2018/06/03 - 2018/07/03
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スタリモストさん
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ブルガリアのソフィアへの移動のために、モクラ・ゴラ から「ウジツェ」を経由して「ニシュ」に至った。この旅の出発前には、コソヴォ、マケドニアと旧ユーゴの国を経由して、ギリシャに戻る計画だったが、旅の残された期間をソフィアに留まって、ゆっくりすることに変更した。二つの街は、まったく滞在を予定していなかっただけに、かえって新鮮な発見もあって旅に彩りを添えてくれた。
6/3出発→6/4アテネ→6/5.6メテオラ→6/7.8アルバニア/ジロカストラ(+ブルーアイ)→6/9.10ベラト→6/11クルヤ→6/12シュコダル→6/13バルボナ→6/14セス→6/15シュコダル→6/16.17モンテネグロ/コトル→6/18ボスニア・ヘルツェゴビナ/モスタル→6/19.20サラエボ→6/21ヴィシェグラード→6/22.23セルビア/モクラ・ゴラ→★6/24ニシュ→6/25.26.27.28.29.30ブルガリア/ソフィア(+リラの僧院+コプリフシティツァ+3夜ソフィア国立オペラ座『プッチーニ・オペラ「トゥーランドット」』『モダンバレエ「その男ゾルバ」』『古典バレエ「ジゼル」』)→7/1アテネ→7/3帰国
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■22日目(6/24日)
モクラ・ゴラのバス停に、ベオグラード行きのバスが10時45分にやってきた。
ニシェに向かうので、ウジツェ(500RSD)で下車し、バスを乗り換えることになる。
※途中レストランで大休止のバス。時刻は11時頃だったけれど(運転手のための)ランチタイムとなった。・・乗客にとってはちょっとなあ・・。 -
ウジツェには12時過ぎに到着した。ニシュ行きの次発は15時だ。
それまで街に出ることにしたが、背負っているバッグを預けたかった。バスターミナルの中程にあったキオスクの女性に、クロークの場所を尋ねたら、店の隅を指さして「ここに置いておいたらいいよ。」と言ってくれた。お金も受け取らない。旅先でのこうした親切はとても嬉しい。
※ウジツェバスターミナル -
デェティナ川沿いに築かれた街ウジチェは、ベオグラード、サラヴォ、モンテネグロの首都ボドゴリツァの中間地点に位置し、古くからの交通の要衝だ。
崖の上に立つ中世の要塞「スターリ・グラード」は、この街の歴史を物語る貴重な遺構。 -
「ウジツェ市役所庁舎」
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「ホテル・ズラティボル」
視界に飛び込んで来た時には、他を圧する異様な大きさと形にたまげた。お泊まりになった方の感想に接すると、かなり経年劣化が進行中のようだ。
パルチザン広場近くのハンバーガー屋でランチ。ネットにつないで、ニシュの宿を予約しておいた。 -
「ヨカノヴィッチの家」
1868年に建てられたオリエンタル・バルカン様式の民家。休館日のため中には入れず。 -
「聖ジョルジェ教会」
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「Uzicka gimnazija」
1939年より活動を始めた西セルビアで最も古い教育機関の1つ。 体育学校なのか、あるいは高校なのか判然としない。 -
バスケットコート横の建物の壁画・・なかなか見応えあって立ち止まって鑑賞タイム。
原始の世界を描いているのかな?。インドのプリミティブアートを模したようにも見える。全体を見れば、右方向に泳ぐ大きな魚も・・・。
とても楽しい絵だ。 -
バスターミナルに戻った。
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荷物を預けたキオスクでティータイム。折り紙を持ってきていたので、千羽鶴を折ってお礼に渡した。
※写真・・プラットホーム側から -
ニシュ行きのバス(1540RSD)が入ってきた。そして定刻の15時に出発。ニシュまではおよそ220kmだ。
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Wi-Fiのシールを前方に見つけたので、ダメ元で操作したら、つながった。
この旅では初体験。そういえばトルコの旅ではバスの多くがWi-Fiを完備していたなあ。 -
窓外に流れるセルビアの田舎の景色。
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だんだん黄昏れていく。
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ニシュのバスターミナルには、20時20分着に着いた。5時間20分かかった。
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さっそく窓口に並び、明日のソフィア行きのバスチケット(3700RSD)を買い求めた。国際バスになるのでパスポートを見せる必要がある。
