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今年の旅行はどこにしようかな?と妻と思案していたところ、一般新聞の記事に、『グスタフ・クリムトの没後100年記念イベント』がありオーストリア航空の直行便が数年ぶりに今年(2018年)の5月に復活したとのこと。5年前に初めてのヨーロッパ訪問(中欧4か国)をしましたのでオーストリアはないかな?って思っていましたが、お盆シーズンの繁忙期でもあり、ほとんどがキャンセル待ちであったところ、オーストリアの空きが出たので決めました。 オーストリア国オンリーでウイーン着で翌日に『ザルツブルグ』 → 『ザルツカンマーグート』 → 『グラーツ』 → 『ウイーン』 のコースとしました。<br />また、評判の良い 『オーストリア航空』ですので、奮発して 初めての【CLASS BUSINESS】で旅をしました。

クリムト没後100年記念でオーストリア訪問(ザルツブルグへ移動編)

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2018/08/09 - 2018/08/16

51位(同エリア55件中)

やまかつ

やまかつさん

今年の旅行はどこにしようかな?と妻と思案していたところ、一般新聞の記事に、『グスタフ・クリムトの没後100年記念イベント』がありオーストリア航空の直行便が数年ぶりに今年(2018年)の5月に復活したとのこと。5年前に初めてのヨーロッパ訪問(中欧4か国)をしましたのでオーストリアはないかな?って思っていましたが、お盆シーズンの繁忙期でもあり、ほとんどがキャンセル待ちであったところ、オーストリアの空きが出たので決めました。 オーストリア国オンリーでウイーン着で翌日に『ザルツブルグ』 → 『ザルツカンマーグート』 → 『グラーツ』 → 『ウイーン』 のコースとしました。
また、評判の良い 『オーストリア航空』ですので、奮発して 初めての【CLASS BUSINESS】で旅をしました。

旅行の満足度
4.0
観光
4.5
ホテル
3.0
グルメ
4.0
ショッピング
3.0
交通
3.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
50万円 - 100万円
交通手段
鉄道 観光バス
航空会社
オーストリア航空
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
JTB
  • さーって、美味しいパンでも頂きますか!<br />ついつい、食べ過ぎてしまい、ランチやディナーが空腹でないので、美味しく頂けない事がしょっちゅうでした。<br />今回はセーブします。

    さーって、美味しいパンでも頂きますか!
    ついつい、食べ過ぎてしまい、ランチやディナーが空腹でないので、美味しく頂けない事がしょっちゅうでした。
    今回はセーブします。

  • 我慢しましたよ!<br />パン、最高!!

    我慢しましたよ!
    パン、最高!!

  • 部屋に一旦戻ります。<br />非常に分かりやすい 所にあります。

    部屋に一旦戻ります。
    非常に分かりやすい 所にあります。

  • 実は、昨日、空港で合流するはずの一組がフランクフルトから朝到着するので、拾うために空港によりました。<br />出発を30分早めて…<br />関西空港からフランクフルト経由でウイーンに来るはずが、フランクフルトが悪天候の為メチャクチャ状態だったそうです。

    実は、昨日、空港で合流するはずの一組がフランクフルトから朝到着するので、拾うために空港によりました。
    出発を30分早めて…
    関西空港からフランクフルト経由でウイーンに来るはずが、フランクフルトが悪天候の為メチャクチャ状態だったそうです。

