1991/12/31 - 1992/01/04
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itaruさん
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香港からマカオに抜け、VISAを手にしたら歩いて国境をこえて中国・珠海へ。情報もほとんどない街からバスで広州へ移動。初めて海外で新年を迎えたけれど、経済的にまだまだ貧しかった中国は香港・マカオと違い、巨大な田舎。外国人旅行者も少なく、異邦人という思いを強くしたもの。その中国から香港を経由し訪れた台湾では、人々の親切に助けられ楽しく旅ができた
12月28日 成田→ソウル(UA827便)、ソウル→香港(BA26便) 香港泊
12月29日 香港観光(ビクトリアピーク、アバディーンなど)
12月30日 香港→マカオ(フェリー)、マカオ観光&中国ビザ マカオ泊
12月31日 マカオ→珠海(徒歩)、珠海→広州(バス) 広州泊
1月1日 広州観光
1月2日 広州→香港(鉄道)、香港→台北(TG632便) 台北泊
1月3日 台北観光
1月4日 台北→羽田(CI100便)
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩 飛行機
- 航空会社
- ブリティッシュエアウェイズ チャイナエアライン タイ国際航空 ユナイテッド航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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1991年の大みそか。歩いてマカオから中国の珠海に向かいます。写真はマカオで購入した中国・マカオ国境アーチのポストカード。1573年建立とあるこのアーチ。最近のマカオの旅行記を見ると全く雰囲気が変わっている
關閘 (ボーダーゲート) 駅
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当時、中国入国にはVISAが必須。招待状とかなければ日本では旅行会社経由でだいたい1万5千円以上と高額だった。それが香港やマカオなら格安で取得できる。ってことで、マカオの旅行会社でVISAを取得。費用は即日で100HK$(約1700円)だった
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中国への入国を果たすと次は両替ですが、当時の中国は二重通貨制。外国人が受け取る兌換券(FEC)と人民元の二種類が出回っていた。写真右の上はFECの1元札で裏面(右中)には英語で注意書きされている。こちらは再両替可、外国人専用ホテルなどに使え、外国製品の購入にも使えた。右下の人民元は使えないか、割増料金が要求される。そのため額面上はFECと人民元は1:1だったのが、ブラックマーケットでは1:1.5とかで取引されていた。左上は1分、左中は2分でこちらは人民元のみ。左下はFECの1角
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なので国境を抜けて両替をしてFECを手に入れたので、早速国境近くの店で飲み物を買おうとしたのだけれど、受け取ってもらえない。何故?って、不思議な顔をしていると、HK$を指さして「こっちが欲しい」。わざわざHK$からFECに両替したのに、でも考えてみれば国境を接しているんだからHK$の方が使い勝手がいいよな
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この時に持っていたガイドブックは自由自在(地球の歩き方を真似てJTBがつくったもの)。ここにはマカオ・珠海の国境情報や珠海の都市情報がまるでない。広州まではバスで3時間から4時間という話は聞いていたので、とりあえずバスターミナルを探す(見つからなければ、マカオに戻ればいいやという気持ちもあり)。何とかバスをみつけ、19.5元のバスで広州へ。でも、着いた場所が広州のどこなのかさっぱり分からず苦労した。香港への戻りは夜行フェリーを使おうと思っていたけど、乗り場は分からず、泊まろうと思っていたYHも見つからない。広州駅周辺でどうしようか、うろついていると空軍の招待所の客引きにあう。本来は中国人しか泊まれない招待所、「外国人? 大丈夫だよ」(筆談)というので泊まれるなら面白いと思っていたけれど、結局、「先生、申し訳ないけど泊められない」(筆談)ってことになり、再び宿探しに右往左往。なんだかんだで客引き?のお姉ちゃんに利華酒店(46元)に連れて行かれ、1991年の大みそかは更けていく
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てなことで、1992年の元日。庶民的なお店の麺打ちを覗きながら広州駅へ。この頃の中国の鉄道って、長蛇の列、「没有」攻撃と聞き、警戒していたのだけれども広州~マカオ路線は国際線ということもあって難なく購入(107FEC)
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何はともあれ、香港に戻る足を確保したので気持ちも楽になる。道端には猿使い、今の広州ではこんな商売はできないだろうなあ
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で、気持ちに余裕ができたからかユースホステルを探し当ててチェックイン(30HK$)。自転車を借りて(4.8元)広州観光に出発。まずは中山紀念堂へ
中山紀念堂 建造物
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観光地に来たんだから記念写真でも撮ろうか。ところが、これがなかなか大変で。普通なら、その辺にいる観光客に頼めばいいんだけど、外国人観光客はどこにもいない。地元に人に声をかけようとしても、はなから拒否されてしまう。個人でカメラを持っている人が少なかったからか、記念写真屋が多く、それと勘違いされたのかも。中国語はできないので、1枚撮ってもらうのも一苦労。それに撮ってもらっても、慣れてないからか、こんな写真になってしまうし
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まだまだ広州の街にも高層ビルはなく、車よりも自転車が多かった
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これどこだったっけ。寺院だったのか、廟だったのか
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続いて広州起義烈士陵園へ
広州起義烈士陵園 広場・公園
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ここは1927年12月に広州コミューンを樹立した革命派が蒋介石軍に敗れ、処刑された場所。中国共産党にとっては革命遺跡ともいう場所なのできれいに整備されていた
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さて日も暮れてから出会ったのがこれ
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中国の獅子舞?
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旧正月ではないけど、おかげで正月気分を堪能しました
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1月2日、広州から香港への列車は午前8時半発。出国手続きは広州駅で行われるから早めに駅に到着していないといけない。遅れたら13時30分発の台北行きの飛行機に間に合わない。ってことで、6時半には起床して7時過ぎには宿を出る。特にトラブルもなく、列車に乗り込み、香港の九龍、そして空港へ。そして香港ー台北線で搭乗したのはなぜかタイ航空。この旅、4回のフライトのうち3回は以遠権を使ったもの。今ではどの路線も以遠権を使っては飛んでないみたいだけど
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今は気軽にノーVISAで訪問できる台湾も、まだVISAが必要だった。こちらは日本で用意したもの
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朝からの移動の連続。空港からバスで台北駅に着いたら周辺のゲストハウスにチェックイン。その日は宿の共用スペースで映画を見たりしてまったり。で、翌3日は街歩きをしつつ
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バスを乗り継いで故宮博物院へ。この時、バス停が分からず困っていたら親切な人が路線図まで買って教えてくれたり、小銭が足りなかったら助けてくれるおじさんがいたり
国立故宮博物院 博物館・美術館・ギャラリー
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台湾の人の優しさに気分良く、中国文化の逸品を鑑賞することができた
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で、街に戻ってきたら台湾有数の寺、龍山寺へ
龍山寺 寺院・教会
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参拝客が途絶えない。その迫力に圧倒されながら
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ライトアップされた総統府には中華民国国旗と孫文の肖像画
中華民国総統府 建造物
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夜の台北を散策し
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翌朝は台北駅間をぷらぷらしたら12時30分の便で東京へ
台北駅 駅
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日本への帰国便はチャイナエア。今では羽田からも世界各地に国際線が飛んでいるけれど、この頃は政治的な理由もあって(JALは台湾線専門の日本アジア航空だったし)チャイナエアが唯一の国際線。当時は神奈川の実家に住んでいたから無茶苦茶楽だな!って思ったなあ
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