2018/07/16 - 2018/07/19
4968位(同エリア6954件中)
kenichi291さん
- kenichi291さんTOP
- 旅行記105冊
- クチコミ28件
- Q&A回答2件
- 148,184アクセス
- フォロワー0人
祇園祭を見に行ってきました。一度は行きたいと思っていた、祭礼ですが、念願かなって満足です。気温38.1℃の中、高温と我慢比べの一日でした。皆さんが旅行記投稿して居られるので、面白くもないでしょうが、自分自身の備忘録として記憶に留めて置きたいので書きました。それでも京都滞在4日の中では一番涼しい日なんです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 5.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- タクシー 新幹線 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
鉾・曳山。巡行する鉾のうちで最大のものは、約12トン。これの組立、巡行、及び解体には延約180 人もの人手を要するそうです。船鉾・大船鉾を除いた各鉾の大体の大きさと構造について は図のとおり。前掛、胴掛、見送、水引が見物。動く文化財ですね。
-
舁山。各山とも構造、重量に大差なく、その飾り金具、人形の大きさにより多少重量が異なる程度で、大体図の通り。重量、約1.2トン~約1.6トン。舁手、14人~24人。山の中でも岩戸山は曳き山で形態は鉾と同じくただ真木が松の木で高さは地上約15米。前掛、胴掛、見送、水引が見物。動く文化財は鉾と同じです。
-
-
-
何れも複元品だそうです。前懸はペルシャ花文様絨毯。
-
-
胴懸は中国玉取獅子図絨毯など。
-
見送は雲龍波濤文様綴織。
-
蟷螂山の特徴は、かまきりと御所車の車輪が動くなど、祇園祭の山鉾としては、唯一のからくりが施されていることである。
-
前懸、胴懸、見送は共に羽田登喜男作の友禅で、瑞苑浮遊図などがある。
-
霰天神山。京都に大火のあったとき、時ならぬ霰が降り猛火はたちまちに消えたが、そのとき一寸二分(約3.6センチ)の天神像が降ってきたのでこれを祀ったのがこの山の起こりであるという。
-
霰天神山。山の上には欄縁にそって朱塗り極彩色の廻廊をめぐらし、中央に唐破風春日造の神殿を安置する。前懸は16世紀にベルギーで製作された「イーリアス」物語を描いた毛綴を用いている(平成21年復元新調)。
-
左右の胴懸は上村松篁(昭和60年新調)、上村淳之(平成14年新調)親子の原画花鳥綴織。
-
後懸は「紅地雲龍宝尽図」(平成21年新調)が用いられている。
-
-
油天神山。古くから町内(風早町)に祀られていた天神を勧請して作られた山で、油小路綾小路下ルにあるところから、「油天神山」と呼ばれる。山は正面に朱の鳥居を立て金箔置の社殿にはもと風早家に伝来し後に町内の祠に祀っていた天神像〔寛永7年(1630)製作〕を安置する。
-
真木の松の他に紅梅の枝をはなやかに立て鈴をつけている。前懸は雲龍文様の繻子地錦。
-
水引はパリのクリュニイ博物館所有のタピスリーを図案に用いる。胴懸は左右共に前田青邨原画で、平成12年・13年新調の紅白梅を用いる。
-
見送は毛綴の宮廷宴遊図であったが平成2年梅原龍三郎氏原画の「朝陽図」綴織。
-
函谷鉾。
-
-
函谷鉾。鉾の名は中国戦国時代(前403~221)斉の孟嘗君が鶏の声によって函谷関を脱出できたという故事にちなんで付けられている。鉾頭の月と山型とは山中の闇をあらわし、真木のなかほどの「天王座」には孟嘗君、その下に雌雄の鶏をそえている。
-
前懸は、旧約聖書創世紀の場面を描いた16世紀末の毛綴で重要文化財を平成18年復元新調している。が今年は重文のオリジナルを使用しているのだそうです。貴重な文化財を拝見させて頂きました。
-
水引は山鹿清華作の手織群鶏図、胴懸は梅に虎を織り出した17世紀李氏朝鮮絨毯、花文様インド絨毯、玉取獅子図中国絨毯の三枚である。
-
見送は古く弘法大師筆と伝える紺地金泥の金剛界礼懺文と天保年間(1830~43)にこれを模織した立派なもの。
