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ツアーの予定コースにはなかったのですが、自由散策ということもあり、折角なので鶏足寺の先にある石道寺(しゃくどうじ)まで足を伸ばしてみました。このお寺も地元の方々が管理されている無住寺です。<br />正式名は「己高山 石道寺」といい、奈良時代の726(神亀3)年に延法上人が開基し、行基が仏像を刻んで庵を創建したのがはじまりと伝えます。室町時代には、己高山五箇寺の一寺として大いに栄えました。<br />現在の石道寺は往時の旧石道寺があった地に建立されていたものではありませんが、大正時代に里人の手により、ここから東へ1kmの己高山山中にあった旧石道寺の本堂を現在地に移築し、さらに厨子と共に本尊 十一面観音像を移したものです。<br />このお寺を有名にしたのは、十一面観音像です。井上靖著『星と祭』には、村の内儀(かみ)さんがモデルと評された観音像として登場します。また、白州正子著『かくれ里』や『近江山河抄』でもこの観音像について触れられています。温和で慈悲深い表情には明らかに口紅が引かれた跡が残り、流麗で装飾性が豊かな観音様です。

情緒纏綿 近江逍遥③石道寺

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2018/11/21 - 2018/11/21

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montsaintmichel

montsaintmichelさん

ツアーの予定コースにはなかったのですが、自由散策ということもあり、折角なので鶏足寺の先にある石道寺(しゃくどうじ)まで足を伸ばしてみました。このお寺も地元の方々が管理されている無住寺です。
正式名は「己高山 石道寺」といい、奈良時代の726(神亀3)年に延法上人が開基し、行基が仏像を刻んで庵を創建したのがはじまりと伝えます。室町時代には、己高山五箇寺の一寺として大いに栄えました。
現在の石道寺は往時の旧石道寺があった地に建立されていたものではありませんが、大正時代に里人の手により、ここから東へ1kmの己高山山中にあった旧石道寺の本堂を現在地に移築し、さらに厨子と共に本尊 十一面観音像を移したものです。
このお寺を有名にしたのは、十一面観音像です。井上靖著『星と祭』には、村の内儀(かみ)さんがモデルと評された観音像として登場します。また、白州正子著『かくれ里』や『近江山河抄』でもこの観音像について触れられています。温和で慈悲深い表情には明らかに口紅が引かれた跡が残り、流麗で装飾性が豊かな観音様です。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
カップル・夫婦
交通手段
観光バス
利用旅行会社
クラブツーリズム
  • 石道寺周辺マップです。<br />http://www.sushikei.com/kinomoto/ikago/img/maho_lag.jpg

    石道寺周辺マップです。
    http://www.sushikei.com/kinomoto/ikago/img/maho_lag.jpg

  • 鶏足寺の大門跡の前に伸びるなだらかな石畳の小径を進みます。<br />大門跡から南東へ150m程です。

    鶏足寺の大門跡の前に伸びるなだらかな石畳の小径を進みます。
    大門跡から南東へ150m程です。

  • 暫く進むと一寸した階段があり、そこを登りきると直ぐに急な下り坂になります。

    暫く進むと一寸した階段があり、そこを登りきると直ぐに急な下り坂になります。

  • 石道寺 本堂<br />坂を下り始めると、紅葉の木立の間から石道寺の本堂が見えてきます。<br />雨天時にはぬかるんでスリップし易いかもしれませんが、しっかり整備された小径なので安心です。

    石道寺 本堂
    坂を下り始めると、紅葉の木立の間から石道寺の本堂が見えてきます。
    雨天時にはぬかるんでスリップし易いかもしれませんが、しっかり整備された小径なので安心です。

  • 石道寺<br />この一帯にはかつて多くの寺院が存在し、奈良 興福寺の資料(1441年)には、己高山五箇寺として「法華寺・石道寺・観音寺・高尾寺・安楽寺」の名があり、この地に一大「己高山仏教文化圏」が栄えていたことが窺えます。現在の素朴な堂宇から想像するのは難しいですが、この石道寺も往時は僧坊38宇と20口の衆徒とを擁する大規模な寺院であったと記録されています。 <br />「己高山」の山号を持ち、寺伝によると奈良時代の726(神亀3)年に延法上人が開基し、行基が仏像を刻んで堂宇を建立したとされます。その後焼けて寂れたものの、平安時代初期の804年に伝教大師 最澄が十一面観音、持国天、多聞天像を刻み、「石道寺」と名付けたといい、己高山仏教の中心寺院として重きをなすと共に比叡山の別院として栄えました。

