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ラトビアの首都リガからエストニア北東部の町タルトゥまで約210 kmで、ラトビア側ではA3号線、エストニアでは3号線になっています。国境の町バルガでA3号線→3号線へと道路名称が変ります。「A」があるかないかの違いに過ぎません。リガをレンタカーで出発して、スイグルダ→ツェーシス→バルガ→タルトゥへと移動しました。高速道路ではありませんが、道路は混んでいないので、快調に走れます。ただ、道路脇にスピード監視カメラが沢山あってスピードオーバーをすると、監視カメラに補足されますので、注意深い運転が必要でした。<br /><br />タルトゥまでの途中の町を見学しました。スイグルダ郊外にあり偶然立ち寄った洞穴、ラトビアとエストニアの国境の町バルガが印象に残りました。バルガは以前は国境の要所として栄えていましたが、バルト三国がEU加盟してから国境は実質的に無くなり、寂れた感じの町になっていました。ソ連時代に建てられた味気ない建造物が廃墟のような雰囲気を感じさせました。

リガからスイグルダ、バルガを通ってエストニアのタルトゥへ

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2018/06/11 - 2018/06/11

27位(同エリア52件中)

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30

AandMさん

ラトビアの首都リガからエストニア北東部の町タルトゥまで約210 kmで、ラトビア側ではA3号線、エストニアでは3号線になっています。国境の町バルガでA3号線→3号線へと道路名称が変ります。「A」があるかないかの違いに過ぎません。リガをレンタカーで出発して、スイグルダ→ツェーシス→バルガ→タルトゥへと移動しました。高速道路ではありませんが、道路は混んでいないので、快調に走れます。ただ、道路脇にスピード監視カメラが沢山あってスピードオーバーをすると、監視カメラに補足されますので、注意深い運転が必要でした。

タルトゥまでの途中の町を見学しました。スイグルダ郊外にあり偶然立ち寄った洞穴、ラトビアとエストニアの国境の町バルガが印象に残りました。バルガは以前は国境の要所として栄えていましたが、バルト三国がEU加盟してから国境は実質的に無くなり、寂れた感じの町になっていました。ソ連時代に建てられた味気ない建造物が廃墟のような雰囲気を感じさせました。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
3.5
グルメ
4.5
同行者
カップル・夫婦
交通手段
レンタカー 徒歩
航空会社
ルフトハンザドイツ航空 スイスインターナショナルエアラインズ ANA スカンジナビア航空
旅行の手配内容
個別手配

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  • 6月11日<br />今日は、リガからスイグルダ→ツェーシス→バルガを経由してエストニアのタルトゥへ移動します。リガ旧市街はとても美しい町でした。

    6月11日
    今日は、リガからスイグルダ→ツェーシス→バルガを経由してエストニアのタルトゥへ移動します。リガ旧市街はとても美しい町でした。

    リーガ 散歩・街歩き

  • 町中のスタンドでレンタカーのガソリンを満タンにします。給油はセルフ方式で、クレジットカードが必要でした。英語表示を選択できましたので、給油法は何とか理解できました。

    町中のスタンドでレンタカーのガソリンを満タンにします。給油はセルフ方式で、クレジットカードが必要でした。英語表示を選択できましたので、給油法は何とか理解できました。

  • リガからA3号線を北東に50Kmほど走り、スイグルダの町にきました。ここはスイグルダ駅前広場です。美しい駅舎です。この駅舎に観光案内所があり、スイグルダ観光の情報を入手することができます。

    リガからA3号線を北東に50Kmほど走り、スイグルダの町にきました。ここはスイグルダ駅前広場です。美しい駅舎です。この駅舎に観光案内所があり、スイグルダ観光の情報を入手することができます。

    スィグルダ駅

    洒落た広場があるスイグルダ駅 by AandMさん
  • 駅前広場に花壇と時計台がありました。スイグルダ周辺地域はガウヤ国立公園に指定されており、町はずれには岩壁の落書きで知られるグートゥマニャ洞穴があります。ラトヴィア最大の洞穴でガウヤ国立公園内にあり、奥行きは19メートル、幅は12メートル、高さは約10メートルです。この洞穴はエストニアのタルトゥに行く途中にありますので、寄ってみたいと思います。

