2018/10/31 - 2018/10/31
2位(同エリア33件中)
palさん
今回の目的地のひとつ、ディエンビエンフーには、バスで前日到着しました。
第一次インドシナ戦争の有名なディエンビエンフーの戦いの地です。
なかなか遠くて今まで来ることができませんでした。
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ハノイからラオカイまでバスの旅
https://4travel.jp/travelogue/11416564
ラオカイからバックハーまでバスの旅
https://4travel.jp/travelogue/11416920
バックハー街歩き
https://4travel.jp/travelogue/11416914
バックハーのサンデーマーケット
https://4travel.jp/travelogue/11420556
バックハーからサパまでバスの旅
https://4travel.jp/travelogue/11420791
サパからディエンビエンフーまでバスの旅
https://4travel.jp/travelogue/11421202
ディエンビエンフーの街散歩
https://4travel.jp/travelogue/11422360
-
ディエンビエンフーで1泊したのは、Nha Nghi 76。
ディエンビエンフーのバスターミナルの隣でした。
Nha 家
Nghi 休む
nha nghi はホテル、あるいは、ゲストハウスです。
パスポートを見せてチェックインを済ませると、若旦那が、
Bonsai を知っていますか?
もちろん。ベトナムのは大きいよね。
と答えると、
はい。でも私は日本の盆栽が好きなのです。
勉強しています。
私の盆栽を見てください。
私を部屋に案内する前に、彼の愛する盆栽の並ぶ屋上に連れて行ってくれました。
(+_+)!?。。。
いいですねぇ。。。
とは言ったものの、批評も、助言もできません(-_-)/
かなり昔のフランス出張のある街のバーで、隣のおっちゃんにどこからきたのじゃ?
と尋ねられました。
ジャポンです。私はジャポネです。
フッ おまえさん、Bonsai を知っておるか?
(-_-)!? Oui はい。。。
こいつは、ジャポネじゃ。本物のジャポネじゃぁーーーー
と酒場のみんなに大声で叫んでいました。。。
と、一杯おごってもらいました。
盆栽は中国語では、盆景 Pénjǐng。
なので、盆栽がわかれば日本人なのです(+_+)
フランス式、日本人、中国人の見分け方らしい。
Bonsai、盆栽は、日本人。。。
ちなみにベトナム語では、Cây cảnh カイカインらしい。。。 -
前日早く寝てしまったので、5:00には起床。
ううん、朝から散歩。
もっと寝てから散歩-_-)?
6時半に散歩に出発。。。
お隣りのバスターミナルは既に活気がありました。
前日にニンビン行きのバスの有無と時間を聞いて回ったのですが、みんな夕方5時から6時出発でした。。。
それに乗る予定です。
朝、チェックアウトして、
荷物を預かってもらい、夕方の4時か5時に戻どってくると言って、散歩観光です。 -
きのうチラ見した、お団子のおばちゃんたちの市場を散歩しました。
民族衣装は着ていませんが、お団子頭のタイ族のおばちゃん、お姉さんでいっぱいです(+_+)///
この写真の中にも、お団子頭さんがいっぱいです。。。 -
朝散歩です。
英語表記はないので、ここかなぁって迷っちゃうのですが、Doi A1、A1の丘です。 -
仏領インドシナ。。。
いえ、フランス語では、アンドシン。。。
1940年には、旧日本軍が中国から進行。