    石道寺
    この一帯にはかつて多くの寺院が存在し、奈良 興福寺の資料(1441年)には、己高山五箇寺として「法華寺・石道寺・観音寺・高尾寺・安楽寺」の名があり、この地に一大「己高山仏教文化圏」が栄えていたことが窺えます。現在の素朴な堂宇から想像するのは難しいですが、この石道寺も往時は僧坊38宇と20口の衆徒とを擁する大規模な寺院であったと記録されています。
    「己高山」の山号を持ち、寺伝によると奈良時代の726(神亀3)年に延法上人が開基し、行基が仏像を刻んで堂宇を建立したとされます。その後焼けて寂れたものの、平安時代初期の804年に伝教大師 最澄が十一面観音、持国天、多聞天像を刻み、「石道寺」と名付けたといい、己高山仏教の中心寺院として重きをなすと共に比叡山の別院として栄えました。

  • 石道寺<br />その後再び荒廃するも、1354年には京都 護国寺の僧 源照上人が、山門や36坊を興して再興し、真言宗豊山派に改宗しています。戦国時代の1575年には織田信長の兵火により全焼し、1605年の再興後、明治時代中頃までは廃仏稀釈にも耐えて名刹として存続してきました。しかし、明治時代後期に山崩れで荒廃し、再建費用が賄えずにやがて無住寺となりました。

    石道寺
    その後再び荒廃するも、1354年には京都 護国寺の僧 源照上人が、山門や36坊を興して再興し、真言宗豊山派に改宗しています。戦国時代の1575年には織田信長の兵火により全焼し、1605年の再興後、明治時代中頃までは廃仏稀釈にも耐えて名刹として存続してきました。しかし、明治時代後期に山崩れで荒廃し、再建費用が賄えずにやがて無住寺となりました。

  • 石道寺 本堂<br />1914(大正3)年に里人の手により、ここから東1kmの己高山山中にあった旧石道寺の本堂を現在地に移築し、さらに翌年、厨子と共に仏像を移して観音堂を合併したのが現在の石道寺です。里人の方々の信仰心には頭が下がります。因みに、現在も無住寺であり、40世帯からなる地元の石道自治会によって管理され、真言宗豊山派に属しています。また、近江西国三十三箇所観音霊場 第十一番札所でもあります。

    石道寺 本堂
    1914(大正3)年に里人の手により、ここから東1kmの己高山山中にあった旧石道寺の本堂を現在地に移築し、さらに翌年、厨子と共に仏像を移して観音堂を合併したのが現在の石道寺です。里人の方々の信仰心には頭が下がります。因みに、現在も無住寺であり、40世帯からなる地元の石道自治会によって管理され、真言宗豊山派に属しています。また、近江西国三十三箇所観音霊場 第十一番札所でもあります。

  • 石道寺 本堂<br />旧伊香郡域には約130体もの観音菩薩像が点在し、「観音の里」と呼ばれています。しかし、そのほとんどは大きな寺社にあるのではなく、集落の小さな堂宇で地域住民の手によって守られてきたことに最大の特徴があります。<br />石道寺の小川と樹々に囲まれた小さな堂宇にも里人に「いしみちの観音さん」と親しまれる美しい観音様がおられます。顔の彫りは浅く、なで肩であることが平安時代後期の作になることを示してします。堅木を代表する欅を用いた一木造であるのも制作者の執念のようなものを感じさせてくれます。<br />長い間秘仏でしたが、保存状態はとても良好で、衣褶には翻波式衣文の名残を浮かせています。この観音様は「子授けの観音様」とも言われ、白洲正子著『近江山河抄』には己高山山麓の観音信仰の話に登場します。「湖北の石道寺という寺で、美しい十一面さんにお目にかかった。その寺は伊吹連峰のつづきの己高山の麓、石道の集落から少し上った谷間にある。」と記されています。

