2018/09/17 - 2018/09/17
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ドクターキムルさん
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横浜市西区元久保町にある久保山墓地には原三渓(本名原富太郎)さんのお墓がある。お茶屋の桜屋が原家の墓地を管理している。
原富太郎(慶応4年8月23日(1868年10月8日)~昭和14年(1939年)8月16日)は明治・大正・昭和の前半期にかけて生糸貿易で財を成した実業家で、古美術と近代日本美術のコレクター、新進画家のパトロン、さらに自らも絵筆をとる文人であり茶人、横浜だけでなく日本を代表する文化人として大きな存在感を示した。三溪の号は自邸がある本牧三之谷の地名からとった。三溪園を造園したが、横浜育ちなら、遠足で必ず行く場所だ。三溪園は明治時代に造られたテーマパークでもあり、大正6年(1917年)には臨春閣の移築が完了している。100年余り前までに集められた古建築や名建築が楽しめる。しかし、横浜では地下鉄などが伸び、交通の便は良くなっているのであるが、三溪園のある本牧地区は相変わらずのバス便である。それでいて海岸線は埋立られとっくの昔にコンビナートがある工業地帯に変貌してしまっている。
お墓は生前の社会的地位や財力が反映されるものであるから、原三渓さんのお墓は横浜で一番大きなお墓であっても驚かないのだが、確かに立派ではあるが、ここ久保山墓地ではこれよりは大きなお墓がいくらでも建っているから本当に驚きである。
(表紙写真は原三渓さんのお墓)
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この旅行記へのコメント (2)
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- ジバゴさん 2018/09/19 15:30:13
- 原三溪ファン
- 何年か前にバスで行きました。バス通りからすぐでしたね。
今年4月に先代の当主が亡くなったとニュースで知りました。偶然にも今年は三溪さんの生誕150年にあたります。
- ドクターキムルさん からの返信 2018/09/19 16:01:55
- RE: 原三溪ファン
- ジバゴさん
連絡ありがとうございます。
原三溪(原富太郎)氏は慶応4年8月23日(1868年10月8日)生まれですから、確かに今年が生誕150年ですね。また、その年の春に亡くなったのは先代の当主でしたか。からす茶屋の若旦那がそれを言っていたのですね。
私も40年余り前からここ久保山墓地は気に掛けていたのですが、本当に不精して、一昨日にようやく訪れた次第です。常清寺で原三溪さんのお墓のことを聞いたので参拝した訳です。鈴木茶屋から入った奥に常清寺の墓地があるとのことでした。
これまでは「武家の古都・鎌倉」の世界遺産の関係を確認するために鎌倉一辺倒だったのですが、ようやく近年になって横浜を歩いています。およそ平場の町の中しか行ったことがないのですが、丘の上などを歩くと、大都会の横浜とは違った面が見えてくるのが楽しみです。
ドクターキムルより
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