1943年、フランスはドイツに降伏。。。
仏軍はインドシナでは休止。。。
旧日本軍は、最後には傀儡のベトナム帝国を作り上げます。。。 -
数ヶ月後、日本敗戦。。。
ホーおじさんは、ベトナム帝国の皇帝を廃位させ、
電光石火でフランスからではなく、日本から独立宣言します。。。 -
ホーおじさんの独立宣言にもかかわらず、フランスはベトナムに舞い戻ってきました。。。
-
そのころのベトミン軍は、資金もなく、ゲリラ戦。
-
ベトナムには数多くのプーさん帝国が進行してきましたが、ハノイを焼かれると、山にこもってのゲリラ戦です。
鎌倉幕府の日本に、そのころのプーさん帝国は、元、
そのころのプーさん、フビライハンの艦隊が2度やって来ました。
同じ頃、プーさん帝国は、3度ベトナムに進行しています。
ベトベト国には、陸路でプーさん帝国軍の進行です。。。
そのころのベトナム王朝は、神風など吹かったのですが、
3度の元寇を撃退しました。
ベトベト国が勝利して、プーさん族は敗走、、、
皇帝のプーさん、フビライハンが意気消沈していなかったら、日本にも3度目の元寇があったかもしれません。
ありがとうベトベト国の人たち。
ベトベト人は強いのです(*_*)/// -
ベトミン軍は、ゲリラ戦です。
フランス軍は、自由への火の手が揚がらなかったラオスを守ろうと、国境のディエンビエンフーを選びました。
空港もあるし、物資補給できます。
仏軍は数々の陣地を築きました。 -
仏軍は、いくつもの要塞それぞれに女の子の名前をつけました。
この丘は、ドミニク、
この丘は、イザベル、
などなど。。。
ドミニク、イザベルを
守ろうぞ。。。
A1の丘があった要塞は、
ユゲットちゃん。。。 -
duong ドゥオン 道
hao ハオ 堀
cua クア の
quan クァン 軍
phap ファップ フランス
つまり、仏軍の塹壕です。。。
A1、ユゲットちゃんには、説明看板があまりありません。
あっても、ベトナム語だけです。。。 -
古地図を見ると、丘の下には飛行場があったらしい。
でもベトミン軍の砲撃で使用不能に。。。
ベトミン軍は、ソ連、プーさん帝国の援助を受けて、ますます兵器増強。 -
だあれもいません。
-
と思ったら、暗闇にフランス兵が隠れたりします。
主に外人部隊だったそうです。 -
仏軍のタンク。
-
後からネットで発見しました。
こいつは、仏軍の M24 軽戦車です。
左下の穴には、機関銃が付いていたようです。。。
これで、軽ですかぁ(*_*)///
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
wikiによれば、
全長 5.56m
車体長 5.03m
全幅 3m
全高 2.77m
重量 18.4t
懸架方式 トーションバー方式
速度 約56km/h(整地)
約40km/h(不整地)
行動距離 161km
主砲 40口径75mm戦車砲M6×1(48発)
副武装 12.7mm重機関銃M2×1(440発)
7.62mm機関銃M1919×2(3,750発)
装甲 砲塔防盾38mm
砲塔側・後面25.4mm
砲塔上面13mm
車体前面・側面前部25.4mm
車体側面後部・後面19mm
車体上面13mm
車体底面10-13mm
だそうです。。。 -
ベトミン軍がトンネルを掘って、フランス軍陣地で爆発させた1ton爆薬のクレータ跡です。。。
-
丘には、塹壕が張巡られています。
-
A1の丘、ユゲットちゃん。
ディエンビエンフーの戦いで、
ベトミン軍、死者8000人。。。
仏軍、死者2000人。
仏軍は、白旗を掲げて降参しました。 -
今はとっても平和な、
-
A1の丘、ユゲットちゃんでした。
-
