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私たちは、歴史に立ち会うような旅をしたいと思っています。<br />歴史の一コマが刻まれたその場所を訪れ、目をこらすと、建物や風景に重なって、登場人物たちが現れてきます。<br />妻「それって亡霊ってことじゃないの?」<br />そうだね。幽霊の本場イギリスだし。<br />「日本に連れて帰らないでね」<br />大丈夫だよ、日本の入管は優秀だから。

七十路夫婦のイギリス旅行3 ピーター・ラビットのふるさとウインダミア、そして美貌の女王メアリー・スチュアートの涙

39いいね!

2017/02/22 - 2017/03/01

918位(同エリア9830件中)

旅行記グループ イギリス2017年

3

24

しにあの旅人

しにあの旅人さん

私たちは、歴史に立ち会うような旅をしたいと思っています。
歴史の一コマが刻まれたその場所を訪れ、目をこらすと、建物や風景に重なって、登場人物たちが現れてきます。
妻「それって亡霊ってことじゃないの?」
そうだね。幽霊の本場イギリスだし。
「日本に連れて帰らないでね」
大丈夫だよ、日本の入管は優秀だから。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
鉄道 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

PR

  • 2月25日、ロンドンのホテルはキープしたまま、1泊でウインダミア往復です。ピーター・ラビットのふるさとです。<br />ブリットレイル・イングランド・フレキシ-・パスの2日目を使います。座席はファーストクラスです。前回のヨーク-ハワースはファーストがありませんでした。<br />列車が走り出してしばらくすると、朝食が出てきました。マフィンでした。ご飯付きの列車というのは初めてです。飛行機みたいな感じです

    2月25日、ロンドンのホテルはキープしたまま、1泊でウインダミア往復です。ピーター・ラビットのふるさとです。
    ブリットレイル・イングランド・フレキシ-・パスの2日目を使います。座席はファーストクラスです。前回のヨーク-ハワースはファーストがありませんでした。
    列車が走り出してしばらくすると、朝食が出てきました。マフィンでした。ご飯付きの列車というのは初めてです。飛行機みたいな感じです

  • ついでに26日の帰りは、お昼にロールサンドイッチです。味は、悪くはない。<br /><br />ロンドン・ヒューストンから2時間40分くらいでOxenholme Lake District、なんて読むのかな、オクサンホルム湖水地方とでもいうのでしょうか。ここでウインダミヤ行きに乗り換え、約25分でした。12時頃ウインダミア駅に着きました。<br />今夜のホテル、Macdonald Old Englandまで歩きます。ウインダミア湖のほとり、ボウネスにあります。雨が降り出し。風も強くなってきました。<br /><br />この日はボウネス市内の、「ビアトリス・ポターの世界」を訪れました。ポターの絵本の世界がジオラマで再現されています。各シーンはディスプレイで説明され、日本語も選択できました。

    ついでに26日の帰りは、お昼にロールサンドイッチです。味は、悪くはない。

    ロンドン・ヒューストンから2時間40分くらいでOxenholme Lake District、なんて読むのかな、オクサンホルム湖水地方とでもいうのでしょうか。ここでウインダミヤ行きに乗り換え、約25分でした。12時頃ウインダミア駅に着きました。
    今夜のホテル、Macdonald Old Englandまで歩きます。ウインダミア湖のほとり、ボウネスにあります。雨が降り出し。風も強くなってきました。

    この日はボウネス市内の、「ビアトリス・ポターの世界」を訪れました。ポターの絵本の世界がジオラマで再現されています。各シーンはディスプレイで説明され、日本語も選択できました。

  • 孫にウサギの人形を買いました。あれ、ピーター・ラビットは男の子だよね。孫は女の子だから、まあ、いいか。

    孫にウサギの人形を買いました。あれ、ピーター・ラビットは男の子だよね。孫は女の子だから、まあ、いいか。

  • ウインダミア湖には白鳥その他、鳥がいっぱい。

    ウインダミア湖には白鳥その他、鳥がいっぱい。

  • ちっこいのがにらんでる。

    ちっこいのがにらんでる。

  • さすが動物保護の最先端をいくイギリスの鳥で、こいつらが、全然人間を恐れません。ずうずうしい。「なんか食い物寄こせ」と催促します。くいつかれそうです。だれも見ていなかったら、頭をこつんとやってやりたい、訂正、なぜてやりたい。<br /><br />風雨が激しくなって、ホテルのフロントの女性が、湖のフェリーは欠航するかもしれないと言っていました。<br /><br /><br />翌26日。<br />恐れていた通り、フェリーは欠航です。<br />今日はウインダミア湖対岸のベアトリス・ポターの家に行く予定です。<br />Hill Topと呼ばれています。丘のてっぺんにあるからです。<br />

    さすが動物保護の最先端をいくイギリスの鳥で、こいつらが、全然人間を恐れません。ずうずうしい。「なんか食い物寄こせ」と催促します。くいつかれそうです。だれも見ていなかったら、頭をこつんとやってやりたい、訂正、なぜてやりたい。

    風雨が激しくなって、ホテルのフロントの女性が、湖のフェリーは欠航するかもしれないと言っていました。


    翌26日。
    恐れていた通り、フェリーは欠航です。
    今日はウインダミア湖対岸のベアトリス・ポターの家に行く予定です。
    Hill Topと呼ばれています。丘のてっぺんにあるからです。

