2016/05/13 - 2016/05/13
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junemayさん
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2016年5月8日から6月10日までの1か月ちょっと、スペインとポルトガルを一人旅しました。もう2年以上経ってしまったけれど、思い出しながら綴っていこうと思います。
スペインは言わずもがなカトリックの国です。イタリアで教会の素晴らしさを知ってしまった私にとって、今回の旅の目的は、1.教会を訪れること、2.美術館で絵を眺めること そして最終目的地をサンチャゴ・デ・コンポステーラにすること でした。特定の宗教を信仰しているわけではありませんが、神を畏れ、神を敬うことによって、人間達が生み出した様々な創作物・文化を心より愛してやみません。
古来より何百万もの人々が時に命さえかけて目指したコンポステーラの町、そしてその道中(El Camino)は宗教観が異なる者にとっても大変魅力的でした。可能であれば長い巡礼の道を歩いて行きたかったのですが、体力的にバックパッカーは難しい。でも、徐々にコンポステーラに近づくことによって、巡礼者の気分を少しだけでも味わいたいという、無理難題、大変我儘な希望を叶えるために、作成したのが、な~んちゃって、コンポステーラ! 巡礼者の方には合わせる顔がないのですが、以下のようなプランが出来上がりました。
今回の旅はスペインの後、ポルトガルへと続いたのですが、私の頭の中では旅は一旦サンチャゴ・デ・コンポステーラでお終い。そこからまた新たな旅が始まったと思っています。こじつけ、そして自己満足の塊のような旅となりましたが、よろしければお付き合いください。
日程表 スペインの部
5月8日(日) 東京→マドリッド
5月9日(月) マドリッド
5月10日(火) マドリッド(セゴビア)
5月11日(水) マドリッド(アヴィラ)
5月12日(木) マドリッド(エル・エスコリアル)
5月13日(金)★ マドリッド(アルカラ・デ・エナーレス)
5月14日(土) マドリッド→ブルゴス→ビルバオ
5月15日(日) ビルバオ
5月16日(月) ビルバオ(サン・セバスチャン)
5月17日(火) ビルバオ(ヴィトリア)
5月18日(水) ビルバオ→オヴィエド
5月19日(木) オヴィエド
5月20日(金) オヴィエド→レオン
5月21日(土) レオン
5月22日(日) レオン→アストルガ→レオン→サンチャゴ・デ・コンポステーラ
5月23日(月) サンチャゴ・デ・コンポステーラ
5月24日(火) サンチャゴ・デ・コンポステーラ
5月25日(水) サンチャゴ・デ・コンポステーラ(→ポルトガル ポルト)
あっという間にマドリッド滞在の日々は流れて、今日は5日目、実質的には最後の1日です(ポルトガルからの帰りに飛行機乗り継ぎのためもう1泊します)。ローマの1週間も短かったけれど、マドリッドはろくすっぽ町を見ないうちに終わりそうです。毎日郊外に出かけてばかりなので、当然か・・・
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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毎日帰りが遅いので、今日もゆっくり起きてまずは昨日のリベンジ! とばかりに複雑なマドリッドのメトロを2度乗り換えてCallao下車。デスカルサス修道院に向かいます。(写真はColombia駅)前回の旅行記にも書いたけれど、もう一度事情を説明しますね。
昨日午後デスカルサス修道院に行き、見学を申し込んだのですが、全てのツアーは3日後までソールドアウトだったんです。それで一計を案じ、デスカルサスとジョイントチケットを販売しているラ・エンカルナシオン修道院に行き見学。その半券は2日間有効なので、それを持ってもう一度デスカルサスに乗り込もうという魂胆でした。断られるわけないよなあと確信して・・・
で、ここから本日。昨日はすげなく断られたデスカルサス。ジョイント・チケットの半券を見せたら、水戸黄門の印籠のように効き目がありましたよ。12時のツアーに横入りすることが出来ました。作戦大成功! -
現在11時。寸暇を惜しんで、ツアーの始まる12時までにマヨール広場を通り抜けてサン・イシドロ教会に向かいます。我ながら凄いわあ!と思うような速足です。知らない町なのにね。マドリッドでは佇んではいけない・・・この頃はまだ実際にマドリッドで首絞め強盗に遭った友人の話が頭にこびりついて離れない状態だったようです。肝っ玉小さいからねえ・・・
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およそ10分歩いてサン・イシドロ教会到着です。ファサードは2日目に写したので今日は省略。なにせ内部の見学に30分の余裕しかありません。急げ~!