    石道寺 本堂
    旧伊香郡域には約130体もの観音菩薩像が点在し、「観音の里」と呼ばれています。しかし、そのほとんどは大きな寺社にあるのではなく、集落の小さな堂宇で地域住民の手によって守られてきたことに最大の特徴があります。
    石道寺の小川と樹々に囲まれた小さな堂宇にも里人に「いしみちの観音さん」と親しまれる美しい観音様がおられます。顔の彫りは浅く、なで肩であることが平安時代後期の作になることを示してします。堅木を代表する欅を用いた一木造であるのも制作者の執念のようなものを感じさせてくれます。
    長い間秘仏でしたが、保存状態はとても良好で、衣褶には翻波式衣文の名残を浮かせています。この観音様は「子授けの観音様」とも言われ、白洲正子著『近江山河抄』には己高山山麓の観音信仰の話に登場します。「湖北の石道寺という寺で、美しい十一面さんにお目にかかった。その寺は伊吹連峰のつづきの己高山の麓、石道の集落から少し上った谷間にある。」と記されています。

  • 石道寺 本堂<br />借景に杉林を配し、楓の木々に取り囲まれるようにして丘の中腹に建つ本堂は、入母屋造の高い屋根を載せた古式豊かな建物です。1870(明治2)年に再建された旧石道寺の本堂を移築したものです。<br /><br />

    石道寺 本堂
    借景に杉林を配し、楓の木々に取り囲まれるようにして丘の中腹に建つ本堂は、入母屋造の高い屋根を載せた古式豊かな建物です。1870(明治2)年に再建された旧石道寺の本堂を移築したものです。

  • 石道寺<br />近江一帯で行われる春を告げる風物詩「オコナイ」は、東大寺の「お水取り」などと共通する法会の一種で、先祖の霊魂を祀ると共に五穀豊穣を祈る伝統神事です。湖北地方では「神事」と書いて「オコナイ」と訓ませ、この里では「観音オコナイ」が石道寺の堂宇で営まれています。<br />形式は村により多少異なりますが、大きな鏡餅を搗き、「まいだま」と呼ばれる餅の花を作ります。鏡餅は、先祖の霊魂を表しており、鏡割りをして村人に配られ、それを食すことで一年の幸福を願います。<br />湖北地方特有の「観音オコナイ」については、「京都や比叡山の鬼門除け」や「彦根藩の鬼門除け」のためと伝える村もあり、起源は不詳です。村の収穫は全て神様から授かったものという、神様への畏敬の念に基づいた村の人々の素朴な信仰が祭りに昇華していったものと推測されています。

    石道寺
    近江一帯で行われる春を告げる風物詩「オコナイ」は、東大寺の「お水取り」などと共通する法会の一種で、先祖の霊魂を祀ると共に五穀豊穣を祈る伝統神事です。湖北地方では「神事」と書いて「オコナイ」と訓ませ、この里では「観音オコナイ」が石道寺の堂宇で営まれています。
    形式は村により多少異なりますが、大きな鏡餅を搗き、「まいだま」と呼ばれる餅の花を作ります。鏡餅は、先祖の霊魂を表しており、鏡割りをして村人に配られ、それを食すことで一年の幸福を願います。
    湖北地方特有の「観音オコナイ」については、「京都や比叡山の鬼門除け」や「彦根藩の鬼門除け」のためと伝える村もあり、起源は不詳です。村の収穫は全て神様から授かったものという、神様への畏敬の念に基づいた村の人々の素朴な信仰が祭りに昇華していったものと推測されています。