  • フェリーで矢印のように対岸に渡れば、バスがまっているはず。<br />困ったな。<br />ホテルのフロントの女性にタクシーの値段をきいてみると、30ポンドくらい。そのくらいなら、是非行こう。<br /><br />というわけで、大奮発してタクシーを呼んでもらいました。<br />ウインダミア東湖岸を北上して、Ambleside(アンブレサイド)、そこで南下、細い道を通り、Esthwaite Water(エススウエイト・ウオーター)という湖の東岸沿いにHill Topに行ったようです。<br />25分、33ポンドでした。<br />運転手さんは観光ガイドに努めてくれましたので、チップを2ポンドはずみました。とても喜んでいました。チップを期待していなかったみたい。

    フェリーで矢印のように対岸に渡れば、バスがまっているはず。
    困ったな。
    ホテルのフロントの女性にタクシーの値段をきいてみると、30ポンドくらい。そのくらいなら、是非行こう。

    というわけで、大奮発してタクシーを呼んでもらいました。
    ウインダミア東湖岸を北上して、Ambleside(アンブレサイド)、そこで南下、細い道を通り、Esthwaite Water(エススウエイト・ウオーター)という湖の東岸沿いにHill Topに行ったようです。
    25分、33ポンドでした。
    運転手さんは観光ガイドに努めてくれましたので、チップを2ポンドはずみました。とても喜んでいました。チップを期待していなかったみたい。

  • Hill Topのパンフレットの案内図です。チケットオフィスでまず切符を買って、一度出てから道路をぐるっと回って、Shopの横から中に入ります。まず庭を見て、Hill Top、ポターの家に入ります。

    Hill Topのパンフレットの案内図です。チケットオフィスでまず切符を買って、一度出てから道路をぐるっと回って、Shopの横から中に入ります。まず庭を見て、Hill Top、ポターの家に入ります。

  • 入るとすぐ暖炉のある居間です。<br /><br />妻はピーターラビットとベアトリス・ポッターのファンです。そもそもウインダミア訪問は妻のアイディア。<br />ここは妻に紹介を任せます。<br /><br />ピーターラビットは、今やぬいぐるみやキャラクターグッズで知らぬ人のないウサギですが、これがなかなかなんです。お話にはピーターとジタバタ追いかけっこをするマクレガーという人間がでてきます。ピーターのお父さんはマクレガーに、パイにされて食べられちゃったという設定です。<br />ここから始まるんです、物語は。ピーターは洋服を着ているから、擬人化されていますが、でもウサギパイ。食肉のためのウサギ、牛や豚や鶏肉と同じ。そういう物語を作ったベアトリス・ポッターという女性は、やはり相当な人物です。<br /><br />まず植物学者としてキノコの研究で論文を書くほどでした。が、当時女性は学会に出席することが認められておらず、王立植物園の園長補佐が代読しか発表することができませんでした。彼女の描いたキノコの水彩画は専門書にとりあげられるほど、科学的で精緻なものです。<br />男女平等という言葉がなかった時代でした。<br />ベアトリス・ポッターの精神には、科学者のリアリスティックな面と、子供を喜ばせたいという女らしいロマンティックな面が、二つ豊かにあったのです。<br />最初私費出版したピーターラビットが成功すると、大好きな湖水地方に家を買います。<br /><br />なにが相当なのかまとめます。<br />その1.科学者として、特に植物学者として相当すごい。<br />その2.絵本作家としてすごい。<br />その3.企業人として世界展開したり、グッズの販売をはじめたり、もうけました。<br />その4.そのもうかったお金を、エルメス内装のジェット機なんかじゃなくて、自然保護に使ったところが、人間の格が高い。<br />その5.この地方の産業発展に力を注ぎ、羊の飼育も手がけた。<br />その6.結婚相手の家の格をとやかく言い、女が仕事を持つことは上流階級の娘のすることではないとか、口うるさいお金持ちの両親のもと、深窓の令嬢として育ったにもかかわらず、反対を押し切って、二度も年下のイケメンをゲットしたところ。<br />彼女は服装に無頓着で、ひどいときは浮浪者と間違えられたそうですがね。よっぽど人間として魅力があったのでしょうね。イケメン2人というのは、一人目の編集者は婚約中に亡くなってしまうからで、その後47歳で、42歳の弁護士さんと結婚します。<br /><br />仕事ばかりか、私生活も充実していたのですね。<br />ねえ、相当すごいでしょう?相当カッコよくて、相当ステキ。そして、相当うらやましい。<br /><br /><br />夫復帰します。<br />彼女はこの家を1905年、39歳の時に購入しました。住んでいたのは8年くらいのようです。その後結婚を機にほかに家を買い、1943年77歳でなくなるまでこの村ニア・ソーリー(Near Sawrey)に住んでいたとのことです。<br />この家は100年前と同じに維持されています。彼女は絵本の収入でこの家を含む湖水地方の広大な土地、農場を買い取り、ナショナル・トラストに寄付しました。ナショナル・トラストは、1895年設立のイギリスの環境保護団体です。湖水地方の自然をそのまま残したいという彼女の遺志は立派に守られていました。<br /><br />面白いものを発見しました。<br />暖炉です。家の中は撮影禁止でしたが、「私は日本で薪ストーブを使っているのだが、この暖炉を撮影できないか」と係の女性にきいてみました。暖炉ならいいそうです。<br />

