2017/02/18 - 2017/02/20
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しにあの旅人さん
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ターキッシュエアラインで、成田発イスタンブール経由、エディンバラに入りました。2泊、その後ヨークに2泊、ロンドンに7泊です。
ヨークから日帰りで嵐が丘の舞台、ハワース、ロンドンから1泊でピーター・ラビッドのふるさと、ウインダミアを訪れます。
移動は全部鉄道です。
帰りはロンドンからターキッシュエアラインで、イスタンブール経由成田に戻ります。
なお、写真を撮り忘れた(ひんぱん)、うまくとれなかった(これも多い)、そもそも撮影禁止の場所、などのケースは、ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)より写真を借りました。これはパブリックドメイン(public domain)の写真です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 徒歩
- 航空会社
- ターキッシュ エアラインズ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
エディンバラ 2017年2月18日-20日
フランス以外の外国は久しぶりなので、出だしが大事、市内のホテルまで日本でタクシーを手配しておきました、
飛行機はほぼ定刻着。迎えに来たのはいかにもイギリス人という感じの運転手さん、愛想は良くないけれど、荷物の出し入れなど丁寧です。無駄口はたたきませんが、質問には丁寧に答えてくれました。
天気は曇、イギリスぽい旅の始まりでした。
ホテルは旧市街に近いノボテル・エディンバラ。 -
旧市街のグラスマーケット広場です。市場が出ていました。レストランなどもいっぱいあります。
目の前がエディンバラ城。直接上る道はないかと探すと、 -
ということになりました。
階段と細い道で苦労しましたが、それなりに面白い。 -
お城のふもとにたどり着きます。
-
城内です。
スコットランドは独立した王国でした。イギリスの一部になったのは、そんなに古いことではありません。
1707年にスコットランドとイングランドが同じ君主を頂くことでグレートブリテン王国となりました。
とはいうものの、イングランドとスコットランドは1707年以前も以降も必ずしも仲が良くなく、1745年には両国間に戦争が起きました。この戦争の最後にカロデンの戦いがあり、スコットランド軍は壊滅します。このときイングランド政府軍がスコットランド軍の敗残兵を虐殺したことで、現在まで続くスコットランド人のイングランドへの反感が残ることになります。ショーン・コネリーはスコットランド独立支持です。冗談かと思っていましたが、不謹慎だと反省です。
1702年に日本では赤穂浪士の討ち入りがありました。1745年というと、それから43年も後のことです。徳川八代将軍吉宗61才です。イギリスも国としてまとまったのはかなり新しいということです。 -
メアリー・スチュアート
(ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)より。この著作物は、著作権の保護期間が著作者の没後100年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。作者不詳。エミルタージュ美術館所蔵)
エディンバラで私たちが会いたかったのは、メアリー・スチュアート。悲劇の女王といわれます。16世紀、まだ独立国だったスコットランドの女王です。
この絵でも美貌は想像できますが、当時からその美しさは人々に賞賛されておりました。
母がフランス人だったので5才でフランスに渡り、15才でフランス王子と結婚しました。しかしフランス王になった夫が死んだので、20才前にスコットランドに戻ってきます。22才でダーンリー卿と再婚します。悲劇の始まりです。
彼女はこのエディンバラ城で一人の王子を出産します。後のジェイムズ6世(イングランド王ジェイムズ1世)です。1566年6月19日のことです。
メアリー女王の部屋というのが今もこのお城に残っています。 -
お城を出て、エスプラネード広場よりロイヤル・マイルを下ります。広場からロイヤル・マイルへの入り口は狭いけれど、やがて堂々たる大路になります。しゃれたブティックや、教会が並びます。
-
(この写真はクリエイティブ・コモンズ 表示-継承 3.0 非移植ライセンスのもとに利用を許諾されています。 著作権に示した解釈の下ライセンスされるものとします。オリジナルのアップロード者は英語版ウィキペディアのFinlay McWalter)