    駅前広場に花壇と時計台がありました。スイグルダ周辺地域はガウヤ国立公園に指定されており、町はずれには岩壁の落書きで知られるグートゥマニャ洞穴があります。ラトヴィア最大の洞穴でガウヤ国立公園内にあり、奥行きは19メートル、幅は12メートル、高さは約10メートルです。この洞穴はエストニアのタルトゥに行く途中にありますので、寄ってみたいと思います。

  • 洞穴に向かう途中にスイグルダ教会(Sigulda Evangelic Lutheran Church)がありました。見かけは新しそうですが、15世紀に建てられた古い伝統ある教会です。

    洞穴に向かう途中にスイグルダ教会(Sigulda Evangelic Lutheran Church)がありました。見かけは新しそうですが、15世紀に建てられた古い伝統ある教会です。

    スィグルダ教会 寺院・教会

    見かけは新しいが伝統あるスイグルダ教会 by AandMさん
  • グートゥマニャ洞穴(Gutmanis Cave〉のある場所に着きました。洞穴のある場所は広い公園になっていました。公園の案内にはグートゥマニャ洞穴だけでなく他の洞穴、公園内施設やこの地域の動植物、昆虫などについても説明がありました。ラトビア語と英語の説明です。<br /><br />グートゥマニャ洞穴は、氷河時代の終わりに氷河が解けた水が砂岩を侵食して形成されたもので、1万年前からあるそうで、ラトビア最古の観光スポットとされています。

    グートゥマニャ洞穴(Gutmanis Cave〉のある場所に着きました。洞穴のある場所は広い公園になっていました。公園の案内にはグートゥマニャ洞穴だけでなく他の洞穴、公園内施設やこの地域の動植物、昆虫などについても説明がありました。ラトビア語と英語の説明です。

    グートゥマニャ洞穴は、氷河時代の終わりに氷河が解けた水が砂岩を侵食して形成されたもので、1万年前からあるそうで、ラトビア最古の観光スポットとされています。

    グートゥマニャ洞穴 洞穴・鍾乳洞

    伝説も落書きもあるグートゥマニャ洞穴 by AandMさん
  • 公園内に小奇麗な建物がありました。カフェショップでした。前の道路脇でイチゴの販売も行われていました。この公園は観光客に人気の場所のようです。

    公園内に小奇麗な建物がありました。カフェショップでした。前の道路脇でイチゴの販売も行われていました。この公園は観光客に人気の場所のようです。

  • グートゥマニャ洞穴の前の説明パネルで、ラトビア語、ロシア語、英語で記述されていました。ただ古いため文字がかすれて読み取れません。

    グートゥマニャ洞穴の前の説明パネルで、ラトビア語、ロシア語、英語で記述されていました。ただ古いため文字がかすれて読み取れません。

  • 洞窟入り口ですが、予想より小さな感じです。<br /><br />この洞穴には伝説が伝えられています。「トゥライダのバラ、 Rose of Turaida」の伝説で洞穴が舞台です。若くて美しい娘マイヤと若者ヴィクトル(Maija and Victor)の悲恋物語で、シェークスピアのロメオとジュリエットの話と似ています。ラトビアの人なら誰でも知っている物語で、文学作品などにも影響を与えているとのことです。この伝説があるためにスイグルダの町は「愛の町, City of Love」とも呼ばれてます。

    洞窟入り口ですが、予想より小さな感じです。

    この洞穴には伝説が伝えられています。「トゥライダのバラ、 Rose of Turaida」の伝説で洞穴が舞台です。若くて美しい娘マイヤと若者ヴィクトル(Maija and Victor)の悲恋物語で、シェークスピアのロメオとジュリエットの話と似ています。ラトビアの人なら誰でも知っている物語で、文学作品などにも影響を与えているとのことです。この伝説があるためにスイグルダの町は「愛の町, City of Love」とも呼ばれてます。