    入るとすぐ暖炉のある居間です。

    妻はピーターラビットとベアトリス・ポッターのファンです。そもそもウインダミア訪問は妻のアイディア。
    ここは妻に紹介を任せます。

    ピーターラビットは、今やぬいぐるみやキャラクターグッズで知らぬ人のないウサギですが、これがなかなかなんです。お話にはピーターとジタバタ追いかけっこをするマクレガーという人間がでてきます。ピーターのお父さんはマクレガーに、パイにされて食べられちゃったという設定です。
    ここから始まるんです、物語は。ピーターは洋服を着ているから、擬人化されていますが、でもウサギパイ。食肉のためのウサギ、牛や豚や鶏肉と同じ。そういう物語を作ったベアトリス・ポッターという女性は、やはり相当な人物です。

    まず植物学者としてキノコの研究で論文を書くほどでした。が、当時女性は学会に出席することが認められておらず、王立植物園の園長補佐が代読しか発表することができませんでした。彼女の描いたキノコの水彩画は専門書にとりあげられるほど、科学的で精緻なものです。
    男女平等という言葉がなかった時代でした。
    ベアトリス・ポッターの精神には、科学者のリアリスティックな面と、子供を喜ばせたいという女らしいロマンティックな面が、二つ豊かにあったのです。
    最初私費出版したピーターラビットが成功すると、大好きな湖水地方に家を買います。

    なにが相当なのかまとめます。
    その1.科学者として、特に植物学者として相当すごい。
    その2.絵本作家としてすごい。
    その3.企業人として世界展開したり、グッズの販売をはじめたり、もうけました。
    その4.そのもうかったお金を、エルメス内装のジェット機なんかじゃなくて、自然保護に使ったところが、人間の格が高い。
    その5.この地方の産業発展に力を注ぎ、羊の飼育も手がけた。
    その6.結婚相手の家の格をとやかく言い、女が仕事を持つことは上流階級の娘のすることではないとか、口うるさいお金持ちの両親のもと、深窓の令嬢として育ったにもかかわらず、反対を押し切って、二度も年下のイケメンをゲットしたところ。
    彼女は服装に無頓着で、ひどいときは浮浪者と間違えられたそうですがね。よっぽど人間として魅力があったのでしょうね。イケメン2人というのは、一人目の編集者は婚約中に亡くなってしまうからで、その後47歳で、42歳の弁護士さんと結婚します。

    仕事ばかりか、私生活も充実していたのですね。
    ねえ、相当すごいでしょう?相当カッコよくて、相当ステキ。そして、相当うらやましい。


    夫復帰します。
    彼女はこの家を1905年、39歳の時に購入しました。住んでいたのは8年くらいのようです。その後結婚を機にほかに家を買い、1943年77歳でなくなるまでこの村ニア・ソーリー(Near Sawrey)に住んでいたとのことです。
    この家は100年前と同じに維持されています。彼女は絵本の収入でこの家を含む湖水地方の広大な土地、農場を買い取り、ナショナル・トラストに寄付しました。ナショナル・トラストは、1895年設立のイギリスの環境保護団体です。湖水地方の自然をそのまま残したいという彼女の遺志は立派に守られていました。

    面白いものを発見しました。
    暖炉です。家の中は撮影禁止でしたが、「私は日本で薪ストーブを使っているのだが、この暖炉を撮影できないか」と係の女性にきいてみました。暖炉ならいいそうです。

  • これは別の部屋の暖炉。なにが面白いかというと、この暖炉はころ薪専用のようです。<br />普通薪ストーブの薪は長さ30から50センチの棒状に割ります。積み重ねて乾燥させるのに便利です。ころ薪とは、決まった長さに切った薪の端切れ、または節などがあって割ることができない木の部分です。チェーンソーでサイコロ状に切ってしまいます。とくにこの節の部分は木が締まっていて、火持ちがいい。しかし積み重ねるのに不便で、薪ストーブのユーザーは嫌います。<br />火持ちを優先して、ビアトリス・ポターはころ薪をつかったのでしょう。あるいは石炭も燃やせるタイプかもしれません。<br />タクシーで来る途中、ネコ車にころ薪を積み上げて、運んでいる地元の人がいました。この地方ではころ薪を使うのが普通なのかもしれません。<br />今はチェーンソーがあるので簡単ですが、彼女の時代はのこぎりでひくわけで、大変だったと思います。<br /><br />雨と風がどんどんひどくなります。歩いてウインダミア湖西岸まで降りるつもりでしたが、とても無理。<br />入り口の売店までもどり、タクシーを呼んでもらいました。<br />帰りのタクシーの運転手さんも、とてもフレンドリーで、この地方の景色などいろいろ説明してくれました。増水した川の川中島に取り残された牛がいたので、その運命など、話題が盛り上がりました。彼らは賢いので、こういう場合の避難場所をちゃんと知っているのだそうです。このくらいの嵐は珍しくもないらしい。<br />

    これは別の部屋の暖炉。なにが面白いかというと、この暖炉はころ薪専用のようです。
    普通薪ストーブの薪は長さ30から50センチの棒状に割ります。積み重ねて乾燥させるのに便利です。ころ薪とは、決まった長さに切った薪の端切れ、または節などがあって割ることができない木の部分です。チェーンソーでサイコロ状に切ってしまいます。とくにこの節の部分は木が締まっていて、火持ちがいい。しかし積み重ねるのに不便で、薪ストーブのユーザーは嫌います。
    火持ちを優先して、ビアトリス・ポターはころ薪をつかったのでしょう。あるいは石炭も燃やせるタイプかもしれません。
    タクシーで来る途中、ネコ車にころ薪を積み上げて、運んでいる地元の人がいました。この地方ではころ薪を使うのが普通なのかもしれません。
    今はチェーンソーがあるので簡単ですが、彼女の時代はのこぎりでひくわけで、大変だったと思います。