  • 石道寺 本尊 十一面観音立像 (平安時代後期作:重文)<br />ふっくらとした頬と唇に紅をさしたかのような、少女を思わせる穏やかな微笑を湛えた表情が特徴です。恐らく、唇の紅は極彩色に彩られていた頃の名残なのでしょう。往時の天台宗の仏像に多い欅の一木造りで像高173cmあり、右足の親指が上を向き、右膝をやや前に出し、今にも歩き出しそうな気配です。<br />井上靖氏は著書『星と祭』の中で、「この十一面観音様は村の娘さんの姿をお借りになって、ここに現れていらっしゃるのではないか。素朴で、優しくて、惚れ惚れするような魅力をお持ちになっていらっしゃる。野の匂いがぷんぷんする。」と記しています。観音様は元々人間に近い存在であり、親しみと尊敬の念をもって民衆から接せられる存在でしたが、ここの観音様はより身近な普段着の信仰の代表格と言えます。 <br /><br />この画像は、次のサイトから借用しました。<br />http://kitabiwako.jp/spot/spot_1052/

    石道寺 本尊 十一面観音立像 (平安時代後期作:重文)
    ふっくらとした頬と唇に紅をさしたかのような、少女を思わせる穏やかな微笑を湛えた表情が特徴です。恐らく、唇の紅は極彩色に彩られていた頃の名残なのでしょう。往時の天台宗の仏像に多い欅の一木造りで像高173cmあり、右足の親指が上を向き、右膝をやや前に出し、今にも歩き出しそうな気配です。
    井上靖氏は著書『星と祭』の中で、「この十一面観音様は村の娘さんの姿をお借りになって、ここに現れていらっしゃるのではないか。素朴で、優しくて、惚れ惚れするような魅力をお持ちになっていらっしゃる。野の匂いがぷんぷんする。」と記しています。観音様は元々人間に近い存在であり、親しみと尊敬の念をもって民衆から接せられる存在でしたが、ここの観音様はより身近な普段着の信仰の代表格と言えます。

    この画像は、次のサイトから借用しました。
    http://kitabiwako.jp/spot/spot_1052/

  • 石道寺 本尊 十一面観音立像<br />堂内の観音像はこのように舟形光背を付けています。<br /><br />この画像は、次のサイトから借用しました。<br />https://www.tabigakuto.jp/tour/1508-1803/

    石道寺 本尊 十一面観音立像
    堂内の観音像はこのように舟形光背を付けています。

    この画像は、次のサイトから借用しました。
    https://www.tabigakuto.jp/tour/1508-1803/

  • 石道寺 本堂<br />簡素な瑞雲を彫った頭貫の上には蟇股が載せられ、木鼻は耳が立っているため獏です。<br />十一面観音像の修復時、胎内仏として金剛界大日如来一万躰の印仏(200体×50枚)が納められているのが発見され、修復後に胎内に戻したそうですが、その中の1枚だけは堂内に展示され巡礼者の衆目を集めています。

    石道寺 本堂
    簡素な瑞雲を彫った頭貫の上には蟇股が載せられ、木鼻は耳が立っているため獏です。
    十一面観音像の修復時、胎内仏として金剛界大日如来一万躰の印仏(200体×50枚)が納められているのが発見され、修復後に胎内に戻したそうですが、その中の1枚だけは堂内に展示され巡礼者の衆目を集めています。

  • 石道寺 本堂<br />逗子に納まった十一面観音立像の両脇には欅を用いた一木造の「多聞天」と「持国天」(平安時代後期作:重文)が安置されています。<br />かつては鎌倉時代作と考えられていましたが、近年の調査で玉眼が後補と判明し、十一面観音像とほぼ同時期の造像とされています。<br />四天王像2体の迫力と、それとは対照的な十一面観音像の温和さに暫し見惚れてしまいました。やはり仏像は元々安置された場所で拝むのが一番です。

    石道寺 本堂
    逗子に納まった十一面観音立像の両脇には欅を用いた一木造の「多聞天」と「持国天」(平安時代後期作:重文)が安置されています。
    かつては鎌倉時代作と考えられていましたが、近年の調査で玉眼が後補と判明し、十一面観音像とほぼ同時期の造像とされています。
    四天王像2体の迫力と、それとは対照的な十一面観音像の温和さに暫し見惚れてしまいました。やはり仏像は元々安置された場所で拝むのが一番です。