-
-
-
孟宗山。「筍山」ともいう。山に飾る御神体(人形)は中国の史話二十四孝から取材。病身の母を養う孟宗が、雪の中で筍を掘りあてた姿をあらわしている。人形は七条大仏師康朝左京の作といわれ、唐人衣裳に笠をつけ右手に雪をかぶった筍、左手には鍬を肩にかついで立っている。平山郁夫筆の胴懸「砂漠らくだ行(日)」「砂漠らくだ行(月)」は、平成20年、21年に新調されたもの。
-
欄縁の彫金群鳥図の金具は幸野楳嶺(1844~1895)の下絵、見送はかつて雲龍文様の綴錦を用いていたが、昭和15年以来竹内栖鳳筆の白地墨画竹林図のものが用いられている。
-
-
-
-
-
-
綾傘鉾は、山鉾の非常に古い形態を残している傘鉾の一つで、大きな傘と棒振り囃子の行列として巡行していた。この綾傘鉾も、江戸時代の天保5年(1834)、一時小型の鉾に改造されるが、元治元年の大火で、その大部分を焼失することになる。その後、明治12年から17年まで原型の徒歩ばやしの形で巡行したことがある。棒振り囃子は、赤熊をかぶり、棒をもった者が、鉦、太鼓、笛に合わせて踊るもので、壬生村の人々により奉仕されていた。この綾傘鉾も町内の人々の努力が実り、昭和54年から巡行することになった。なお、傘につける垂りは人間国宝の染織家森口華弘の友禅「四季の花」と平成4年に町在有志の寄贈になる綴錦「飛天の図」がある。
-
-
-
白楽天山。唐の詩人白楽天が道林禅師に仏法の大意を問うところである。道林禅師は、緞子地の紫衣を着け、藍色羅紗の帽子をかぶり手に数珠と払子を持ち松の枝の上に座し、白楽天は唐織白地狩衣の衣裳に唐冠をかぶり笏を持って立っている。前懸は万延元年(1860)蟷螂山より買受けた毛綴の三点継もある。毛綴はトロイ城陥落のときアイネイアスが父を救出する図の優品である。
-
-
見送はかつて麒麟龍鳳凰文様の綴錦であったが、昭和28年より山鹿清華作の北京万寿山図の毛織錦のものを用いている。
-
-
-
鶏鉾。中国の史話より取材、昔、唐堯の時代に天下がよく治まり訴訟用の太鼓(諫鼓)も用がなく苔が生え鶏が宿ったという故事によって、その心をうつしたものという。鉾頭の三角形の中の円形は鶏卵が諫鼓の中にある意味で、鶏鉾の名の象徴となっているともいわれるが、はっきりしたことは不明である。
-
前懸のペルシャ絨毯、胴懸の草花文様インド絨毯は、近年復元新調されて用いる。
-
天水引は下河辺玉鉉、下水引は松村呉春(1752~1811)、松村景文(1779~1843)など四条派画家の下絵になるもの。胴懸の草花文様インド絨毯は、近年復元新調されたものを用いる。
-
-
見送は有名な毛綴で近年の調査によるとトロイの皇子へクトールが妻子に別れをつげる図であるという。この見送は、16世紀頃ベルギーで製作、江戸時代初期に輸入されたものと考えられ、国の重要文化財に指定されている。
-
-
太子山。前懸は緋羅紗地に阿房宮の刺繍。
-
聖徳太子を祀るのでこの名がある。聖徳太子が四天王寺建立にあたり、自ら山中に入って良材を求めたという所伝にもとづき、他の山がいずれも松を立てているのに対してこの山のみは真木に杉を立て、その樹に小さな如意輪観音像を奉戴している。太子は少年像で右手に斧、左手に衵扇を持つ。胴懸は金地孔雀唐草図のインド刺繍。
-
見送は平成15年新調の波濤に飛龍文様錦織を用いる。角金具には立派な飛龍が飾られ、水引には濃紺の房付き網目のものが用いられ胴懸とともにエキゾチックな気分を加えている。
-
伯牙山。「琴破山」ともいわれる。山の御神体(人形)は中国の周時代、琴の名人伯牙とその友人鍾子期との物語に取材、伯牙が鍾子期の死を聞いてその琴の絃を断ったという故事をあらわしている。
-
-
人形は手に斧を持ち前に琴が置かれている。人形には「金勝亭賽偃子」の墨書銘があり、天明以降の作と考えられている。前懸には上下詩文、中央に人物風景の有名な「慶寿裂」をかけその下に龍文様の錦を用い、さらに人物図の押絵切付の水引によって飾っている。
-
人物図の押絵切付の水引によって飾っている。胴懸は花卉尾長鳥文様の綴錦。
-
見送には「柳絲軒」在銘の仙人図刺繍を用いている。蝶型の角金具は珍しい。