    雨と風がどんどんひどくなります。歩いてウインダミア湖西岸まで降りるつもりでしたが、とても無理。
    入り口の売店までもどり、タクシーを呼んでもらいました。
    帰りのタクシーの運転手さんも、とてもフレンドリーで、この地方の景色などいろいろ説明してくれました。増水した川の川中島に取り残された牛がいたので、その運命など、話題が盛り上がりました。彼らは賢いので、こういう場合の避難場所をちゃんと知っているのだそうです。このくらいの嵐は珍しくもないらしい。

  • ビアトリス・ポターの記念コインがあるそうで、交換してくれました。表(裏?)の女王。50ペンスです。

    ビアトリス・ポターの記念コインがあるそうで、交換してくれました。表(裏?)の女王。50ペンスです。

  • そしてビアトリス・ポターです。貴重なものだそうです。<br />ピーターラビットがいます。<br /><br />ウインダミアの駅まで、33ポンド。よび寄せ料金込みです。冠水した道路をモーターボートかっていうくらい水を跳ね上げて走ってくれたし、とても楽しいドライブでしたので、チップを2ポンド渡しました。<br />行きの運転手さんと同じで、こっちが恐縮するくらい喜んでくれました。<br />この地方では、タクシーにチップを渡す習慣がないのでしょうか。<br />嵐が丘の地もピーターラビットの地も、皆さん感じがよく、親切でした。おかげさまで、よい旅でした。<br /><br />ロンドンに戻ります。<br />ブリットレイル・イングランド・フレキシ-・パスの3日目を使いました。<br />

    そしてビアトリス・ポターです。貴重なものだそうです。
    ピーターラビットがいます。

    ウインダミアの駅まで、33ポンド。よび寄せ料金込みです。冠水した道路をモーターボートかっていうくらい水を跳ね上げて走ってくれたし、とても楽しいドライブでしたので、チップを2ポンド渡しました。
    行きの運転手さんと同じで、こっちが恐縮するくらい喜んでくれました。
    この地方では、タクシーにチップを渡す習慣がないのでしょうか。
    嵐が丘の地もピーターラビットの地も、皆さん感じがよく、親切でした。おかげさまで、よい旅でした。

    ロンドンに戻ります。
    ブリットレイル・イングランド・フレキシ-・パスの3日目を使いました。

  • ロンドン塔に行ってきました。テームズ川の反対側からの写真です。ロンドン塔が城塞であることが分かります。

    ロンドン塔に行ってきました。テームズ川の反対側からの写真です。ロンドン塔が城塞であることが分かります。

  • ロンドン塔本体です。この日も雨でした。<br />要塞や王宮として使われたこともありましたが、もっぱら牢獄や処刑場として有名です。ヘンリー6世など、敗残の国王、貴族などがここで処刑されました。<br /><br />メアリー・スチュアートのノートをここでまた開きます。<br /><br />1586年7月、アンソニ-・バビントンという26才の若者がこのロンドン塔に投獄されました。<br /><br />スコットランドで敗れたメアリーは、イングランドへの亡命を試みます。メアリーは、イングランド女王エリザベス1世の従兄の娘でした。血のつながりがあるのだから、暖かく迎えてくれると思っていたようです。<br />ところがエリザベス1世はプロテスタント、しかも国内にカトリック勢力を抱えていて、政権基盤は盤石とはいえません。カトリック勢力が、メアリー・スチュアートを擁立して反乱を起こす可能性がありました。<br />エリザベス1世がメアリーを受け入れる余地はないのです。<br />驚いたのは、こんなことも当時のメアリーは理解していなかったということです。彼女の政治での無知の極みです。<br /><br />一方エリザベス1世は老練な政治家です。メアリーを殺したり、余りに冷たくしすぎても、国内のカトリックの反感を買うことになります。<br />1568年のカーライル城から始まり、1687年フォザリンゲイ城に至るまで19年間、メアリーはいくつかの城をたらい回しに幽閉されます。<br />幽閉といっても、かなり優雅に生活していたようです。女王の配慮でしょう。エリザベス1世も本心はメアリーをいたわる気持ちをもっていたのではないでしょうか。未婚で子供のいない女王には、数少ない血縁のメアリーでした。<br />メアリー・スチュアートは何度もエリザベス1世に直接会ってほしいと手紙を書いています。しかし一度も女王はメアリーに会うことはありませんでした。会えば、温情に負けてしまうと、女王は思ったのではないか。<br />政治と個人的な感情に女王は板挟みです。<br /><br />しかしメアリーはエリザベス1世の対応を冷たいと思うようになります。反感をつのらせていきます。<br />エリザベス1世の廃位をもくろんだ、1570年のリドルフィ事件への関与もうわさされました。証拠はありません。<br />エリザベス1世の廷臣の間では、メアリーは危険な存在となっていきます。<br /><br />1586年7月バビントン事件が発覚します。アンソニ-・バビントンという26才の若者を中心に12人のカトリックが、エリザベス2世の暗殺を計画しました。<br />バビントンの計画では、エリザベス1世の暗殺のあと、メアリーをイングランド女王に祭り上げるというものでした。<br />この事件は女王の秘密警察の察知することになり、12人全員が逮捕され、ロンドン塔に投獄されます。メアリーがこの計画に荷担している証拠の、メアリー自筆の手紙が秘密警察に押収されていました。この手紙の少なくとも一部は偽造と言われています。<br />9月20日、バビルトンはロンドン塔から引き出され、処刑されました。<br /><br />10月25日、裁判でメアリーは有罪となりました。裁判官は初めからこの機会にメアリーを葬ってしまおうと思っているわけで、彼女の弁明が受け入れられるはずはありません。<br />エリザベス1世は有罪が確定されても、死刑執行命令書にはなかなかサインしませんでした。血のつながりのあるメアリーへの哀惜の念があったのでしょう。しかし政治が女王にそれを許しません。2月1日命令書にサインします。<br />1587年2月8日、メアリー・スチュアートは、フォザリンゲイ城で処刑されました。<br />

