2018/10/30 - 2018/10/31
1720位(同エリア3766件中)
エムさん
2017年10月出発のイタリア旅行を計画していましたが、母が体調を崩して8月に入院・・・旅行は中止、そして母は11月に旅立ちました。
一年後の2018年10月、姉を誘って母を偲ぶ追悼旅行を計画しました。
ローマ4泊・フィレンツェ2泊・ヴェネツィア2泊・ミラノ2泊の予定です。
フィレンツェ2日目はウフィツィ美術館の予約が9時15分、午前中は美術鑑賞を、午後はドゥオモやサンタ・クローチェ聖堂を見学してルネサンス文化を味わいます。
10月31日は午後の列車でヴェネツィアに移動します。
10月29日の豪雨でヴェネツィアが10年に一度の水害というニュースが何度も流れました。ちょうどミケランジェロ広場で土砂降りに遭ったあの日です。
写真はミケランジェロ広場から写したドゥオモ
- 旅行の満足度
- 5.0
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6日目10/30 8:40 シニョリーア広場 ヴェッキオ宮殿(1315年完成)
ウフィツィ美術館の予約が9時15分なので、早めにホテルを出ました。
13世紀に建てられたヴェッキオ宮殿は、政治の中心となった建物で、現在も市庁舎として使われている。「アルノルフォの塔」と呼ばれる高さ94mの鐘楼は1310年に完成し、宮殿より古い。鐘を鳴らして時を告げ、物見台の役目をしていた。 -
ヴェッキオ宮殿の入口の上に2頭のライオンの像があり、ライオンは悪霊から守るシンボルとされている。
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宮殿の入口の左側の「ダヴィデ像」のレプリカ(1501-1504)
ダヴィデ像はサンピエトロ寺院のピエタと並ぶミケランジェロの代表的な作品で、フィレンツェ共和国のシンボルになっている。(本物はアカデミア美術館)
大理石で身の丈が5.17mあり、巨人ゴリアテに石を投げようとしている場面を表現している。 -
ダヴィデ像の隣に立つ「ヘラクレスとカークス像」バンディネッリ作
制作当時はダヴィデ像と比較され、筋肉の描き方が批判された。
そういわれると腕の筋肉が不自然なような気がします。 -
ヘラクレスとカークス像の後ろの壁にミケランジェロの落書きがあり、立ち話をしながら彫ったらしい。
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ウフィツィ美術館の隣にあるランツィの回廊
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【ペルセウス像】ベンヴェヌート・チェッリーニ
ペルセウスはギリシャ神話に登場する英雄で、左手にメデューサの頭を掲げている。ブロンズ制作には1545年から1554年と長い年月を要し、何度も困難にぶつかり、鋳造は数回失敗している。青銅を溶かす炉が加熱し過ぎて鋳型に流れず、自宅の家具や錫の食器、壺、鍋まで炉に入れ、苦労の末に完成した。
昔,ガイドさんが「右足に体重をかけた状態で倒れないところが凄い!」と説明されたことを思い出した。 -
「サビニの女たちの略奪」ジャンボローニャ
フランドル出身のジャンボローニャはメディチ家の宮廷彫刻家となり、1580年に制作した。大きな白い大理石の塊から掘り出したジャンボローニャの最高傑作と言われている。大理石なのに、女性の体の柔らかさが良く出ていると感じます。
ローマが建国した当初は女性が少なく、子孫を残すために未婚の女性が必要だったため、近隣の国サビニから多くの未婚女性が拉致された。その数500人以上というから大変なものです。
色々ダブって「謝罪せよ!賠償せよ!」という言葉が駆け巡る私。 -
「ケンタウロス・ネッソスを打つヘラクレス」1599年
こちらもジャン・ボローニャの作品
ケンタウロスはギリシャ神話の中で、馬の首に男性の上半身がついた半人半獣。酒好きで酔うと人間の女に乱暴を働く傾向があり、英雄ヘラクレスに痛めつけられた。ケンタウロスとヘラクレスの彫刻は、題材としてよく見かけます。 -
「ポリュクセネーの陵辱」ピオ・フェンティ 1865年
トロイ戦争に登場するアキレスは敵のポリュクセネーに恋をしていまう。ポリュクセネーの兄弟はアキレスの唯一の弱点かかとに毒矢を打ち込み殺害した。アキレスは亡霊となって、ポリュクセネーを拉致して自分の墓の前で殺すようにと息子に命じた。息子がポリュクセネーを掠奪するところを母親が止めようとし、剣を振りかざしている場面を造った。 -
メディチ家コジモ1世の騎馬像
コジモ1世の息子フェルディナンド1世が初代トスカーナ大公であった父を讃えるため、ジャンボローニャに発注した。
馬の重さは約4.5トン、騎士が約2.5トンあり、工房から広場に運ぶのに荷車の幅が工房の扉より大きいため、入り口の壁を削って出したという。
コジモ1世はウッフィツィ美術館や美術館とピッティ宮殿を繋ぐ秘密の廊下「ヴァザーリの回廊」を建設し、現在のフィレンツェの景観を整備した功績で知られている。 -
広場には、サヴォナローナが火刑にされた場所に銘板があります。
キリスト教では聖人と呼ばれるまでに「神の僕」「尊者」「福者」と三段階を経て聖人になるらしい。サヴォナローラは神の名も元に殉教したということで、「神の僕」に列せられ、最初の宗教改革者でした。 -
ネプチューンの噴水は修復中で、囲いの隙間から覗いて写した一枚。
海を支配するネプチューンはコジモ1世がモデルで、長男の結婚式に合わせて造られた。
シニョーリア広場の写真を写して、ウフィツィ美術館に行きます。
ウフィツィ美術館は別途作りました。
https://4travel.jp/travelogue/11469458 -
13:20 ウフィツィ美術館の見学を終えて、サンタ・クローチェ教会に来ました。
サンタ・クローチェ教会は世界最大のフランシスコ派の拠点として13世紀に完成。その後も数世紀に亘って建設が続き、ファザードと鐘楼が完成したのは19世紀になってから。 -
ファサードに見えるダヴィデの星