次の訪問は、ディエンビエンフー博物館。
A1の丘に行く前に、博物館に行くのが正解でした。。。
ここでちょっと勉強してから戦跡に出向くのがよいです。。。 -
ホーおじさんは、作戦会議中でした。
-
ハノイでは、
歴史博物館、民族博物館など、見違えるほど立派になりました。
この博物館も立派になったばかりのようでした。 -
展示は、ベトナム語、英語、フランス語です。
-
博物館に入った時には、他にお客さんはだれもいませんでした。
そのうち、フランス語のお客さんがやってきました。
そして、ガイドさんつきのベトナム人の団体さんに追いつかれました。
団体さんには、尼さまがたも混じっていました。
綺麗なガイドさん。
でも、ベトナム語のガイドでは、さっぱりわかりません(-_-)///
英語かフランス語なら、こっそりついて行くのになぁ。。。
お姉さんの美しいベトナム語の響きをバックミュージックに、
英語、フランス語の説明を読んでいくしかありません。。。 -
ジオラマも充実しています。
こんな射撃、支える人の頭と耳は大丈夫なの(-_-)/// -
うさぎの仏軍の陣地です。
なんとなーく、ワイン飲んだくれの、すかぽんたんの兵士です。。。 -
塹壕の掘り巡らされたA1の丘、
ハゲ山のユゲットちゃん。。。
今は緑いっぱい、花いっぱいの丘のユゲットちゃん。 -
亀亀のベトベト軍は、山を切り開いて、道を作り上げ、
-
キン族もお団子頭のタイ族さんも、
兵隊さんに、物資、食糧を運びます。
おばちゃまたちも、険しい山道を亀亀行軍です。 -
こんなリヤカーや、
-
こんなソリをひっぱって亀亀行軍。
1台の自転車では、なんと300キロの物資を運んだそうです。。。 -
深い山道を山砲を解体して運び、
-
亀亀ベトベト軍は、うさぎの仏軍を囲んでいきます。
かなり前ですが、白黒のベトナム映画を見ました。
その名も確か、ディエンビエンフーの戦い。
シリアスな戦争映画では、ありませんでした。
物資補給部隊のまぬけな男の話でした。
見つけた美人ちゃんに、ぞっこんとなり、行軍の中を追いかけていきます。
砲撃を受けても、今料理している食いもんのが大事じゃーーー
豚のが大事じゃーーーーー
などとコメディータッチでした。。。
もう一度、見たいなぁ。。。 -
フランス女子の名前のうさぎ仏軍要塞たちは、亀亀ベトベト軍に取り囲まれます。
仏軍のたのみの物資補給の滑走路も、ベトベト軍の砲撃にさらされて使用不能に。
落下傘での補給のみに。。。 -
1954年、ベトベト軍、いえ、ベトミン軍の勝利でした。
フランス軍は、白旗を掲げ、降参。。。
ベトミン軍は、金星旗を掲げました。
旧日本軍の兵士の中にも、日本に帰らずに
現地にとどまって、東南アジアの各地で現地軍に加わり、独立に貢献した人たちが大勢います。
ベトベト軍にも旧日本軍兵士が多数貢献したと聴きます。。。 -
ディエンビエンフーの戦いを勝利に導いた、ウ゛ォー グエン ザップ将軍です。
日本の古いお宅で、陛下の写真が飾られているように、
タイでは、プミポン国王の写真が飾られているように、
ベトナムでは、ホーおじさんとヴォー将軍の写真が飾られています。
ディエンビエンフーの戦いでの勝利を有利に、ホーおじさんが、ジュネーブ協定にこぎつけます。
フランスはベトナムから完全撤退。
でも、大国の思惑でベトナムは南北に分断され、ベトナム戦争に進んでいきます。。。
2013年、将軍は103歳の長寿でなくなりました。
私もいましたが、ベトナムは喪に服しました。。。 -
その後、戦没者慰霊の地へ。。。
-
ディエンビエンフーの戦没者慰霊塔です。
-
慰霊のおばちゃん5人組に出会いました。
2人は正装のタイ族さん。
ほかの3人は、お団子頭でもなく、キン族かなぁ?
