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 江島神社奥津宮は中津宮からの長い参道の先にある。この先は稚児ヶ淵となり断崖絶壁が海辺に迫っている。<br /> 江島神社奥津宮の横には平成6年(1993年)に龍宮(わだつみのみや)大神が鎮座するようになったが、ここ奥津宮では龍よりも亀が多いようにも思える。手水舎裏の公衆トイレで手を洗う水道の蛇口が龍だったが、この手水舎の柱が建っている土台石は少なくても前側の2つは亀が彫られている。また、手水舎の手水口も亀で、亀の手水口を見るのは京都・松尾大社(https://4travel.jp/travelogue/10515106)以来のことだ。これは亀の井という冷泉が湧き出しており、その名に因むものであろう。では、ここ江島神社奥津宮はというと、養和2年(1182年)に文覚上人が書いたと言われる長方形の石彫の扁額(文覚上人扁額)に「金亀山」と書かれており、古代から既に江の島が「金亀山」と呼ばれていたことに因むものであろう。その後、境内に、かつて鎌倉四名石といわれた亀石(亀甲石)が奉納されたり、あるいは、「八方睨みの亀」が描かれ、奥津宮拝殿天井に奉納されたのであろう。なお、「八方睨みの亀」は元々は享和3年(1803年)に酒井抱一が描いたものであるが、保存のために現在はレプリカになっている。<br /> 江島神社奥津宮といえば、銅鳥居が知られており、源頼朝が奉納したと伝わっている。その脇に「伝頼朝寄進の鳥居」の説明文があり、「吾妻鑑によれば「頼朝は養和2年(1182年)奥州平泉の藤原秀衡を調伏するため、京都高尾神護寺の文覚上人に命じて弁才天を岩屋に勧請し、参詣の際には鳥居を寄進しました」とあります。」平家を壇之浦で滅ぼすのは寿永4年(1185年)のことであるが、その3年前には合戦を続けている平家ではなく、奥州平泉の藤原秀衡の調伏を祈願するとは、普通では考えられないことである。やはり、歴史に大きな足跡を残した偉大な人物が考えることは中々理解できないことである。現在では平家を滅ぼした年から鎌倉時代は始まるとされるが、奥州征伐はその7年前から準備していたことになる。そして平家を滅亡させてから4年半後にその祈願を叶えるのである。すなわち、軍事上は平家滅亡後の4年半の間は奥州平泉の藤原氏の調伏を一番の懸案として準備万端に整えていた可能性が高い。ここ江島神社奥津宮では龍(平家)ではなく、亀(藤原氏)がメインであることに改めて気が付かされた。<br />(表紙写真は江島神社奥津宮拝殿)

江島神社(奥津宮)-2018年秋

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2018/10/29 - 2018/10/29

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ドクターキムル

ドクターキムルさん

 江島神社奥津宮は中津宮からの長い参道の先にある。この先は稚児ヶ淵となり断崖絶壁が海辺に迫っている。
 江島神社奥津宮の横には平成6年(1993年)に龍宮(わだつみのみや)大神が鎮座するようになったが、ここ奥津宮では龍よりも亀が多いようにも思える。手水舎裏の公衆トイレで手を洗う水道の蛇口が龍だったが、この手水舎の柱が建っている土台石は少なくても前側の2つは亀が彫られている。また、手水舎の手水口も亀で、亀の手水口を見るのは京都・松尾大社(https://4travel.jp/travelogue/10515106)以来のことだ。これは亀の井という冷泉が湧き出しており、その名に因むものであろう。では、ここ江島神社奥津宮はというと、養和2年(1182年)に文覚上人が書いたと言われる長方形の石彫の扁額(文覚上人扁額)に「金亀山」と書かれており、古代から既に江の島が「金亀山」と呼ばれていたことに因むものであろう。その後、境内に、かつて鎌倉四名石といわれた亀石(亀甲石)が奉納されたり、あるいは、「八方睨みの亀」が描かれ、奥津宮拝殿天井に奉納されたのであろう。なお、「八方睨みの亀」は元々は享和3年(1803年)に酒井抱一が描いたものであるが、保存のために現在はレプリカになっている。
 江島神社奥津宮といえば、銅鳥居が知られており、源頼朝が奉納したと伝わっている。その脇に「伝頼朝寄進の鳥居」の説明文があり、「吾妻鑑によれば「頼朝は養和2年(1182年)奥州平泉の藤原秀衡を調伏するため、京都高尾神護寺の文覚上人に命じて弁才天を岩屋に勧請し、参詣の際には鳥居を寄進しました」とあります。」平家を壇之浦で滅ぼすのは寿永4年(1185年)のことであるが、その3年前には合戦を続けている平家ではなく、奥州平泉の藤原秀衡の調伏を祈願するとは、普通では考えられないことである。やはり、歴史に大きな足跡を残した偉大な人物が考えることは中々理解できないことである。現在では平家を滅ぼした年から鎌倉時代は始まるとされるが、奥州征伐はその7年前から準備していたことになる。そして平家を滅亡させてから4年半後にその祈願を叶えるのである。すなわち、軍事上は平家滅亡後の4年半の間は奥州平泉の藤原氏の調伏を一番の懸案として準備万端に整えていた可能性が高い。ここ江島神社奥津宮では龍(平家)ではなく、亀(藤原氏)がメインであることに改めて気が付かされた。
(表紙写真は江島神社奥津宮拝殿)

