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1019年の新春を迎え、鎌倉道の歴史を辿るウオーキングに出かけました。この道は道幅が狭く車の交通量が多いのですが、新年の時期は車が少ないと考えて、思いつきました。<br />鎌倉道は県道402号であり、横浜市瀬谷区阿久和東(阿久和交差点)から鎌倉市岡本に至る県道であすが、歩いた範囲は、起点の三ツ境小学校前交差点(瀬谷区三ツ境)から三嶋神社(戸塚区深谷町)までの約8.4kmです。<br /><br />このウオーキングで立ち寄った寺社は、次の通りです。<br />1)	観正寺(瀬谷区阿久和西)<br />2)	熊野神社(瀬谷区阿久和東)<br />3)	横根稲荷神社(泉区和泉町)<br />4)	遊林寺(泉区中田西)<br />5)	専念寺(戸塚区深谷町)<br />6)	三嶋神社(戸塚区深谷町)<br />訪れた寺社の中には、鎌倉時代の逸話が残されている史跡もありました。<br /><br />尚、道中のところどころで、歴史の風雪に耐えた庚申塔や道祖神などの石柱も見かけました。<br /><br />

かまくらみち新春ウオーキング

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2019/01/01 - 2019/01/01

151位(同エリア1787件中)

旅行記グループ 横浜市南西部ウオーキング

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27

Masakatsu Yoshida

Masakatsu Yoshidaさん

1019年の新春を迎え、鎌倉道の歴史を辿るウオーキングに出かけました。この道は道幅が狭く車の交通量が多いのですが、新年の時期は車が少ないと考えて、思いつきました。
鎌倉道は県道402号であり、横浜市瀬谷区阿久和東(阿久和交差点)から鎌倉市岡本に至る県道であすが、歩いた範囲は、起点の三ツ境小学校前交差点(瀬谷区三ツ境)から三嶋神社(戸塚区深谷町)までの約8.4kmです。

このウオーキングで立ち寄った寺社は、次の通りです。
1) 観正寺(瀬谷区阿久和西)
2) 熊野神社(瀬谷区阿久和東)
3) 横根稲荷神社(泉区和泉町)
4) 遊林寺(泉区中田西)
5) 専念寺(戸塚区深谷町)
6) 三嶋神社(戸塚区深谷町)
訪れた寺社の中には、鎌倉時代の逸話が残されている史跡もありました。

尚、道中のところどころで、歴史の風雪に耐えた庚申塔や道祖神などの石柱も見かけました。

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
交通
4.0
同行者
一人旅
交通手段
徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 私が歩いたのは、この地図に示した区間です。<br />起点の三ツ境小学校前交差点(S)から三嶋神社(G)までは、南に向かってほぼ一直線に走っています。

    私が歩いたのは、この地図に示した区間です。
    起点の三ツ境小学校前交差点(S)から三嶋神社(G)までは、南に向かってほぼ一直線に走っています。

  • 鎌倉道の出発地、三ツ境小学校前交差点。

    鎌倉道の出発地、三ツ境小学校前交差点。

  • 交叉点に掲げられた“かまくらみち”の標識

    交叉点に掲げられた“かまくらみち”の標識

  • 観正寺。運上山と号する曹洞宗の寺院です。<br />出発地より1-2分程歩いてから右手の小路を入って行くと、突き当りの右側に建っていました。<br />このお寺は、阿久和山観音寺の別院となっています。

    観正寺。運上山と号する曹洞宗の寺院です。
    出発地より1-2分程歩いてから右手の小路を入って行くと、突き当りの右側に建っていました。
    このお寺は、阿久和山観音寺の別院となっています。

  • 寺院の裏手は墓地になっており子育て地蔵尊がありました。

    寺院の裏手は墓地になっており子育て地蔵尊がありました。

  • 次に訪れたのは、熊野神社です。<br />原店バス停で左折して道なりに進むと、阿久和交差点の手前にあります。瀬谷区最古の神社で、創立は平安時代後期と言われています。<br />石段を登ると石造りの大鳥居がありますが、それは文政年間(1800年代初頭)に建造されたとのことです。

