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ご覧いただきありがとうございます。<br /><br />前回、前々回の旅行記では、東京から東北本線を北上して仙台へ。牛タン弁当を食べ、東北本線の利府支線の完乗の様子をご紹介しました。<br /><br />今回は、仙石東北ラインで石巻方面を目指します。<br /><br />そして、今回の旅の1番の目的である「あの日の東北」を知る事が出来ました。<br /><br />※今回の旅行記では、東日本大震災の写真等を掲載いたします。ご気分のすぐれない方は、ブラウザバックされても構いません。<br /><br />これまでの旅行記<br />① (東京~仙台) https://4travel.jp/travelogue/11407641<br />② (仙台~利府) https://4travel.jp/travelogue/11410072<br /><br />{スケジュール}<br />保谷→池袋 (西武池袋線)<br />池袋→赤羽 (埼京線)<br />赤羽→仙台 (東北本線)<br />仙台→岩切 (東北本線・仙石東北ライン)<br />岩切ー利府 (東北本線利府支線)<br />岩切→野蒜 (仙石東北ライン)<br />野蒜→石巻 (仙石東北ライン)<br />石巻→小牛田 (石巻線)<br />小牛田→古川 (陸羽東線)<br />古川→東京 (東北新幹線)<br />

行くぜ、東北! 「週末パス」で行く東北旅③ 『あの日の東北』を知る(利府~岩切~野蒜)

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2018/03/25 - 2018/03/25

377位(同エリア1256件中)

旅行記グループ 2018春 週末パス旅

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31

Tokyo 634

Tokyo 634さん

ご覧いただきありがとうございます。

前回、前々回の旅行記では、東京から東北本線を北上して仙台へ。牛タン弁当を食べ、東北本線の利府支線の完乗の様子をご紹介しました。

今回は、仙石東北ラインで石巻方面を目指します。

そして、今回の旅の1番の目的である「あの日の東北」を知る事が出来ました。

※今回の旅行記では、東日本大震災の写真等を掲載いたします。ご気分のすぐれない方は、ブラウザバックされても構いません。

これまでの旅行記
① (東京~仙台) https://4travel.jp/travelogue/11407641
② (仙台~利府) https://4travel.jp/travelogue/11410072

{スケジュール}
保谷→池袋 (西武池袋線)
池袋→赤羽 (埼京線)
赤羽→仙台 (東北本線)
仙台→岩切 (東北本線・仙石東北ライン)
岩切ー利府 (東北本線利府支線)
岩切→野蒜 (仙石東北ライン)
野蒜→石巻 (仙石東北ライン)
石巻→小牛田 (石巻線)
小牛田→古川 (陸羽東線)
古川→東京 (東北新幹線)

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • まずはじめに・・・<br /><br />今回の旅行記のタイトルでもある、「行くぜ、東北。」は、JR東日本が、東北を盛り上げる為に始まったキャンペーンです。<br /><br />あなたも、東北を訪れてみませんか...?<br />(行くぜ、東北。hp→http://www.jreast.co.jp/ikuze/)

    まずはじめに・・・

    今回の旅行記のタイトルでもある、「行くぜ、東北。」は、JR東日本が、東北を盛り上げる為に始まったキャンペーンです。

    あなたも、東北を訪れてみませんか...?
    (行くぜ、東北。hp→http://www.jreast.co.jp/ikuze/)

  • 東北本線と利府支線の乗り入れる岩切駅。<br /><br />ここからは、東北本線・連絡線・仙石線を通って、仙台から石巻へと至る仙石東北ラインに乗車し、野蒜(のびる)に向かいます。

    東北本線と利府支線の乗り入れる岩切駅。

    ここからは、東北本線・連絡線・仙石線を通って、仙台から石巻へと至る仙石東北ラインに乗車し、野蒜(のびる)に向かいます。

    岩切駅

  • 乗車するのは、HB-E210系。電車でもあり、気動車でもあるハイブリッド車です。<br />(写真は、仙台駅にて撮影)

    乗車するのは、HB-E210系。電車でもあり、気動車でもあるハイブリッド車です。
    (写真は、仙台駅にて撮影)

  • 岩切駅から20分ほどで、目的地、野蒜駅に到着しました。<br /><br />仙石線に入り、野蒜までの間にも、海が見え、真新しい防波堤が作られている事から、津波によって被害を受けたのがはっきりとわかりました。

    岩切駅から20分ほどで、目的地、野蒜駅に到着しました。

    仙石線に入り、野蒜までの間にも、海が見え、真新しい防波堤が作られている事から、津波によって被害を受けたのがはっきりとわかりました。

    野蒜駅

  • 野蒜駅駅舎です。<br /><br />駅舎は、真新しく、3.11の津波によって、旧野蒜駅が大変な被害を受け、野蒜駅は内陸部に移設されました。<br /><br /><br /><br /><br />