    グートゥマニャ洞穴 洞穴・鍾乳洞

    伝説も落書きもあるグートゥマニャ洞穴 by AandMさん
  • 洞窟内の落書きです。新しいものが大部分ですが、古いものでは17世紀に書かれた落書きもあるそうです。

    洞窟内の落書きです。新しいものが大部分ですが、古いものでは17世紀に書かれた落書きもあるそうです。

  • 洞穴の中から外を見た光景です。外部には広い公園が広がっています。この洞穴は音響効果が良好なため、音楽家の練習場所や小コンサートの開催会場としても活用されています。<br /><br />洞穴の入り口脇に楽譜台がありました。所有者はどこかに出かけていませんでしたが、ここで練習をしていることが分かります。歴史、物語そして芸術性も感じられる興味深いグートゥマニャ洞穴です。

    洞穴の中から外を見た光景です。外部には広い公園が広がっています。この洞穴は音響効果が良好なため、音楽家の練習場所や小コンサートの開催会場としても活用されています。

    洞穴の入り口脇に楽譜台がありました。所有者はどこかに出かけていませんでしたが、ここで練習をしていることが分かります。歴史、物語そして芸術性も感じられる興味深いグートゥマニャ洞穴です。

    グートゥマニャ洞穴 洞穴・鍾乳洞

    伝説も落書きもあるグートゥマニャ洞穴 by AandMさん
  • トゥライダ博物館保存地域(Turaida Museum Reserve)にはトゥライダ博物館とスイグルダ城があります。丘の上に広い駐車場がありましたので車を停めました。無料かな?と思っていたら物陰からおばさんが現れて、駐車料金(2 Euro)をしっかり徴収されました。これは保存地域の説明パネルです。ラトビア語と英語で説明が書かれていました。

    トゥライダ博物館保存地域(Turaida Museum Reserve)にはトゥライダ博物館とスイグルダ城があります。丘の上に広い駐車場がありましたので車を停めました。無料かな?と思っていたら物陰からおばさんが現れて、駐車料金(2 Euro)をしっかり徴収されました。これは保存地域の説明パネルです。ラトビア語と英語で説明が書かれていました。

    トゥライダ博物館保護区 博物館・美術館・ギャラリー

    丘陵に展開する広大なトゥライダ博物館保護区 by AandMさん
  • トゥライダ博物館の表示です。

    トゥライダ博物館の表示です。

    トゥライダ博物館保護区 博物館・美術館・ギャラリー

    丘陵に展開する広大なトゥライダ博物館保護区 by AandMさん
  • 駐車場前にはお土産を売る地元の人のお店が出ていました。観光客がチラホラ見物していましたが、売れ行きはあまり良くない感じでした。

    駐車場前にはお土産を売る地元の人のお店が出ていました。観光客がチラホラ見物していましたが、売れ行きはあまり良くない感じでした。

  • トゥライダ博物館は、広大なスペースに考古学的、建築的、歴史的、芸術的な物品が展示され、この地の11世紀以降の変化を学ぶことができます。ここが博物館の入り口の建物です。博物館地域の端部にスイグルダ城があります。

    トゥライダ博物館は、広大なスペースに考古学的、建築的、歴史的、芸術的な物品が展示され、この地の11世紀以降の変化を学ぶことができます。ここが博物館の入り口の建物です。博物館地域の端部にスイグルダ城があります。

  • 博物館の説明パネルには、広大な領域に点在する展示物品が説明されています。敷地の端にお城が示されています。

    博物館の説明パネルには、広大な領域に点在する展示物品が説明されています。敷地の端にお城が示されています。

    トゥライダ城 城・宮殿

  • この道を進むとスイグルダ城があります。

    この道を進むとスイグルダ城があります。

    スィグルダ城址 城・宮殿

  • A3号線を北東に約100km進み、国境の町バルガに到着しました。バルガはエストニア、ラトヴィアの両国の町で、市内に入り組んだ国境線が走っていました。第一次世界大戦を経てバルト三国が独立した際、エストニアとラトヴィアの間で、この地域をめぐる領有権問題が発生しましたが、イギリスの仲介で、バルガがエストニア領とラトヴィア領に分割され、町を分割する複雑な国境線になったそうです。町中を走る道路センターラインが国境線になっている箇所もあります。大変珍しい国境線です。<br /><br />人口は1万数千人で比較的大きな町ですが、寂れた感じの町でした。ソ連時代に建設された古い建物や無住の建物があちこちにありました。

