2018/05/08 - 2018/05/10
159位(同エリア509件中)
naoさん
旅の行程
5月 8日 肥前浜宿、塩田津
5月 9日 有田内山、大川内山、佐賀柳町
5月10日 黒木、八女福島
佐賀県佐賀市柳町は鍋島藩36万石の城下町のひとつで、小倉から佐賀を経由して長崎へ続く長崎街道に沿って、白漆喰塗籠めの重厚な武家屋敷や趣のある商家などが点在し、往時の面影をとどめる町並みを形成しています。
中でも、旧古賀銀行、旧古賀家、旧牛島家、旧三省銀行、旧福田家、旧森永家、旧久富家の貴重な歴史的建物については、佐賀市が「佐賀市歴史民俗館」と位置づけて後世に伝えるための整備・保存に努め、「佐賀城下ひなまつり」などのイベント会場として広く活用しておられます。
その他、「IT企業が経営するものづくりカフェ」、「和紅茶の伝道師のような専門店」、「300年の伝統を守る鍋島緞通の職人集団」、「柳町を着物で溢れさせたいという美容院」など、様々な方々が柳町の町家をリノベーションして古今東西を問わない新たな活動に取り組まれています。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス ANAグループ JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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JR長崎本線佐賀駅にやって来ました。
佐賀駅バスセンターから佐賀市営バスに乗って、この日最後の目的地、佐賀柳町を目指します。 -
最寄の呉服元町バス停で下車して、長崎街道の佐賀柳町に到着しました。
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佐賀市の下水道の蓋。
有明海のムツゴロウをかわいいデザインに仕上げています。 -
同じムツゴロウのデザインの蓋ですが、こちらは「おすい」と書かれています。
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佐賀柳町の町並みです。
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こちらは馬場家住宅です。
馬場家の祖先は鍋島藩の藩医を務めておられたそうです。 -
こちらは佐賀市歴史民俗館の内の一館である旧古賀銀行です。
ちなみに、佐賀市歴史民俗館は、市内に残る7ケ所の歴史的建造物を後世に伝えるため、市が整備・保存して一般に公開しているもので、コンサートや展示会などのイベント会場としても活用されています。 -
旧古賀銀行は明治18年(1885年)に設立された銀行で、この建物は明治39年(1906年)に建築されものだそうです。
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大正時代には九州の五大銀行の一に数えられるまでに隆盛しますが、慢性的な不況により業績が悪化し、昭和8年(1933年)に解散してしまいました。
平成4年に佐賀市の所有となったあと、大正時代の全盛期の姿に復元されています。 -
旧古賀銀行の真向かいにちょっと変わった名前のお店があります。
そう、「チャリティーショップよらんね」です。
何を扱っておられるのか判りませんが、透かし彫りの欄間は見応えがあります。 -
こちらも佐賀市歴史民俗館の内の一館で、古賀銀行を創設した旧古賀家のお屋敷です。
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こちらは旧中村家住宅です。
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この建物は、明治18年(1885年)に設立された旧古賀銀行が当初社屋として使っていたものだそうです。
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こちらは、寛政年間(1789年~1801年)に佐賀藩の命により煙草の製造を始めたと伝えられる旧森永家住宅です。
こちらも佐賀市歴史民俗館の内の一館ですが、和紅茶の専門店などとして使われています。 -
こちらは、佐賀城下町に残された町家の中で最古のものとされる旧牛島家住宅です。
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元は別のところ(佐賀市朝日町)に建っていたこの住宅は、平成5年の前面道路の拡幅工事に伴い、佐賀市が主屋と釜屋を譲り受けました。
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その後、佐賀市による現況調査や実測調査を経たのち解体され・・・
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建築当初の部材を再利用してこの地に移転・復元されたもので、平成9年から佐賀市歴史民俗館の内の一館として運営されています。
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居室の前にしつらえられた中庭。
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座敷の南側に設けられた土蔵と庭園。
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では、旧牛島家住宅をおいとまして次に向かいます。
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こちらは旧三省銀行です。
現在、佐賀市歴史民俗館の内の一館として運営されています。 -
こちらは地域の消防分団の建物です。
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出格子がアクセントになっているこちらの町家は印刷屋さんです。
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こちらは履物商を営んでいた旧久富家住宅です。
こちらも佐賀市歴史民俗館の内の一館になります。 -
