2018/07/16 - 2018/07/19
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kenichi291さん
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京都に祇園祭山鉾巡行見物に来たのですが、ともかく異常な暑さに見舞われているので、少しでも涼がとれればと、7月18日宿での朝食後、八瀬駅前バス停から大原行きのバスで大原三千院を目指します。デュークエイセスの「女ひとり」が今も記憶に残る里です。路線バスしか交通の便が無いのでなかなか行けない場所なのですが、朝早めに出ればバスも空いているかもとバスを待ちます。暑さのせいか、京都駅よりも大原に近いせいか何とか座れました。大原の辺りは赤紫蘇畑が目立ちます。しば漬けの原料ですね。暑さは市内と大差ないようですが、緑の多さに救われました。往生極楽院に祀られている阿弥陀三尊像は国宝。殆どの文化財が撮影禁止ですが、苔の中の童地蔵は撮影出来ます。苔の庭は、カメラマンで大賑いです。中国からやって来たと言う僧侶の皆さんも記念写真に夢中になっていました。三千院の旅行記はどうしても童地蔵の画になりますね。写真は勝林院の透かし欄間です。声明発祥の地と言われるお寺さんです。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 新幹線 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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順序は逆ですがXIV三日目18日の夕食は和食レストラン「花暦」で頂きました。
宿泊棟から遠いのが、年寄りにはきついです。 -
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今日のメニューは品数の少ないメニューを選択。量が少ない訳ではありません。
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取り敢えずビール。生の器はお替り毎に替る。
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貝柱昆布〆と夏野菜の香梅和え
じゅん菜と玉蜀黍の摺り流し
真鯛焼き松皮造り。真鯛の器がワイングラス風でお洒落。 -
鶏のスープ玉蒸し。
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鱧寿司。
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美山鶏と淡路玉葱の酒蒸し。
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各テーブルの上には生花がのります。毎日変わります。
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豆乳仕立ての飛鳥鍋。
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コシヒカリと湯葉ちりめん。香の物。赤出汁。
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マスカルポーネを使用した宇治抹茶ブリュレ。
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7月18日宿での朝食後、八瀬駅前バス停から大原行きのバスで大原三千院を目指します。デュークエイセスの「女ひとり」が今も記憶に残る里です。五十数年前の曲ですから知っている私は古い人なんです。路線バスしか交通の便が無いのでなかなか行けない場所なのですが、朝早めに出ればバスも空いているかもとバスを待ちます。暑さのせいか、京都駅よりも大原に近いせいか何とか座れました。大原の辺りは赤紫蘇畑が目立ちます。しば漬けの原料ですね。
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大原バス停で降りて道を向かい側に渡って三千院の道案内に従って坂を上ります。右には清流が流れます。
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853年に天台宗の第三代座主であった慈覚大師により、声明道場として創建された寺院。声明とは仏教声楽のことで、お経に旋律をつけて唱えるもの。主に天台宗が法要などに声明を用いていました。創建後、しばらくして寺院は衰退してしまいますが、1013年に寂源(じゃくげん)という僧によって再興されたと伝えられています。
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1186年、当時の住職であった顕真(けんしん)の招きで、浄土宗の開祖である法然と明遍(みょうへん)、証真(しょうしん)といった天台宗の高僧との間で問答が行われました。これを大原問答と言うそうです。法然は高僧達の問いかけに明確に返答し続け、ついには本尊の阿弥陀仏がまばゆい光を発して法然の正しさを証明したという逸話で知られるお寺。
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このお寺は写真撮影自由。ボタンを押すと声明が3分間流れます。参拝者は皆さん何度も聞き入っていました。声明ファンが多いんだと思います。
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阿弥陀如来像は勝林院の本尊で、見上げるほどに大きく本堂に安置されています。大原問答が行われた際、光を放って法然の正しさを証明したという逸話から証拠の阿弥陀という別名があります。
