2018/02/11 - 2018/02/14
68位(同エリア255件中)
まつじゅんさん
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*大洲は、大雨で今回見学したエリアも結構な被害を受けられたようです。
一日も早い復興と、平穏な生活が戻る事を願っています。
朝から道後温泉で暖まりましたが、最終日も寒い一日です。
松山道は雪で通行止めが続いていますし、途中、内子の峠にはしっかりと積雪があり、スタットレスで良かったと思った瞬間でした。
内子や宇和島は立ち寄ったことがありますが、大洲は初めての街です。
古い街並みや歴史的な建造物があり、面白そうな街だと思っていましたが、今回初訪問となりました。
おはなはん通りやレトロな街並みは倉吉に共通する感じで、懐かしい街並みでした。
大洲城では、名古屋のTV局から、木造での城の再建等についてインタビューを受けましたが、木造ではEVが設置できない等、名古屋城建て替え計画には色々賛否の意見があるようですね。
帰りは松山ICから高速も通行止め解除となり、再度しまなみ海道経由で倉吉に戻り、翌朝、瀬戸大橋を渡り香川に出勤いたしました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
前日からの雪が道に残る街並み。
足元注意です。
気温も低いですが、朝入浴した道後の湯のおかげか、何とか外歩きに耐えれそうです。 -
おはなはん通りから、明治の街並みを歩きます。
肱川に近い一角に、江戸及び明治の面影を残す町並みが残っています。
一帯で昭和41年のNHK朝の連続テレビ小説「おはなはん」のロケが行われたことから「おはなはん通り」と呼ばれていますが、奥様と「なんか倉吉に帰ってきたようだね。」と話ながら歩いてきました。 -
平成28年7月25日「国の重要文化財」に登録された臥龍山荘です。
明治時代に豪商で木蝋貿易に成功した河内寅次郎が、老後の余生をここで過ごしたいと伊予の小京都と言われる大洲、その肱川随一の景勝地「臥龍淵」に明治30年頃から10余年をかけて築造した別荘です。 -
臥龍院です。
木造茅葺寄棟造り平屋建附属建物一部瓦葺、倉庫2階建、59坪。
構想10年、工期4年という、河内寅次郎がその情熱をもっとも注いだ建物で、母屋は周囲に調和した均整の美を取り入れ、屋根は茅葺、農村風寄棟の平屋建てとして全国各地より吟味した銘木を使用し、隅々にまで計算し尽くされた建物です。
(以下の各説明は、HPより抜粋) -
壱是の間(いっしのま)
格調高い書院座敷で、丸窓、濡縁、障子戸、天井板等に桂離宮様式が取り入れられています。
畳をあげれば能舞台となり、床下には備前焼の壺が置かれ音響効果を高めてあります。
また、数寄屋部分との調和を図るための配慮も見られ、特に床柱は杉の四方糸柾、長押は杉の磨き半丸太、欄間彫刻は優雅な野菊、鳳凰の透かし彫り、障子戸、天井板には春日杉の中杢を使用する等々の工夫が随所に見られます。 -
霞月の間(かげつのま)
この部屋は、京都大徳寺玉林院の霞床の席に案を得て、違い棚を霞に見たて、掛け軸には富士山が描かれており、丸窓の奥には仏間があり蝋燭の明かりが灯されると月明かりのようになり、月に霞で霞月の間という事です。
襖もあえて鼠色で、薄暮を表現し引手にはコウモリの細工が施されています。
壁の一部を塗り残し、荒れた農家の風情を表し、さびさびの表現がされています。和紙で仕上げた天井、床柱を省いた通し落とし掛け、縁側廊下には仙台松の一枚板が使用され、時雨高欄など、細やかな細工が施されています。 -
私が一番気に入った建物、不老庵(ふろうあん)です。
木造茅葺平屋建5坪、木造瓦葺平屋建茶室3坪という、臥龍淵を眼下に見る崖の上に懸り造りに建てられた数寄屋造りで、庵そのものを船に見立てて作られています。
天井は竹網代一枚張りを船底の形のような形にしてあ、対岸の冨士山右端から月が昇り、天井に反射して部屋を明るくする巧妙な趣向が施されています。
床には2間幅の仙台松の1枚板を使用し、2間の曲がり竹を落とし掛けにし、違い棚をつけない簡潔な仕上がりです。
入口縁続きに大徳寺庵孤篷庵に見るような素朴な意匠の茶室があり、外に出て裏に廻ると生きた槇の木を使った「捨て柱」が見られます。これは建築当時、懸り造りの基準に使われたもので建てられています。 -
臥龍淵を眼下に見る。
正しくそんな感じです。
大洲市の肱川での鵜飼いは、岐阜市の長良川、日田市の三隈川と合わせ「日本三大鵜飼い」と称しています。
