2018/10/29 - 2018/10/29
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ドクターキムルさん
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江の島弁天橋を渡ると銅鳥居が建っている。人込みの弁財天仲見世通りを抜けると石段の中ほどに朱塗りの鳥居が建ち、江島神社の瑞心門、所謂竜宮門がある。石段を折れて上ると手水舎(てみずや)があり、さらにその先の石段を上り切ると江島神社辺津宮の社殿がある。
三女神は天照大神が須佐之男命と誓約された時に生まれた女の神様で、田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)、市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)、多紀理比賣命(たごりひめのみこと)の三神である。九州の福岡にある宗像大社や広島県の厳島神社のご祭神と同じである。しかし、一般には、日本三大弁財天は宝厳寺・竹生島神社(滋賀県 竹生島)(https://4travel.jp/travelogue/10531849)、ここ 江島神社(https://4travel.jp/travelogue/10440033)、厳島神社(広島県 宮島)(https://4travel.jp/travelogue/10495907)をいい、宗像大社は入れていない。
市寸島比賣命を中津宮に、多紀理比賣命を奥津宮にそれぞれ祀っている。ここ江島神社辺津宮には田寸津比賣命を祀っている。弁財天仲見世通りの人出の多さを物語るように参拝順に長い列が出来ている。平日なのに行列とはと思ったが、殆んどが外国人だ。浅草寺雷門でなくてもガイドブックで知られた観光地には大挙して外国人旅行客が押し寄せるようだ。
(表紙写真は江島神社辺津宮拝殿)
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「江の島名勝図」。
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青銅鳥居が建つ江島神社参道(弁財天仲見世通り)入口。
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青銅鳥居。
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青銅鳥居。
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青銅鳥居に掛かる「江嶋大明神」の扁額。
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「江嶋大明神」の扁額。額には龍がデザインされている。「江島大明神」の文字は後宇多天皇勅額から写している。
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江島神社参道(弁財天仲見世通り)にある「避難場所」。
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「旧岩本院(岩本楼)」。
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「旧岩本院(岩本楼)」。
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「黄金水汲取記念碑」(昭和6年(1931年)銘)。
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「江島神社」社号標石(大正10年(1921年)銘)。
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石段の踊り場に朱塗りの鳥居。
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「定」。
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狛犬。長堀検校奉納石狗一対。慶応元年(1865年)に奉納。長堀検校(文化5年(1808年)~明治24年(1891年))は、越後・新発田出身で杉山検校(鍼灸師)の弟子筋。検校は盲人の役職の最高位。長堀検校は江戸から新発田まで籠で帰省した。
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狛犬。
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「明治祭」とおみくじ結び。
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朱塗りの鳥居。
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瑞心門。竜宮門だ。
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瑞心門。
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左横に道路とその上に架かる赤い橋。この道は江の島の西側の端を通る道路で、崖からは富士山が良く見えるヶ所は何ヶ所かある。また、この道路は「山二ツ」と呼ばれる「木食上人行場窟」手前の羊羹屋の横に出て江島神社奥津宮参道と交わっている。江島神社奥津宮参拝者に帰り道として利用されている。参道沿いの茶屋に荷物を運ぶための車が通行できる道路である。
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エスカレータ乗り場。
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「御祭神は、三人姉妹の女神様」に「江島神社全景絵図」。
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法面(のりめん)に石碑。
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法面の石碑。
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絵馬看板。