    A3号線を北東に約100km進み、国境の町バルガに到着しました。バルガはエストニア、ラトヴィアの両国の町で、市内に入り組んだ国境線が走っていました。第一次世界大戦を経てバルト三国が独立した際、エストニアとラトヴィアの間で、この地域をめぐる領有権問題が発生しましたが、イギリスの仲介で、バルガがエストニア領とラトヴィア領に分割され、町を分割する複雑な国境線になったそうです。町中を走る道路センターラインが国境線になっている箇所もあります。大変珍しい国境線です。

    人口は1万数千人で比較的大きな町ですが、寂れた感じの町でした。ソ連時代に建設された古い建物や無住の建物があちこちにありました。

    ヴァルガ 散歩・街歩き

  • 町中の家々で、住民がいなくなってそのまま放置されている住居も目立っていました。屋根や壁の塗装が剥げ、錆が出ており、町を歩く人も少な目です。

    町中の家々で、住民がいなくなってそのまま放置されている住居も目立っていました。屋根や壁の塗装が剥げ、錆が出ており、町を歩く人も少な目です。

  • バルガの町の中心部にあった中世風の建造物です。博物館か公共施設かな、と思いましたが調べてみると学校(Valga Põhikool)であることが分かりました。1800年代の建造で、設備も古そうな感じです。博物館はこの建物の向かい側にありましたが、特徴のない建造物でしたので博物館とは気付きませんでした。

    バルガの町の中心部にあった中世風の建造物です。博物館か公共施設かな、と思いましたが調べてみると学校(Valga Põhikool)であることが分かりました。1800年代の建造で、設備も古そうな感じです。博物館はこの建物の向かい側にありましたが、特徴のない建造物でしたので博物館とは気付きませんでした。

    ヴァルガ博物館 博物館・美術館・ギャラリー

  • 町のスーパーマーケットに入ってみました。広い売り場がありますが、客数はチラホラです。表示は現地語(エストニア語)とロシア語で英語はありませんでした。ロシア系もしくはソ連時代の教育を受けた住民が多いように感じました。

    町のスーパーマーケットに入ってみました。広い売り場がありますが、客数はチラホラです。表示は現地語(エストニア語)とロシア語で英語はありませんでした。ロシア系もしくはソ連時代の教育を受けた住民が多いように感じました。

  • バルガの町の中心部ですが、半分壊れかけたビルも目立ちました。再建工事も進行していましたが、ラトビア、エストニアの他地域に比べて遅れているように思います。

    バルガの町の中心部ですが、半分壊れかけたビルも目立ちました。再建工事も進行していましたが、ラトビア、エストニアの他地域に比べて遅れているように思います。

    ヴァルガ 散歩・街歩き

  • バルガの町中には立派な教会や伝統様式で建設された美しい家々もありました。ソ連占有時代に建設された建物は他の建造物と調和せず、異質感を感じさせられました。

    バルガの町中には立派な教会や伝統様式で建設された美しい家々もありました。ソ連占有時代に建設された建物は他の建造物と調和せず、異質感を感じさせられました。

    聖ヨハネ教会 寺院・教会

  • 町中にあった国境標識で、標識を越えるとエストニアになります。

    町中にあった国境標識で、標識を越えるとエストニアになります。

  • 先の標識の裏側です。逆方向に進むと、この標識を越えるとラトビアになります。このような標識が、通常の道路標識と同様に道路脇にさりげなく建っていました。珍しい国境線だと思います。

