2019/01/09 - 2019/01/09
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ドクターキムルさん
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品濃一里塚(https://4travel.jp/travelogue/10534597)は日本橋(江戸)から9番目の一里塚で、品濃一里塚公園が併設されている。しかし、一里塚は、旅人の目印として街道の側に1里(約3.927キロメートル)毎に土盛りして設置した塚である。一里塚の本来の姿は街道の両側に対で設置されるものである。したがって、日本橋から九里(約36キロ)の所にあるここの一里塚では旧東海道の両側に残っており、それぞれ品濃一里塚と平戸一里塚である。いずれも公園化されており、品濃一里塚公園と一里塚公園である。かつては東海道を境に、品濃村と平戸村に分かれていた。しかし、一里塚は街道の両側に設置されており、同じ9番目の一里塚に品濃と平戸の2つの地名を冠したために、あたかも1つの一里塚が2つあるかのような表記になってしまっている。それに輪をかけて、公園の設置にはその設置される町内毎になるために、品濃町側には品濃一里塚公園が設置され、平戸4には一里塚公園が設置された。
横浜市戸塚区のホームページ(http://www.city.yokohama.lg.jp/totsuka/kids/history/sinano.html)には「東海道には江戸初期、日本橋を起点として一里(約4キロメートル)ごとに、道の両側に土を高く盛った標識「塚」が築かれました。江戸から9番目の品濃一里塚は、保存状態が良く県の史跡に指定されています。」と記載されている。しかし、「江戸から9番目」の一里塚は上述したように2つの塚、いわゆる一里塚が残っている。西側だけの一里塚を紹介し、東側の一里塚を紹介していないのはどうしたことか?
それにしても、旧東海道から平戸一里塚に上る道がないのはどうしてなのだろうか?旅人が塚で休憩できることが前提となっていた一里塚に上る道がないというのでは一里塚の保存状態が良いとすることはできない。明治以降に一里塚に上る道が消滅したのであれば、それを復元すべきである。そうした復元がされた後に、一里塚公園にすべきであった。全国に一里塚の跡は数多く残ってはいるが、本来設置された街道の両側に一里塚が残っているのはここの一里塚だけなのだという。それなら、一番重要な一里塚の史跡であり、県指定ではなく、国史跡に指定されるべきである。全国に街道の両側に一里塚が残っている例がなかったからといって、それを分断して2つの公園としたのはやはりお役所仕事過ぎはしないか?周辺の小学生たちが校外授業でこの一里塚を訪れているとしたら、品濃一里塚だけでも駄目であるし、平戸一里塚だけでも駄目である。両方を訪れ、街道の両側にある一里塚を見て一里塚がどのように設置されたのかを見て知る必要があるのだが、品濃一里塚の入口(品濃町 555)に戻ってさらに坂道を進み、左折して電電戸塚団地に入って行き、平戸一里塚に辿り着くのでは大変過ぎよう。そして帰りはそのまま北上したらすぐに旧東海道に戻れるなどということは決してない。江戸時代の旅人なら簡単にできたはずの品濃一里塚から平戸一里塚へ行き来が、今の時代になっても、あるいは将来においても、それができるようにしておくことはこのの一里塚では必須のアイテムである。
(表紙写真は品濃一里塚)
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