    ロンドン塔本体です。この日も雨でした。
    要塞や王宮として使われたこともありましたが、もっぱら牢獄や処刑場として有名です。ヘンリー6世など、敗残の国王、貴族などがここで処刑されました。

    メアリー・スチュアートのノートをここでまた開きます。

    1586年7月、アンソニ-・バビントンという26才の若者がこのロンドン塔に投獄されました。

    スコットランドで敗れたメアリーは、イングランドへの亡命を試みます。メアリーは、イングランド女王エリザベス1世の従兄の娘でした。血のつながりがあるのだから、暖かく迎えてくれると思っていたようです。
    ところがエリザベス1世はプロテスタント、しかも国内にカトリック勢力を抱えていて、政権基盤は盤石とはいえません。カトリック勢力が、メアリー・スチュアートを擁立して反乱を起こす可能性がありました。
    エリザベス1世がメアリーを受け入れる余地はないのです。
    驚いたのは、こんなことも当時のメアリーは理解していなかったということです。彼女の政治での無知の極みです。

    一方エリザベス1世は老練な政治家です。メアリーを殺したり、余りに冷たくしすぎても、国内のカトリックの反感を買うことになります。
    1568年のカーライル城から始まり、1687年フォザリンゲイ城に至るまで19年間、メアリーはいくつかの城をたらい回しに幽閉されます。
    幽閉といっても、かなり優雅に生活していたようです。女王の配慮でしょう。エリザベス1世も本心はメアリーをいたわる気持ちをもっていたのではないでしょうか。未婚で子供のいない女王には、数少ない血縁のメアリーでした。
    メアリー・スチュアートは何度もエリザベス1世に直接会ってほしいと手紙を書いています。しかし一度も女王はメアリーに会うことはありませんでした。会えば、温情に負けてしまうと、女王は思ったのではないか。
    政治と個人的な感情に女王は板挟みです。

    しかしメアリーはエリザベス1世の対応を冷たいと思うようになります。反感をつのらせていきます。
    エリザベス1世の廃位をもくろんだ、1570年のリドルフィ事件への関与もうわさされました。証拠はありません。
    エリザベス1世の廷臣の間では、メアリーは危険な存在となっていきます。

    1586年7月バビントン事件が発覚します。アンソニ-・バビントンという26才の若者を中心に12人のカトリックが、エリザベス2世の暗殺を計画しました。
    バビントンの計画では、エリザベス1世の暗殺のあと、メアリーをイングランド女王に祭り上げるというものでした。
    この事件は女王の秘密警察の察知することになり、12人全員が逮捕され、ロンドン塔に投獄されます。メアリーがこの計画に荷担している証拠の、メアリー自筆の手紙が秘密警察に押収されていました。この手紙の少なくとも一部は偽造と言われています。
    9月20日、バビルトンはロンドン塔から引き出され、処刑されました。

    10月25日、裁判でメアリーは有罪となりました。裁判官は初めからこの機会にメアリーを葬ってしまおうと思っているわけで、彼女の弁明が受け入れられるはずはありません。
    エリザベス1世は有罪が確定されても、死刑執行命令書にはなかなかサインしませんでした。血のつながりのあるメアリーへの哀惜の念があったのでしょう。しかし政治が女王にそれを許しません。2月1日命令書にサインします。
    1587年2月8日、メアリー・スチュアートは、フォザリンゲイ城で処刑されました。

  • (この著作物は、著作権の保護期間が著作者の没後100年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。作者Albrecht de Vriendt)<br /><br />メアリー・スチュアートへの死刑宣告の場面と思います。Wiki commonsに説明がありません。<br />

    (この著作物は、著作権の保護期間が著作者の没後100年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。作者Albrecht de Vriendt)

    メアリー・スチュアートへの死刑宣告の場面と思います。Wiki commonsに説明がありません。

  • (この著作物は、著作権の保護期間が著作者の没後70年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。作者Robert Herdman)<br /><br />処刑台のメアリー。凜とした美しさです。<br />

    (この著作物は、著作権の保護期間が著作者の没後70年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。作者Robert Herdman)

    処刑台のメアリー。凜とした美しさです。

  • (Wiki Commonsによれば「著作権上の制限なし」)<br /><br />処刑6時間前、メアリー・スチュアートが、フランス王アンリ3世あてに書いたものです。彼女の亡夫の弟です。<br />筆跡の乱れは寸毫もありません。<br />見事な覚悟です。<br /><br />アンソニ-・バビントンはメアリーの最後の希望でした<br />彼が幽閉されたロンドン塔は、私たちの前で雨に濡れていました。<br />

    (Wiki Commonsによれば「著作権上の制限なし」)

    処刑6時間前、メアリー・スチュアートが、フランス王アンリ3世あてに書いたものです。彼女の亡夫の弟です。
    筆跡の乱れは寸毫もありません。
    見事な覚悟です。