前にも触れましたが、サン・イシドロ教会は、昨日訪れたアルムデナ大聖堂が奉献される1993年までは実質的なマドリッドの大聖堂でした。17世紀に建築家ペドロ・サンチェスによって設計、フランシスコ・バウティスタによって施工されました。
当初はイエスズ会の教会でしたが、1767年にイエスズ会が追放されると、参事会管理の教会となりました。マドリッドの守護聖人である聖イシドロとその妻サンタ・マリア・デ・ラ・カベサ(頭の聖マリア)の聖遺物がここに祀られています。 -
中に入ると、丁度ミサが行われている最中だったので、暫く後方で待ち、終わってから礼拝堂巡りに出掛けました。こんな大きな教会なのに、ミサは比較的小人数で進行中でした。
雰囲気はバロック。元はイエスズ会の教会と書きましたが、ローマのジェス(イエスズ会の総本山)教会を設計したイエスズ会建築家によって建てられたのだそうです。一廊式で、両側に礼拝堂が連なる、ローマではおなじみのスタイルです。スペインに来て以来これまで訪れた大きな教会では全て中央部に聖歌隊席があったので、主祭壇まで見通せるこの教会、私の目には逆に新鮮に映りました。ちなみに、この教会の聖歌隊席はカウンターファサードの2階にありました。 -
限られた時間なので早速礼拝堂巡り。マドリッドのかつての大聖堂の割には説明板もなく、参考となる資料も十分には見つからなかったので、判明したことのみ書きますね。
双子の聖人コスメとダミアンの礼拝堂の祭壇です。多色塗木像の柔らかい線が好印象でした。中央に並んで立っているのが双子の兄弟です。
左側の壁にあるのは、十字架にかけられたキリストが口にした「7つの言葉」がタイトルの磔像です。 -
これはどこにあったんだか・・・聖母も幼子もなんとりりしい、清らかなお顔なんでしょう! 木の温もりが感じられるようなレリーフでした。
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パドヴァの聖アントニオに捧げる礼拝堂です。祭壇は18世紀のトスカーナ様式で、金色に塗られてはいますが、大層美しいです。手前に立つ少々老け顔(失礼!)の聖母は19世紀の作で、「孤独の聖母」と呼ばれていました。
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こちらは、Chapel of Our Lady of Good Counsel 日本語では「善き勧めの聖母」の礼拝堂・・・と訳しています(善き勧めを賜う御母、善き勧めをくださる御母は聖母マリアの数ある称号の一つである。 Wikipediaより引用)。
ラテン十字形をしていて、ドームも兼ね備えた、独立した教会堂ほどもある大きな礼拝堂でした。セバスチャン・エレラ・バルヌエヴォの設計です。 -
祭壇は18世紀製のバロック様式によるもので、中央の聖母像はうつむき気味で、晴れやかではありません。聖母子の両側には、この写真だと少々わかりづらいですが聖母の両親聖ホアキンと聖アナの姿がありました。
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こちらの小さな礼拝堂は記録もなく、全く記憶もなし。飾り立てた「お人形型」の聖母像が多いなあと思い始めたのがこの辺り。その後にも次から次へとお出ましになりました。
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こちらは、スペインに来てから毎日お目にかかっているような気がする「カルメル
山の聖母」礼拝堂です。カルメル山 この小高い標高500m足らずのイスラエル北部の山はカルメル会のシンボルのみならず、神の祝福の象徴なのだそうです。
カルメル会の改革者であるアヴィラの聖テレサと十字架の聖ヨハネも、カルメル山を「神に向かう道」のシンボルとしていました。 -
サン・イシドロ教会は、スペインの内戦最中の1936年、略奪と放火に見舞われ、大きな被害を被りました。興味深いのは、この礼拝堂がその火事の後、イギリスの手により修復されたことを物語る巨大なシールドが、聖母の頭上にあることです。
泣く子も黙る「大英帝国の紋章」ライオンと一角獣。少々目立ちすぎ・・・ -
第3代イエスズ会会長の聖フランシスコ・デ・ボルハ礼拝堂にあった、「ガンディア公の回心」と言うタイトルの祭壇画です。ボルハは裕福な家の出身で、ガンディア公とは彼自身のこと。修道者となるため、世俗の生活を捨てた体験がこの絵の元となっています。
回心とは、神に背いている自らの罪を認め、神に立ち返る個人的な信仰体験を意味するんですって。 -
「マリアの死」の大規模なレリーフがあった礼拝堂です。これほどまでマリア尽くしの教会も珍しいと思いました。
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最後の時を迎えた聖母は、歳とった老婆の姿ではなく、まるで少女のように清らかさ。キリストの弟子達は年相応に老けているのに、対比が面白いですね。
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大きめの、独自のドームを持つ礼拝堂は両翼廊にありました。これはその一つ。どちらの翼廊だったかなあ・・・
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聖イシドロと妻の聖マリア・デ・ラ・カベサが祀られている主祭壇に近づいて参りました。ミサ進行中ゆえ、これ以上近づけません。
この主祭壇も1936年の略奪と放火で、すっかり破壊された後、再建されたものです。幸いなことに、この二人の聖人の聖遺物は、当時の司教により教会隣にあった関係する学校の壁の中に隠すことが出来ました。 しかし、1700 年代にファン・パスクアル・デ・メナにより制作された聖イシドロ像は、炎の中から救うことができなかったそうです。
1936年にはこの教会以外にも他の多くの教会や歴史的建造物が、内戦の被害を受けたと聞きました。 -
主祭壇には4本の柱、4人の聖人像、そして三位一体の絵があります。 そして祭壇の中央に、マドリッドの守護聖人二人の豪華な棺が祀られていました。
神の啓示を受けた農民出身の聖人は,矢のような光の後輪を受け、静かに跪いていました。 -
「王たちの聖母」の礼拝堂にある、ピラールの聖母はスペイン国の守護聖人です。ここはキリスト教と言うより、もはやマリア教の世界ですね。
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恐らく、この教会で一番ごてごてが激しかったのはこちらの「偉大なパワーのキリスト」礼拝堂。1936年の火事で焼失を免れた貴重なバロック遺産です。
「偉大なパワーのキリスト」(Jesus del gran poder)と言うのは、世界的なキリスト教関連団体だそうで、スペイン人に言わせると、ここは「マドリッドで一番綺麗な」礼拝堂なのだそうです。
華々しく飾り立てましたなあ・・・口開けてあんぐり。 -
祭壇に立つ十字架を背負ったキリストの木像は、セヴィリア大聖堂にあるオリジナルの精巧なコピーですって。
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それにしても、壁もドームも殆ど隙間がないほど金メッキで飾り立てられています。
今更ですが、空間や余韻を大切にする日本の文化に親しんできた者としては、ここにいると心をかき乱されることはあっても、安らぎは得られないように思いました。 -
「受難のキリスト」シリーズの絵の部分だけ平穏でした。Francisco Riziという17世紀の画家のマスターピースだと言われています。
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こちらが反対側、祭壇に向かって左側部分です。
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もう一枚、ドームの写真をどうぞ。この礼拝堂を調べている間、いくつかのサイトを訪問しましたが、皆口をそろえて書いていることは「美しい!」 そうなんだぁ・・・
ドームの内側の素晴らしい絵画はClaudio Coelloの作品です。 -
もう一つ、「マカレナの希望の聖母」礼拝堂。こちらも、宗教団体? 同名のキリスト教同胞会の礼拝堂です。
元々マカレナの聖母とは、マリア信仰の篤いセヴィリアの人々の崇拝対象で、オリジナルはセヴィリアのマカレナ大聖堂にあります。日本では、「マカレナの乙女」という名前でフラメンコの曲の一つとして知られているようです。
あれ~ ??? -
イチオシ
聖母を意味するvirgenを「乙女」と訳したのは、まぎれもなく誤訳ですね。
スペインでよく見かけるお人形さん型の聖母像がここにもいらっしゃいました。これまた派手な衣装を身に着けていらっしゃいますが、祭壇以外は意外と地味目。よく見ると、聖母は涙を流していらっしゃいますよ!!! -
聖ホセ(キリストの養父ヨゼフ)礼拝堂です。幼子を抱いた聖ホセの姿はとても新鮮。18世紀バロックの彫刻家ルイス・サルバドール・カルモナの作品です。
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こちらが聖ホセ礼拝堂の祭壇です。ここでは、17世紀の祭壇画「聖家族」の仲睦まじい姿がとても印象的でした。誰が見てもほっとさせられる、どこにでもいそうな家族の外出風景のように見えました。画家は「良き勧めの聖母」の礼拝堂の設計者でもあったセバスチャン・エレラ・バルヌエヴォです。
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「聖家族」の上にあるLas dos Trinidades(二つの三位一体)もバルヌエヴォの作品。ヴェネツィア絵画の影響を受けていると思われる色彩感覚が目を惹きました。
祭壇に向かって右側に立つ聖人は、斧を持っているので聖ボニファティウスかと思われます。何故彼がここにいるのかは不明。 -
ヴォールトは優雅な曲線を描く、色鮮やかな草花で覆われていました。私なりの勝手な解釈では、これはごてごてではなく、細密。素晴らしい!