    先の標識の裏側です。逆方向に進むと、この標識を越えるとラトビアになります。このような標識が、通常の道路標識と同様に道路脇にさりげなく建っていました。珍しい国境線だと思います。

  • バルガから3号線を北に90km進んで、エストニアでタリンについで2番目に人口の多いタルトゥに着きました。この町はエストニア最古の大学であるタルトゥ大学を中心に発展した町で、エストニアの学問・文化の中心です。<br />ここは町の中心部にある市庁舎前広場で、タルトゥ美術館(Tartu Art Museum)もあります。黄色枠は芸術品で美術館の展示品と思われます。

    バルガから3号線を北に90km進んで、エストニアでタリンについで2番目に人口の多いタルトゥに着きました。この町はエストニア最古の大学であるタルトゥ大学を中心に発展した町で、エストニアの学問・文化の中心です。
    ここは町の中心部にある市庁舎前広場で、タルトゥ美術館(Tartu Art Museum)もあります。黄色枠は芸術品で美術館の展示品と思われます。

    タルトゥ美術館 博物館・美術館・ギャラリー

  • 市庁舎前広場は石畳の細長い広場で、周囲にはレストランやホテル、そして広場の端には瀟洒な市庁舎がありました。

    市庁舎前広場は石畳の細長い広場で、周囲にはレストランやホテル、そして広場の端には瀟洒な市庁舎がありました。

    ラエコヤ広場 広場・公園

  • 市庁舎(Tartu City Goverment)です。1789年に建造された建物で、市庁舎前には「キスする学生達、Kissing Students Fountain」と呼ばれる印象的な噴水があります。学生が主役の町であることが伺われます。

    市庁舎(Tartu City Goverment)です。1789年に建造された建物で、市庁舎前には「キスする学生達、Kissing Students Fountain」と呼ばれる印象的な噴水があります。学生が主役の町であることが伺われます。

    ラエコヤ広場 広場・公園

  • これがタルトゥ大学の本部建物です。1632年にスウェーデン国王グスタフ2世アドルフによって発せられた勅書により設立された「アカデミア・グスタヴィアナ」がタルトゥ大学の前身とされています。<br />宿泊ホテル(Antonius Hotel)は、大学本部前にありました。観光に便利な場所でした。

    これがタルトゥ大学の本部建物です。1632年にスウェーデン国王グスタフ2世アドルフによって発せられた勅書により設立された「アカデミア・グスタヴィアナ」がタルトゥ大学の前身とされています。
    宿泊ホテル(Antonius Hotel)は、大学本部前にありました。観光に便利な場所でした。

    タルトゥ大学 史跡・遺跡

  • タルトゥは観光客などの訪問者が多い町で、案内標識も丁寧です。大学や教会等の建物にも中世ヨーロッパ風の美しさが感じられます。実際に観光してみましたが(https://4travel.jp/travelogue/11375092)、この町を訪れて良かったと思いました。<br /><br />今日は、リガからタルトゥまで車で210kmの距離を移動し、途中の町も含めてラトビアとエストニアを観光しました。古くからラトビアでは良く知られていた洞穴、国境の町、そしてエストニアの文化芸術の町などを見学しました。伝統的な美しさや固有文化とともに、バルガではソ連時代に建てられた味気ない建造物が醸し出す廃墟感もありました。興味深いドライブ旅行だったと思います。

    タルトゥは観光客などの訪問者が多い町で、案内標識も丁寧です。大学や教会等の建物にも中世ヨーロッパ風の美しさが感じられます。実際に観光してみましたが(https://4travel.jp/travelogue/11375092)、この町を訪れて良かったと思いました。

    今日は、リガからタルトゥまで車で210kmの距離を移動し、途中の町も含めてラトビアとエストニアを観光しました。古くからラトビアでは良く知られていた洞穴、国境の町、そしてエストニアの文化芸術の町などを見学しました。伝統的な美しさや固有文化とともに、バルガではソ連時代に建てられた味気ない建造物が醸し出す廃墟感もありました。興味深いドライブ旅行だったと思います。

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