2018/08/11 - 2018/08/11
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picotabiさん
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ウニ食べたくて仙台に来た。
ウニは朝に食べてしまった。
んじゃ観光は? 旅の相棒がいれば田代島にでも行こうかと話していたけれど。
ひとりになってしまったし。やはりここは土地の歴史を知るべきか。
ということで伊達政宗の兜も、支倉常長の肖像画も拝める仙台市博物館へ。
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仙台朝市でのウニ目当ての記事はコチラ
https://4travel.jp/travelogue/11400157
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9:30に仙台駅に着き、朝市でウニを食べ、
ホテルに荷物を預け、バスにて美術館前というところで降りた。
トボトボと博物館を目指して歩くけど この日射しったら。
あーつーーいーー -
このあたり一帯は城跡だったらしく
かつて建っていたであろう城の石垣が上手のほうに見える。
ところどころには旗紋が掲げられてた。
政宗の代からこの紋を伊達家では使ってたのだそう。 -
仙台市博物館は仙台城の三の丸跡地に建てられてるので
入り口は堀跡になっていました。 -
さっきからバンバン車がこの中に入っていくのが見えたので
博物館の人気ぶりが伺えます。仙台市博物館 美術館・博物館
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お。企画展もやってるみたいだけど
疲れるのはわかってるので常設しか見ないつもり。
チケット売り場でも、並んでる方たちのほとんどは
常設展のみのチケットを買ってるようでした。 -
古代アンデス文明…
この企画展はまだ興味がわかない類いだわー。 -
では日本史の復習もかねて。(←授業中ほとんど寝てた人)
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東北の英雄といえばアテルイもいたね。
年表の上には世界史、
下には日本史。これを見ながら順路を行きます。 -
縄文時代とかの古代はすっとばして。
やはり仙台なので伊達家歴代当主。
政宗は17世。最初の仙台藩主。
それまでの伊達家の本拠地は山形の米沢市で
政宗は米沢城で生まれてます。 -
うおぉぉぉ!!! これこれ!
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政宗が使っていた黒い具足に
金の三日月前立て。
めっちゃカッコいい!!! -
伊達男という言葉があるけど
ほんと伊達政宗からきてるという言葉だそうで。 -
伊達政宗は、片目が見えなかったというのも
彼の魅力と思うのですよね。
独眼竜 ってニックネーム、すんごい好き。 -
片目は幼少期の天然痘で失ったそうだけど
本人は独眼であることを結構気にしていて
肖像画や像には両目を入れるように言っていたそう。 -
写真に映ってるのは、政宗が和歌や茶、
書などに長けていたことについて語る
ボランティアさん。
左上に政宗が作った漢詩が書かれてます。
馬上少年過ぐ
司馬遼太郎作の小説タイトルにもなってる言葉。
少年時代は馬に乗って戦ばかりだったとの意。
初陣は15歳。その翌年には本能寺の変。 -
片目が見えないことで母から疎まれ
次男を当主にと考えていた実母から
食事に毒を盛られていたこともあった政宗。
18歳で当主となるも、まだ毒盛りがあったことから
このような内部争いがもうないようにと
弟を呼びつけ、弟は覚悟して胸をひらいた
という場面はショッキングでした。 -
調度品の類いなど。
江戸時代に入ってから
徳川家から嫁いだ姫が使っていた耳盥。
黒に金。めっちゃ豪華。 -
これもまた豪華な籠で。
中に金箔が施された絵が描かれてる。
これ二人掛かりで担いでも重いと思うのだけど。
昔の人はすごいわ。 -
1600年代。このあたりから政宗は千代を仙台と改め
城下町の整備や大崎八幡宮、瑞鳳寺が造られ