下り終えるとホリルードハウス宮殿。スコットランドにおける英国王室の宮殿です。エリザベス2世女王は、夏はここで過ごすことになっているとか。
入場は有料、12.5ポンドでしたが、オーディオガイドは無料でした。日本語もあります。このガイドが素晴らしかった。
メアリーは、優雅なフランスの宮廷育ちです。スコットランドの田舎の水があわない。どろくさい貴族たちが気に入りません。そんなメアリーがいとこのダーンリー卿に会います。長身でイケメン。ロンドンの宮廷仕込みの優雅な立ち居振る舞い、音楽、詩歌に秀でた貴公子です。メアリーは一目惚れ。この結婚は政治的に問題がありました。しかし周囲の反対を押し切って結婚します。1565年7月29日、会ってから5ヵ月でした。
メアリー・スチュアートはダーンリー卿と結婚後このホリルードハウス宮殿で暮らします。
ところがこのダーンリー卿、あわよくばメアリーの夫としてスコットランドの王位を狙おうかという野心家でした。おまけに甘やかされて育った坊ちゃんで、大酒飲み、女には目のない浮気者、すぐに化けの皮がはがれて二人は不仲になります。
夫に不満たらたらのメアリーは、イタリア人の音楽家デイヴィッド・リッチオを秘書として寵愛します。リッチオはフランス語もできました。イタリア、フランスの宮廷を音楽家として渡り歩いてきたわけで、メアリー好みの優雅な男だったのでしょう。メアリーは優雅さ、つまりフランスに飢えていたのです。
メアリーは寝室隣の小部屋で、二人で親密に話し合うようになります。当然ダーンリー卿は2人の不倫を疑います。
この二人が本当に不倫の関係にあったかどうか、古来諸説あってはっきりしません。メアリーひいきの歴史家はなにもないと言い、メアリー悪女説の学者は当然あると主張します。しかしあの小部屋でいつも二人で親密に話していたら、疑われても仕方ないでしょ。
1565年3月9日悲劇は訪れます。 -
(この写真はクリエイティブ・コモンズ 表示-継承 3.0 非移植ライセンスのもとに利用を許諾されています。 著作権に示した解釈の下ライセンスされるものとします。作者はChris Sharman)
メアリー・スチュアートの父ジェームス5世が作らせた礼拝堂です。この北西塔にメアリー・スチュアートの部屋がありました。塔の下から2番目の階だと思います。
内部は撮影禁止でした。私たちの記憶では、階段をあがると左がメアリーの寝室でした。今は美術品の展示室になっていて、当時の面影はなかったと記憶しています。右にいくと小部屋でした。小さい部屋でした。デーブルが部屋の中央にあって、多分日本の8畳くらい。
以下はオーディオガイドの記憶です。
メアリー・スチュアートはこの小部屋で、デイヴィッド・リッチオと2人で食事をしていました。そこに嫉妬に狂ったダーンリー卿が側近とともに乱入します。
リッチオを殺そうとします。 -
デイヴィッド・リッチオの殺害
(この著作物は、著作権の保護期間が著作者の没後100年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。作者ウイリアム・アラン/ジョン・オーピー 所蔵/撮影者 ギルドホール・アート・ギャラリー)
さらに悲劇、あるいは喜劇が重なります。
女であれば、刃をもって襲ってくる相手に対し、ともにいる男が、かなわずとも自分を守って相手との間に立ちはだかる・・・と思うでしょう。ましてや、それが愛し合う二人であれば。
リッチオはなんとメアリーのスカートの陰に隠れたのです。
刺客はリッチオをとなりの大広間に引きずりだし、全身50数カ所を刺して殺してしまいました。
そのときメアリー・スチュアートは何を思ったでしょうか。愛の冷めた夫に対しては憎しみだけ。しかしリッチオに対しては。
妻曰く「私だったらトドメを刺しに行く」
この時、メアリーは6ヵ月の身重でした。 -
その後メアリーはエディンバラ城に移り、3ヵ月して、後のジェイムズ6世を生みます。
二人の仲は冷め切り、メアリーはスコットランド軍を率いる有力者、ボスウエル伯爵を愛するようになります。
1567年2月10日、夫のダーンリー卿が暗殺されます。5月15日メアリーとボスウエル伯は結婚式をあげます。当時ダーンリー卿暗殺の首謀者はボスウエル伯と見られたわけで、時期が悪い。国中が反対します。挙げ句の果てには反ボスウエル伯で結束した貴族たちの反乱が起こり、メアリーは反乱軍に捕らわれ、ロッホ・リーヴン城に監禁されます。しかしメアリーの美しさに惑わされた城主の息子の手助けで、脱出に成功します。(*)
スコットランドの貴族たちは反ボスウエル伯では団結していたものの、メアリーに対しては、政治的、宗教的思惑は別として、同情あるいは、内心惹かれるものがあったのではないでしょうか。今でもメアリーはこの国では絶大な人気があります。まして彼女を間近に見ることができた当時の貴族においてをや。