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最後に訪れた「フエンサンタの聖母の礼拝堂」。1936年の焼失後に作られた礼拝堂です。最後まで美しい聖母の「お人形」姿が続いていましたよ。着せ替え人形のように見えて、あまり好きにはなれませんが、スペインにはこの種の偶像が多いことをこの先思い知ることになります。
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30分はあっという間に経ってしまいました。解説がなかった分未消化に終わってしまいましたが、時間を有効活用できたことの方が気分的に勝っていました。
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主祭壇の聖イシドロの像の上にある比較的目立たない絵画(三位一体かな?)をアップで確認してから、教会を辞しました。
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再び、賑やかなマヨール広場を縦断して、デスカルサス修道院に戻ります。
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私好みの土産物屋さんだったけれど、寄っている時間がない(と思っていた)ので写真だけ。
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広場からこの階段を下りてと。
ここに結構な高低差があるのを再発見しました。階段の途中にあるレストランLas Cuevas de Luis Candelas は、セゴヴィアの名物でもあった子豚の丸焼きが食べられる場所として有名です。 -
上の写真の場所を、下から眺めた1枚です。各人扇を携えた女性グループが記念撮影中。お邪魔しちゃったかしら?
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「生ハム博物館」の傍を通り過ぎて・・・ここは博物館というよりはバルのようでしたよ・・・
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ナッツ専門店Turrones Vicensの先のボルダドレス通りを北上すると・・・
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デスカルサス修道院に戻って来れましたよ。ただ今の時刻11時36分。あらっ! 時間間違えた! 早すぎたわ!!!
と言うことでまたまた逆戻り。辺りをうろつくことにしました。もう少しサン・イシドロでゆっくりできたのにねえ。 -
先ほどマヨール広場から北上してきた道 ボルダドレス通りを戻ります。ボルダドレスとは刺繍をする人(複数形)。なるほど、道路名の書かれた陶板にも、男性のお針子さんの姿がありました。何で男性なんだろう???
ファン2世(在位:1406年 - 1454年)の時代、王が特権を与えてここに職人たちに住まわせたことが、通りの名前の由来になったのだそう。もっとも、地元の人たちは、親しみを込めてこの通りをサン・ヒネスと呼んでいます。 -
こちらがその教会Iglesia de San Ginés de Arlés サン・ヒネス教会です。4世紀の聖人アルル(フランス)のヒネス(ジェネ 英語名はジェネシウス)に捧げられていて、教会は前身を含めると12世紀ころからあったと言われています。城壁の外にある教会としてはマドリッドでも一二の古さだそう。教会フリークとしては、入ってみるしかないですね。
こちらはアレナル通りに面した北側のファサードです。1936年の内戦でこの教会も破壊されましたが、ハプスブルグ家が支配した(マドリッドのオーストリア)時代の典型的な建物であったため、1956年から1964年にかけて、17世紀創建当時の外観に復元されました。 -
内部は三廊式で、両側に礼拝堂が並ぶタイプ。教会は火災に3度も見舞われ、現在の主祭壇は18世紀の建築家ファン・デ・ヴィリャヌエヴァによってネオ・クラシック様式で制作されたものを忠実に復元した再建です。
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全く期待せずに入ったのですが、のっけから素晴らしい礼拝堂に遭遇しました。「贖いのイエス・キリスト」礼拝堂はラテン十字形をした、小さな教会程もある広さ。灰色、赤、オレンジ色の大理石、金色のブロンズ、大理石を模したスタッコで彩られ、壁はたくさんの絵で覆われていました。
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中央にクーポラのある天井の配色と大胆な装飾が素晴らしいですねえ!