-
芦刈山。謡曲「芦刈」に基づく。故あって妻と離れて難波の浦で芦を刈る老翁が、やがて妻との再会をはたす夫婦和合の姿をあらわす。御神体(人形)の旧御頭は天文6年(1537)七条仏師運慶の流れをくむ康運作。天正17年(1589)銘をもつ重要文化財指定の「綾地締切蝶牡丹文片身替小袖」は山鉾最古の衣装。
-
現在の前懸と見送は山口華楊原画の段通「凝視」(1986)と綴織「鶴図」(1985)。
-
胴懸は尾形光琳原画の「燕子花図」(1994)。欄縁の彫金飛雁の錺金具は明治36年(1903)川辺華挙の下絵で藤原観教作。
-
月鉾。鉾頭に新月型(みかづき)をつけているので、この名で呼ばれる。
真木のなかほどの「天王座」には月読尊を祀る。古い鉾頭と天王の持つ櫂には「元亀4年(1573)6月吉日大錺屋勘右衛門」の刻銘がある。また正徳4年(1714)の鉾頭もあるが昭和56年から田辺勇蔵氏寄進の18金製の鉾頭にかえている。 -
-
鉾頭に新月型(みかづき)をつけているので、この名で呼ばれる。
-
前懸は、旧約聖書創世紀の場面を描いた16世紀末の毛綴で重要文化財を平成18年復元新調している。今年は復元品ではなく、重文のオリジナルを使用している。貴重な文化財を拝見させて頂きました。
-
破風蟇股の彫刻は左甚五郎の作と伝えられる立派なものである。軒桁貝尽しの錺金具は松村景文(1779~1843)の下絵、四本柱の錺金具、破風飾の金具などはいずれも華麗なもので山鉾のなかでも最高のものである。
-
天水引の霊獣図刺繍は天保6年(1835)円山応震の下絵である。前懸は華麗なインド絨毯。
-
破風蟇股の彫刻は左甚五郎の作と伝えられる立派なものである。
天水引の霊獣図刺繍は天保6年(1835)円山応震の下絵である。前懸、後懸は華麗なインド絨毯。近年下水引は皆川月華作の花鳥図に、見送も同作の湖畔黎明図にかえている。胴懸の「幾何菱文様」は平成23年(2011)に復元新調された。
後ろの破風下の兎の彫刻が伝左甚五郎らしい。 -
-
山伏山。この名は山に飾る御神体(人形)が山伏の姿をしているのでこう呼ばれる。昔八坂の法観寺の塔が傾いたとき法力によってそれをなおしたという浄蔵貴所の大峯入りの姿をあらわしている。
-
左手に刺高数珠、右手には斧を持ち腰には法螺貝をつけている。前懸は雲龍文様の刺繍。
-
欄縁金具は飛鶴、水引は機織図を描く綴錦。胴懸は花卉胡蝶文様の綴錦を用いている。
-
見送は龍波濤文様の綴錦で、平成11年に復元された。
-
-
四条傘鉾は、織物の垂りなどをつけた傘と棒ふりばやしが巡行する古い鉾の形態である傘鉾の一つで、応仁の乱以前に起源をもち、傘の上には御幣と若松を飾る。明治4年に巡行に加わって以降と絶えていたこの四条傘鉾も、昭和60年、町内の人々の努力が実り傘鉾の本体が再興され、昭和63年から巡行に欠かせない踊りとはやしが復元された。
-
踊りとはやしは、室町時代に京都から広まった風流踊で、今も滋賀県の滝樹神社に伝わる「ケンケト踊」を参考に復元したものである。垂りは鈴鹿雄次郎製作の麗光鳳舞之図である。
-
-
占出山。「鮎釣山」ともいう。神功皇后が肥前国松浦で鮎を釣って戦勝の兆としたという説話による。御神体(人形)は金の烏帽子に太刀をはき、右手に釣竿、左手に釣り上げた鮎を持
-
-
水引は三十六歌仙図の刺繍。前懸・胴懸は日本三景の綴錦で天保2年(1831)の制作。このうち山口素岳の松島図下絵は別に保存されている。
-
見送には花鳥龍文様の綴錦が用いられ、近年それらを復元新調した。
-
菊水鉾。町内に古くからあった井戸、菊水井にちなんで名付けられ、鉾頭には金色の透かし彫の菊花をつけている。真木のなかほどの「天王座」には彭祖像を祀る。
間もなく巡行は終わりとなりますが、耐え切れない観客が日陰に避難。がらがら状態に。 -
稚児人形は菊の露を飲んで長寿を保ったという枕慈童で能装束の舞姿である。屋根は唐破風造りで、彫師海老名峰彰作の鳳凰の懸魚を飾り、軒下に翠簾を掲げるところは特に他の鉾と異なっている。
-
昭和29年には皆川月華作唐獅子図の胴懸、飛鶴図の前懸が作られた。
-
-
-