江戸で迫害されてた切支丹は東北に逃れてたようです。 -
これなかなか興味深い。
昔の街道に建つ宿の宿泊代や
その土地の特色が書かれたガイドブック。 -
これは1800年代の仙台国分町の様子を描いた絵。
賑わってるのがわかるーー -
仙台城から塩竈までのルートが書かれたガイドブック。
達筆すぎて読めやしない笑
上に挿絵も描かれてる。 -
これは江戸幕府が全国の国毎に提出するように求めた絵図で、
仙台のものを模写したもの。
畳26帖分もあってめちゃめちゃ大きい。
お母さんと男の子は土地勘があるらしく
楽しそうでした。 -
ペリーさん浦賀に来航。
開港後は仙台にもアメリカ船が来てたのね。 -
明治を迎える前のバタバタしてた頃。
まさに今せごどんでやってるタイムリーな時代の話。
朝廷 上洛してね
幕府 江戸に来いやーー ってんで
どちらについたらいいか悩む仙台藩。 -
大政奉還後の戊辰戦争。
仙台藩は朝敵となった会津を救済するため
同盟を組んで新政府軍に対抗したけど敗北。
せごどんは徳川慶喜を追いつめたらそれで終わりにすればよかったのに。
幕府の長州いじめと同じことしてるじゃん。。。 -
さてここからは別部屋にて展示されていた
慶応遣欧使節団の関係資料。
政宗はスペイン領メキシコとの貿易の許可を得るため
スペイン、ローマに、支倉常長率いる使節団を送ります。 -
ここに来たときは、支倉常長をモデルにした
遠藤周作の小説が、読むたび田舎のくらーい情景や
ねっとりした親戚との関わりに鬱々とした気持ちになり
なかなか読み進まず・・まだ常長が海を渡る前までしか読んでおらず。
この地図を見たときにどのような航海路だったのかがわかって
驚きました。
ちなみに今となってはもちろん読了してます。
使節団が海に渡ってからは物語が面白くなっていきました。 -
サン・ファン・バウティスタ号。
当時仙台藩領内にいたスペイン人の水夫や幕府の船大工が作ったそう。
これに180人あまりが乗り込み1613年10月に月浦を出港、
3ヶ月後にメキシコ アカプルコに到着。
この船は石巻に復元されたのが停泊されてるのですが
震災のために中に入れなくなっていて、しかも
再来年に取り壊されてしまうんですよね。残念すぎです。。 -
実のところ使節団の派遣は、
キリスト教宣教師で日本語が堪能なソテロというスペイン人が、
政宗にローマに使節を送るように
熱心にすすめたのが大きな理由と言われてるそう。
小説でのソテロのモデルとなった人物は、
敬虔な宣教師として振る舞ってるつもりが、
回りには気持ちの烈しい策士としてバレバレでした。
写真は政宗がソテロの故郷セビリア市にあてた手紙の複製。
金箔がちりばめられた紙に
スペイン国王とローマ教皇に会うのに力添えがほしい
という内容が書かれてる。
しかし、アカプルコに使節団が到着した時点で、
徳川家康は全国に切支丹禁令を発令。
その情報は現地にも伝わっていました。
とはいえこの手紙を預かってる使節団は目的を果たすため
1614年6月にハバナを経由しスペインに到着。
月浦から出港して1年後の10月のことでした。
翌年1615年1月に常長はスペイン国王フェリペ3世に会い、
キリスト教の洗礼を受けます。 -
これは常長がキリスト教の信仰用に
使用していたかもしれないといわれる聖母像。
小説での洗礼式は物語の肝でもありました。
常長はほんとにキリスト教信者だったのかなぁ? 謎です。
さて使節団のメキシコとの貿易許可ですが、
策士ソテロと対立する教会側からは
日本ですでに切支丹が弾圧されていること、
政宗が一領主にすぎないことなどの指摘から降りず。
ますます暗雲立ちこめる使節団。
今度はローマ教皇に会いにいくためにローマへ。 -
イタリア語の遣欧使節記。
1615年にイタリアで出版されてるんですね。
著者は、一団にマドリードからローマまで
通訳として付き添ったイタリア人。
使節団はフランスにも立ち寄ったそうで、
鼻をかんで捨てた和紙は現地の人たちがこぞって拾ったそう。 -
なんと。ドイツ語にも訳されてます。しかも常長の銅版画まで。
出版は使節団がローマにいたころにすでにされていたそう。
日本において使節団のことは、藩にとってはなかったことにしたい話だけど
ヨーロッパではちょーー有名だったのかも。 -
そして1615年10月。支倉常長 ローマ教皇に会う!