    野蒜駅駅舎です。

    駅舎は、真新しく、3.11の津波によって、旧野蒜駅が大変な被害を受け、野蒜駅は内陸部に移設されました。




  • 野蒜駅、東名駅付近は、仙石線の中でも特に津波による甚大な被害を受けました。<br /><br />住宅地は、内陸部に移設され、鉄路もそれに伴い、内陸部に移設されています。<br /><br />

    野蒜駅、東名駅付近は、仙石線の中でも特に津波による甚大な被害を受けました。

    住宅地は、内陸部に移設され、鉄路もそれに伴い、内陸部に移設されています。

  • 駅前には、区画整理がされ、新築の家が立ち並んでいます。<br /><br />ここだけを見ると、震災の跡は全くわかりません。

    駅前には、区画整理がされ、新築の家が立ち並んでいます。

    ここだけを見ると、震災の跡は全くわかりません。

  • 野蒜駅周辺の震災後に作られた住宅地、「野蒜ヶ丘」のマップがありました。

    野蒜駅周辺の震災後に作られた住宅地、「野蒜ヶ丘」のマップがありました。

  • 野蒜駅連絡通路を通って、旧野蒜駅方面(津波被害を受けた地区)に向かいます。<br /><br />連絡通路はとても綺麗ですが、3.11当時の状況を知る事ができる看板が...<br /><br />

    野蒜駅連絡通路を通って、旧野蒜駅方面(津波被害を受けた地区)に向かいます。

    連絡通路はとても綺麗ですが、3.11当時の状況を知る事ができる看板が...

  • 連絡通路内部の様子です。<br /><br />人が通るとライトアップされるようになっています。<br /><br />連絡通路を抜けると.....

    連絡通路内部の様子です。

    人が通るとライトアップされるようになっています。

    連絡通路を抜けると.....

  • 先程までの景色と打って変わって、元は住宅があったであろう空き地が目立ちます。<br /><br />全て、津波で流されてしまったのでしょうか.....<br /><br />この時、私は、あの日、3.11を思い返しました。<br />

    先程までの景色と打って変わって、元は住宅があったであろう空き地が目立ちます。

    全て、津波で流されてしまったのでしょうか.....

    この時、私は、あの日、3.11を思い返しました。

  • 遠くには、海が見えます。<br /><br />あの日は豹変して、人々や建物を襲う波となりました。<br /><br />今では、穏やかな海で、人々や建物を襲うなんて想像できません。<br /><br />

    遠くには、海が見えます。

    あの日は豹変して、人々や建物を襲う波となりました。

    今では、穏やかな海で、人々や建物を襲うなんて想像できません。

  • コンクリートだけが無惨にも残る土地です。<br /><br />

    コンクリートだけが無惨にも残る土地です。

  • 野蒜駅から丘を下り、見えてきたのは、旧野蒜駅です。<br /><br />震災前は、ここに仙石線が走っていました。

    野蒜駅から丘を下り、見えてきたのは、旧野蒜駅です。

    震災前は、ここに仙石線が走っていました。

  • 旧野蒜駅駅舎です。<br /><br />旧野蒜駅は、コンビニと東松島市震災復興伝承館が入っています。<br /><br />今回は、この「伝承館」を訪れたく、野蒜を訪問しました。

    旧野蒜駅駅舎です。

    旧野蒜駅は、コンビニと東松島市震災復興伝承館が入っています。

    今回は、この「伝承館」を訪れたく、野蒜を訪問しました。

  • 旧野蒜駅駅舎には、津波の高さを示す看板が....<br /><br />人の背の高さを優に超える津波がこの街を襲ったのです。、

    旧野蒜駅駅舎には、津波の高さを示す看板が....

