2018/05/08 - 2018/05/10
126位(同エリア535件中)
naoさん
旅の行程
5月 8日 肥前浜宿、塩田津
5月 9日 有田内山、大川内山、佐賀柳町
5月10日 黒木、八女福島
佐賀県西松浦郡有田町は、元和2年(1616年)に有田泉山において白磁陶石が発見されたことで誕生した白磁器の一大生産地で、「日本の白磁器のふるさと」として、今日まで400年間に亘って連綿と白磁器製作が続けられています。
集落すら無い深山幽谷の地だった有田が大きく変貌するきっかけになったのは、豊臣秀吉による朝鮮出兵(文禄の役)で、この戦いに参加した佐賀藩主鍋島直茂が朝鮮から連行した多数の陶工の中の一人、李参平(初代金ヶ江三兵衛)が元和2年(1616年)に泉山の白磁鉱を発見し、上白川天狗谷に築窯したことで近世日本の陶磁器を代表すると言われる有田焼が始まったことによります。
白磁器の生産が軌道に乗り、陶工達が泉山の陶石を求めて有田川上流に移り住み登窯が乱立すると、燃料として使用する木材の伐採による山野の荒廃と陶石保護のため、佐賀藩は窯場の統制と整理を断行、窯場を有田と伊万里に限定させ、大木村にあった有田郷代官所も有田皿山に移し、白磁器生産を厳しい管理下に置きました。
有田と言えば、1640年代に初代酒井田柿右衛門が成功した色絵磁器が知られていますが、それまでの藍色単色の染付の世界から、多彩色へと変化した画期的なもので、1650年代からオランダの東インド会社(略称 VOC)により東南アジアやヨーロッパの国々に輸出され、当時のヨーロッパの王侯貴族の間では「IMARI」と呼ばれて珍重され、ステータスシンボルとなりました。
有田内山は、窯場統制時代に設けられた上の番所(泉山)から、下の番所(岩谷川内)までの約2Kmに亘るエリアで、現在見られる町並みは、町中の建物を焼き尽くした文政11年(1828年)の大火の後に復興されたものが基盤となっており、江戸時代から昭和までの各時代を代表する町家が連なっています。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- ANAグループ JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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この日最初の目的地に向けて、昨夜の宿があったこの駅から・・・
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JR佐世保線の電車に揺られて出発です。
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最初の目的地、JR佐世保線有田駅に到着しました。
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有田駅前にある奇抜なデザインの観光案内所でレンタサイクルをお借りして、有田内山の町歩きに向かいます。
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有田町の汚水桝の蓋。
町の木「イチョウ」の葉が蓋一面にデザインされています。 -
まず訪れたのは、有田内山の東端にある泉山磁石場です。
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泉山磁石場は、豊臣秀吉による朝鮮出兵に参加した佐賀藩主鍋島直茂が朝鮮から連行した多数の陶工の中の一人、李参平(初代金ヶ江三兵衛)が元和2年(1616年)に発見した白磁陶石の採掘場です。
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ここで白磁陶石が発見されたことで有田内山は白磁器の一大生産地となり、「日本の白磁器のふるさと」として今日までの400年間に亘って、連綿と白磁器製作が続けられています。
写真は、昭和41年(1966年)の有田焼創業350年祭の一環として建立された、名もなき陶工達に捧げる記念碑で、登り窯に使われていた耐火レンガ(トンバイ)や窯道具の廃材で作られています。 -
現在、陶石は採掘されていませんが、これまで掘り続けてきた結果、山が一つ無くなりこんな姿になったそうです。
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坑内には、手掘りで採掘していた頃のノミ跡が残っているそうです。
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通路に埋め込まれた初期伊万里や古伊万里の磁器片。
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これらの磁器片は、当時の名もなき陶工達の手で焼かれていたんですね。
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では、町歩きに戻ります。
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泉山磁石場まで来るのに、ずっと上り坂をゼーゼー言いながらペダルをこいできたんですが、戻りは下り坂なので楽ちんです。
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こちらは有田磁石場組合です。
有田町と伊万里市の共有財産である磁石場の維持運営などを行っておられます。 -
妻入りの町家です。
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こちらの町家の黒漆喰塗の外壁が、精悍な印象を醸し出しています。
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有田内山には、有田町のコミュニティバスが運行されているようです。
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こちらは、江戸時代に置かれていた佐賀藩皿山代官所の泉山口屋番所跡です。
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有田焼の製陶技術や陶石などが領外へもれないよう、佐賀藩の役人が常駐して厳しく取締っていました。
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門前には当時の「お触書」が再現されています。
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泉山口屋番所跡の背後にそびえる、樹齢約1000年の大イチョウ。
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格子戸の出入り口が開けられた町家です。
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こちらは陶磁器店さんです。
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こちらのガラス戸には・・・
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陶板がはめ込まれています。
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こちらの町家は、陶芸体験や古美術などの展示ギャラリーとして活用されています。
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JR上有田駅へ続く町並みです。
メイン通りから外れますが、良い町並みのようなので歩いてみます。 -
こちらも陶磁器店さんです。
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こちらの町家は、板塀が自己主張しています。