もう、、このときの小説での場面。
スペインでの使節団の役目は絶望的、
ローマ教皇に望みを託した一行は
復活祭の朝に聖堂からでてきた法皇に
日本語ですがるように話しかけます。
「なにとぞ… なにとぞ」
(´;ω;`)ブワッ
朝の電車の中で、涙腺崩壊… 涙こらえるのが大変でした。
写真の肖像画はローマのボルケーゼ宮に所蔵されてるのを
昭和47年に模写したものだそう。
衣装は常長がローマ市の入市式のときに着用してたもの。
絹の質感のわかる、豪華なもの。 -
鍔に伊達家の紋が入ってますね。
小説では殿に会ったこともない一侍となってますが
実際の常長は、政宗と朝鮮半島に出兵した実績もあるし
政宗とソテロと常長で、打ち合わせしてるような絵も
この博物館には展示されていました。 -
これは政宗が常長に託した、
ローマ教皇宛の手紙 和文版の複製。
原本はバチカン図書館にあるそう。 -
もう1通はラテン語版の手紙。
こちらも原本はバチカン所蔵。 -
綺麗な文字です。
黒ずんでいるのは銀箔が酸化したもの。 -
伊達政宗のサイン。
メキシコと交易したい旨、
スペイン国王への仲介をお願いしている内容。
1615年11月にサン・ピエトロ宮で
教皇に謁見した際に手渡されました。 -
ローマ市が常長に宛てた、ローマ公民権の証書。
常長を貴族に加える内容が書かれてるそう。 -
これを見たら、どれだけ歓迎されてたかが伝わるのだけど。。
このあと一団は、再びスペインとの交易の交渉のために
マドリードに戻るけど、現地の方達は冷たく、
とどまることも許されず、結局よい返事は得られないまま帰国。 -
これは常長が日本に持ち帰った
ローマ教皇パウロ5世の肖像画。 -
こちらはローマ滞在中に描かれた常長の肖像画。
切支丹禁令が全国に発令されてる当時のことを思うと
これが残ってるのはすごいことだと思うのですよね。 -
キリスト像に敬虔にむきあってるこの常長の姿は
当時かなり問題になったのではと想像するのだけど、
常長が切支丹として罰を受けることはなかったそう。
それも仙台で切支丹の取り締まりが厳しくなったのは
常長が仙台に戻ってからのこと。 -
常長の死後に嫡男が切支丹の召使いを抱えたことで死罪になると
この絵は藩に没収されます。
結局メキシコの交易との引き換えに、
宣教師を呼ぶように使節団を送った政宗も
幕府に従わざるを得なくなったわけだけど、
よくぞこの絵を残してくれました。 -
メキシコからの帰国の途中で立ち寄ったマニラから
常長が長男に送った手紙の複製。
原本は東大所蔵。日本に残る唯一の常長の自筆状。
来年には必ず帰るといいながら、結局マニラには2年間滞在。
常長が仙台に戻ったときには、月浦から出港して7年経っていました。 -
手紙には殿への買い物で忙しいとも書かれています。
この剣はスリランカ特有のデザインなので
常長がフィリピンで買ったものでは だとか
スペイン王が同じものを持ってるので
フェリペ3世からもらったもの だとか言われてるらしい。 -
これら常長が持ち帰ったものは藩にすべて没収されて
表にでないように厳重に保管されたため、
慶長遣欧使節団の存在も忘れ去れてしまってたのですが
1873年に岩倉具視らがイタリアで常長の書状を発見し、
再び知られることになったというのだから
250年も闇に葬られていたことになります。 -
支倉家の系図では、常長は帰国の2年後に亡くなっているそう。
日本語ペラペラの宣教師ソテロはそのまた2年後に九州に密入国したのを捉えられて火あぶりの刑に処されました。
写真は腕をもぎ取られたイエス像。禁令の厳しさがわかりまする。 -
ふーー。タイムカプセルのようにされてしまった遣欧使節団の歴史
かなりな見応えでした。
このあとは東北といえばの土人形みて癒された。 -
14:30。結局3時間じっくりみたけど、
常設展はほとんど見ることができました。
濃密な3時間。やっぱり疲れたーー しばしベンチで休憩。 -
お客さん、まだまだ来ます。
館内は小学生も結構いて、伊達政宗の人気を感じました。 -
そのあとはホテルで一眠りして
新幹線で知り合ったマダムと夜ご飯。
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マダムと出会った話はコチラ
https://4travel.jp/travelogue/11400157 -
次の日は政宗が造らせた伊達な宮 大崎八幡宮に行きました。
羽生くんや楽天イーグルスの選手の絵馬が奉納されてます。
羽生くんにあやかってか外国の方も多く訪れていました。
このあと午後の新幹線にて実家へ帰り
父の墓参りへ行き 母が好きな温泉に連れて行きました。
帰省途中でどっかに寄る旅、なかなか良い!