  • 無事に合流して、最初の観光地に到着しましたよ。<br />デュルンシュタイン散策です。

    無事に合流して、最初の観光地に到着しましたよ。
    デュルンシュタイン散策です。

  • 世界遺産のヴァッハウ渓谷です。

    世界遺産のヴァッハウ渓谷です。

  • デュルンシュタイン城です。<br />ちょっと調べました。<br />別名を、ケーンリンガー(キューンリンガー)城<br /><br />12世紀半ばごろ、キューンリンク家初代ハートマール1世によって築かれたとされ、ハートマール1世は、キューンリンク家家祖とされるアッツォ・フォン・ゴーバツブルクの子ニッツォの子である。アッツォが、テーゲルンゼー修道院からデュルンシュタイン周辺の土地を獲得したとされる。<br />キューンリンク家は、オーストリア公の家臣(Ministeriale)として仕えていた。ハートマール1世には子がなく、甥のハートマール2世が後を継いだ。1192年、ハートマール2世は主君レオポルト5世の命により帰国途中であったリチャード1世(獅子心王)を捕え、デュルンシュタイン城に幽閉した。前年の第3回十字軍に際し、レオポルト5世がアッコを攻め落とした際に掲げた旗を、リチャード1世が叩き落としたことが原因とされる。翌年、リチャード1世は神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世に引き渡された。その後、キューンリンク家からデュルンシュタイン家が分れたとみられているが、1355年にデュルンシュタイン家は無嗣断絶した。城はオーストリア公ハプスブルク家の所有となった。1573年、神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世は、宮廷財務長官(Hofkammer)のライヒャルト・シュトロイン・フォン・シュヴァルツェナウにデュルンシュタインを与えた。<br />1588年、シュトロインによって麓の居館も要塞化され城中に取り込まれた。三十年戦争末期の1645年に、デュルンシュタインはレンナート・トルステンソン率いるスウェーデン軍に占領された。同年、ボヘミアへ向かうことになったトルステンソンは、デュルンシュタイン城を爆破した。1662年には、オスマン・トルコ軍侵攻の際の避難所として「デュルンシュタイン宮(Dürnstein Schloss)」の名がみられるため、現地説明板ではこの間に城が修築された可能性を示唆している。他方で、城中の建物(Burghaus)については居住不能とされており、今日に至るまで倒壊寸前の廃墟のまま。

    デュルンシュタイン城です。
    ちょっと調べました。
    別名を、ケーンリンガー(キューンリンガー)城

    12世紀半ばごろ、キューンリンク家初代ハートマール1世によって築かれたとされ、ハートマール1世は、キューンリンク家家祖とされるアッツォ・フォン・ゴーバツブルクの子ニッツォの子である。アッツォが、テーゲルンゼー修道院からデュルンシュタイン周辺の土地を獲得したとされる。
    キューンリンク家は、オーストリア公の家臣(Ministeriale)として仕えていた。ハートマール1世には子がなく、甥のハートマール2世が後を継いだ。1192年、ハートマール2世は主君レオポルト5世の命により帰国途中であったリチャード1世(獅子心王)を捕え、デュルンシュタイン城に幽閉した。前年の第3回十字軍に際し、レオポルト5世がアッコを攻め落とした際に掲げた旗を、リチャード1世が叩き落としたことが原因とされる。翌年、リチャード1世は神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世に引き渡された。その後、キューンリンク家からデュルンシュタイン家が分れたとみられているが、1355年にデュルンシュタイン家は無嗣断絶した。城はオーストリア公ハプスブルク家の所有となった。1573年、神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世は、宮廷財務長官(Hofkammer)のライヒャルト・シュトロイン・フォン・シュヴァルツェナウにデュルンシュタインを与えた。
    1588年、シュトロインによって麓の居館も要塞化され城中に取り込まれた。三十年戦争末期の1645年に、デュルンシュタインはレンナート・トルステンソン率いるスウェーデン軍に占領された。同年、ボヘミアへ向かうことになったトルステンソンは、デュルンシュタイン城を爆破した。1662年には、オスマン・トルコ軍侵攻の際の避難所として「デュルンシュタイン宮(Dürnstein Schloss)」の名がみられるため、現地説明板ではこの間に城が修築された可能性を示唆している。他方で、城中の建物(Burghaus)については居住不能とされており、今日に至るまで倒壊寸前の廃墟のまま。

  • 小さな村があるので散策です。

    小さな村があるので散策です。

  • レオポルト5世?

    レオポルト5世?