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文治2年(1186年)、顕真の招請により、勝林院で法然が浄土宗義について明遍、証真、貞慶、智海、重源らと一昼夜にわたっての問答が行われた。これを「大原問答」と言うのだそうです。顕真らが法然に12の難問を投げかけていったものであるが、法然はそれらに対して念仏によって極楽浄土へ往生できることをはっきりと示した。その時に、本尊の阿弥陀如来が光を放って法然の主張が正しいことを証明してみせたという。
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享保21年(1736年)正月に、失火により焼損し、翌年9月に開眼供養されたのが、現在の本尊だそうです。
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透かし欄間。
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石造宝篋印塔、梵鐘が重要文化財。
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御殿門。
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客殿入口。
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客殿。お茶が頂けます。庭園は撮影可です。
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円融房。
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半夏生の葉が白くなっていました。
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客殿 西側の勅使玄関(ちょくしげんかん)から続く書院で、大正元年に修補されました。
明治39年、客殿各室には、当時の京都画壇を代表する画家たちの襖絵が奉納され、当時若い世代であった竹内栖鳳、菊池芳文、重鎮であった望月玉泉、今尾景年、鈴木松年といった新旧の画家たちの競演となっていました。宝物館である円融蔵に所蔵されています。 -
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聚碧園(しゅうへきえん)
客殿の庭園、聚碧園は池泉観賞式庭園で、東部は山畔を利用した上下二段式とし、南部は円形とひょうたん形の池泉をむすんだ池庭を形成しています。
江戸時代の茶人・金森宗和(かなもりそうわ・1584-1656)による修築と伝えられています。
聚碧園の隅にある老木「涙の桜」は室町時代の歌僧頓阿(とんあ)上人が詠んだ一首に由来し、その桜は西行法師のお手植えとも、頓阿上人の友、陵阿(りょうあ)上人のお手植えとも伝わり、近年は5月に白い花を咲かせます。 -
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庭の苔はよく手入れされていて美しい。
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石橋の右手に滝があります。
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中央部に滝があります。石橋の右手の滝の拡大です。
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往生極楽院 三千院の歴史の源とも言える簡素な御堂。
平安時代に「往生要集」の著者で天台浄土教の大成者である恵心僧都源信が父母の菩提のため、姉の安養尼とともに建立したと伝えられます。
往生極楽院に祀られている阿弥陀三尊像はお堂に比べて大きく、堂内に納める工夫として、天井を舟底型に折り上げていることが特徴です。
その天井には現在は肉眼ではわかり難いものの、極楽浄土に舞う天女や諸菩薩の姿が極彩色で描かれており、あたかも極楽浄土そのままを表しています。
堂内中心に鎮座する阿弥陀如来は来迎印を結び、向かって右側の観世音菩薩は往生者を蓮台に乗せる姿で、左側の勢至菩薩は合掌し、両菩薩共に少し前かがみに跪く「大和坐り」で、慈悲に満ちたお姿です。
なお、建物は重要文化財、阿弥陀三尊像は国宝に指定されています。 -
わらべ地蔵
往生極楽院南側、弁天池脇にたたずむ小さなお地蔵さま。有清園の苔と一体となってきれいに苔むしています。
わらべ地蔵と名づけられたこのお地蔵さまたちは、石彫刻家の杉村孝氏の手によるものだそうです。 -
苔の中の童地蔵は撮影出来ます。苔の庭は、カメラマンで大賑いです。中国からやって来たと言う僧侶の皆さんも記念写真に夢中になっていました。
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朱雀門 往生極楽院の南側にある朱塗りの小さな門で、その昔、極楽院を本堂としていた頃の正門にあたります。その様式は藤原期の様式とも言われていますが、江戸時代に再建されたもの。
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円融房外観。
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19日は正午過ぎの新幹線を予約していたので、チェックアウト後出町柳経由京阪七条駅で下車。徒歩で三十三間堂に向かいました。コインロッカーも充実している施設で、100円入れて帰りに100円が戻る嬉しいシステムです。本堂入口にはミストが頭上から降りて来るようになっていました。時節柄タイムリーな設備です。この日は39.8℃でミストが無いと耐えられない暑さでした。
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京都駅に。あちこち行きたかったけど、一日フルに京見物は暑くてとても無理。昼ぐらいに引き上げないと熱中症が心配な4日間でした。この日は39.8℃となり、旅行中の最高気温を記録しました。それでもまた京都に来たいと思いつつ帰京の途に。
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