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瑞心門。
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瑞心門に掛かる「瑞心門」の扁額。
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唐獅子絵。
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唐獅子絵。
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「瑞心門唐獅子」。
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「江島神社 三宮の御案内」。
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「百度供養塚」。
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弁財天像と天童子像。江嶋神社鎮座1450年を記念して奉献された。
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龍。
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弁財天像と童子像。
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「弁財天 天童子像建立之記」(平成14年(2002年)銘)。
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瑞心門。
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「ゑのし間道」(江の島弁財天道標)、「福石」(福石銘庚申供養塔)、「杉山検校之碑(明治3年(1870年)銘)」。朱の鳥居の手前右側にある通路の先に杉山検校(和一)(慶長15年(1610年)~元禄7年(1694年))の墓があるという。杉山検校は元禄5年(1692年)には、下之宮(現 辺津宮)境内に護摩堂を建て、翌年には三重塔を建立し寄進している。杉山検校といい長堀検校といい検校位は金があったようだ。
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「福石」。杉山検校(和一)の履歴が書かれている。
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江島神社の10月社頌暦。
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手水舎(てみずや)。手水口は龍だ。
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江島神社辺津宮境内の茅の輪。
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江島神社辺津宮拝殿。平日だというのにこの参拝の列は異常だろう。
江島神社が、「辺津宮」に 田寸津比賣命、を祀る「中津宮」に市寸島比賣命、「奥津宮」に多紀理比賣命と、宗像三女神を祀る三社からなる神社になったのは明治になってからである。
それ以前には、「江島縁起」によると、欽明天皇13年(552年)四月十二日の夜から二十三日の朝まで大地が震動し、天女が十五童子を従えて現れ、江の島を造ったとある。そして、鎌倉の深沢にあった湖に住んでいた五頭龍がその天女に恋をして心を入れ替えたという恋物語がある。それで、江の島にはこの天女が祀られ、対岸には五頭龍が祀られ、江島神社と龍口明神社(鎌倉市腰越・津)とは姉妹神社になっている。この時は洞窟岩屋(第一岩屋)に祀られ、その後、文武天皇4年(700年)に、修験者・役小角(えんのおづぬ)が、江の島の洞窟に参籠して神感を受け、修験の霊場を開いた。これに続き、泰澄、道智、弘法、安然、日蓮などの名僧が、この洞窟で修行したと伝えられている。
そして、弘仁5年(814年)に空海が岩屋本宮を創建した。これにより江ノ島は金亀山与願寺(よがんじ)となった。
仁寿3年(853年)に慈覚大師が上之宮(中津宮)を創建した。
時を経て、養和2年(1182年)に源頼朝の命で文覚上人が岩屋に弁才天を勧請した。源頼朝が奉納した八臂弁財天が祀られ、また鳥居を奉納したことが伝わっている。これ以降は戦の神である八臂弁財天を祀り、元寇で蒙古軍を撃ち退けた御礼として後宇多天皇からは江島大明神の勅額を賜っている。こうしたことから「戦いの神」としての弁財天信仰が広がり、東国武士たちが多く江の島を訪れるようになった。
岩屋本宮に海水が入りこんでしまう旧暦四月~十月までの期間、岩屋本宮のご本尊が遷座されたところが江戸時代までは本宮御旅所(ほんぐうおたびしょ)と言われていた。創建年代は不詳であるが、風土記などの資料から1600年代に奥津宮が創建されたと考えられている。その後大正時代の関東大震災(大正12年(1923年))で島が1mほど隆起し、現在は海水が入り込まなくなっている。
建永元年(1206年)には慈覚上人良真が下之宮(辺津宮)を創建した。
岩屋本宮には岩本坊、上之宮には上ノ坊、下之宮には下ノ坊の3つの別当があったが、その中で岩本坊は総別当とされ、江島寺とも称した。
慶安2年(1649年)に京都・仁和寺の末寺となった。それにより、岩本坊のみ院号の使用が認められて「岩本院」と称するようになった。江島大神としてのご神威はいささか曇り給うことなく、ご神徳はいよいよ広大に仰がれた。
明治初年の神仏分離によって、仏式を全廃して純神道に復し、改めて「江島神社」と号し、これまでの本宮と御旅所は奥津宮、上之宮は中津宮、下之宮は辺津宮と改称し、海の神、水の神、幸福・財宝を招き、芸道上達の功徳を持つ神として仰がれている。 -
「祈祷受付所」(社務所)。
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江島神社辺津宮拝殿。「邊津宮」の扁額が掛かる。
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授札所。
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