身振り手振りで、このスマホで写真を撮ってと頼まれました。
はい。よろこんで(^_^)///
Mot, hai, ba 1,2,3
パチリ。
私も混じってパチリ。
そして、私も写真を撮らせていただきました。
きっと、ディエンビエンフーの戦いで、戦った人たちの子孫ですねぇ。
キン族もタイ族も仲良しです。
みんな一丸となって、戦いました。
ニコニコの素敵なおばちゃまたちでした。 -
戦没者のお墓は、
綺麗な黄色の造花で統一されていました。
ベトナム金星旗の星、革命の色でした。 -
お墓です。
-
墓石の裏に戦没者の名前があったのは少数でした。
大半が無名戦士の墓でした。。。
ディエンビエンフーの戦いの後、
フランスは撤退しましたよ。
南北に分かれてしまいましたが。。。
その後、ベトナム戦争がありました。
米軍も撤退し、国は統一されました。
その後、不遇な制裁の時代がありましたが、
今は、平和ですよ。
しかも、だんだん豊かになってますよ。
現代の花モンさんには、ミニスカの女の子もいるのですよ(*_*)///
私も平和にベトナムを旅できます。
無名の兵隊さんたち、安らかにおやすみ下さい。。。 -
ブランチです。
英語メニューのない、ローカル食堂でした。。。 -
チャーハンを頼んだら、日本のチャーハンの2倍のボリュームでした。。。
おいひー(^_^)///
隣には、お団子頭のタイ族のおばちゃんと旦那さん。
タイ族の旦那さんは、ピチャーでビアホイを飲む飲む(+_+)
見ていただけで、ピチャー3杯。。。
3リットル。。。
私は、ビアホイのグラス2杯とチャーハン3/4でお腹いっぱいでした。
日本軍は、白旗で降参でした。。。
タイ族、恐るべし。。。
ビアホイ1杯が7000ドン、35円。
ぼったくりのない、タイ族さんのお店でした。 -
その後、また散歩です。
上空をプロペラ機が通りすぎました。
またディエンビエンフーの戦いを妄想してしまいます。
仏軍の空から落下傘での物資補給。
要塞を守る仏軍兵士は、やっと来ーーーーた !!!!!
メルシー、メルシー、メルシー
と、大騒ぎだったでしょうねぇ。。。 -
散歩していると、
迫撃砲?、高射砲?が展示されていたり、、、 -
仏軍のカステリ大佐が守ったという塹壕跡に向けてトコトコ。
現在の小さな可愛いディエンビエンフー空港を通りすぎて、トコトコ行軍でした。 -
そんなに暑くもなく、でもビアホイ休憩しました。
高校生ぐらいの男の子は、ニコニコ対応してくれました。
その後入ってきた男たちも、ニコニコでした。
道を尋ねました。
まあ、トリップアドバイザーのgoogle地図で、カステリの塹壕は、あと北に200mです。
ところが、みんな、あっちじゃ、と私の歩いてきた南を指差しました。。。
えっ?
とりあえず、写真を撮れというのでパチリ。。。
タイ族?
キン族?
イケメンですが、まあ、男子はどうでもよーい。。。
私は、民族衣装の可愛い女子の写真が撮りたいのです(*_*)///。。。
男子高校生は、これからでかけるけど、僕のバイクに乗ってくーーー ?
イケメン兄ちゃんたちは、一緒に呑もう!
と、みんなとってもフレンドリーでした。 -
私は、みんなが指す南ではなく、
トリップアドバイザー経由のgoogleマップを信じて、北にトコトコ行軍でした。。。
ところが、なにもありませーん。。。
塹壕がお引越するわけなーーーい
と、ひたすら北進です。
なにもなーーーーい。。。
トリップアドバイザー経由で見ると、googleマップでは、確かに塹壕跡はそこにあるはずです。
でも、直接googleマップを見ると、カステリ大佐の塹壕がありません。。。
なんじゃこれは。。。
イザベルちゃん(旧仏軍要塞の一つ)はどこじゃ(-_-)!?