  • 「奥津宮西浄」。奥津宮手水舎裏の公衆トイレのことである。禅寺ではトイレのことを「東司」ということが多いようであり、時として、「西浄」ともいうが、「西浄」は「西浄(せいちん)」と同じである。また、「せいちん」は「せっちん」と音が近く、意味も同じだ。

    「奥津宮西浄」。奥津宮手水舎裏の公衆トイレのことである。禅寺ではトイレのことを「東司」ということが多いようであり、時として、「西浄」ともいうが、「西浄」は「西浄(せいちん)」と同じである。また、「せいちん」は「せっちん」と音が近く、意味も同じだ。

  • 公衆トイレの蛇口ならぬ龍口。

    公衆トイレの蛇口ならぬ龍口。

  • 公衆トイレにたむろする猫。人には驚くほど懐いており、撫でてやると気持ち良さそうである。これほど人に懐いている猫は珍しい。

    公衆トイレにたむろする猫。人には驚くほど懐いており、撫でてやると気持ち良さそうである。これほど人に懐いている猫は珍しい。

  • 公衆トイレにたむろするもう1匹の猫。男性用トイレの前から女性用トイレの前に移動して日向ぼっこを始めた。この猫は野良猫だという。

    公衆トイレにたむろするもう1匹の猫。男性用トイレの前から女性用トイレの前に移動して日向ぼっこを始めた。この猫は野良猫だという。

  • 江島神社奥津宮の手水舎。

    江島神社奥津宮の手水舎。

  • 柱の土台石も亀。平安時代末の養和2年(1182年)に文覚上人が書いたと言われる長方形の石彫の扁額(文覚上人扁額)に「金亀山」と書かれており、古代から既に江の島が「金亀山」と呼ばれていた。その後、慶安2年(1649年)に仏教との習合により、江島神社は 金亀山与願寺 ( きんきざんよがんじ ) と号する。古代から明治維新まで江の島では金亀山の(地)名が引き継がれていた。

    柱の土台石も亀。平安時代末の養和2年(1182年)に文覚上人が書いたと言われる長方形の石彫の扁額(文覚上人扁額)に「金亀山」と書かれており、古代から既に江の島が「金亀山」と呼ばれていた。その後、慶安2年(1649年)に仏教との習合により、江島神社は 金亀山与願寺 ( きんきざんよがんじ ) と号する。古代から明治維新まで江の島では金亀山の(地)名が引き継がれていた。

  • 柱の土台石も亀。

    柱の土台石も亀。

  • 柱の土台石は亀?

    柱の土台石は亀?

  • 柱の土台石は亀?

    柱の土台石は亀?