  • お土産物がある通りです。<br />この地域は アプリコット が有名だそうです。

    お土産物がある通りです。
    この地域は アプリコット が有名だそうです。

  • トイレは有料(5¢)必要なので、お土産物屋でアプリコットジャムを購入したのですが、<br />5¢硬貨のお釣ができませんでした。<br />なぜ?…  付加価値税が付き、値札は税抜きだったんです。<br />1ユーロを交換してもらいました。

    トイレは有料(5¢)必要なので、お土産物屋でアプリコットジャムを購入したのですが、
    5¢硬貨のお釣ができませんでした。
    なぜ?… 付加価値税が付き、値札は税抜きだったんです。
    1ユーロを交換してもらいました。

  • この様に一本道の両端にお店屋があるのみの小ぢんまりした村です。

    この様に一本道の両端にお店屋があるのみの小ぢんまりした村です。

  • ソフトクリーム食べてる人を見かけたので探しました が 見当たらず。 (/。\)

    ソフトクリーム食べてる人を見かけたので探しました が 見当たらず。 (/。\)

  • これがトイレです。

    これがトイレです。

  • 『EIGENBAU』なんでしょう?<br />ここはカフェでした。

    『EIGENBAU』なんでしょう?
    ここはカフェでした。

  • 民族衣装の様です、

    民族衣装の様です、

  • バスに戻る途中、水辺に降りました。<br />砂が海砂の様です。<br />泳いでいる家族ずれをなん組か見かけました。<br />

    バスに戻る途中、水辺に降りました。
    砂が海砂の様です。
    泳いでいる家族ずれをなん組か見かけました。

  • ワイン用の葡萄畑が一面に…

    ワイン用の葡萄畑が一面に…

  • わかりますか?<br />葡萄の房!<br />白ワインになる物だそうです。

    わかりますか?
    葡萄の房!
    白ワインになる物だそうです。

  • 上流からのクルージング折り返し地点の様です。<br />各船、様々な国の国旗が掲揚されてました。<br />何泊かするクルージングだそうです。<br />こんな旅ものんびり出来て、良いかも…

    上流からのクルージング折り返し地点の様です。
    各船、様々な国の国旗が掲揚されてました。
    何泊かするクルージングだそうです。
    こんな旅ものんびり出来て、良いかも…

  • ちょっと 乗りたかった。

    ちょっと 乗りたかった。

  • 国旗を見ると、オーストリア、オーストラリア?、ドイツ、ユーロ 他ですね。

    国旗を見ると、オーストリア、オーストラリア?、ドイツ、ユーロ 他ですね。

  • 非常に暑かったので、この付近にいました。

    非常に暑かったので、この付近にいました。

  • 昼食です。<br />生ハムの前菜。

    昼食です。
    生ハムの前菜。

  • このビールの銘柄を調べましたが、分かりませんでした。<br />味わいとしては、ピルスナー の様ですした。

    このビールの銘柄を調べましたが、分かりませんでした。
    味わいとしては、ピルスナー の様ですした。

  • 魚のフライで、確か、なんとかパーチ、って魚の様です。<br />鱒の食感。<br />ライスがつけ合わせでした。

    魚のフライで、確か、なんとかパーチ、って魚の様です。
    鱒の食感。
    ライスがつけ合わせでした。

  • デザートは、名物のアプリコットケーキ。<br />完食です。

    デザートは、名物のアプリコットケーキ。
    完食です。

  • 約一時間のバス移動でメルク修道院に到着しました。

    約一時間のバス移動でメルク修道院に到着しました。

  • 広大な敷地の入口です。

    広大な敷地の入口です。

  • 入場迄時間があるので、各人それぞれ周囲を散策して、この中広場集合です。

    入場迄時間があるので、各人それぞれ周囲を散策して、この中広場集合です。

  • チケットを頂きました。<br />地元ガイドさん(説明は、英語か独語)の説明を、添乗員さんが訳して説明してくれます。

    チケットを頂きました。
    地元ガイドさん(説明は、英語か独語)の説明を、添乗員さんが訳して説明してくれます。

  • 寺町の様です。

    寺町の様です。

  • 別方向からの1枚目

    別方向からの1枚目

  • 非常に落ち着く景色でした。<br />次に、メルク修道院の沿革を記載します。

    非常に落ち着く景色でした。
    次に、メルク修道院の沿革を記載します。

  • 修道院の設立は1089年、バーベンベルク家のオーストリア辺境伯レオポルト2世により、ランバッハ修道院出身のベネディクト会修道士に城の1つが寄進されたことによる。<br />修道士の学校であるメルク修道士校が12世紀に設立されると、その図書館はまもなく、幅広い写本収集で知られるようになった。修道院の写字室もまた、写本生産の重要な場となった。<br />15世紀には、修道院は、オーストリアとドイツ南部の修道士の生活を建て直す「メルク再生活動」の中心となった。