両サイドの赤い壁がエキゾチックなムードを漂わせます。半分切れてしまっていますが、2人の子供を従えて、羊を肩車している、赤い衣を着たキリストの姿が印象的な絵画「よき羊飼い」は、アントワープ出身のGerard Seghersの作品です(17世紀)。 -
イチオシ
洗礼堂にあったのは・・・この絵が見れただけでも、教会に入った価値があったというもの。大好物ルカ・ジョルダーノ作の「受胎告知」です。ナポリのサント・ドミンゴ・マッジョーレにあるティッツィアーノによるオリジナルのコピーですって。 絵は、同じジョルダーノによる「失われた庭からの祈り」とともに1669年にこの礼拝堂のために購入されたものだそうですよ。
この教会にはもう一つ、なんと素晴らしいエル・グレコの絵画があります。公開は極めて限定的で、土曜日の11:30から12:00までの30分間だけしか見られないそうです。今回は全くお呼びでありませんでした。しょぼ~ん(´・ω・`)
お気に入りの受胎告知コレクションがまた一つ増えました。 -
美しい愛の聖母の礼拝堂です。ここにも豪華な衣装を身に着けた聖母の着せ替え人形がありました。19世紀のヴァレンシア出身の彫刻家マリアーノ・ベルヴェル・コラソスの作品です。
聖母の左右に立つ彫像はアラブ人? (のわけないけど・・・)と思ったら、聖母の両親、ホアキムとアナでした。 -
孤独、あるいはバリオヌエヴォの礼拝堂です。今見えている祭壇と、1枚下の写真の祭壇?は90度の角度でペアになっています。18世紀半ばに使徒ヤコブ王立協会の依頼で作られた祭壇で、中央のニッチェにはキリストの昇天の彫像が置かれ、アティックにはムルシアの守護聖人であるラ・バルカの聖母が描かれていました。
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こちらが右側にある・・・これも祭壇と呼ぶのかしら? 磔像の両側にあるニッチが大変独創的だと思いました。それぞれ左に男性、右に女性の聖人が5人ずつ顔を覗かせています。
キリストの頭上には、マリアの両親ホアキムとアンナの姿(金門橋での再会の場面)がありました。 -
お次の礼拝堂もユニークですよ。ラ・リオハの守護聖人であるヴァルヴァネラの聖母(正しくは聖母子)が座っている玉座は木の祠の中ですよ??? 頭と同じくらいの大きさの馬鹿でかい王冠が重そうでした。
彫刻はPedro Alonso de los Ríos(1641年~1702年)という17世紀の彫刻家の作品で、使われなくなった古いベネディクト会修道院から運ばれた物とのことですが、アーチ型のニッチェに沿った格子状の金属を用いた装飾は最近のものでしょうか? とても独創的で、モダンアートシーンを見ているような気分になりました。 -
バーリの聖ニコラスとグアダルペの聖母が一緒に祀られている礼拝堂です。
以前は聖ニコラスに捧げられていた場所のようですが、現在見られる装飾は、ニコラス像を除いて1969年以降に制作された新しいものだそう。グアダルペの聖母はハエンの町の守護聖人であるため、祭壇画にはハエンの町の代表的な建造物が4景描かれていました。 -
さあ、主祭壇にやって参りましたよ。ここまでの所要時間僅か8分! ちゃんと見ていないのがバレバレ・・・
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最初に書きましたが、この教会が捧げる聖ヒネスの殉教場面が描かれた祭壇は、1824年の火事の後で再建されたもの。絵も1830年頃、ホセ・サンマルティンによって、原作に忠実にリメークされました。
ヒネスは皇帝ディオクレティアヌス治世下(3世紀~4世紀)の公証人で、ディオクレティアヌスの迫害の勅令を転記することを拒んだために斬首刑になったと伝えられています。
ブロンズの縁どりのある大理石の柱の緑があまりに美しくて、見入ってしまいました。 -
こちらは、ヴァルヴァネラの聖母と対になった場所にあった、キリストの養父ヨセフの礼拝堂です。イタリアではいつも影に隠れている存在だったヨセフですが、スペインではとても人気があるようです。
前にも同じこと書いたような記憶・・・
彫刻群は、Juan Adán(1741年-1816年)によるものです。 -
さあ、今度は先ほどと反対側の礼拝堂を巡りますよ。こうやって見ていくと、スペインでは祭壇には圧倒的に彫像が置かれている割合が高いということが分かりますね。
こちらはカルメル山の聖母の礼拝堂。これもスペインの教会の定番です。ネオクラシカル様式を模した新しい祭壇に19世紀初頭制作の聖母と、18世紀後半制作の明かりを持つ天使達の組み合わせです。天使のはいている編み上げサンダルがなかなかオシャレですよ。 -
この礼拝堂で注目すべきは、壁にかかる2枚の「無原罪の御宿り」の絵画です。
一瞬ムリーリョかと思いましたが違いました。こちらは17世紀、スペインバロック時代の画家ホセ・アントリネスの作品。純白すぎるドレスが、無原罪の主人公を引き立たせています。 -
右側の壁にあるのもマリアは純白のドレス姿。 エスコリアルの装飾に参加したアーティストの一人フランシスコ・カミーロの1656年の作品です。
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「聖家族」の礼拝堂です。このテーマ、先ほど訪れたサン・イシドロでも見ましたね。こちらの聖家族は幼子だけやけに神々しいわ!・・・そして、遊び相手にちょうど良いくらいの洗礼者聖ヨハネが加えられています。スペインバロック時代に活躍した画家アントニオ・デ・ランカレスの作品でした。。
祭壇画の前に置かれているのは、ヒエロニムスの半身像。元々全身像でしたが1824年の火事でダメージを受け、修復されたものだそうですよ。 -
頭の聖母の礼拝堂は、一面のマジョルカ焼きのタイルに圧倒されました。黄色の草木模様のモチーフが鮮やかで、聖母の姿がかすんで見えるほど...よく見ると、聖母子の背後には聖母が出現したメキシコのグアダルペの風景まで作られていました。学芸会の書き割り と言ったら失礼ですが、マジョルカ焼きがあまりに見事なので、もう後は何も要らないと思ってしまいます。
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祭壇に向かって左側。ここにもメキシコの風景がタイルに描かれていました。1531年、メキシコのグアダルペ(現在はメキシコシティの一部)に住むインディオ ファン・ディエゴの前に聖母が現れ、大聖堂を建ててほしいという願いを伝えたという話が元になっています。ルルド、ファティマなどとともに、グアダルペはカトリック教会の「公認」を受けた聖母出現場所です。
蛇足ですが、「未公認」の中に、秋田、津和野 とあったのでビックリ! この国では大抵観音様なのですが・・・ -
祭壇に向かって右側の壁です。ここにも煌びやかな聖母子の姿。やはり着せ替え人形タイプでした。
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イチオシ
この礼拝堂、マドリッドに住むアンダルシアのハエン出身者によって1932年に創設された同胞団の依頼によるものだそうです。一寸学芸会。でもタイルはとても素敵でしたよ。