海の幸を求めてまたしようかと思います。
帰省途中の仙台旅、これにて終了~( ˘ω˘ )大崎八幡宮 寺・神社・教会
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この旅行記へのコメント (3)
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- nichiさん 2018/09/30 09:30:32
- 慶応遣欧使節団の関係資料
- 興味深い!!!
遠藤周作の支倉常長がモデルとなった「侍」
私が大学生の時に発売になり購入したのですが、読み始めてすぐに挫折、読み直して挫折、を繰り返しました。理由はその暗さ。。
我慢して?読み続けていたのですが、だんだんと引き込まれていきました。
「侍」にとってのキリスト教を信仰することは、慶応遣欧使節団としての役目を果たすための手段にすぎなかったので、進んでキリスト教徒となったわけではなかったんですね。
帰国後に処刑されることになった「侍」が、キリスト向き合い悩み、信仰の意味を悟っていくところは感慨深いものがあります。
遠藤習作がずっと研究していた日本人のキリスト教の受容の問題をテーマとした作品です。
海を渡ってからは場面が変わり、読みやすくなりますよーー!
伊達政宗から慶長遣欧使節としてヨーロッパに行く命を受けた支倉常長。
メキシコからキューバ経由でヨーロッパに渡っていたんですね。
今年のゴールデンウィーク、キューバを訪れた際に常長の銅像を見てきました。
像の右手の扇子の先は目指していたローマです。
新幹線で知り合ったマダムと夜ご飯?
相方さんのキャンセルがきっかけになり、新しいお友達ができましたね。
- picotabiさん からの返信 2018/09/30 17:57:45
- RE: 慶応遣欧使節団の関係資料
- nichiさん こんにちは。ご覧頂きありがとうございます。(・∀・)
さすが歴史好きのnichiさん、「侍」読んでいましたか。
そしてやはり 最初が暗いですよねーー私だけじゃなくてちょっと嬉しい笑ほんと読み進まなくて、眠くなるしで困りました。
読了はしましたよ! おっしゃる通りで出港してからが面白かったです。
ローマ教皇に会う場面は涙がとまらなくて電車の中だったので困りました。。
実際の常長は咎めなしでしたが、「侍」が役目とはいえ洗礼を受けることを拒否する強い気持ちに、潜在的にもまじめに向き合うとしてるのが読み取れ、そんな精神の気高さが私には印象的でした。
不条理な結末でしたが、侍が拒否してきたキリストに結局救われることになったような最後の場面、洗礼も意味があったのだなぁとかいろいろ考えさせれる話でしたね。
> 今年のゴールデンウィーク、キューバを訪れた際に常長の銅像を見てきました。
> 像の右手の扇子の先は目指していたローマです。
像のことは知らなかったので驚きました。調べると仙台育英学園が寄贈したとか。台座は仙台城の石垣。。やはり日本よりも常長は海外のほうが有名なんじゃないでしょうか。私も年末はスペインでマドリードにも行く予定なので、常長の足跡を感じられる旅になるといいなぁと思っています。
- nichiさん からの返信 2018/09/30 20:35:47
- RE: RE: 慶応遣欧使節団の関係資料
- 「侍」読了されましたね。
良かったです。
出港するまではちょっと怠いですよねーーー
眠くなりますよねーーー
でもその先は、次が気になってドンドン進みますよね。
ローマ教皇に会う場面、涙されましたか。。。
遠藤周作の文章がうまいというか、感動ですよね???
キューバ旅行記の中の支倉常長の像を尋ねた時の私の旅行記です。
よろしければご覧ください。
https://4travel.jp/travelogue/11360820
仙台育英学園が寄贈した?
台座は仙台城の石垣?
知りませんでした。。。。。
教えて頂きありがとうございます。
スペイン?
楽しんでらしてくださいねーー
レコンキスタ?
ガウディー?
タブラオ?
サルバドール・ダリ?& パブロ・ピカソ?
picotabiさんの旅行記が楽しみです。
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旅行記グループ 2018夏 帰省途中で仙台
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