  • 石道寺 本堂 手挟(たばさみ)<br />手挟には鷺のような鳥が彫られています。<br />十一面観音像を祀る白山信仰は、奈良時代、己高山を開いた泰澄が白山で修行中、十一面観音の化身に出会ったことに始まります。それ以降、白山は篤い信仰を集めるようになり、後に泰澄が南に下り、奈良の都へ向かう途上、この湖北一帯に白山信仰が伝えられたそうです。<br />白州女史は、「越前から近江にかけて、点々とそのような伝説が残っているのは、白山信仰が泰澄によって都に運ばれて行った、その道筋を示しているのであろう。別の言葉でいえば、湖北を開いたのは泰澄であったといってもいい。」と記しています。

    石道寺 本堂 手挟(たばさみ)
    手挟には鷺のような鳥が彫られています。
    十一面観音像を祀る白山信仰は、奈良時代、己高山を開いた泰澄が白山で修行中、十一面観音の化身に出会ったことに始まります。それ以降、白山は篤い信仰を集めるようになり、後に泰澄が南に下り、奈良の都へ向かう途上、この湖北一帯に白山信仰が伝えられたそうです。
    白州女史は、「越前から近江にかけて、点々とそのような伝説が残っているのは、白山信仰が泰澄によって都に運ばれて行った、その道筋を示しているのであろう。別の言葉でいえば、湖北を開いたのは泰澄であったといってもいい。」と記しています。

  • 石道寺 本堂<br />扁額は2つ掲げられ、左側は「伊香西国第三十三番 こけ深き 石の道寺 たずねきぬ 世々にくちせぬ 法のしるしに」と札所御詠歌が書かれています。<br />西国三十三所が遠方にあることから、観音菩薩の化身と言われた尼僧が西国三十三所の土を伊香に持ち帰り、1828年江州伊香三十三所札所(滋賀県伊香郡)を開帳したそうです。御詠歌は堅光禅師がまとめられたものです。<br /><br />湖北の観音様が殊更美しく感じられるのは、そこに里人の信仰心の篤さが宿っているからです。戦国時代には「近江を制する者が、天下を制す」と言われ、幾多の戦乱や戦火に見舞われ、その度に里人により観音像は難を逃れ、今日まで大切に守り継がれてきました。里人たちにとっては観音様だけが唯一の心の拠り所であり、燃え盛る堂宇に飛び込み、我が子を救うように守ってきました。そうした歴史と信仰の重みを知ればこそ、感慨もより深まります。現在も石道自治会の40軒が協力して本堂の鍵を開け、巡礼者を温かく迎えられています。

    石道寺 本堂
    扁額は2つ掲げられ、左側は「伊香西国第三十三番 こけ深き 石の道寺 たずねきぬ 世々にくちせぬ 法のしるしに」と札所御詠歌が書かれています。
    西国三十三所が遠方にあることから、観音菩薩の化身と言われた尼僧が西国三十三所の土を伊香に持ち帰り、1828年江州伊香三十三所札所(滋賀県伊香郡)を開帳したそうです。御詠歌は堅光禅師がまとめられたものです。

    湖北の観音様が殊更美しく感じられるのは、そこに里人の信仰心の篤さが宿っているからです。戦国時代には「近江を制する者が、天下を制す」と言われ、幾多の戦乱や戦火に見舞われ、その度に里人により観音像は難を逃れ、今日まで大切に守り継がれてきました。里人たちにとっては観音様だけが唯一の心の拠り所であり、燃え盛る堂宇に飛び込み、我が子を救うように守ってきました。そうした歴史と信仰の重みを知ればこそ、感慨もより深まります。現在も石道自治会の40軒が協力して本堂の鍵を開け、巡礼者を温かく迎えられています。

  • 石道寺 <br />ここの十一面観音像の愛らしさは医王寺と双璧と折り紙つきですが、この季節だけは主役の座を紅葉に譲ります。<br />紅葉狩りには大勢が訪れるものの、残念ながら本堂に上がって観音像を眺める人の数は疎らなようです。

    石道寺
    ここの十一面観音像の愛らしさは医王寺と双璧と折り紙つきですが、この季節だけは主役の座を紅葉に譲ります。
    紅葉狩りには大勢が訪れるものの、残念ながら本堂に上がって観音像を眺める人の数は疎らなようです。

