうである。その結果、読み書きができないことを、父の死後初めて知った。
母親は、その妹とともに次兄を横須賀海軍基地に訪問したことがあり、
その時が、次兄との最後の別れとなった。次兄はフィリピン沖で駆逐艦乗船中戦死する。貧乏小作人の姉妹がどのようにして、横須賀までの電車賃を工面したかは知らない。
母親は、露天商をしながら、サラリーマンの父親と働き続け、財をなしたが使うことがなく使い方も知らず、財は私と私の息子達に引き継がれた。孫達にいつの日か、私の両親と妻の両親が戦争中戦後をどのように生きたのか、
孫達が住んでいる家は、土地は、どうして住むことができるようになったのか孫達に伝えたいと思う。
7.遊就館
遊就館を訪問することを推奨する。
理由は戦争という視点から、日本史を客観的に展示している。
特に、明治以降の日清日露太平洋戦争の説明が充実している。
展示は、多数の図を駆使して、軍の動きを説明しており解りやすい。
国内外の多くの戦争博物館歴史博物館を訪問したが、ここ遊就館のように長い期間(蒙古襲来以降)、戦争史に焦点を当てて展示してある博物館は知らない。
特に、敗戦国である日本、ドイツ、イタリアでは第二次世界大戦についてどこでどのような戦いがどこで行われたのか、説明してある博物館は少ない。
中でもドイツでは、ナチスのハーケンクロイツ、鉤十字の写真を私が見たことがあったのは一回だけ、ヒットラーの「我が闘争」はドイツでは発禁図書であり、ドイツ人はヒットラーが何を意図していたのか、知ることができない。
日本は世界でも最も自由な国と思う。それが日本史の教科書の客観的な記述に現れているのではないかと思う。日本史の教科書は特定の歴史観に依って記載された書物ではない。
中国のように、中国共産党の支配を正当化する正史ではない。韓国のように、自らの民族を如何に優れた民族であること示そうとはしていない。
遊就館の展示は、淡々と全く評価を加えず、事実の列挙のみである。中国人も韓国人もぜひ一度見に来てほしい。
孫達が、中学生になったら、ここ遊就館に連れてきたい。曾祖母の兄がどこで戦死したのか説明したい。曾祖母の兄がどこで抑留され、シベリアで長いこと働かされたのか説明したい。
客観的な展示を下に、私の独自の歴史観で解説したい。
8.周辺諸国と靖国神社
韓国では、伊藤博文を暗殺した安重根と昭和天皇を暗殺しようとした李 奉昌を英雄として称えている。
そのことに刺激を受けた、韓国人全昶漢は靖国神社南門に爆弾を仕掛け、爆発させた。幸いにもけが人はでなかったが死者がでてもけが人がでても不思議ではない事件である。
爆弾を仕掛けたトイレは南門にあったが、縁起が悪いので撤去した(靖国神社の警備員談)とのことである。犯人の全昶漢はマスコミに褒められたかったそうである。
靖国神社の鳥居を中国人が放火し、中国人が韓国へ逃げた時、韓国は靖国神社は戦犯が祀られているとして、政治的動機にもとずく犯罪は、犯人引き渡しになじまないとして、日本への中国人の引き渡しを拒否した。
韓国の国会議長が平成天皇を戦犯の息子と呼んでいる。では天皇一家へのテロを韓国人が実行した際には、実行犯は英雄として、称えられるのだろう、何故なら天皇ご一家は戦犯の息子一家である又実行犯が韓国へ逃げ帰れば、政治的理由があるので、引き渡しは拒否するだろう。
多くの韓国人が日本に観光と称して日本に来ている。爆音事件の犯人全昶漢は二度に渡って、韓国から爆弾の材料を持ち込むことができた。天皇ご一家の安全を危惧する。
9.リンク
安重根
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E9%87%8D%E6%A0%B9
李 奉昌
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E5%A5%89%E6%98%8C
桜田門事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%9C%E7%94%B0%E9%96%80%E4%BA%8B%E4%BB%B6
靖国神社・日本大使館放火事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%96%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E3%83%BB%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%A4%A7%E4%BD%BF%E9%A4%A8%E6%94%BE%E7%81%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6
靖国神社(東京都千代田区)の爆発音事件
https://www.sankei.com/affairs/news/170207/afr1702070027-n1.html
靖国神社
https://www.yasukuni.or.jp/
遊就館
https://www.yasukuni.or.jp/yusyukan/

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私鉄 徒歩
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