    人の背の高さを優に超える津波がこの街を襲ったのです。、

  • 伝承館の入り口です。<br /><br />伝承館の展示は、旧野蒜駅の2階にあります。

    伝承館の入り口です。

    伝承館の展示は、旧野蒜駅の2階にあります。

  • 時計の針は、あの時のままです。<br /><br />改めて、東日本大震災とはどの様な災害だったのかをご説明します。<br /><br />2011年3月11日、午後2時46分、宮城県男鹿半島東南東約130kmの沖合で、マグニチュード9.0、震度7の揺れを観測する地震が発生。マグニチュード9.0というのは、日本付近では過去最大の大きさの地震です。<br /><br />震源が沖合であったため、津波が発生。地震から数十分後には、東日本の太平洋沿岸に数mから数十mの高さにも及ぶ大津波が到達。人々や建物を巻き込んだ。<br /><br />津波により、東京電力福島第1原発で、原子炉が冷却できなくなり、水素爆発が発生したことにより、大量の放射性物質が放出された。<br /><br />また、多くの地域で停電、断水、交通網の混乱が発生し、都心部でも帰宅困難となる人々が沢山いたのも記憶に残っていると思います。<br /><br />死者は約15000人、行方不明の方は約2500人という、未曾有の大災害であった。<br /><br />私は震災当時、小学生でした。学校の授業中に、大きな揺れが襲い、机の下に潜ったのを今でもはっきりと覚えています。 震源から遠く離れた静岡の東部に住んでいましたが、揺れが長く続いていたので、怖かった記憶があります。<br />震災がきっかけで、私は医療の道、特に災害医療に携わりたいと思うようになりました。<br /><br />改めて、亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。<br /><br />仙石線の被害状況についても後ほど説明します。<br /><br /><br />

    時計の針は、あの時のままです。

    改めて、東日本大震災とはどの様な災害だったのかをご説明します。

    2011年3月11日、午後2時46分、宮城県男鹿半島東南東約130kmの沖合で、マグニチュード9.0、震度7の揺れを観測する地震が発生。マグニチュード9.0というのは、日本付近では過去最大の大きさの地震です。

    震源が沖合であったため、津波が発生。地震から数十分後には、東日本の太平洋沿岸に数mから数十mの高さにも及ぶ大津波が到達。人々や建物を巻き込んだ。

    津波により、東京電力福島第1原発で、原子炉が冷却できなくなり、水素爆発が発生したことにより、大量の放射性物質が放出された。

    また、多くの地域で停電、断水、交通網の混乱が発生し、都心部でも帰宅困難となる人々が沢山いたのも記憶に残っていると思います。

    死者は約15000人、行方不明の方は約2500人という、未曾有の大災害であった。

    私は震災当時、小学生でした。学校の授業中に、大きな揺れが襲い、机の下に潜ったのを今でもはっきりと覚えています。 震源から遠く離れた静岡の東部に住んでいましたが、揺れが長く続いていたので、怖かった記憶があります。
    震災がきっかけで、私は医療の道、特に災害医療に携わりたいと思うようになりました。

    改めて、亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。

    仙石線の被害状況についても後ほど説明します。


  • 震災当時の様子がわかるパネルが展示されています。<br /><br />伝承館のあるここ、東松島市だけでも1000人ほどの方が亡くなられたそうです。

    震災当時の様子がわかるパネルが展示されています。

    伝承館のあるここ、東松島市だけでも1000人ほどの方が亡くなられたそうです。

  • 野蒜駅の震災直後の様子の写真も....

    野蒜駅の震災直後の様子の写真も....

  • 津波の力によって破壊された、当時の券売機の実物が保管されていました。<br /><br />改めて、津波の威力を感じさせられます。<br /><br />

    津波の力によって破壊された、当時の券売機の実物が保管されていました。

    改めて、津波の威力を感じさせられます。

  • そして、鉄道ファンである私が1番衝撃を受けた写真がこれです。<br /><br />仙石線の車両(205系)が、瓦礫の中で大きくへし折れている写真です。<br /><br />しかし、この列車に乗っている人は誰1人として津波に飲み込まれませんでした。<br /><br />全員が避難場所である小学校に避難をし、難を免れたのです。<br /><br />この、仙石線の奇跡は、多くのドキュメンタリー番組等で報じられています。<br /><br />&lt;仙石線の被害状況&gt;<br />地震発生により、野蒜 - 東名間で上りあおば通行普通電車(1426S電車、M9編成)が停止、乗客約50人が指定避難場所だった東松島市立野蒜小学校に避難した後、車両は津波に押し流されて脱線、4両編成の前2両は山側に横滑りし、後ろ2両は山側に90度向きを変えて大破した。また、石巻駅では到着後のM7編成が冠水して被災した。野蒜 - 陸前小野間では石巻行き快速電車(3353S電車、M16編成)編成が松島丘陵東端の切り通し区間頂上部付近で停止、乗客約100人は指定避難場所の野蒜小への移動を開始したが、元消防団員の乗客の1人が津波を予見して運転士に進言し、乗客全員が車両に待機していたところ、襲ってきた津波は同車両を含む同地には到らず全員が無事だった。(出展:Wikipedia)<br /><br />津波によって大きな被害を受けた仙石線ですが、2015年の5月末に無事に復旧しました。鉄道ファンとして、被災していた路線が繋がることはとても嬉しい事です。<br /><br /><br />