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おまけのドームです。
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イチオシ
ここまで駆け足で巡って来て、ほぉ~と足が止まったのは、この彫像の前でした。十字架を背負って倒れたキリストの顔の表情は多くの事を語ってくれています。彫刻家ニコラ・フーモの1698年の傑作がここにありました。
ここは哀しみの聖母の礼拝堂。キリストの背後には涙を流す聖母の姿がありました。電飾のような冠が気にくわないなあ・・・小林〇子見たい・・・ -
無原罪の礼拝堂です。先ほど訪れたカルメル山の聖母の礼拝堂では、純白のドレス姿だったマリアは、ここでは青い衣をまとっています。18世紀後期バロック時代の画家アントニオ・ゴンザレス・ルイスの作品で、先ほどの2枚とは異なり、円熟味を増した大人の女性として描かれていると感じました。
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そしてこちらが最後の礼拝堂「城の聖母」です。ここには祭壇の前に小さな黄金色の棺が置かれています。これは1962年、10歳でホジキンリンパ腫で亡くなったピリーナと言う女の子の墓です。
彼女はこの礼拝堂のキリスト幼子にひどく魅せられて、毎日のようにここにやって来て祈りを捧げたそうです。辛い痛みに耐えながら、彼女は自分の小遣いを貧しいものに分け与え、最後の日まで母親を気遣ったという話でした。彼女の墓はここに安置されて、列福を待っているそうです。
この話スペインではとても有名で、多くの人が彼女の墓に詣でるために毎日やってきます。 -
僅か15分間の滞在にしては、素晴らしい経験を得た喜びで一杯です。正に生きた美術館。スペインでは聖母の人気が絶大!」ということを今日もしっかり感じましたね。30分足らずの隙間時間を有意義に使うことが出来て自己満足しきり。
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入ってきたのと同じ北側ファサードより退出します。
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デスカルサス修道院までは歩いて僅か5分。悠々間に合いました。
12時発のツァーに潜り込むことには成功しましたが、またもや撮影禁止の壁に阻まれ、修道院での素晴らしい経験の記憶はぶっ飛んでいます。なんのこっちゃ! -
その日の日記には、「素晴らしい階段のある空間とそこに飾られた多くの絵が四方より私に迫ってきた」とありますが、スペイン語ガイドのため、解説は全くのちんぷんかんぷんだったようです。
デスカルサス・レアレス修道院は1557年に皇帝カルロス5世の娘でフェリペ2世の姉妹のファナ・デ・アウストリア夫人によって設立され、それ以来、ガンディア修道院からやって来たフランシスコ会の修道女たちが住んでいました。
ホームページより1枚写真をお借りしました。こちらがメインの美しい階段です。壁面を埋める絵画は三層構造。一番下第一層の絵画はこの写真では見えていませんが、有名な聖ヨハネと羊、磔場面が描かれた作品は第一層にありました。第二層の超有名作品が一番左側に見えているロイヤルボックスの面々、つまり王家の人々。フェリペ4世と彼の妻マリアナ・デ・アウストリアとその子供達の姿です。
この階段は2010年に大規模な修復工事を行い、かつての栄光の日々をすべて取り戻したのです。メイン階段の他、回廊、教会などを回りました。解説が分からなくとも、見学に参加する価値は十分にある修道院だと思いましたよ。 -
ガリャオ駅そばのサンドイッチやさんで暫しランチ休憩。
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続いてやってきたのは、この巨大な石のモニュメントがあるコロン広場からほど近いMAN国立考古学博物館です。地図を見たら、プラド美術館の前の大通りを1.2km北上したところにありました。私は、時間を惜しんで地下鉄に乗りましたよ。
コロン広場の中で、このモニュメントがある辺りをデスクブリミエント(発見)庭園と呼んでいます。これは1977年に ホアキン・ヴァケロ・トゥルシオスによって作られた「アメリカ発見」の記念碑なのです。 -
コロンブス広場に相応しいモニュメントとはいえ、1977年にもなってから製作する必要性があったのかしら?とちょっと疑問を感じました。発見された人たちのことを考慮したのかしら?
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モニュメントは3つのマクロ彫刻から成っており、それぞれ「預言(複数形)」、「創世記(2つのブロックから成る)」、そして「発見」と言うタイトルがついています。
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こちらが3つの中で一番目立つ塔です。刻まれているレリーフには楔形文字のような線やネイティブアメリカンのペトログリフを彷彿させるもの等勝手に想像できて、興味深かったです。
少し雨が降り出してきたので、お隣の国立考古学博物館に避難することにしましょう。 -
こちらが、国立考古学博物館のメイン玄関。羽の生えたスフィンクスが出迎えてくれます。
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と入場する前にこちらを見ておきましょう。博物館の入口から2、30m離れた場所にこのマークがあるはずです。少々わかりにくいロケーションだったような記憶なので、迷ったら博物館の係員にお聞きください。
ここに、あのアルタミラの洞窟の原寸大のレプリカがあるのです。実際に北スペインのサンティリャーナ・デル・マルに行っても、オリジナルを見ることはできないのでここは我慢我慢。 -
レプリカの洞窟の周りに見学通路のある地下室に入りました。18500年前の先史時代に人類が洞窟の岩肌に描いた芸術作品は、主に天井部分に描かれています。灯りを持って洞窟に入って、寝転がりながら描いたんでしょうね。
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照明が暗いので動物の輪郭と強烈な色は目に入るのですが、全体像がつかめませんでした。
これは牛なのかしら? でも、どこが頭で、どこが足なのか、イマイチよく分かりません。 -
2年前、フランスのカオールに近いペシュメルルの洞窟に入場したことを思い出しました。あれは確か25000年前(アルタミラの方が新しい! )の世界。洞窟内は撮影禁止だったけれど、博物館が併設されていました。そこに馬、斑点、手形等が描かれた絵の複製があったっけ・・・
ペシュメルルについては、こちらの旅行記をどうぞ。
https://4travel.jp/travelogue/10952532 -
天井画なので、すぐ下に寝っ転がれればもう少し良く分かったかもしれませんが、首を曲げながら天井を見るのは結構大変!