トリップアドバイザーの間違いでした。。。
デジダル心酔はいかんおぉ。。。
アナログに戻りました。
せっかく南と教えてくれたベトベト人の諸君、
君達を信じずにすまぬ。。。
おかげで、ベトベト軍が進行してきたであろう山を眺め、田園をトコトコ散歩できました。 -
今は、
とっても平和なディエンビエンフーでした(*_*)。
ハイ バー チュンの時代から、1000年の数々のプーさん帝国王朝支配。。。
その後の、度重なる数々のプーさん王朝の進行。
フランスの黒船砲撃を戦端に、フランスの100年支配。
日本進行、ベトナム帝国の樹立。
日本敗戦で、ホーおじさんの電光石火の独立宣言。
フランス軍が舞い戻ってきて、第一次インドシナ戦争。
ディエンビエンフーの戦いで勝利。
ジュネーブ条約でフランス撤退。
でも国家分断され、ベトナム戦争。。。
米軍撤退、サイゴン陥落、南ベトナム消滅。
カンボジア内に住むベトベト人を守るため(らしい)の、カンボジア内戦干渉。
プーさん帝国、カンボジア内戦干渉のお仕置きで、中越戦争。。。
長きにわたった制裁の貧乏時代。。。
ベルリンの壁が解放され、冷戦時代も終わり、ベトナムもそれに便乗、
新しい時代に突入しました。
ベトナムは、中仏日米を撃退して独立を勝ち取った、凄い国です。
そんな大国を撃退した国は、世界広しですが、ベトベト国、唯一です。
世界の国々から一目も二目も置かれているでしょう。
いまだにベトベト国に意地悪するのは、懲りないプーさん帝国だけです。。。
したたかなベトベト人は、
しょうがないなぁ、プーさん族は。。。
またちょっかいかい。。。
しつこいのぉ。。。
と
へとも思っていないでしょう。
かつての激戦のディエンビエンフーは、
笑顔のお団子頭のタイ族のおばちゃまたちが支配する、
ぼったくりのない、平和な、のどかーな街でした(*_*)///
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この旅行記へのコメント (2)
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- ゆっくりOm Koiさん 2018/11/18 11:16:30
- タイ族とダート
- おひさしぶりです。
旅行記違いの話ですが、ラオスの事故の解決の件ご苦労様でした。
わたしもミャンマーでバイク事故の経験があるので非常に参考と
なりました。
人身事故がどれだけ厄介か、金持っていると見なされている
外国人が如何に事実上加害者の様に仕立て上げられるかを
拝見させて頂きました。
とにかく、トラブルの地より出国でき何よりと思います。
ベトナムのタイ族とはタイのタイ族と同族なのでしょうか。
言葉、文字もタイと同じであれば興味深いですね。
東西方向ならタイとも近いので不思議ではないですね。
ダートは街道筋町から町までの長いダートが残っているのでしょうか。
タイ登録(タイナンバー)のバイクでのベトナム入国はNGと聞いて
いるのですが、長いダートが残っているなら行ってみたいです。
- palさん からの返信 2018/11/18 16:11:52
- Re: タイ族とダート
- こんにちは。
ラオスの事故は、本当に大変でした。
お互いに事故には気をつけましょう。。。
ベトナムのタイ族 Thái族
私もネットでタイの歴史、ベトナムのタイ族を調べたのですが、なかなか難しいです。
結論からいえば、私の理解では、
どちらもタイ・カダイ語族の言葉を話す、
元は同じ民族のようです。
インドシナ半島は、いろんな王朝が栄枯盛衰しました。
現タイ王国のタイ人とはかなり昔、スコータイ王朝衰退のころに切り離されて、
ベトナムのタイ族は、白タイ族、青タイ族などと独自の文化になったようです。
ディエンビエンフーではタイ/ラオス文字は一切見かけませんでした。
タイ文字など知らないようです。
マーケットや食堂では、私のつたないベトナム語でコミュニケーションしたので、彼らの話す言葉を聞くことができませんでした。。。
ダート
知っている限り、国道はすべて舗装されています。
山奥、ラオス国境付近で、ダートは残っていたりするようです。
タインホア省で山奥ダートに入り込んだことがあります。
https://4travel.jp/travelogue/11274459
pal
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