2018/06/22 - 2018/06/24
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nichiさん
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引き続き市街地群を巡ります。
旧小樽新聞社、旧三ます河本そば屋、旧来正旅館、旧近藤染舗と拝見して回りました。
北海道開拓の村、素晴らしかったです。
54ヘクタールもの広い土地、これはディズニーランドやディズニーシー、USJとほぼ同じ広さです。
その中に52棟の歴史的建造物が移築又は再現されていました。
私たちは、そのうち30棟を拝見しました。
官庁街、住宅街、商店街、職人街からなる市街地群。
ニシン漁で栄えた日本海沿岸の漁ろう施設が並び、展示された船や漁具から往時の浜の賑わいを感じることができる漁村群。
駅逓所、屯田兵屋、開拓小屋など、北海道独特な建造物とともに、住宅には移住者の郷里の建築様式が垣間見られる農村群。
豊かな森林資源と農園期の労働力の活用が図られた造材、薪・炭製造関連の施設が再現されている山村群。
の4つの群からなっています。
私たちは山村群以外の3つの群を訪れました。
市街地群と漁村群そして農村群の3つは、馬車鉄道がつないでいます。
私たちが訪れたのは日曜日ですが、ガラガラ。
こんな素敵な施設なのに何故?
ググってウキペを見てみました。
すると、
「財政難や職人の確保の問題から補修が進まない状況が2003年(平成15年)時点ですでに問題視されており、2013年(平成25年)には補修が必要な老朽化が深刻なものだけで24棟あるとされている。」
と言う厳しい記述がありました。
うーん!
もう少しみなさんが訪れないかなー?
札幌中心部からもう少し簡単に行けるといいのですが、、、
知名度も低い気がします。
素晴らしい施設なのに。。。。
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次の建物は?
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旧小樽新聞社です。
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発行当時の小樽新聞が掲示されています。
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さあ入っていましょう。
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小樽新聞社は明治27年(1894)に創立されました。
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函館毎日新聞、北海タイムスとともに道内の代表的新聞の一つでした。
この建物は、木造の骨組みに札幌近郊で産出する札幌軟石(溶結凝灰岩)を外壁に積み上げた構造で、明治期石造建築の特徴を示しています。 -
ここは活字拾いの部屋ですね。
子供の頃、社会科見学で有楽町の朝日新聞に行ったのを思い出します。 -
数多くの漢字の活字が並んでいます。
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これって輪転機?
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様々な大きさの活字があります。
今では見られない光景ですよね。
政府の方針で昭和17年、小樽新聞を含んだ北海道の11社の新聞社が合併し、北海道新聞となりました。
驚いたのは、昭和17年11月の時の小樽新聞の会長が正力松太郎氏であったことです。
この小樽新聞は、読売系列だったのですね。 -
次の建物は?
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旧三ます河本そば屋 です。
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入ってみましょう。
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この建物は、明治18年(1885)頃に石川県から小樽へ移住した河本徳松(当時18歳)が、そば屋の修行を積み、三ますそば屋ののれんを継いで新築した店です。
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小樽市街の中でも最も栄えた地域にあったこのそば屋は食事や宴会の場として多くの人々に利用されていました。
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この座敷で宴会が繰り広げられたんでしょうね。
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いい雰囲気です。
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蕎麦打ちの道具が見えます。
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メニュー
親子そば、かしわそば、月見そば、天ぷらそば、五目そば、玉子とじ、、、、、 -
調理場
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この自転車、懐かしい。
出前用でしょうか? -
次の建物は?
旧来正旅館です。 -
東永山兵村に屯田兵として入植した来正策馬は、明治31年(1898)退役後、開通直後の宗谷本線の永山駅前に移り、待合所を開業しました。
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大正7年(1918)に大水の被害を受けたため、翌年に旅館兼待合所を新築し営業を再開しました。
当時は、旅人の宿泊や汽車の待合などに利用されてにぎわっていました。 -
一階は客馬車と汽車利用者の待合室と家族の居室。
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2階は客間が6室あったようです。
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駅前に位置したことから、当初鉄道が未開通だった、愛別や上川方面への旅行者、後には行商や造材の人たち、そして北海道庁上川農地試験場への役人たちが多く利用しました。
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列車の時刻表です。
当たり前ですが、墨文字による縦書き。 -
宗谷本線の永山駅前にあり、大正時代に賑わった来正旅館でした。
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次の建物は?
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旧近藤染舗
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近藤染舗は、明治31年(1898)に創業された旭川で最も古い染物店です。
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この建物は、店の繁盛に伴い大正2年(1913)に地元の建築業者によって新築された店舗兼住宅です。
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外観や内部の間取りは、当時の店舗建築の様子をよくあらわしています。
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幟が染められていく様子ですね。
当時が偲ばれます。 -
近藤染舗は、明治31年(1898)に徳島県移住者である近藤仙蔵および弟の圓蔵、瀧蔵によって創業された染物店です。
藍は徳島県の特産であり、故郷の技術を受け継いだ商売でした。 -
ここは家族の居室。
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台所。
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大正2年(1913)に新築された店舗の裏には、藍甕を据えた染物工場がありました。
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大正時代に、旭川で染物業が繁盛した様子を展示したありました。
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北海道開拓の村、たっぷりと拝見しました。
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限られた時間でしたが、広くてとても全部は見ることはできませんでした。
でも私たち夫婦を楽しませてくれました。 -
さあ、札幌に戻りましょう。
楽しかったーーー!!
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