翌68年5月再度兵を集め貴族連合軍に戦いを挑みますが、また敗れます。25才、美貌の女王の流転が始まります。その後イングランドに亡命し、エリザベス1世に保護を求めることになるのです。
(*)「スコットランド女王メアリーの物語」千葉繁 http://www.shigeru1985yorkshire.com/the-story-of-mary-queen-of-scots.html
中のエピソードです。メアリー・スチュアートの生涯が簡潔かつ詳細に記述されています。参考にさせていただきました。
当時ヨーロッパは、カトリックとプロテスタントの宗教戦争の真っ最中です。イングランドはプロテスタント、スコットランドはカトリックが主流です。しかしそれぞれ国内に反対派を抱え、難しい舵取りが必要でした。
メアリー・スチュアートはカトリックでした。プロテスタントとどう折り合いをつけるかなどという見識はなし。融通がきかない性格。政治的、軍事的経験、手腕はゼロ。その政治、軍事を任せるべき人物を、その男を愛するかどうかで決めてしまいます。しかも男を見る目がない。男の趣味が悪い。典型的ダメンズウオーカー。
「おごれる美女は男でしくじる」妻が申しております。
これでしばらくメアリー・スチュアートのノートを閉じます。つぎはロンドン塔で開きます。 -
宮殿の西に隣接するホリールード修道院です。1768年の大暴風で屋根を吹き飛ばされ、現在のような廃墟になったそうです。
悲劇の女王とその王国に胸ふさがれて庭に出ると、春を告げる黄水仙が咲き始めておりました。
私たちのいた3日間は、いかにもスコットランドらしい、小雨と曇の日々でした。 -
カールトン・ヒルのネルソンモニュメントです。写真はどこからとっても曇のどんよりした空がバックに入り、補正をかけないと真っ黒です。
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忠犬ボビー公
グレーフライアーズ墓地の近くに犬の彫像があります。グレーフライアーズ・ボビーです。1858年に飼い主が死んでから14年間、毎日飼い主の墓を見守っていました。エディンバラの忠犬ハチ公です。
近所の人々に愛され、餌をもらっていました。レストランにご飯をもらいに来ていたそうです。
ボビー像の大きさが分かりませんか、それなら、 -
案外小さい。犬種はスカイ・テリアだそうです。
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壁にはボビーの一生の紹介文があります。今でも愛されているのです。
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THE BEEHIVE INN このレストランにご飯をもらいに来ていたのでしょうか。
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ボビー像の後ろのレストラン、「ESTABLISHED 1772」とあります。これかもしれません。
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ボビーは1872年に死にましたが、墓地の門のすぐ外側に埋葬されました。そこは、飼い主であるジョン・グレイの墓からほど近い場所だそうです。
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ボビーの墓標です。
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雨に濡れて、ジンチョウゲの香りが漂っておりました。
エディンバラを終わります。
20日ヨークに向かいます。
旅行代理店からもらったのは予約確認書です。これ自体は乗車券ではなく、駅でチケットに変更する必要があります。たとえばNGKEDRTMのように8桁の鉄道チケット予約番号が書いてあります。
まず駅の自動発券機(Ticket Vending Machine)にクレジットカードを挿入します。これは機械を稼働させるためで、カードから支払われることはありません。
8桁の予約番号を入力すると、切符がでてきます。 -
これがチケット本体です。
代理店からもらった説明書には、駅のチケットオフィスでも係員に予約番号を伝えれば発券してもらえるとなっていましたが、機械に行けと言われました。機械が10台くらい並んでいて、たしかにこっちの方が早い。操作も簡単です。
指定された番号の客車に乗り込みます。 -
なにやら書いてあるので、てっきり予約済みシートかと思いましたが、
-
よく見るとAVAILABLE、空席、でした。
私たちの列車はほとんどが空席。眺めのいい方に右に左に移動しながら、汽車の旅を楽しみました。ヨークまで2時間半くらいでした。
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この旅行記へのコメント (14)