    修道院の設立は1089年、バーベンベルク家のオーストリア辺境伯レオポルト2世により、ランバッハ修道院出身のベネディクト会修道士に城の1つが寄進されたことによる。
    修道士の学校であるメルク修道士校が12世紀に設立されると、その図書館はまもなく、幅広い写本収集で知られるようになった。修道院の写字室もまた、写本生産の重要な場となった。
    15世紀には、修道院は、オーストリアとドイツ南部の修道士の生活を建て直す「メルク再生活動」の中心となった。

  • 今日に残る見事なバロック建築の修道院は、1702年から1736年にかけて、ヤコブ・ブランタウアーの設計により建設された。見どころは、ヨハン・ミヒャエル・ロットマイヤが修道院の教会に描いたフレスコ画と、中世の手描き原稿が無数に納められた図書室である。<br />この原稿には、有名な楽譜やパウル・トロガーによるフレスコ画も含まれている。<br />その名声と研究成果のおかげでメルク修道院は、神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世が1780年から1790年にかけて、オーストリアの修道院をたくさん接収したり解散させた時期をかろうじて凌ぐことができた。 修道院はその後も、ナポレオン戦争、次いで1938年の国家社会主義ドイツ労働者党によるオーストリア併合「アンシュルス」期には学校と修道院の大部分を国家に接収されるなど、さまざまな脅威をくぐり抜けた。 第二次世界大戦後、学校は修道院に戻され、現在は男女併せて約900人の生徒を擁している。 修道院は1625年にオーストリア信徒団の一員となり、現在はベネディクト会同盟にも加盟している。

    今日に残る見事なバロック建築の修道院は、1702年から1736年にかけて、ヤコブ・ブランタウアーの設計により建設された。見どころは、ヨハン・ミヒャエル・ロットマイヤが修道院の教会に描いたフレスコ画と、中世の手描き原稿が無数に納められた図書室である。
    この原稿には、有名な楽譜やパウル・トロガーによるフレスコ画も含まれている。
    その名声と研究成果のおかげでメルク修道院は、神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世が1780年から1790年にかけて、オーストリアの修道院をたくさん接収したり解散させた時期をかろうじて凌ぐことができた。 修道院はその後も、ナポレオン戦争、次いで1938年の国家社会主義ドイツ労働者党によるオーストリア併合「アンシュルス」期には学校と修道院の大部分を国家に接収されるなど、さまざまな脅威をくぐり抜けた。 第二次世界大戦後、学校は修道院に戻され、現在は男女併せて約900人の生徒を擁している。 修道院は1625年にオーストリア信徒団の一員となり、現在はベネディクト会同盟にも加盟している。

  • 三時間、バスに揺られて、モーツアルト生誕の地、『ザルツブルク』に到着しました。<br />ホテルは『ARENA CITY HOTEL SALZBURG』アリーナ・シティ・ホテル・ザルツブルクです。

    三時間、バスに揺られて、モーツアルト生誕の地、『ザルツブルク』に到着しました。
    ホテルは『ARENA CITY HOTEL SALZBURG』アリーナ・シティ・ホテル・ザルツブルクです。

  • 綺麗なホテルですが、エアコンが…<br />無い!

    綺麗なホテルですが、エアコンが…
    無い!

  • 部屋のKEYは、カードKEYではありません。<br />新しいのか、古いのか??

    部屋のKEYは、カードKEYではありません。
    新しいのか、古いのか??

  • 夕食はホテルです。<br />ミートボールでした。<br />明日はザルツブルクを1日中堪能します。

    夕食はホテルです。
    ミートボールでした。
    明日はザルツブルクを1日中堪能します。

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