    次に訪れたのは、熊野神社です。
    原店バス停で左折して道なりに進むと、阿久和交差点の手前にあります。瀬谷区最古の神社で、創立は平安時代後期と言われています。
    石段を登ると石造りの大鳥居がありますが、それは文政年間(1800年代初頭)に建造されたとのことです。

  • 熊野神社の本殿。

    熊野神社の本殿。

  • 熊野神社から鎌倉道に引き返し、更に先に進みました。<br />すると、阿久和坂上交差点の南西のコーナーに、庚申塔の碑と道祖神が隣り合って立っていました。<br />

    熊野神社から鎌倉道に引き返し、更に先に進みました。
    すると、阿久和坂上交差点の南西のコーナーに、庚申塔の碑と道祖神が隣り合って立っていました。

  • 阿久和坂上交差点から西に向かって約100m程歩くと、道路の右側に旅の安全を守ると言われる道祖神や子孫の繁栄を祈る双神塔など、石塔が数基並んでいました。<br />

    阿久和坂上交差点から西に向かって約100m程歩くと、道路の右側に旅の安全を守ると言われる道祖神や子孫の繁栄を祈る双神塔など、石塔が数基並んでいました。

  • 阿久和坂上交差点から新幹線の陸橋を渡り、立場の方向に向かって鎌倉道をどんどん歩き続けます。 <br />京浜変電所に沿って進み、弥生台交差点を通過し、泉警察署入口で右に曲がると、富士塚がありました。 <br />

    阿久和坂上交差点から新幹線の陸橋を渡り、立場の方向に向かって鎌倉道をどんどん歩き続けます。 
    京浜変電所に沿って進み、弥生台交差点を通過し、泉警察署入口で右に曲がると、富士塚がありました。 

  • <br />富士塚の付近からは、富士山がクッキリと浮かんでいるのが見えました。<br />


    富士塚の付近からは、富士山がクッキリと浮かんでいるのが見えました。

  • この鳥居がある場所は、横根稲荷神社です。<br />富士塚から更に警察署の方向に向かって下り坂を歩き、数分歩いたところにありました。

    この鳥居がある場所は、横根稲荷神社です。
    富士塚から更に警察署の方向に向かって下り坂を歩き、数分歩いたところにありました。

  • 横根稲荷神社の本殿。参拝者はまばらでした。

    横根稲荷神社の本殿。参拝者はまばらでした。

  • 境内には、“横根感念井戸”と言う古井戸がありました。<br />木曾義仲の夫人、巴御前が 鎌倉時代にこの神社で一夜を過ごし、この井戸水を化粧の水として使ったと言われています。

    境内には、“横根感念井戸”と言う古井戸がありました。
    木曾義仲の夫人、巴御前が 鎌倉時代にこの神社で一夜を過ごし、この井戸水を化粧の水として使ったと言われています。

  • 泉警察署入口交差点に引き返し、鎌倉道を南に向かって歩くと、和泉小学校入口交差点の北東のコーナーに庚申塔がありました。<br />ここには、小さな広場がありベンチが設置されていたので、昼食休憩にしました。

    泉警察署入口交差点に引き返し、鎌倉道を南に向かって歩くと、和泉小学校入口交差点の北東のコーナーに庚申塔がありました。
    ここには、小さな広場がありベンチが設置されていたので、昼食休憩にしました。

  • その後、更に南下して、立場交差点に達しました。<br />長後街道が交差する場所であり、鎌倉道では最も交通量の多い交差点です。

    その後、更に南下して、立場交差点に達しました。
    長後街道が交差する場所であり、鎌倉道では最も交通量の多い交差点です。

  • 立場交差点の北東のコーナーにも、庚申塔がありました。<br />土台の石には、中田邑と書かれていました。

    立場交差点の北東のコーナーにも、庚申塔がありました。
    土台の石には、中田邑と書かれていました。

  • ここは、遊林寺の山門です。<br />地下鉄の立場駅前を通り、葛野小学校入口交差点を過ぎるとすぐ左に、遊林寺と書かれた標識がありました。<br />伝統的な様式の山門ではありませんので、注意しないと気が付きませんね!