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- KIKIさん 2020/10/25 11:27:12
- ありがとうございます。
- しにあの旅人様
初めまして。
KIKIと申します。
この旅は拙い旅行記に(いいね)を戴き有難うございます。
4トラ旅行記初心者の為今後の励みになります。
初めての海外が今から50年前イギリスのボーンマスという場所での語学ホームステイでした。歴史にも疎かったのですが、それなりに伝統の重さを感じ日本との文化の違いを感じ今思えば若いときに海外を経験出来 親に感謝です。
コロナウイルス禍の為海外旅行も儘ならずですが 日本国内を旅する良い機会かもしれませんね。
私の旅行記は 食べて呑んでグダグダの内容のない旅行記ですが 今後とも宜しくお願い致します。
- しにあの旅人さん からの返信 2020/10/26 20:02:31
- Re: ありがとうございます。
- 私たちの最初のころの旅行記を読んでいただきありがとうございます。
初心忘るべからずと申します。これからもその時の感動をちゃんと伝えられるように、史料調べに徹した面白い旅行記を書きたいと思います。
50年まえのホームステイの旅行記、読みたいですね。可能ならばお願いします。写真がないかもしれません。私たちも写真がないのに困りましたが、写真にこだわる必要はありません。貴重な記録だと思います。
コロナ騒ぎを逆手に取って、今の旅に出られないのであれば、過去の旅に出ようではありませんか。
-
- チーママ散歩さん 2020/10/19 20:39:52
- 読書の秋
- 先輩の初めての旅行記から読ませていただこうとお邪魔しました。
メアリー・スチュアートとリッチオのスカートのくだり凄いですね。
それに すでに全身50数カ所を刺されているところに、奥様の一言。
「私だったらトドメを刺しに行く」(*^_^*)は苦笑
前回読ませていただいた入国時の大いばりの連行事件。
そうかと思えば、とてもチャーミングなポエムな発想。
しっかり 最初から読ませていただかなくては(^^)
奥様との出会いも次回お披露目。との予告を拝見しましたよ♪
楽しみにしております。
- しにあの旅人さん からの返信 2020/10/19 21:10:02
- Re: 読書の秋
- わ!私たちの最初の旅行記を読んでいただき、嬉しい。
この頃はまだBy妻が独立していませんでした。自由に書かせたら、もっと過激だったと思います。
事実の叙述は私、感想はBy妻という役割分担なのですが、大いに脱線します。その脱線を楽しみにしていられる方もいます。
私は大体出典を明記しますが、By妻の場合は「出典は私」というのも平気。
飲み食いしながら読むのはやめたほうがいいと思います。吹き出す危険性あり。
-
- 前日光さん 2020/05/05 23:42:24
- 世界史専攻ではなかったので。。。
- 詳しくはありませんが、イングランド及びスコットランドには興味があります。
こんばんは、しにあの旅人さん。
2004年にスコットランドに夫婦で旅したのが、海外旅行の最後でして、その後出雲にハマリ、海外には行かなくなりました。
2004年夏、百年前に夏目漱石が滞在したというピトロホリーに行くのが目的で、スコットランドに出かけました。
娘達にも見放されて、二人でレンタカーを借りての旅となり、英語が通じなくてずいぶん苦労しました。
それまでの英国旅は、娘に頼った旅でしたが、この時は英語オンチの夫婦旅だったので苦労しました(^^;)
ネス湖などを回ってけっこう遅くなった時刻、インフォメーションでホテルの場所を尋ねたところ、そのホテル(ドロモシーホテルと言いました)はインフォメーションが所有している地図上にはなく、そこから少しはみ出した郊外にあったのです。
大きなメイン道路を延々と走り、途中で右折と言われたのですが、その場所がどこにも表示されていなくて、ずいぶん走った先に何かの記念場所みたいな所に着きました。
それが、実はこの旅行記にも登場しました「カローデン戦場跡」だったのです。
もちろん帰ってきてから知ったのですが。
ま、白夜とは言え、どんよりと曇って暗かったので(たぶん午後6時半頃)、途方に暮れた私たちはこんな戦場跡は案内されていなかったから、きっと曲がり角を通過してしまったのだろうと思い引き返しました。
その途中、トヨタのラブが左折しようとしているのを発見して、藁にもすがる思いでホテルへの道を尋ねると、運転者は自分たちの車の後についてきなさい、曲がり角で車のハザードランプを点滅させるから、そこを曲がるがよいと言ってくれました。
お陰で無事ホテルに到着することができたのです。
言葉の通じない旅先での親切は忘れることができません。