    アンソニ-・バビントンはメアリーの最後の希望でした
    彼が幽閉されたロンドン塔は、私たちの前で雨に濡れていました。

  • (このファイルはクリエイティブ・コモンズ 表示-継承 3.0 非移植ライセンスのもとに利用を許諾されています。作者Gordon Joly)<br /><br />ウエストミンスター寺院です。この日もロンドンは曇、今にも降ってきそうでした。<br />

    (このファイルはクリエイティブ・コモンズ 表示-継承 3.0 非移植ライセンスのもとに利用を許諾されています。作者Gordon Joly)

    ウエストミンスター寺院です。この日もロンドンは曇、今にも降ってきそうでした。

  • (このファイルはクリエイティブ・コモンズ 表示-継承 2.0 一般ライセンスのもとに利用を許諾されています。作者Steve Cadman)<br /><br />目的地はヘンリ7世貴婦人の礼拝堂。寺院の一番奥です。<br />ここにメアリー・スチュアートの墓があります。<br />私たちは北入り口から入ります。<br /><br />この寺院内部は撮影禁止です。そのかわり、ウエブサイトの「Photo gallery」に約40枚の写真を掲載しており、自由にダウンロードしていいことになっています。これらの写真はすべて寺院提供のものです。<br />

    (このファイルはクリエイティブ・コモンズ 表示-継承 2.0 一般ライセンスのもとに利用を許諾されています。作者Steve Cadman)

    目的地はヘンリ7世貴婦人の礼拝堂。寺院の一番奥です。
    ここにメアリー・スチュアートの墓があります。
    私たちは北入り口から入ります。

    この寺院内部は撮影禁止です。そのかわり、ウエブサイトの「Photo gallery」に約40枚の写真を掲載しており、自由にダウンロードしていいことになっています。これらの写真はすべて寺院提供のものです。

  • (&amp;copy; Dean and Chapter of Westminster)<br />礼拝堂入り口です。身廊正面がヘンリ7世の棺です。<br />

    (&copy; Dean and Chapter of Westminster)
    礼拝堂入り口です。身廊正面がヘンリ7世の棺です。

  • ヘンリ7世貴婦人の礼拝堂見取り図です。寺院のパンフレットをスキャンしました。<br /><br />左右に側廊があり、向かって右にメアリー・スチュアートの棺、左側廊にエリザベス1世の墓が安置されています。<br />

    ヘンリ7世貴婦人の礼拝堂見取り図です。寺院のパンフレットをスキャンしました。

    左右に側廊があり、向かって右にメアリー・スチュアートの棺、左側廊にエリザベス1世の墓が安置されています。

  • (&amp;copy; Dean and Chapter of Westminster)<br />メアリー・スチュアートの棺の上に彫られている彫刻です。<br />

    (&copy; Dean and Chapter of Westminster)
    メアリー・スチュアートの棺の上に彫られている彫刻です。

  • (&amp;copy; Dean and Chapter of Westminster)<br />エリザベス1世の彫刻。<br /><br />エリザベス1世の棺は1603年の死後ここに安置されました。<br />メアリー・スチュアートは、処刑後ロンドンの北150キロほどのピーターバラ大聖堂に埋葬されていましたが、1612年ここに改葬されました。棺を移したのはジェイムズ1世です。<br />

    (&copy; Dean and Chapter of Westminster)
    エリザベス1世の彫刻。

    エリザベス1世の棺は1603年の死後ここに安置されました。
    メアリー・スチュアートは、処刑後ロンドンの北150キロほどのピーターバラ大聖堂に埋葬されていましたが、1612年ここに改葬されました。棺を移したのはジェイムズ1世です。