  • 手水鉢。

    手水鉢。

  • 手水鉢。

    手水鉢。

  • 手水口。亀だ。

    手水口。亀だ。

  • 亀の手水口。

    亀の手水口。

  • 亀の手水口。

    亀の手水口。

  • 石碑。

    石碑。

  • 「沖へ沖へ 水脈太く 曳く 初霞」。

    「沖へ沖へ 水脈太く 曳く 初霞」。

  • 「伝頼朝寄進の鳥居」。

    「伝頼朝寄進の鳥居」。

  • 銅鳥居。源頼朝寄進の鳥居を再現したもの。

    銅鳥居。源頼朝寄進の鳥居を再現したもの。

  • 銅鳥居に掛かる「奥津宮」の扁額。

    銅鳥居に掛かる「奥津宮」の扁額。

  • 「亀石(亀甲石)」

    「亀石(亀甲石)」

  • 力石。320kgの重さがあるという。

    力石。320kgの重さがあるという。

  • 亀石(亀甲石)。亀の甲羅の紋のあり、「蔵六石」とも呼ばれていた。かつての鎌倉四名石の一つである。

    亀石(亀甲石)。亀の甲羅の紋のあり、「蔵六石」とも呼ばれていた。かつての鎌倉四名石の一つである。

  • 亀石(亀甲石)。甲羅の紋が見える。

    亀石(亀甲石)。甲羅の紋が見える。

  • 「亀甲石」。

    「亀甲石」。

  • 江島神社奥津宮拝殿。天保13年(1842年)に再建されたもの。

    江島神社奥津宮拝殿。天保13年(1842年)に再建されたもの。

  • 「奥津宮」。

    「奥津宮」。

  • おみくじ結び。

    おみくじ結び。

  • 「宏達」(大正6年(1918年)銘)。山田検校顕彰碑。

    「宏達」(大正6年(1918年)銘)。山田検校顕彰碑。

  • 奉納された紫陽花。

    奉納された紫陽花。

  • 「山田流箏曲流祖 山田検校像」。

    「山田流箏曲流祖 山田検校像」。

  • 山田検校像。山田検校(斗養一 (とよいち))(宝暦7年(1757年)~文化14年(1817年)))は楽家で山田流箏曲の始祖である。

    山田検校像。山田検校(斗養一 (とよいち))(宝暦7年(1757年)~文化14年(1817年)))は楽家で山田流箏曲の始祖である。

  • 「山田検校銅像庭園柵寄附者名」。

    「山田検校銅像庭園柵寄附者名」。

  • 「八方睨みの亀の絵」。奥津宮拝殿天井絵は亀だ。

    「八方睨みの亀の絵」。奥津宮拝殿天井絵は亀だ。

  • 石燈篭。龍だ。

    石燈篭。龍だ。

  • 石燈篭。龍だ。

    石燈篭。龍だ。

  • 「奥津宮」。龍の飾りだ。

    「奥津宮」。龍の飾りだ。

  • 狛犬。

    狛犬。

  • 狛犬。

    狛犬。

  • 奥津宮の2匹の亀の彫刻。

    奥津宮の2匹の亀の彫刻。

  • 奥津宮拝殿。

    奥津宮拝殿。

  • 奉納されたおしゃもじに描かれた龍の絵。

    奉納されたおしゃもじに描かれた龍の絵。

  • 奉納されたおしゃもじに描かれた天女の絵。

    奉納されたおしゃもじに描かれた天女の絵。

  • 「天井絵 八方睨みの亀」。

    「天井絵 八方睨みの亀」。

  • 八方睨みの亀の絵(レプリカ)。

    八方睨みの亀の絵(レプリカ)。

  • 江島神社奥津宮本殿。

    江島神社奥津宮本殿。

  • 江島神社奥津宮本殿に掛かる「奥津宮」の扁額。

    江島神社奥津宮本殿に掛かる「奥津宮」の扁額。

  • 「江島神社 奥津宮」。

    「江島神社 奥津宮」。

  • 葛飾北斎「冨嶽三十六景 相州江の嶌」。

    葛飾北斎「冨嶽三十六景 相州江の嶌」。

  • 江島神社奥津宮本殿。

    江島神社奥津宮本殿。

  • 江島神社奥津宮本殿。

    江島神社奥津宮本殿。

  • 参道の鳥居。

    参道の鳥居。

  • 奥津宮の石鳥居。嘉永4年(1851年)建立。

    奥津宮の石鳥居。嘉永4年(1851年)建立。

  • 奥津宮の石鳥居。嘉永4年(1851年)建立。大正14年(1925年)修理。関東大震災(大正12年(1923年))後に修理された。

    奥津宮の石鳥居。嘉永4年(1851年)建立。大正14年(1925年)修理。関東大震災(大正12年(1923年))後に修理された。

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