保昌山。丹後守平井保昌と和泉式部の恋物語に取材し、保昌が式部のために紫宸殿の紅梅を手折ってくる姿をあらわしている。御神体(人形)は緋縅の鎧に太刀をつけ、梨地蒔絵の台に紅梅を一杯にもってこれをささげている。頭は明応9年(1500)、胴は寛政(1789~1800)頃、町内に住んでいた彫刻師勇祐の作であるという。前懸の緋羅紗地に蘇武牧羊図、胴懸の張騫巨霊人に鳳凰虎を配した刺繍は円山応挙(1733~95)の下絵である。近年それらを復元新調している。下絵は別に屏風に仕立て保存している。
-
放下鉾。鉾の名は真木のなかほどの「天王座」に放下僧の像を祀るのに由来する。鉾頭は日・月・星三光が下界を照らす形を示し、その型が洲浜に似ているので別名「すはま鉾」とも呼ばれる。
-
-
-
破風正面の三羽の丹頂鶴(後面二羽)は幸野楳嶺(1844~95)の下絵を高浮彫し大正6年に完成したもの。下水引は与謝蕪村(1716~83)下絵の琴棋書画図であったが平成6年から栂尾高山寺の国宝華厳宗祖師絵伝を下絵にした綴織になっている。三番水引の青海波におしどり図綴織は駒井源琦の下絵によるものだが今はその復元品を用いている。
-
-
前懸・胴懸には花文様のインドやペルシャの絨毯がある。見送は文政11年(1828)京都西陣で作られたもの。旧胴懸として16世紀製の描絵玉取獅子、牡丹、鶴文様の朝鮮毛綴が保存されている。
-
岩戸山。天岩戸を開いて天照大神の出現される日本神話から取材している。山とはいえ室町時代狩野永徳の洛中洛外図屏風で見られる岩戸山にはすでに車輪が描かれており鉾と同じ車をつけた曳山である。曳山で、鉾柱のかわりに屋上に真松を立てている。三体の御神体(人形)を飾るが、天照大神は白衣姿で胸に鏡をかけ、脇に安置される手力雄尊(戸隠大明神)は白衣に唐冠をかむり、屋根の上には太刀をはき天瓊矛をつき出した伊弉諾尊を安置している。
-
-
前懸は玉取獅子図中国絨毯.。
-
下水引は鳳凰瑞華彩雲岩に波文様紋織(平成15年復元新調)、二番水引は緋羅紗地宝相華文様刺繍、三番水引は紺金地雲三ツ巴五瓜唐花文様綴織(共に平成17年復元新調).
-
-
胴懸は唐草文様インド絨毯である。別に旧前懸として17世紀李朝製で描絵玉取獅子、鳳凰、虎、鶴文様の朝鮮毛綴のものが保存されている。
-
見送は日月龍唐子嬉遊図の綴織(一部刺繍)を用いている。ほかに皆川泰蔵作の「ヴェネチァ図」がある。
-
本日最後の船鉾の巡行。
予定よりも一時間遅れとなり12時半、最後の船鉾の通るころには観客はあまりの暑さに耐えかねて大半が撤退。がらがら状態に。 -
船鉾。神功皇后をめぐる説話によって鉾全体を船の型にし、舳先には金色の鷁、艫には黒漆塗螺鈿の飛龍文様の舵をつけ、船端には朱漆塗の高欄をめぐらし、唐破風入母屋造りの屋根からは紅白の長旒・吹流しをひるがえす。鉾の上には皇后と陪従する磯良・住吉・鹿島の三神像を安置する。舳先には金色の鷁。鷁は宝暦年間(1751~64)長谷川若狭の作。
-
水引の雲龍図肉入刺繍の下絵は西村楠亭(1775~1834)の筆、鹿島明神の持つ長刀は、井上和泉守真海(寛文年間1661~1672)作の逸品である。また平成21年(2009)に高欄下水引が新調された。
-
船尾の舵は寛政4年(1792)に造られた。唐破風入母屋造りの屋根からは紅白の長旒・吹流しをひるがえす。
-
山鉾巡行が終わりました。パトカーが最後尾。12:30予定を一時間オーバーの終了です。気温は38.5℃。日向は40℃をはるかに超えていると思います。本当に暑い一日でした。
-
祇園祭も終わったので、出町柳駅に戻り下鴨神社の横の道が緑があるので、京都地方裁判所方向に向かう。
鯖街道 花折 下鴨店 で鯖寿司を頂く。
下鴨神社の横、京都地方裁判所の向かい側です。花折れ膳、1620円はリーズナブルだと思います。食べログなどののクチコミではコスパを低評価する書き込みが目立ちますが、美味しい鯖寿司はこんな価格帯だと思います。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
東山・祇園・北白川(京都) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
105