  • (この著作物は、著作権の保護期間が著作者の没後100年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。作者不明 所蔵ナショナル・ポートレイト・ギャラリー)<br /><br />ジェームズ6世。6歳くらいでしょうか。<br />1566年6月19日、エジンバラ城で、メアリーが産んだあの子です。<br /><br />メアリーは内乱のあげくスコットランドを追い出されました。母と暮らせたのは1年もありませんでした。この子はメアリー廃位のあと、ジェームズ6世としてスコットランド王になりました。17才で摂政を廃し、親政を敷きます。<br />1603年エリザベス1世死後、ジェームズ1世として、イングランド王を兼ねました。2国が同一の王を頂くことになり、1707年のグレートブリテン王国成立の礎を築きました。<br /><br />なぜジェームズ1世は母の棺を、歴代王室の墓が安置されているウエストミンスター寺院に移したのでしょう。<br />「やはりお母さんが恋しかったのではないかしら」と妻。<br />1才の誕生日の前に引き離されているのだが。覚えているかな。<br />「母は母よ。エジンバラの王宮を思い出してごらんなさい。あの陰鬱な城で、なぜ自分には母がいないのだろうと思ったでしょう。どこかで、母親に遊んでもらっている同じ年頃の子供を、じっと眺めたこともあるでしょう。恋しかったと思うわ」<br />まぶたの母か。メアリーの処刑に反対しなかったといわれているが。<br />「止めることはできないのだから、するはずがないでしょう。時の流れが分かった王様だった。母と子の情と政治は別」<br />メアリーが処刑されたフォザリンゲイ城は、ジェームズ1世の命令で徹底的に破壊されたといわれている。今は天守閣の土台しか残っていないそうだ。<br />「そうでしょうね。恨みのお城だもの」<br />でもどうして母の処刑を命じたエリザベス1世の墓の近くに持ってきたのだろう。<br />「しかもメアリーのお墓のほうが立派なの」<br />そうそう。<br />「母上、かたきはうちました、と言いたかったのではないかしら」<br />母の死後29年たってはいるけれど、国内のカトリックとプロテスタントの確執はまだ続いているし、スコットランドとイングランドはうまくいっているとはいえない。そんななかで、母の肩をもつようなアクションは政治的に賢いとは思えないのだけれど。<br />「それほど母が恋しかった。親子の情はたまには政治に勝つ」<br />なるほど。<br /><br />ところでエリザベス1世はジェームズ1世が自分のあとを継ぐように遺言を残したという説もある。<br />「さすがエリザベス」<br />どうして?<br />「彼女だって、好きで自分の数少ない身内を処刑させたのではないでしょう。当時の政治がそうさせた。一人のときは涙ながらに、ごめんね、メアリー、と思った」<br />ありえる。<br />「エリザベス1世は生前、当時のジェームズ6世に会っている?」<br />会っていない。記録にない。<br />「こっそりと会っている。そこで言った。私の墓より立派なのを作ってあげて」<br />それはありえない。どこにも記録が残っていない。<br />「書かれた歴史がすべてではない」<br />そんなこと言ったって・・・・・<br />でもエリザベスが心のどこかでそう思っていなかったという記録もない。<br />「政治と親子の情を両立させる一つの方法としては、ありじゃない?」<br /><br />ウエストミンスター寺院の出口は西、2本の塔のある正面です。<br />霧雨になっていました。<br />ロンドン塔も雨。<br />エジンバラもジンチョウゲが濡れていました。<br />美貌の女王メアリー・スチュアートの涙です。<br /><br />以下は蛇足です。<br />メアリーの処刑の後、最後までつかえていた侍女たちは、「どこへでも行くがよい」といわれて、ちりぢりに散っていきます。(ここまでは史実です)<br />そのうちのひとり、奇しくも同じ名のメアリーは、女主人のあだをうつべく、つてをたどってエリザベス1世の宮廷に下女として潜り込みます。フランス語のできる、気の利いた女だったので、女王の気に入られ、小間使いとして女王の近くに侍ります。そのときすでに女王は余命いくばくもありませんでした。<br />秘密警察はメアリーの素性を察知します。<br />「陛下、あの女を処分します」<br />「待ちなさい」<br />エリザベスはメアリーに言います。<br />「私はあなたの素性を知っています。私はもう長くありません。ジェームズを跡継ぎに指名しました。あなたの愛する女主人の子です。私の死後、だれにも気づかれずに、この手紙をジェームズに渡してください」<br />その手紙にはこう書いてありました。<br />「私の墓より立派なのを作ってあげて」<br />・・・などという小説はいかがでしょうか。<br />どなたか、エリザベス朝宮廷に詳しい方、書いてみませんか。

    (この著作物は、著作権の保護期間が著作者の没後100年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。作者不明 所蔵ナショナル・ポートレイト・ギャラリー)

    ジェームズ6世。6歳くらいでしょうか。
    1566年6月19日、エジンバラ城で、メアリーが産んだあの子です。

    メアリーは内乱のあげくスコットランドを追い出されました。母と暮らせたのは1年もありませんでした。この子はメアリー廃位のあと、ジェームズ6世としてスコットランド王になりました。17才で摂政を廃し、親政を敷きます。
    1603年エリザベス1世死後、ジェームズ1世として、イングランド王を兼ねました。2国が同一の王を頂くことになり、1707年のグレートブリテン王国成立の礎を築きました。

    なぜジェームズ1世は母の棺を、歴代王室の墓が安置されているウエストミンスター寺院に移したのでしょう。
    「やはりお母さんが恋しかったのではないかしら」と妻。
    1才の誕生日の前に引き離されているのだが。覚えているかな。
    「母は母よ。エジンバラの王宮を思い出してごらんなさい。あの陰鬱な城で、なぜ自分には母がいないのだろうと思ったでしょう。どこかで、母親に遊んでもらっている同じ年頃の子供を、じっと眺めたこともあるでしょう。恋しかったと思うわ」
    まぶたの母か。メアリーの処刑に反対しなかったといわれているが。
    「止めることはできないのだから、するはずがないでしょう。時の流れが分かった王様だった。母と子の情と政治は別」
    メアリーが処刑されたフォザリンゲイ城は、ジェームズ1世の命令で徹底的に破壊されたといわれている。今は天守閣の土台しか残っていないそうだ。
    「そうでしょうね。恨みのお城だもの」
    でもどうして母の処刑を命じたエリザベス1世の墓の近くに持ってきたのだろう。
    「しかもメアリーのお墓のほうが立派なの」
    そうそう。
    「母上、かたきはうちました、と言いたかったのではないかしら」
    母の死後29年たってはいるけれど、国内のカトリックとプロテスタントの確執はまだ続いているし、スコットランドとイングランドはうまくいっているとはいえない。そんななかで、母の肩をもつようなアクションは政治的に賢いとは思えないのだけれど。
    「それほど母が恋しかった。親子の情はたまには政治に勝つ」
    なるほど。

    ところでエリザベス1世はジェームズ1世が自分のあとを継ぐように遺言を残したという説もある。
    「さすがエリザベス」
    どうして?
    「彼女だって、好きで自分の数少ない身内を処刑させたのではないでしょう。当時の政治がそうさせた。一人のときは涙ながらに、ごめんね、メアリー、と思った」
    ありえる。
    「エリザベス1世は生前、当時のジェームズ6世に会っている?」
    会っていない。記録にない。
    「こっそりと会っている。そこで言った。私の墓より立派なのを作ってあげて」
    それはありえない。どこにも記録が残っていない。
    「書かれた歴史がすべてではない」
    そんなこと言ったって・・・・・
    でもエリザベスが心のどこかでそう思っていなかったという記録もない。
    「政治と親子の情を両立させる一つの方法としては、ありじゃない?」