帰国してから、世界史の先生にその場所について尋ねて、「カローデンの戦場跡」というのを知ったのです。
メアリー・スチュアートには興味がありますし、この間ウチのニャンの首に巻かれていた「エリザベス・カラ-」というのは、おそらくエリザベス一世の着用していた、あの衿からきているのだろうと思い、二重に興味深い英国です。
旅行記から逸れた話を長々と申し訳ございません。
ハワースは行きたいと思いつつ、行けなかったところです。
後でご訪問いたしますね(^_^)v
前日光
- しにあの旅人さん からの返信 2020/05/06 07:32:01
- Re: 世界史専攻ではなかったので。。。
- カロデンへのドライブ、いいなあ。
ハイランドはいつかドライブしてみたいと思っています。このときの印象では、イギリスでの車の運転は比較的楽そうです。一言でいえば、とろい。わたしにもできそうです。イタリアで2泊3日のドライブから難なく(?)生還したので、イギリスなど楽勝でしょう。大都市には行かない。行ったら車を止めて後は歩く。
ところが、このコロナ騒ぎ。コロナ騒ぎのあとのヨーロッパ旅行は難しいかなと思っております。1、2年は無理でしょう。寄る年波で反射神経は衰えるのは想定内で、早めに行こうと思っておりましたが、コロナ騒ぎは想定外でした。
知人のスコットランド人によれば人の行くところではないハイランドドライブは、夢に終わりそうです。
-
- kummingさん 2020/02/26 17:33:42
- しまい忘れたへそくり♪
- 自分で隠したのに何処?隠した事さえ忘れていたへそくりが出てきた~^o^
いつだったか、銀行通帳と印鑑を一緒に仕舞うのは、泥棒さんを喜ばせるだけの大バカモノのする事であ~る、て説にまんまとノセられ、別々にしまったものの、いざ必要な時に、アレ?何処だっけか?と難儀した事があります。
前フリが長い(笑)
ロンドンに娘が居た時、一人で飛行機に乗り海外へ向かったのが、海外一人旅のきっかけでした。娘は学生だったので、昼間母さんは1人で遊ぶしかない!ロンドンは3度目とはいえ、一人で遊んだ事はない(-。-;
はじめは恐る恐るハイドパークを散策し、次第にバスに乗ってロンドン散策、テムズ川のほとりをお散歩したり、段々度胸もついてきて、underground乗り継ぎ~の、ロンドンのヴェニス、オックスフォード、鉄道使って憧れの聖地ウィンブルドン、ついでにアールズコートなんぞ訪れてみた。
そんなこんなが懐かしく思いだされました。
エジンバラがメアリースチュアート縁の地だとは!これもまた、むか~し昔、ツヴァイク著メアリースチュアート、読んだのですが、内容はいつものように忘却の彼方…。本は我が家の本棚に健在(笑笑)
渋谷のハチ公に負けず劣らずのエジンバラのボビー公、像だけでなくお墓まで!
いつものような歴史探訪の旅&シニアの旅人さん節?に
ちょっと暗闇の中でもん悶?としている昨今、一条の光が射し込んで来ました♪
へそくりの場所覚えたので、毎日少しずつ、楽しみに~^ ^
長くなりましたm(._.)m
- しにあの旅人さん からの返信 2020/02/27 06:46:12
- Re: しまい忘れたへそくり♪
- はようございます。最初の旅ブログです。じっくり読んでいただいて、ありがとうございます。写真が少なくて、あっちこっちトリミングしたり、苦労したのを思い出します。いまでは夫婦でバシャバシャとりまくって、あとで整理に困っております。
イギリスはスコットランドのハイランドのそのまた北の海沿いをドライブしてみたいと思ったことがあります。なんにもないところで、そのなんにもないところが、私たちに気に入りました。ただ旅情報も全くなくて、エジンバラ出身のイギリス人に聞いたら、そんなところ行ったことない、人の行くところではないというような反応でした。いつの日か行ってみたい。でも、なにを見ればいいのだろう。
「嵐が丘」の舞台ハワースで、ムーアをもう一度彷徨ってみたい。イギリス旅行記の2で、遭難(おおげさ!)しかけた話が出てきます。
イタリアがポッシャって、ふてくされております。夢は荒れ野を駆け巡る、という状態です。
ところで、イタリアはどうなさいますか? 外務省のたびレジに登録していますか。私はイタリアと、トランジットのカタールを登録していました。カタールのドーハでは韓国人は事実上入国禁止、日本人はまだ大丈夫ですが、普通の入国手続きに加えてしつこく健康状態のチェックがあるそうです。
トランジットはまだ無制限ですが、いつまでか、時間の問題という感じ。
イタリアはいまのところ、日本人への制限はありません。あれだけ患者数が増えて、制限してもしょうがないですよね。今現在468人、4位の日本をダブルスコアで引き離して、堂々の銅メダルです。そんなメダル、欲しくもないですよね。
- kummingさん からの返信 2020/02/27 20:48:18
- 続報?