大洲市の鵜飼は、鵜匠船と客船の屋形船が併走しながら川を下るという、国内唯一の「合わせ鵜飼い」といわれる手法で行われています。
今年の7/7豪雨の影響で、大きな被害を受けたようですが、関係者の努力と熱意で、8/7から再開されたとのことです。
今シーズンは9月で終わっていますが、来シーズンも楽しませて欲しい、と思います。 -
大洲まぼろし商店街一丁目、通称ポコペン横丁です。
中華そば、コロッケ、焼き鳥、ラムネ、おもちゃ、骨董品、昔遊び等のお店が軒を連ねる、昭和30年代のレトロで懐かしさが漂う横丁を再現している通りです。 -
ホーロー看板が、あの時代の代名詞だった気がします。
私は32年生まれですので、ど真ん中世代では無いのですが、奈良の小さな田舎街の一角にこんな景色があった記憶が、うっすらながら残っています。 -
商店街の一角に、思ひ出倉庫という建物がありました。
多彩なグッズが展示されており、昭和の香りに包まれます。 -
TVも小さいですね。
家族皆が身を寄せて、食卓を囲みながらTVのチャンネル権争いをする。。。
勿論、色々なことがあったでしょうが、なんか平和で仄々とする時代だった気がします。 -
モータリーゼーションの創生期の代表的な車、ミゼットです。
小学生のころ、まだ走っていた記憶がありますが、今でも通用する可愛さが
ありますね。 -
「ポコペン横丁」や昭和レトロの逸品が並ぶ「思ひ出倉庫」に隣接して、「おおず赤煉瓦館」があります。
「おおず赤煉瓦館」は、 明治34 年に大洲商業銀行として建築された当時では珍しい外壁に赤レンガ、 屋根には和瓦を葺いた寄棟造りの建物です。
鬼瓦に「商」の文字が入った和洋折衷な造りが特徴的で、館内では、工芸品や特産品などの販売、休憩スペース、ギャラリーがあります。 -
大洲商業銀行から現代までの建物の歴史が掲示されていました。
大洲は、幕末の頃から養蚕や製糸業が次第に普及し始め、明治20年代には養蚕・製糸の一大中心地として発展し、金融機関の整備の必要性が認識され始めた事から、明治22年に大洲銀行が開業した。
明治31年頃から、本社の建設が始まり、倉庫、金庫、本館事務所など順次竣工し、明治34年に全てが完了した。
大洲商業銀行は大正11に大洲銀行と合併解散し、その後も合併を繰り返し、豫州銀行、そして現在は伊予銀行となっている。
イギリス積みのレンガ造りの本社建物は、昭和29年に大洲市の所有となり、警察署庁舎や商工会議所を経て、大洲市の観光施設「おおず赤煉瓦館」となっているようです。 -
お昼となり、駐車している大洲まちの駅「あさもや」に戻り、地元の人気店大洲炉端 油屋の2号店の分油屋(わけあぶらや)で食事です。
このお店は、ランチタイムのみの営業です。 -
メニューです。
蕎麦が有名らしいですが、ご飯類も色々あります。 -
私は、佐田岬の釜ゆでしらす丼定食。
しらすたっぷりの一品です。 -
奥様は南予の鯛めし定食。
愛媛県の鯛めしって二種類あるんですね。
愛媛といえばみかんですが、真鯛の生産量も日本一なんですね。
愛媛産の養殖真鯛の国内シェアは50%強、その特産の真鯛を使った愛媛の郷土料理「鯛めし」は地域によって違うようです。
松山市を中心とした中予~東予地方の「鯛めし」は、焼いた鯛を昆布だしでふっくら炊き込んだ「松山鯛めし」。
宇和島市を中心にした南予地方の「鯛めし」は、生卵入りのタレに漬けた鯛のお刺身を、タレごと温かいごはんに掛けていただく「宇和島鯛めし」。
こちらは東予鯛めしで、右の卵の入った漬けだれに鯛を漬け、タレごとご飯にかけるスタイルです。
私はこちらの方が好きですね。 -
お腹も一杯になり、臥龍山荘でセット券を購入していたので、車で大洲城に向かいます。
途中、昭和52年8月公開の、「男はつらいよ」第18作 寅次郎と殿様のロケ地となった旧加藤家主屋に向かいます。
建物のある場所は、お殿様公園(大洲城三の丸南隅櫓公園)として、城山公園と結ぶ歴史公園として整備されました。
大洲藩加藤家最後の藩主である「加藤泰秋」の嫡裔にあたり、名誉市民でもある故加藤泰通氏が、大正14年に居住として建築した建物で、大名屋敷の名残である格調の高さが香る一方、西洋風のモダンさも兼ね備えた建物です。
映画では、本住宅の正面玄関、正門、裏門などが撮影に使われていたようです。 -
寅さんが、大洲城で知り合う浮世離れした老人、世が世なら伊予の殿様藤堂久宗を演じる嵐寛壽郎さんです。