  • 石道寺 <br />こちら側がかつて白州女史が石道(いしみち)集落から登ってこられた参道になります。自家用車や公共バスで来られた場合は、こちらからアプローチするのが至便です。<br /><br />湖北は京都や比叡山の鬼門中の鬼門に当たります。まさに京の発展のために鬼門除けに徹し、寺院を建立して仏像を守り続けるのは「裏方の鑑」と頭が下がります。『近江山河抄』にあった「近江は日本の楽屋裏」という一文が脳裏にフラッシュバックしました。

    石道寺
    こちら側がかつて白州女史が石道(いしみち)集落から登ってこられた参道になります。自家用車や公共バスで来られた場合は、こちらからアプローチするのが至便です。

    湖北は京都や比叡山の鬼門中の鬼門に当たります。まさに京の発展のために鬼門除けに徹し、寺院を建立して仏像を守り続けるのは「裏方の鑑」と頭が下がります。『近江山河抄』にあった「近江は日本の楽屋裏」という一文が脳裏にフラッシュバックしました。

  • あづま屋まで戻ってきました。<br />左側のこんもりとした鎮守の森に鎮まるのが與志漏神社(よしろじんじゃ)です。<br />往路は素通りでしたので、復路で神社の要所をレポいたします。

    あづま屋まで戻ってきました。
    左側のこんもりとした鎮守の森に鎮まるのが與志漏神社(よしろじんじゃ)です。
    往路は素通りでしたので、復路で神社の要所をレポいたします。

  • 與志漏神社 拝殿<br />社殿は、一間社流造千鳥破風唐破風付の本殿をはじめ、幣殿、拝殿、瑞垣、脇社を備えています。 <br />

    與志漏神社 拝殿
    社殿は、一間社流造千鳥破風唐破風付の本殿をはじめ、幣殿、拝殿、瑞垣、脇社を備えています。

  • 與志漏神社 社殿<br />景行天皇の御代、武内宿禰がこの地を訪ねた際、大蛇により集落が荒廃しているのを知り、子の多八代宿禰に命じて須佐之男命の神霊を剣に勧請して大蛇を討たせたとの神話に由来します。<br />この大蛇が棲んでいた岩窟が石田三成が身を隠したと伝わる「大蛇(おとち)の岩窟」に繋がります。しかし、こうした「八岐大蛇の異伝」は、出雲神話と同様に製鉄業を営む土着の渡来豪族との覇権争いを示唆したものと思われます。その証左が、境内背後の山の斜面にある製鉄炉跡とそこから掘り出された鉄屑です。

    與志漏神社 社殿
    景行天皇の御代、武内宿禰がこの地を訪ねた際、大蛇により集落が荒廃しているのを知り、子の多八代宿禰に命じて須佐之男命の神霊を剣に勧請して大蛇を討たせたとの神話に由来します。
    この大蛇が棲んでいた岩窟が石田三成が身を隠したと伝わる「大蛇(おとち)の岩窟」に繋がります。しかし、こうした「八岐大蛇の異伝」は、出雲神話と同様に製鉄業を営む土着の渡来豪族との覇権争いを示唆したものと思われます。その証左が、境内背後の山の斜面にある製鉄炉跡とそこから掘り出された鉄屑です。

  • 與志漏神社 <br />社殿の右脇にある斜面には、苔生した小さな石仏や五輪塔などが集められています。<br />

    與志漏神社
    社殿の右脇にある斜面には、苔生した小さな石仏や五輪塔などが集められています。

  • 與志漏神社 <br />大きな樹にできた祠に、別の木が生えてきています。<br />台風でこちら側の幹が折れてできた祠だそうです。<br />

    與志漏神社
    大きな樹にできた祠に、別の木が生えてきています。
    台風でこちら側の幹が折れてできた祠だそうです。

  • 與志漏神社 <br />境内も紅葉の名所です。<br />一際赤く染まった紅葉です。

    與志漏神社
    境内も紅葉の名所です。
    一際赤く染まった紅葉です。

  • 與志漏神社 <br />紅葉がスポットライトを浴びています。

    與志漏神社
    紅葉がスポットライトを浴びています。

  • 與志漏神社 薬師堂<br />世代山 旧戸岩寺と与志漏神社が神仏混交したものです。<br />薬師堂と大日堂が旧戸岩寺を偲ぶよすがとなっています。<br />