    ウエストミンスター寺院の出口は西、2本の塔のある正面です。
    霧雨になっていました。
    ロンドン塔も雨。
    エジンバラもジンチョウゲが濡れていました。
    美貌の女王メアリー・スチュアートの涙です。

    以下は蛇足です。
    メアリーの処刑の後、最後までつかえていた侍女たちは、「どこへでも行くがよい」といわれて、ちりぢりに散っていきます。(ここまでは史実です)
    そのうちのひとり、奇しくも同じ名のメアリーは、女主人のあだをうつべく、つてをたどってエリザベス1世の宮廷に下女として潜り込みます。フランス語のできる、気の利いた女だったので、女王の気に入られ、小間使いとして女王の近くに侍ります。そのときすでに女王は余命いくばくもありませんでした。
    秘密警察はメアリーの素性を察知します。
    「陛下、あの女を処分します」
    「待ちなさい」
    エリザベスはメアリーに言います。
    「私はあなたの素性を知っています。私はもう長くありません。ジェームズを跡継ぎに指名しました。あなたの愛する女主人の子です。私の死後、だれにも気づかれずに、この手紙をジェームズに渡してください」
    その手紙にはこう書いてありました。
    「私の墓より立派なのを作ってあげて」
    ・・・などという小説はいかがでしょうか。
    どなたか、エリザベス朝宮廷に詳しい方、書いてみませんか。

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この旅行記へのコメント (3)

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  • kummingさん 2020/03/09 21:06:38
    読後しばしぼ~ぜん(°_°)
    読後、内容のあまりの濃さ、重厚さにぼーぜん(笑)
    初期のブログでは奥様“地”、の部分が相当なものだった?のですね!最近は出番が少ない!?
    ビアトリス ポーターについて知っている事と言えば、「ブリジットジョーンズの日記」の主演女優さんが演じた映画のビアトリス。相当な女性だった、その3、4、特に6、保守の国のあの時代の最先端を駆け抜けた女性♪映画では歳下イケメン編集者との悲恋と、死後に所有してた広大な土地を寄贈した、という処までで、その後2こめの歳下イケメンゲットした!なんて、良かった~
    薪の種類、割り方のうんちく、色んな分野にご造詣深い(°_°)
    異を唱えるつもりは毛頭ございませんが…エリザベスがジェームズに後を託した、とは思えても、お墓を菩提寺、教会に移してね?←ココは百歩譲っても、自分よりりっぱなお墓を隣に作らせるかなあ~
    塩野七生さんばりに、史実としての裏ずけはないけれど、たぶんこうだったんじゃねー?劇場、満喫^_^
    ちっこいのににらまれてムキになる処も、憎めない♪

    しにあの旅人

    しにあの旅人さん からの返信 2020/03/12 05:51:10
    RE: 読後しばしぼ?ぜん(°_°)
    塩野劇場ご来場有り難うございます。諸国神社参り山陰山陽が終わりまして、4月からは「ヤマトタケルの家路」というのが始まります。「またタケルかよ!」と思ったでしょう。
    今回は神社はあまり出てきません。古事記日本書紀の記述と、考古学的事実に矛盾しなければ、少しならしても、何をどう書いてもいい、「ヒャッホー!」というやつ。塩野劇場は虚々実々ですが、私のは下手なウグイス。「きょきょ、きょきょ、虚々虚々」
    ところで、イタリアはすごいことになりました。たびなび読みました? 中、北部イタリアから日本に帰ってくると、空港で全員6時間かけて検疫ですって。陽性ならばその場で隔離。
    やめてよかった〜と思います。
    Kummingさんの5月の旅行どうなさったのですか。5月だと収まっているとは思いますが、要注意ですね。

    kumming

    kummingさん からの返信 2020/03/14 20:00:07
    塩野劇場
    ↑と言えば、元旦にNHK Eテレで塩野さん出演のトーク番組、「塩野七生、高校生へ贈る言葉」的な?が放映された事を放映後に知り、しばらく再放送予定を追っかけてて忘れてたのが、ちょい前に再放送!と、放送後に知りました(;o;)
    毎朝3カ国から送信されて来るたびレジ情報、最初はイタリアだけやめて、途中変更スケジュールを組んだりして遊んでたのに、続々と、渡航条件厳しくなり、もはや万策尽きた観(-。-;
    血と汗の結晶、甲子園の夢を断たれた球児たちの涙を見るにつけ、おばちゃんの勝手旅何て雀の涙にも劣る!と我が身を叱咤、自戒中~
    専らキャンセル手続き、refund 出来る?等メールで問い合わせ中です。最近ではTwitterやFacebookにサイトがあれば、チャットでやり取り出来たり、便利な世の中になってました!
    ですが、モチベーションの↓はいかんともしがたく、キャンセル案件の数多く、遅々として進まず…落ち込む気持ちに歯止めをかけなきゃ!
    日々の生活の気持ち↑に四苦八苦しておりますT_T
    終わりのない夜はない?
    オリンピックも危ぶまれ、ヨーロッパはまだ感染拡大真っ最中…、1年後には収束していて欲しいものです。
    タケルシリーズ、未読ですが(難解漢字多そうだ!)、楽しみにしています♪

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