イエス・キリストはイスラエルのダヴィデ王の子孫であり、この教会にユダヤのシンボルが造られたのは19世紀、ファサードを設計したニコロ・マタスがユダヤ人だったことから、ダビデの星で装飾した。 -
内部には16の礼拝堂があり、ルネサンスを支えた多くの偉人が埋葬されている。
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中央主祭壇
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バロンチェッリ礼拝堂
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メディチ家礼拝堂
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ミケランジェロのお墓
3人の女性像はミケランジェロの生涯の仕事である彫刻・絵画・建築を表している。 -
ガリレオ・ガリレイの墓
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レオナルド・ブルーニのお墓
レオナルド・ブルーニはギリシャ・古代ローマの文化を研究し、イタリア・ルネサンスを定義した人。 -
ジョアキーノ・ロッシーニの祈念碑
イタリアの作曲家で、ウィリアム・テルなど多くのオペラを作曲している。 -
googleマップを見ながらシニョーリア広場に戻る途中、ヴェッキオ橋が見えた。
宝飾店が並ぶヴェッキオ橋は15年前に歩いたし、今回は眺めるだけです。 -
宮殿とウフィツィ美術館とを結ぶ連絡橋
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シニョーリア広場に戻りました。
姉が娘のバッグを買いたいという。リクエストされた写真を見ながらネットでショップを探し、お店に入った。店員さんが親切で、満足な買い物ができました。
上質な革製品は露店ではなく、セレクトショップで買うのが安心です。 -
16:40 ドゥオモは夕方なら空いているかと思ったら大間違い!まだ長い行列ができていた。
明日の朝一で挑戦することにします。 -
お土産を物色するため中央市場に立ち寄りました。
1階は生鮮食料品の店が立ち並び、初日に「アーモイタリアです」と、日本語で呼びかけられたので、お店を探していたら、日本人スタッフがいるお店があった。
レモン入りのオリーブオイル、カラスミ、チョコレートなど購入。荷物が重いので一度ホテルに戻ります。 -
サンタ・マリア・ノヴェッラ教会
ホテルに帰る途中にある教会。入場料(10euroだったか?)を払って、写真が撮れないなら・・・と考えて、外観のみで終わり。
スーツケースのパッキングをしながらテレビを見ていると、29日の豪雨でヴェネツィア水没というニュースが繰り返し流れる。水位が156cm上がったという信じられない映像にビックリ!
列車移動はイタリアパスの日程通り、指定席も予約済なのでホテルに水害の状況をメールで問い合わせた。列車が時間通り運行するか心配なので気分はかなり暗い。 -
7日目 10/31 7:00 ホテルの朝食
午後はヴェネツィアへ移動します。午前中にピサの斜塔へ行く予定を中止して、ミケランジェロ広場に変更、リベンジです。 -
9:40 ホテルをチェックアウトして、10時のオープンに余裕を持って来てみると、既に入口には長い行列ができていた。まだこれぐらいは許容範囲、と列に並んだ。
1296年に着工、地盤を強固にする作業から始め、巨大なクーポラを造るのに困難を極めた。ローマ建築の構造を学んだ建築家ブルネレスキの提案により、円蓋を二重構造にして重量を分散することで1436年にドームが完成した。これまで世界各地で見た大聖堂の中で、大理石の使い方が一番美しく緻密な細工が素晴らしい。 -
1296年アルノルフォ・ディ・カンビオの設計で工事が始まり、1302年彼の死去に伴い以後工事は停滞し、未完成のまま残されていた。1587年にファサードは取り壊され、1860年頃まで300年間も右下の写真の状態が続いた。
エミリオ・デ・ファブリスの設計で1871~87年にかけて工事が行われ、現在の華やかで美しいファサードが完成した。 -
みんなが触るのか、入口にあった受胎告知が光っていた。
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サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂会(花の聖母大聖堂)
30分並んで入場できました。 -
クーポラはヴァザーリらによる「最後の審判」が描かれている
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ミケランジェロ広場に行くためサンタ・マリア・ノヴェッラ駅へ行きます。
googleマップの通りに歩くと、レプッブリカ広場(共和国広場)に出た。
古代ローマ時代は肉や魚などを売る市場として栄えた広場で、正面に凱旋門が見える。凱旋門はイタリア共和国の首都として選ばれた1865年に首都への入口として建設された。 -
駅で、90分間のチケットを買って12番のバスでPiazzale Michelangioloで下車。所要時間は25分位。帰りは13番のバスに乗り、90分以内であれば一枚のチケットで往復できます。
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ミケランジェロ広場より臨むフィレンツェの街並
ドゥオモ、ヴェッキオ宮殿、ヴェッキオ橋が見渡せます。
29日は土砂降りの雨で夜景が見られなくて残念でした。 -
ルネサンス発祥地、フィレンツェを象徴するドゥオモ
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ダヴィデ像の写真を写して駅に戻りました。
駅のカフェでランチを済ませ、ホテルに預けた荷物を受け取って、ヴェネツィアに移動します。
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