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尻尾と足をようやく発見! これは馬らしいですねえ。
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情けないアルタミラ洞窟探訪になってしまいましたが、ヴィデオ上映なども行われていて、その画像の方がクリアで分かりやすかったので、行ってみる価値はあると思います。
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これが上映されていたヴィデオの一場面。西語と英語の字幕付きです。
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さてさて、国立考古学博物館に入場しましょう。
ここは、女王イサベル2世(在位1833年~1868年)の命により設立された、貨幣・考古学・民俗学・装飾芸術等とんでもない量のコレクションの宝庫です。コロンブスのアメリカ大陸発見400周年に当たる1892年に建物が完成。その後も何度か改築されながら現在に至っています。最近では2008年~2014年まで修復作業のために閉鎖されていました。
余りに膨大な数のコレクションなので、一つ一つ見て行ったら1週間たっても終わらないと思うので、独断と偏見で、私好みのコレクションだけ、ちょい見することにしましょう。出来るわけないんだけれど・・・
まず最初は、「コラオの偶像」と呼ばれているスペイン北西部アストゥリアス州カンガス・デ・オニスから出土したドルメン(支石墓(しせきぼ))にあったモニュメント。ユニークな顔が興味深い! 鉄器時代と言いますが、ヨーロッパの鉄器時代は紀元前15世紀ころから始まっているので、正確なことは分かりません。 -
もう一つ、エストレマドゥーラ州から出土した「目」の偶像です。紀元前3千年頃の物。「エストレマドゥーラの偶像」と呼ばれているこちらの偶像には顔に特徴があり、タトゥや化粧、髪の毛などが彫られています。
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初めて見るものばかりなので、わくわく感半端ありません。
こう言う石のモニュメント大好物なんですが…何日もかかりそうなので先を急ぎましょう。としきりに自分に言い聞かせているんだけれど、あっちで立ち止まり、こっちで動かず の繰り返し! -
何十世紀が時を越えて・・・創立者のイサベル2世の肖像画のある部屋へとたどり着きました。どうやら、この辺りに私の大好物が集められていそうです。
1837年に立憲君主制へと移行したスペインにおいて、イサベル2世は何度も気まぐれに国政に介入。彼女に関して政治的には良い噂を聞きません。最後には国を追われ、フランスへ亡命。生涯を彼の地で終えました。 -
こちらでまず目を惹いたのは16世紀ころから使用されるようになった輿。伯爵や伯爵夫人が利用しました。
こちらの輿は、ロココ様式で、フランスから輸入されたパネルが使用されています。 -
宗教画やトリプテックが姿を現しましたよ。これも好物です。
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この木像はかなり傷んではいるものの、キリストを十字架から降ろす人々の表情がどれも際立っていました。
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中央部分がタイル。そして全く異なるタッチで左右の扉絵が描かれたトリプテック。タイルの青色が美しいですね。左側の受胎告知。マリアの大きく開いた両手は驚きの表現なのでしょうか?
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右の上下の石棺には、二人の天使によって、「天へと運ばれる魂」が表現されています。なかなか興味深いなあ・・・
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左側の、打ち落とされた自らの首を持って立つ人物はどなたかしら? フィレンツェで殉教した聖ミニアート位しか思いつきませんでしたが、正解は聖ニカシオでした。彼には、首が打ち落とされた時、それを両手で拾い、持ち上げて、ラグビーチームのディフェンダーがやるように、その頭を愛撫したという伝説が残っています。そして聖ミニアートのように首を抱えて野を越え、谷を越えて歩き続け、ふさわしい場所にたどり着いてから、その頭を置いたと言われています。そこには後に聖人を記念した教会が建てられたそうです。聖ミニアートそっくりですねえ・・・
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パレンシアにあったサンタ・クララ修道院中央扉の上の3体の彫像。15世紀の作。
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何故か時代はどんどん遡って、柱頭、アーチ。おお、まさに大好物で一杯の空間が出現しましたよ。きゃほー!
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12世紀のロマネスクアーチです。レオンのサン・ペドロ・デ・ラス・ドゥエニャス教会にあったもので、オリジナルはレオン近郊の修道院から運ばれたものだそう。
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柱頭には、レオンの工房マスターの手による細かい彫刻がビッシリ。こちらに見えるのは、戦闘態勢のライオンにまたがっている男たち・・・
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イチオシ
そしてこちらは、沢山の獲物を背中にしょって、馬に跨る狩人たちです。表情がとても生き生きとしていますね。
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こちらは「欲望の柱」と呼ばれている12世紀の教会から運ばれたもの。ロマネスクは稚拙ながら、人間の感情が直接的で分かりやすいですね。
少々見えにくいのですが、左側の曲芸師のような、2人の人間の間に、3匹のヒキガエルに授乳している女性がいて、これが「欲望の罪悪」を表わすのだそう。 -
様々なアカンサスのデザインが楽しい。右側の男性達が運んでいるものは何でしょう? 一つずつ説明をしてもらったら、どんなにか楽しい事でしょう!
