2018/11/21 - 2018/11/21
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ドクターキムルさん
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伊勢原市大山に鎮座する大山阿夫利神社は、大山山頂(海抜1,252m)に本社、中腹に下社がある。
大山は古くから山岳信仰の対象であった。山の名の由来は、山頂に大山祇神を祀ったためとされるが、大山祇神はかつては「石尊大権現」と呼ばれていた。「延喜式」神名帳には、相模国十三座の一つとして、大山の「石尊大権現」を祀る「阿夫利神社」の記載がある。ご祭神は、本社に大山祗大神(おおやまつみのおおかみ)、前社に高龗神(たかおかみのかみ)、摂社奥社に大雷神(おおいかずちのかみ)を祀る。
雨降山(あふりさん)大山寺は阿夫利神社の別当寺である。大山不動と呼ばれている。天平勝宝7年(755)に良弁僧正(東大寺の開山)が開山したと伝えられている。本尊として不動明王が祀られた。以後、明治維新まで神仏習合が続く。
天平宝字5年(762年)には行基菩薩の高弟である光増和尚が二世となり、大山全域を開き、山の中腹に諸堂を建立した。その後、徳一菩薩の招きにより、弘法大師が三世として入山し、数々の霊所を開いたと伝承されて来ており、大山七不思議と称される霊地信仰がある。
元慶8年(884年)には安然(慈覚大師の高弟)が五世として入山し、伽藍を再興した。この後は華厳・真言・天台の八宗兼学の道場となった。これにより、大山は相模国の中心道場として、別当八大坊を始めとする僧坊十八ヶ院末寺三、御師三百坊の霊山として栄えた。
江戸時代になると大山詣でが盛んになり、関東各地に「大山講」が組織され、大山参詣へ向かう「大山道」が整備された。
しかし、明治初年の神仏分離により、阿夫利神社下社のあった伽藍は廃棄され、神社として存続している。
大山阿夫利神社下社の社殿は鉄筋コンクリート造であり、これほどの古社には似つかわしくない。京都・鞍馬寺(https://4travel.jp/travelogue/10498084)でも感じたことだ。社殿を中心に「大山菊まつり菊花展」が開催されており、この無粋な鉄筋コンクリート造拝殿の雰囲気を和らげている。
(表紙写真は大山阿夫利神社下社拝殿)
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「伊勢原ハイキングコース案内図」。
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「この景色をいつまでも ゴミは持ち帰りましょう」。
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「伊勢原市観光案内図」。
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大山ケーブル阿夫利神社駅からの参道。
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境内売店前。
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「横浜 政」などの石碑。
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「周辺案内図」。
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境内参道の石段。
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売店。
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参道。
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境内参道の石段。
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「内山岩太郎氏 顕彰碑」。
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内山岩太郎銅像。
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内山岩太郎銅像。
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境内参道の石段。
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手水舎。
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手水舎。
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手水鉢。
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「奉納 敷石 平和講」。
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境内参道の石段横。
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参参殿。
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参参殿。
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境内参道の石段。
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境内参道の石段下。
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狛犬。
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狛犬。
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鳥居。
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掲示板。
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Webカメラ。
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石燈籠。十二支が彫られている。
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石燈籠。十二支が彫られている。
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狛犬。
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狛犬。
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方位。
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境内参道の石段下。
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「日本遺産」。
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「日本遺産」(平成28年(2016年)銘)。
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展望図。
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香台。
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銅燈籠。
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大山阿夫利神社下社拝殿。
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大山阿夫利神社下社拝殿。
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大山阿夫利神社下社拝殿の蟇股(かえるまた)。
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大山阿夫利神社下社拝殿に掛かる「阿夫利神社」の扁額。
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大山阿夫利神社下社拝殿。
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大山阿夫利神社下社拝殿。
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「大山菊まつり菊花展」。
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大山菊まつり菊花展。
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大山菊まつり菊花展。
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大山菊まつり菊花展。
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大山菊まつり菊花展。
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大山菊まつり菊花展。
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銅燈籠と玄武レリーフ。
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「頂上登山口」道標。
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「大山阿夫利神社」。
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大山阿夫利神社下社拝殿。
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大山阿夫利神社下社拝殿。
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大山阿夫利神社下社拝殿。
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絵馬掛け。
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境内。
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境内参道の石段下。
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参道。
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石碑群。
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