主屋の裏に建っている、下駄などを製造していた作業棟には・・・
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現在、カフェや写真館など、多くのお店が入居されています。
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この道標の立っている所で、長崎街道は南に向きを変えます。
この辺りの町並みも風情があるので、長崎街道の前に歩いてみます。 -
白漆喰塗籠めの町家があったりして、中々良い光景を見せています。
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では、ここで引き返して、先ほどの角を東へ歩きます。
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紺屋川に架かるこの橋は、柳町と東佐賀町の境となる柳橋です。
大正4年(1915年)に道路が東に延伸されたのに合わせて架けられたんだそうです。
では、道標の所まで戻って長崎街道を歩きます。 -
先ほどの道標が目印の、この角を南へ入ると長崎街道です。
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こちらは南里邸です。
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くぐり戸の付いた玄関上部の下屋を大きな持ち送りで支えています。
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表と裏の二つの棟を繋ぐ大屋根が架けられています。
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南里邸のお向かいの町家も、白漆喰を塗籠めた重厚なものです。
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側溝の蓋には、街道を行き交う旅人の姿が描かれています。
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長崎街道はこの先で東に向きを変えて延びて行きます。
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長崎街道を外れた先に連なる町並みです。
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こちらは野中烏犀圓さんです。
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野中烏犀圓さんは寛永3年(1626年)創業の薬屋さんで、生薬「烏犀圓」を販売されてきました。
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店頭に掲げられた歴史ある看板には、佐賀藩の「杏葉紋」が刻まれています。
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現在は生薬の販売だけでなく、地元の小学生を集めて歴史の勉強会や見学会を開くなど、地域に密着した活動を行っておられます。
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こちらの町家は、高さの異なる切妻屋根が直交しています。
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通り小路にあるこちらのお屋敷は、明治時代末期から昭和にかけて活躍した実業家の旧福田家住宅です。
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こちらも佐賀市歴史民俗館の内の一館で、現在は佐賀錦振興協議会の活動拠点として、佐賀錦の手織り実演や教室などが行われています。
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こちらの京染め物のお店も、切妻屋根が直交しているように見えます。
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瓦を張った土塀をめぐらせているのはお食事処です。
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こちらは有田焼の窯元が開いているお店のようです。
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こちらの和洋折衷の建物は写真館です。
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鉄骨の土台の上に、木造の町家が突き出すように増築されています。
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これは佐賀藩が日本で最初に鋳造した150ポンドカノン砲です。
海防論の高まりの中、洋式砲術とともに火器製造法の習得が叫ばれた幕末期、長崎警備の強化の必要性を感じていた第10代佐賀藩主鍋島直正は、嘉永3年(1850年)、築地(現在の佐賀市長瀬町)に独自の洋式反射炉を築造し、日本で最初の鉄製大砲の鋳造に成功しました。 -
これにより、佐賀藩は長崎の神ノ島、四郎島、伊王島に新設した台場に大砲を備え付け、長崎警備の強化が図られることとなりました。
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こちらは、昭和2年(1927年)に創設された佐賀県初の博物館「徴古館」です。
当館では、旧佐賀藩主鍋島家伝来の歴史資料や美術工芸品の展示をはじめ、年数回の企画展、講演会、音楽会などのイベントが開催され、広く県民に親しまれています。
では、佐賀柳町界隈をひと通り歩いたので、県庁前バス停から佐賀市営バスに乗って佐賀駅へ戻ります。 -
佐賀駅に戻って来ました。
この後、長崎本線の電車に揺られて、今宵の宿を予約している鳥栖へ向かいます。
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