- 教えて頂いたので、さっそくたびレジに登録!
すると、最初の経由で渡航中止勧告の真っ赤なマーク(o_o)
トルコのシリア国境側が確かに紛争地、でした。念のため、経由地と滞在地10個登録^ ^で、トランジットすらさせて貰えなくなるんですか?韓国人のドーハの悲劇?さすがにそうなると、フライトキャンセルは無料ですよねー?
実は、まだ悪あがきの真っ最中でして(笑)旅程をあ~でもないこ~でもない、といじくって遊んでおります!
イタリアは旅の終盤の予定なので、帰国イタリア発~を変更し、イタリア滞在予定日数を他の中継地に替え、そこから帰国、のフライトに変更しても、2万ちょいみたいな…。かと言って、変更した旅先に感染拡大する可能性もあり(;o;)
もちろん、イタリア滞在予定に予約、購入してる分は、一応メールで問い合わせ中ですが、半分諦めるとしても、万一、全旅程を断念すると、フライトキャンセル2万6000超+こちとら地方~東京間のフライトが超早割なので戻って来ないT_T et cetera etc…
「夢は荒れ野を駆け巡る」、シニアの旅人さんの新作ブログ?もしアップされた暁には、私共たびの初心者向け指南の必携ブログ♪になると保証します!
あ、また傷口に塩?(-。-;
閑話休題。マニラに居る娘が出張で帰国予定のところ、フィリピンは日本を感染国指定、渡航禁止となり、代わりに色々日用品を買って郵送する事になりました。
今後の展開は全く予想不可、最終的に全キャンセルの決断を迫られる日も、そう遠からず…。そしたら、私も行けなかった妄想旅行記、作るかな?
へそくり閲覧は、そんな暗黒の日々を耐え忍ぶ時まで?今日のところはお預け~^ ^
長々と、申し訳ありませんm(_ _)m
- しにあの旅人さん からの返信 2020/02/28 04:58:57
- Re: しまい忘れたへそくり♪ の続報
- たびレジより。
イタリア北部3州に感染危険情報レベル1が出ました。ご注意。
-
- skyeさん 2018/08/10 19:55:18
- はじめまして^^;
- メアリー・スチュアートのエピソード、スカートに隠れたリッチオや監禁先から脱出できた理由等、詳しく知ることでき、とても興味深かったです(^。^)
ハワースに行かれたとのこと、子供の時からシャーロット・ブロンテファンなので彼の地の旅行記楽しみにしています♪
skye
- しにあの旅人さん からの返信 2018/08/10 20:34:06
- Re: はじめまして^^;
- コメントありがとうございます。励みになります。ハワースは今書いています。
メアリースチュアートは腹が立つほどバカな女で、それでも魅力的な人です。これから悲劇の佳境に入ります。ロンドン塔からウエストミンスター寺院まで引っ張ります。
-
- picotabiさん 2018/08/08 14:03:18
- こんにちは。
- メアリースチュワートのお話、お昼ごはんを食べながら楽しませていただきました。私も彼女はダメンズと認識しています。男性がいないとダメな美女…ヒガミでしょうか笑
旅行記は続きますか?ロンドン塔のお話が楽しみです。フォローさせてください。
どうぞよろしくお願いします。
- しにあの旅人さん からの返信 2018/08/08 14:17:24
- Re: こんにちは。
- フォローありがとうございます。私も今picotabiさんのロンドン塔を拝見したところです。メアリースチュアートの話はロンドン塔に続きます。ウエストミンスター寺院まで行く予定です。
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