    ここは、遊林寺の山門です。
    地下鉄の立場駅前を通り、葛野小学校入口交差点を過ぎるとすぐ左に、遊林寺と書かれた標識がありました。
    伝統的な様式の山門ではありませんので、注意しないと気が付きませんね!

  • この建物は民家と思われる造りですが、金堂です。<br />境内に足を踏み入れても、鐘楼もない質素なお寺でした。<br />建物からお坊さんが出て来て、”どうぞ中にお入り下さい”と仰いました。<br />中に入ると祭壇があり、阿弥陀仏の仏像を祀っていました。<br />ここで、住職と仏教に纏わる色々な会話を交わしました。

    この建物は民家と思われる造りですが、金堂です。
    境内に足を踏み入れても、鐘楼もない質素なお寺でした。
    建物からお坊さんが出て来て、”どうぞ中にお入り下さい”と仰いました。
    中に入ると祭壇があり、阿弥陀仏の仏像を祀っていました。
    ここで、住職と仏教に纏わる色々な会話を交わしました。

  • このお寺を出て更に南進すると、元米軍通信隊の広大な敷地は広がっていました。

    このお寺を出て更に南進すると、元米軍通信隊の広大な敷地は広がっていました。

  • 道路をそのまま直進すると、下り坂となりました。<br />坂を下りきると右側にお坊さんの銅像が立っていました。それは法然上人像でした。

    道路をそのまま直進すると、下り坂となりました。
    坂を下りきると右側にお坊さんの銅像が立っていました。それは法然上人像でした。

  • ここから正面に回ると石段があり、石段の上には左右に石碑がありました・<br />右の石碑には、「浄土宗深谷山専念寺」と書かれており、左の石碑には、「鎌倉権五郎景正・・・、薬師如来」と書かれていました。

    ここから正面に回ると石段があり、石段の上には左右に石碑がありました・
    右の石碑には、「浄土宗深谷山専念寺」と書かれており、左の石碑には、「鎌倉権五郎景正・・・、薬師如来」と書かれていました。

  • 本堂には鍵がかけられており、内部には入れませんでしたが、ガラス越しに祭壇の様子を写真に収めました。

    本堂には鍵がかけられており、内部には入れませんでしたが、ガラス越しに祭壇の様子を写真に収めました。

  • ここは、三嶋神社の鳥居です。<br />専念寺の前には宇田川が流れており、真っ赤な専念寺橋が架かっていますが、この橋の手前で左折し、隣接する橋の山側を見ると石造の鳥居がありした。それが、三嶋神社の鳥居でした。<br />この付近には、三嶋神社と書かれた紅白の提灯がぶら下がっていました。<br />

    ここは、三嶋神社の鳥居です。
    専念寺の前には宇田川が流れており、真っ赤な専念寺橋が架かっていますが、この橋の手前で左折し、隣接する橋の山側を見ると石造の鳥居がありした。それが、三嶋神社の鳥居でした。
    この付近には、三嶋神社と書かれた紅白の提灯がぶら下がっていました。

  • これは、三嶋神社の社殿です。

    これは、三嶋神社の社殿です。

  • 境内には、横浜市により名木古木に指定されているモミの木が空高く聳えていました。

    境内には、横浜市により名木古木に指定されているモミの木が空高く聳えていました。

  • 地神塔と言う石碑もありました。<br />地神塔とは、豊作を祈って大地や天候の神を祀るためのものだそうです。

    地神塔と言う石碑もありました。
    地神塔とは、豊作を祈って大地や天候の神を祀るためのものだそうです。

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