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黒漆喰塗の重厚な町家はカフェ&ショップカフェです。
店名の『Fountain Mountain(ファウンテン マウンテン)』は、有田焼発祥の「泉(Fountain)山(Mountain)」からとられているそうです。 -
では、この辺りでメイン通りへ戻ります。
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メイン通りへ戻ってきました。
こちらの和洋折衷の建物は陶磁器店さんです。 -
「道路標識に邪魔された!」って怒っても仕方ありませんね、違うアングルになるように私が動かないとダメですね。
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こちらはマッサージ屋さんです。
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こちらの町家には、無農薬野菜の直販コーナーがあります。
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ガラス窓にバリエーションのある町家です。
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こちらの町家は、2階の窓に白漆喰塗の庇をしつらえておられます。
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こちらの陶磁器店さんは、2階の手すりに見るべきものがあります。
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1階は竪、2階は横と、デザインコンセプトが明確に分かれた町家です。
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メイン通りの町並みです。
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和洋折衷の町家です。
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ここでメイン通りから外れて・・・
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トンバイ塀のある裏通りを歩きます。
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狭い裏通りに入ると、すぐにトンバイ塀が待ち受けていました。
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トンバイ塀とは、登り窯に使われていた耐火レンガ(トンバイ)や・・・
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窯道具の廃材などを赤土で塗り固めて造った土塀のことです。
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トンバイ塀に塗籠められた耐火レンガや窯道具の廃材。
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これらの廃材は登り窯で何度となく焼かれているので、窯変した良い味が出ています。
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外壁の一部に下見板を使った町家です。
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ちょっと離れた所にもトンバイ塀がありました。
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この辺りは観光スポットになっているので、お客さん用にベンチも置かれています。
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こちらはトンバイ塀をめぐらせたお屋敷です。
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かつては、窯元や絵付師など有田焼にかかわっていた人々は、人通りの少ないこの辺りに住んでいて・・・
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有田焼の技法を守るため、外部から見えないように高いトンバイ塀をめぐらせていたんだそうです。
有田焼の町ならではのお話です。 -
では、トンバイ塀のある裏通りを終えて、メイン通りへ戻ります。
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この町家の右側の小路を入るとトンバイ塀のある裏通りです。
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2階部分の窓が2段になっている町家です。
上の窓は高窓でしょうね・・・。 -
こちらの町家は、2階の窓に手すりを付けておられます。
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メイン通りの町並みです。
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昭和レトロな建物がありました。
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この日メイン通りでは、所々で片側車線を通行止めにして工事が行われていました。
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そんな関係で・・・
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部分的に工事用の車両が映り込んでしまいました。
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こちらは陶磁器店さんです。
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カーテンが閉まっていて商品は見えませんが、こちらも陶磁器店さんです。
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少し先でも工事が行われています。
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建築当時そのままの姿を見せる町家です。
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道路面から高く敷地を設定した町家です。
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こちらは、大正時代の古民家をリノベーションしたコンドミニアムで、一日一組限定で貸し出されているようです。
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建物の真ん中で、あえて庇や屋根の高さに変化を持たせている町家です。
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こちらは陶磁器店さんです。
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こちらの陶磁器店さんは、庵看板のような看板を掲げておられます。
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立派な土塀をめぐらせた町家です。
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こちらの町家にはショウウィンドウがあるので、陶磁器店をされているんでしょうか・・・。
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1階はガレージに使われているんでしょうか・・・。