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宿は「Autonio Suite」(1690RSD)・・翌朝撮す。
アパートメントの一室で、この旅では一番安い1750円。やはりそれだけのことはあって、あちこち気になったが、キッチン付きだったので、コーヒーが飲めたのは幸いだった。 -
バーガー屋で夕飯。21時を回っていたけれど、人気店のようでお客は途切れなかった。
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チキングリルバーガーとビールを注文(280RSD)。うん、なかなか美味しかった。
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食後、街を少し散歩して宿に戻った。
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■23日目(6/25月)
今日はソフィアに移動するのだけど、出発は15時して、半日以上ニシェにとどまることにした。
宿を管理する女性にチェックアウトの時間を聞くと、「何時でも・・」ということだったので、出発の時間ギリギリまで、ゆったり過ごすことができた。
Wi-Fiでネットにつながっている間に、ソフィアでの宿の予約。
そしてついでに、ソフィアからアテネ間の航空券もとった。LCCの「WIZZ航空」を利用することにしたが、荷物を預ける私は60.74Euroで、預けない妻は24.29Euro。合計11054円だった。1人5000円程度だから、これはリーズナブル。 -
ランチを部屋で済ませて、ニシュの街を歩いた。
ニシュはセルビア南部の中核都市で人口20万人、ベオグラード、ノヴィ・サドに次ぐ第三の都市だ。
ローマ時代より、オリエントとヨーロッパを結ぶ玄関口として栄えた。コンスタンティヌス大帝をはじめ、コンスタンティウス3世(370~421)、ユスティヌス1世(450~527)と3人のローマ 皇帝の生誕地でもある。
メインストレートには市民が行き交い、とても賑やか。 -
ビールが安い・・2リットル入り190RSD!!(200円)
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「ATM」
モクラ・ゴラで、「バンコマット」といえば、一発でわかってもらえたんだ!!!。 -
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広場に立つ「解放者のモニュメント」
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ニシャヴァ川を渡る。
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「スタンボル門」より城塞に入る。
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城塞の中は公園になっていて、市民憩いの場だった。
築城はローマ時代からなされ、今の形になったのはオスマン朝の18世紀。 -
16世紀建造の モスク「バリ・ベコヴァ・ジャミーヤ」
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古い墓石や石棺が並ぶ。BC1世紀頃のものという情報も・・。
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城塞公園を北に抜けた。ここも建物には落書きが多い。
そしてその先に・・ -
1941年に建てられたナチスの強制収容所跡がある。
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旧ユーゴ圏で最初に建設された強制収容所で、ドイツやポーランドなどの主要な施設に、囚人やユダヤ人を移送するための通過収容所だ。
1942年には100人以上の囚人が脱走を図ったので、ゲシュタポは見張り塔などを増築し、さらに厳重な警備を行ったという。 -
収容された人たちは、行く末に、アウシュビッツなどの地獄が待ち受けていようとは、想像だにしなかっただろう。
※収容所前の記念碑 -
あいにく月曜日休館だったので、中に入ることはかなわなかったが、塀に穿たれた銃口から、少し中の様子が見て取れた。
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ソフィアへのバスの発車時間が近づいてきた。そろそろ宿に戻ってパッキングしてバスターミナルに向かうことにしよう。
セルビアには3日程の短い滞在だったけれど、たくさんの笑顔と親切に接して、気持ちよかった。G.H ANAの元気いっぱいのオーナー夫人、ATMの場所を教えてくれた青年、スーパーの女性の爽やかな応対、一緒に酒を飲まないかと誘ってくれた村の男たち、ただで荷物を預かってくれたウジツェのキオスクの女性・・そうした人たちが心に残る。
原っぱに咲き乱れるワイルドフラワー。
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