    そして、鉄道ファンである私が1番衝撃を受けた写真がこれです。

    仙石線の車両(205系)が、瓦礫の中で大きくへし折れている写真です。

    しかし、この列車に乗っている人は誰1人として津波に飲み込まれませんでした。

    全員が避難場所である小学校に避難をし、難を免れたのです。

    この、仙石線の奇跡は、多くのドキュメンタリー番組等で報じられています。

    <仙石線の被害状況>
    地震発生により、野蒜 - 東名間で上りあおば通行普通電車(1426S電車、M9編成)が停止、乗客約50人が指定避難場所だった東松島市立野蒜小学校に避難した後、車両は津波に押し流されて脱線、4両編成の前2両は山側に横滑りし、後ろ2両は山側に90度向きを変えて大破した。また、石巻駅では到着後のM7編成が冠水して被災した。野蒜 - 陸前小野間では石巻行き快速電車(3353S電車、M16編成)編成が松島丘陵東端の切り通し区間頂上部付近で停止、乗客約100人は指定避難場所の野蒜小への移動を開始したが、元消防団員の乗客の1人が津波を予見して運転士に進言し、乗客全員が車両に待機していたところ、襲ってきた津波は同車両を含む同地には到らず全員が無事だった。(出展:Wikipedia)

    津波によって大きな被害を受けた仙石線ですが、2015年の5月末に無事に復旧しました。鉄道ファンとして、被災していた路線が繋がることはとても嬉しい事です。


  • 当時の津波の高さを示すラインが駅舎内にも・・・

    当時の津波の高さを示すラインが駅舎内にも・・・

  • 新野蒜駅付近にできた野蒜ヶ丘団地の概要についての紹介もありました。

    新野蒜駅付近にできた野蒜ヶ丘団地の概要についての紹介もありました。

  • 復興が着々と進んでいるのも、展示でよくわかりました。<br /><br />過去にとらわれずに、前を向いて歩くという、東北の人々の思いが感じられるような気もします。<br /><br />また、伝承館のスタッフの方とも少しお話しさせていただきました。震災の貴重なお話しを生で聞くことができ、とても心に残りました。<br />

    復興が着々と進んでいるのも、展示でよくわかりました。

    過去にとらわれずに、前を向いて歩くという、東北の人々の思いが感じられるような気もします。

    また、伝承館のスタッフの方とも少しお話しさせていただきました。震災の貴重なお話しを生で聞くことができ、とても心に残りました。

  • 最後に、旧野蒜駅のホームを見てから帰ります。<br /><br />今にも電車が来そうな駅ですが、もうここにはやって来ません....

    最後に、旧野蒜駅のホームを見てから帰ります。

    今にも電車が来そうな駅ですが、もうここにはやって来ません....

  • 駅名標や、屋根の支柱はへし折れています。<br /><br />線路は、津波の力で変形していました。<br /><br />時間が止まっているようにも感じます。

    駅名標や、屋根の支柱はへし折れています。

    線路は、津波の力で変形していました。

    時間が止まっているようにも感じます。

  • 旧野蒜駅の近くには、震災の碑が建てられていました。<br /><br />そこには、「鎮魂・復興・感謝 東松島一心」と書かれていました。

    旧野蒜駅の近くには、震災の碑が建てられていました。

    そこには、「鎮魂・復興・感謝 東松島一心」と書かれていました。

  • 復旧復興が進むところがある一方で、まだまだ復興されていないところも実際に目で見てありました。<br /><br />完全な復興への道のりは遠いと思いますが、一歩一歩進んで欲しいと思っています。<br />(偉そうですみません.....)

    復旧復興が進むところがある一方で、まだまだ復興されていないところも実際に目で見てありました。

    完全な復興への道のりは遠いと思いますが、一歩一歩進んで欲しいと思っています。
    (偉そうですみません.....)

  • 野蒜駅に戻って来ました。<br /><br />新野蒜駅ホームからは海が見えます。<br /><br />

    野蒜駅に戻って来ました。

    新野蒜駅ホームからは海が見えます。

    野蒜駅

  • 3.11を忘れない、そう心に刻み込んで、帰路に着くことにします。<br /><br /><br /><br /><br />少し、悲しい話になってしまったかもしれませんが、復興は着々と進んでいるので、一歩一歩前へと進んでいるというのを実感した旅だったと思います。<br /><br />野蒜からは、石巻、古川経由で帰ります。<br /><br />次回→https://4travel.jp/travelogue/11411014<br /><br />最後までご覧いただきありがとうございました。

    3.11を忘れない、そう心に刻み込んで、帰路に着くことにします。




    少し、悲しい話になってしまったかもしれませんが、復興は着々と進んでいるので、一歩一歩前へと進んでいるというのを実感した旅だったと思います。

    野蒜からは、石巻、古川経由で帰ります。

    次回→https://4travel.jp/travelogue/11411014

    最後までご覧いただきありがとうございました。

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