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メイン通りの町並みです。
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路地から見たメイン通りの光景です。
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こちらは古布や陶磁器を扱うお店です。
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こちらの町家にもショウウィンドウがしつらえてあります。
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こちらのカフェは、黒髪山麓から湧き出る水を使っておられるそうです。
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こちらの町家は、左側の2階半間分をオーバーハングさせておられます。
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メイン通りの町並みです。
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シャッターを看板代わりにしている陶磁器店さん。
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こちらの陶磁器店さんは、「ようこそ有田へ」と歓迎してくれています。
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こちらは、有田内山地区のまちづくり拠点として有田町が開設している「まちのオフィス・春陽堂」です。
施設の一部を住民のみなさんに開放して、地域交流の場としても活用されています。 -
こちらは陶磁器店さんです。
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こちらは洋装店さん。
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こちらは陶磁器店さんです。
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メイン通りの町並みを振り返った光景です。
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木造3階建ての町家がありました。
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先の3階建ての町家にも引けを取らないくらい背の高い町家です。
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この交差点でメイン通りと分かれて、脇道を歩きます。
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こちらは、明治33年(1900年)のパリ万国博覧会で金賞を受賞した窯元です。
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その透き通るような青色の染付は「フカガワブルー」と呼ばれ、ヨーロッパの人々に珍重されました。
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現在も創業者の理念を継承しながら、国内外で愛される作品を作り続けていられます。
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こちらの洋館は、陶磁器の買い付けに海外から来られた外国商人の宿泊・接待施設として使われた有田異人館で、明治9年(1876年)に建てられました。
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では、先ほどの交差点に戻って、メイン通りを進みます。
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本当は奥で繋がっているんですが、前だけ見るとツインビルのように見える町家です。
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またまた昭和レトロな建物がありました。
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左側の建物は、泉山で白磁陶石を発見した李参平が興した窯元です。
現在は十四代目の子孫の方が「初期伊万里」作品を継承しておられます。 -
細い竹の格子を入れた町家です。
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こちらは窯元のようです。
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こちらは陶磁器店さんです。
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こちらの町家は、玄関のガラス戸に透明ガラスやすりガラスを入れて変化をつけておられます。
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メイン通りの町並みです。
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メイン通りに桂雲寺の参道が開かれています。
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こちらは陶磁器店さんです。
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江戸時代以来、350年の伝統と高い品格を今に伝える「色鍋島」の窯元のレンガ煙突が見えています。
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こちらは、赤絵技法を一子相伝の秘法として守ってこられた窯元で、現在で十四代目を数えます。
その高い技を受け継いだ十四代目は、真の日本文化を伝えるため日々製作に打ち込んでおられます。 -
こちらは有田焼につかう釉薬を取り扱うお店のようです。
店先に掲げられた標示板の中に「彩料技師」の文字が見えます。 -
こちらは窯元さんです。
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こちらは陶磁器店さんです。
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落ち着いた雰囲気の町家です。
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こちらは酒店さんです。
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メイン通りの町並みと・・・
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メイン通りの町並みを見返したところです。
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こちらの町家のガラス戸は、大きさが違っても同じパターンの桟で組まれています。
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そろそろ有田内山の町並みも終わりのようなので、この辺りで切り上げます。
次の目的地へ向かう電車の時間に、余裕で間に合いそうです。 -
有田駅前の観光案内所にレンタサイクルをお返しして、松浦鉄道の列車に乗って移動します。
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