寅さんと殿様の絶妙なやり取りに加え、殿様の侍従を演じられた、三木のり平さんの味のある面白さが、今でも印象に残っている作品です。 -
マドンナは、殿様の次男の未亡人「鞠子」を演じた真野響子さん。
殿様の寅次郎君という呼びかけに、軽妙に返す寅さんとマドンナに接する寅さん。
この違い、ギャップが寅さんなんでしょうね。 -
しばし寅さんの世界を楽しみ、大洲城に向かいます。
市民会館の駐車場に車を止め、山を登って行きます。 -
イチオシ
大洲城(おおずじょう)です。
鎌倉時代末期、伊予国の守護宇都宮豊房の築いた地蔵ヶ岳城(じぞうがだけじょう)が始まりといわれており、激動の戦国時代を経て、小早川隆景が伊予を平定した後、戸田勝隆、藤堂高虎、脇坂安治が相次いで城主となりますが、この頃に4層4階の天守を中心とした、本格的な近世城郭に整備されたのではないかと考えられています。 -
明治政府は、要塞として機能し得る城の存在を恐れ、いつ反政府な元士族が決起するかわからない時代という時代背景もあり、明治21年に天守が取り壊されましたが、4棟の櫓は解体をまぬがれ、いずれも国の重要文化財に指定されています。
平成16年(2004)に復元された4層4階の天守は、明治期の古写真や古絵図をはじめ「天守雛形(ひながた)」と呼ばれる江戸期の木組み模型など豊富な資料をもとに、往時の姿を正確に復元した日本でも数少ない天守です。
重要文化財の台所櫓、高欄櫓とL字型に多聞櫓で連結し、複連結式天守と呼ばれる構えを成しています。
大洲城天守の復元は、これらの資料研究の集大成となっています。
、 -
天守の復元は、平成6年に木造による復元を目指し、大洲城天守閣再建検討委員会が発足したことから始まり、平成8年に建築史家 宮上茂隆氏が「木造による完全復元が可能」と発表し、完成まで10年という年月を経て完成しましたが、丁度当日名古屋のTV局が取材に来ており、数少ない見学者でしたので、木造天守についてインタビューを受けました。
取材の目的は、名古屋城が木造天守で復元を行う計画で、EV設置について社会福祉団体からの要望があり、賛否議論されているようですが、利用者目線でどうかという趣旨でした。
私見ですが、大洲城も見学にはEVはありません。
急な階段等が多く、30を超えた私達も結構きついと感じましたが、建築をかじった人間としましては、それも一つのカタチではないかと思っています。
観光、ユニバーサルデザインの重要性は解ります。
ただ、城という建物を残すのであれば、当時の造りを再現することが優位ではないかと思います。
費用が許せば、保存用と誰もが楽しめる観光用と、2棟作れば良いと思いますが、これからの時代VRでの利用を考えた方が良いのでは、と思います。
中途半端な観光城になってしまうのであれば、姿だけ見るというのも良いと思います。
まぁ、名古屋の方々がどう判断するかが第一だとは思いますが…。 -
大洲城から、最終日ですので倉吉に向かいます。
途中、少し寄り道して、気になっていた長浜大橋の見学に向かいます。 -
長浜大橋は通称「赤橋」と呼ばれ、 現存する中で稼動するバスキュール(跳ね上げ) 式道路可動橋としては、日本最古ですが、現在は点検・観光としてのみ開閉しているようですが、景観に溶け込んだ綺麗な橋です。
-
毎週日曜日の午後1時から開閉しているようです。
すぐ横には新しい橋が出来ており、国道378号線となっています。
平成26年12月に、国の重要文化財として指定されています。 -
稼働部の見上げ。
トラス橋の綺麗で朱色の橋はライトアップイベントも行われているようです。 -
第二次世界大戦の際、機銃掃射を受けた傷跡も残っています。
歴史遺産ですね。 -
駐車場そばにあった、旧末永家住宅、通称百帖浜屋敷です。
明治期に回漕業で財を成した末永家の邸宅で、主屋と百帖座敷が平成15年に国の登録有形文化財に指定されているようです。
平成23年の修復工事の完成に伴って、愛称募集され「百帖浜屋敷」に決定したらしいです。 -
百帖座敷という名前ですが、実際は100畳もありません。
その位広い部屋との意味なんでしょうね。
昭和2年頃完成したこの建物は、接客用の施設として建てられ、町のお祭りや敬老会にも利用されたりしたと伝えられています。 -
床の間がある座敷の天井は、縁がカーブを描き一段高くなった折上げ格天井です。
大洲の街を後に、松山から松山自動車道、しまなみ海道経由で倉吉に無事帰着いたしました。
本日これまで。
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