    與志漏神社 薬師堂
    世代山 旧戸岩寺と与志漏神社が神仏混交したものです。
    薬師堂と大日堂が旧戸岩寺を偲ぶよすがとなっています。

  • 古橋集落<br />集落にもこうした立派な石積が見られます。

    古橋集落
    集落にもこうした立派な石積が見られます。

  • 古橋集落<br />「ツタバウンラン(蔦葉海蘭)」にも似ていますが、葉が異なります。<br />今まで見たことのない変わった花です。

    古橋集落
    「ツタバウンラン(蔦葉海蘭)」にも似ていますが、葉が異なります。
    今まで見たことのない変わった花です。

  • 古橋集落 マユミ<br />ニシキギ科の落葉小高木で、日本や朝鮮半島などに分布します。枝にぶら下がるように実ったピンク色をした鈴なりの果実がキュートです。<br />名の由来は、枝は硬いのに柔軟性があり、よくしなるため弓(丸木弓)の材料になったことに因みます。漢字では「真弓」と書きます。また、ユミの樹皮で和紙を加工したものを「檀紙(だんし)」と呼んでいたことから「檀(マユミ)」と書くこともあります。<br />万葉集には、マユミを詠んだ歌が11首あり、身近な樹木であったと窺えます。<br />「引きよせて みればあかぬは 紅に ぬれるまゆみの もみぢなりけり」作者未詳(古今六帖)<br />実が美しいので花材としても人気があり、江戸時代の『替花伝秘書』(1661年)には、「8月15日に活ける心にマユミを使う」と記されています。 <br />マユミの若葉は食べられますが、赤い実は有毒です。長野市には姑が嫁に食べさせて殺したという民話があり、今でもこの木を「嫁殺し」と呼んでいます。

    古橋集落 マユミ
    ニシキギ科の落葉小高木で、日本や朝鮮半島などに分布します。枝にぶら下がるように実ったピンク色をした鈴なりの果実がキュートです。
    名の由来は、枝は硬いのに柔軟性があり、よくしなるため弓(丸木弓)の材料になったことに因みます。漢字では「真弓」と書きます。また、ユミの樹皮で和紙を加工したものを「檀紙(だんし)」と呼んでいたことから「檀(マユミ)」と書くこともあります。
    万葉集には、マユミを詠んだ歌が11首あり、身近な樹木であったと窺えます。
    「引きよせて みればあかぬは 紅に ぬれるまゆみの もみぢなりけり」作者未詳(古今六帖)
    実が美しいので花材としても人気があり、江戸時代の『替花伝秘書』(1661年)には、「8月15日に活ける心にマユミを使う」と記されています。
    マユミの若葉は食べられますが、赤い実は有毒です。長野市には姑が嫁に食べさせて殺したという民話があり、今でもこの木を「嫁殺し」と呼んでいます。

  • 古橋集落<br />クレチマスの綿毛です。手毬が風に揺れる姿は、花とは違った情緒を感じさせます。<br />冬になるとこのように葉が全て枯れてしまい、つるが針金のように見えることから「鉄線(てっせん)」とも呼ばれます。

    古橋集落
    クレチマスの綿毛です。手毬が風に揺れる姿は、花とは違った情緒を感じさせます。
    冬になるとこのように葉が全て枯れてしまい、つるが針金のように見えることから「鉄線(てっせん)」とも呼ばれます。

  • 古橋集落<br />晩秋の里山の風情を湛えるもののひとつは青空に映える「柿の実」です。<br />懐かしい日本の原風景でもあります。

    古橋集落
    晩秋の里山の風情を湛えるもののひとつは青空に映える「柿の実」です。
    懐かしい日本の原風景でもあります。

  • 伊吹山の雄姿を左手に見ながら、バスは一路近江八幡市を目指して疾走します。<br /><br />この続きは、情緒纏綿 近江逍遥④教林坊でお届けします。

    伊吹山の雄姿を左手に見ながら、バスは一路近江八幡市を目指して疾走します。

    この続きは、情緒纏綿 近江逍遥④教林坊でお届けします。

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