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左側はキリストの十字架降下のようですね。ここにある作品の多くは パレンシア県の アギラール・デ・カンポーの町にあるサンタ・マリア・ラ・レアル修道院教会から運ばれて来たもののようです。
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1836年に大々的にヨーロッパで行われた修道院に対する抑圧後修道院は荒れ果て、中にあった蔵書や木像を燃やして暖をとった輩もいたのだそう。1871年に回廊やそこにあった柱頭がマドリッドに運ばれる途中でも、多くが盗まれたり、破壊されたりしました。
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石だから残ったんでしょうが、今見ることができるのは殆ど奇跡に近いのかもしれません。
ロープで作られたスパイラルの中に、絡まった人間がもがいている場面を想像してしまいました。 -
独創的なアカンサスの葉。
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二重柱頭に彫られた人間とバシリスクです。バシリスクと言うのは、ヨーロッパにおける想像上の生物で、ウィキペディアによると、「全ての蛇の上に君臨するヘビの王」なんですって。
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でもこの写真を見る限りは、蛇と言うよりは鳥に近いように見えますね。ロマネスクの特徴が色濃く出ていますね。うっとり・・・
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鎧兜を付けた兵士たち? 包帯蒔いたミイラ達? こんなの初めて見るわ~
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実に独創的な、素晴らしい柱頭の魅力にひれ伏してしまいました。アギラール・デ・カンポーのサンタ・マリア・ラ・レアル修道院について調べなくちゃと思いつつ、月日が容赦なく経ち、忘却の彼方へ。
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さあいよいよ、 私の大好物のモザイクが! と思いきや、まだこの一つだけしか現れません。
蛸のモザイクは、レオン近郊で発掘されたもので、2~3世紀に作られたもの。モザイクの石は石灰岩ですって。 -
2008年~2014年にかけて行われた大規模改修により、南パティオと呼ばれているこのエリアには、博物館の一番のお宝が集められました。
何せ膨大なコレクションを全部見るのは至難の業。しかしここに来れば、見逃すことはありません。いずれも強烈な自己主張を放つ銘品ぞろいです。 -
ひと際目立つ塔はポソ・モーロと呼ばれている紀元前6世紀ころの墳墓で、1970年にアルバセテ州で発見されました。そこはカルタゴからコンプルトゥム(現在のアルカラ・デ・エナーレス 古代ローマ時代から栄えていた都市だった)への街道沿いだった場所で、紀元前500年頃のイベリア王の墓とされています。
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イベリア半島で最も古いこの王の墓は、発見当時崩れていましたが、博物館で組み立て直したのだそうです。幅3.6m、高さおよそ10mで、基盤部分と最上部の角には衛兵代わりのライオンが配されていました。現存するのは一部のみですが、細かい壁のレリーフも見事なものでした。シリアやヒッタイト文明の影響を強く受けています。
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オスナの雄牛 紀元前5世紀ころ、アンダルシアに住んでいたトゥルデターノと呼ばれる人々によって葬祭用に作られたと言われています。
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こちらは、スペイン語で「ヴェラコス」と呼ばれている豚や牛などの雄獣で、紀元前4世紀ころから作られ始めたようです。これらも葬祭用のモニュメント的な色彩が濃く、一部は再利用されて墓の入口を飾りました。
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イビサの貴婦人 と呼ばれている高さ47cmの粘土で作られた像です。紀元前3世紀、カルタゴが支配していた時代のイビサ島のネクロポリスで発見されました。写真がひどすぎて、よくわからないのですが、装飾がとても緻密。フェニキアの女神アスターテに関連するカルタゴの神ではないかと推察されているんですって。
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オフェレンテの大貴婦人。この像の名称にはgreatがついているので、大貴婦人と呼ぶことにしました。流れるようなひだのあるチュニックを身に着け、装飾品も豪華です。古代イベリアにおいて、女性が重要な宗教的な関りを担っていたことが推察できますね。
この像も、アルバセテ州のイベリア文化の遺跡で発見されました。高さ1.35mで石灰岩製。遺跡からは他にも彫刻や多数の奉納品が見つかっています。制作は紀元前3世紀ころ。 -
他にもたくさんあって、紹介しきれません。
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見たこともない衣装や装束を身に着けた彫像で一杯!
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イチオシ
圧倒的に美しいのはDama de Elche エルチェの貴婦人 と呼ばれている謎多き石像です。発見されたのはムルシア近郊のエルチェで、そこではローマ人達がやって来る前の紀元前4、5世紀にイベロ人の文化が栄えていました。
巨大な耳飾りのある冠と多くの装飾品を付けた美しい女神の顔はギリシャ彫刻を連想させますが、服装はまるで異なっています。 -
ロマネスクの時代から遡ること15世紀。こんな端正な顔立ちの貴婦人が存在した文化について、実はまだほとんど分かっていないそうなのです。
本当に美しいなあ・・・ -
グラナダ郊外のバサの墓地遺跡で見つかった「バサの貴婦人」と呼ばれている彫像と副葬品が、発見当時のまま再現されていました。こちらも紀元前4世紀の遺跡です。
地中海的な顔の特徴を持つ女性の座る玉座は左右に長い翼を広げたスタイルで、脚にはライオンの爪が彫られています。そして注目すべきは、女性の前に並べられた武器と思しき金属類。1971年に発見されて以来、色々な論議を呼んでいますが、彼女の正体は明らかになっていません。女王、あるいは巫女と言った位の高い女性であることだけは確かなようです。 -
翼が折れちゃっていますが、最古の副葬品であろう、スフィンクスです。紀元前6世紀後半の作で、アリカンテから出土しました。ギリシャのピレウスで発見されたスフィンクスと、非常に多くの類似点があり、そこから製作時期が判明したそうです。
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さあ、きりがないので、すっ飛ばして、最後のコーナーへと急ぎましょう。と言いながら、グラナダのイスラム建築のコーナーでは暫し立ち止まって浮気。
だ~めだこりゃ!
写真はレオンにあったムデハル様式のアーチです。 -
精巧過ぎる天井にうっとり・・・
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アルハンブラ宮殿を思い出しますねえ・・・
これは20 世紀初頭に解体されたトレド県トリホスにあったアルタミラ宮殿の屋根ですって。この宮殿には様々な建築様式が融合していました。ゴシック・イザベラ様式のファサード、ルネッサンス様式の中庭、そして、ムデハル様式のドーム屋根。ドームの屋根は4つあったそうですが、今では世界中に散らばっています。貴重なその中の一つを見ることが出来ました。 -
15世紀のトレド県の建物に使われていたアーチの頂き部分の楔石。但し「石」ではなく、「木」で作られています。
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トレドの「ペドロ王のアーチ」を飾っていたパネルのうちの1枚で、こちらは石膏製。唐草模様は古今東西愛されて来たモティーフで、これも好物の一つでしたねえ。14世紀。
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13世紀の教会の扉ですって! この博物館お宝満載しすぎです。
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イチオシ
ひゃ~ 出た~ コルドバかいな???
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ようやくローマ時代の展示コーナーにたどり着きました。長い道のりでしたねえ。
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のっけから面白いですよ。6人の男性がそれぞれ形の異なるゴブレットを掲げている、珍しい構図です。
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Mosaico de Ursicinus
墓石に巧みにはめ込まれたモザイクで、4つのパートから成り立っています。一番上はホタテ貝。二番目は故人の胸像。ウルシシヌスと言う名前で、下段に書かれた碑文から彼が47歳で、8歳の娘と妻を残して旅だったことが分かります。三番目には大きな月桂樹の花輪に囲まれたクリスモン(キリストを意味するモノグラム)がありました。4世紀中ごろの作で、ホタテガイとクリスモンから初期キリスト教徒と容易に判明しました。 -
ナバラ州のアレリャーノにある別荘から出土した4世紀のモザイクは、やや歪んだ八角形が9等分されて、それぞれにミューズの姿があるので、「ミューズのモザイク」と呼ばれています。
その下にある石棺にはアダムとイブの姿がありますね。 -
当時の別荘の床を美しく飾っていたモザイクの一つ、「季節と月のモザイク」です。12ある図形の中に、それぞれの月を象徴するものが入るのですが、残念ながら消えてしまっているのもありました。
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牧歌的というか神話的というか、良い味出しています。それぞれの月を大写しにすると、占星術のシンボルが見つかりましたよ。手前右側には「sep」と言う文字。だから9月ですね。そして「てんびん」が見えています。9月から10月にかけてのシンボルですね。
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この部屋は、床も壁もこんなに大きなモザイクで覆われていました。
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パレンシアで出土した4世紀のモザイクです。中央にメデューサがいることから、「メデューサと季節のモザイク」と呼ばれています。メデューサの周りを囲む4つの胸像は、それぞれ季節を表わしています。他にも沢山の鳥、あしか、タツノオトシゴなどが見えますね。
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Mosaico del Genio del Año なんて訳せばよいのかな? 今年の天才???・・・ローマ時代のモザイクにはよく見られるモティーフで、2世紀末のアランフェスの作。
人々は、季節の移り変わり、収穫が全ての生命、進化の根源で、それは全能の神の力の賜物と考え、溢れるようなフルーツの冠を被った若者の姿で「天才」を表現しました。寄り目の彼は果実と花でいっぱいの容器を抱えていますが、その容器には蛇が巻き付いていますね・・・解説を聞きたいなあ・・・ -
壁にかかっていた1枚です。このモザイクの依頼主は、自分のイニシャルが中央に表示されるよう注文したとのこと。どこにイニシャルがあるかわかりますか?
タイトルは「「アナグラムと幾何学的なモザイク」だそうですよ。4世紀。 -
下半分に「ヘラクレスの十二の功業」が描かれたモザイクです。3世紀の作。ヴァレンシアで発見されました。
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中央のパネル(この写真では右上)は、リュディアの女王オンファレにすっかり惚れ込んでしまったヘラクレスが羊毛を紡ぐ手伝いをしている場面。リュディアはヘラクレスの棍棒を抱えて、かなりのきわどい服装で座っていますね。
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写真に収めやすい下段のモザイクをアップで撮ってみました。
左は「クレタの雄牛の生け捕り」。右は「ヘスペリデスの黄金のリンゴの強奪」です。 -
左は「ネメアのライオン退治」。獰猛なライオンもヘラクレスには勝てず、空に上がってしし座になったという伝説が残されています。右は「9本の首を持つ蛇ヒュドラ退治」です。数えてみたけれど、首が8本しか見当たらないのですが・・・
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植物のモザイク。ナヴァラ州にある別荘のレセプションルームの前室に施されていました。下の方に見える黒いものは、ナマズかと思ったら、イルカですって! どうもヨーロッパのイルカは可愛げがなくていけません。自然の豊かさと繁殖力を象徴をしているのだそうです。
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後残すところ数点のみとなりました。いずれも小さなタイプの作品ですが、最後まで見ごたえ十分でした。
こちらは「エウロペの略奪」。絶世の美女エウロペを一目見て恋に落ちたゼウスが自身を白い雄牛に変え、海を渡ってクレタ島へと連れ去った話は有名ですね。コルドバ近郊で発見された3世紀の作です。 -
全ての作品はイベリア半島で発見されたものと思っていましたが、これは実は17世紀半ばにローマで発見されたモザイクを購入したのだそうですよ。今にもワニが人間を飲み込む恐ろしい場面ですね。
舞台はナイル川流域で、作成されたのは2世紀後半。その頃はエジプトとの交流が頻繁にあったことが伺えます。 -
これはテーブルのセンター部分。ローマンモザイクではおなじみのソロモンの結び目が見えますよ。イタリアで出土したものと思われます。
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ローマで最も人気があったスポーツは、戦車レースでした。人々は日常的に戦車レースに行き、どの馬が勝つか賭けていました。博物館にあった小さな3枚のモザイクは、いずれもそんな大衆娯楽がターゲットです、。こちらは4頭立てレース(クアドリガ)で勝利したチームを描いたもの。ヤシの葉を掲げていることから、勝利が分かります。ローマの出土品。3世紀。
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戦車レースは御者の服の色分けにより、遠くからでもレースの進行状況がわかるようになっていました。こちらの御者は青ですね。やはり勝利のヤシの葉を持っています。
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最後は赤チーム。少しずつ角度が異なっていて、見比べると楽しいですねえ。
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一部分しか残っていませんが、「バッカスの勝利」と言うタイトルのついた1908年にサラゴサで出土のモザイクです。2世紀から3世紀にかけての制作だと思われます
バッカスは虎2頭が曳くカートの前を歩いているように見えます、頭の辺りがやや欠けた状態ですが、カートの上には勝利の女神が見えます。右端で虎の手綱を引いているのは羊飼い達の神パン神です。子鹿の皮で身を包んでいます。 -
珍しいグラディエーターの戦いの場面のモザイクです。3世紀の作。碑文には、ムルミロ=ローマの武装剣闘士のマテルヌスは同じく剣闘士のシンマチュスに敗れたと書かれているそうですよ。
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これが最後の作品 こちらも剣闘士のモザイクです。ここには剣闘士コンテストの進行役ラニスタと呼ばれるマネージャーたちが描かれています。左端と右端にいる白いチュニックを着た男たちがラニスタです。勝負の結果は左側に描かれたAstyanaxが勝ち。右側のKalendioが負け。名前の横にあるoに斜めの取り消し線がついた記号は「死んだ」と言う意味になるだそう。おお怖~!
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次から次へと興味深いものが出現しましたが、もうこの辺でお開き。盛り沢山が過ぎていましたでしたね。断捨離のできない性格、旅行記にも如実に表れています。
この続きは、な~んちゃって、コンポステーラへの道 その9アルカラ・デ・エナーレスで!
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