2018/04/01 - 2018/04/01
192位(同エリア309件中)
ミールさん
4/1~4/4までの日程で、今年初めての奥州街道を歩いてきました。初日は前回の続きの白河宿から鏡石宿までの約21キロを歩く予定でしたが、途中で宿場町を1つすっ飛ばしてしまうほど道を間違ってしまったので、たぶんそれ以上歩いたのではないかと思います。
この日のルートでは白河宿を除けばあまり宿場町らしい町はなかったので、画像的には奥州街道らしさが感じられないかもしれませんが、個人的には久しぶりに自然の多い場所を歩けて楽しかったです。日曜日だったので、風景印を一つしかゲットできなかったのは残念でしたが。
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奥州街道を歩き始める前に、まずは白河郵便局に風景印をもらいに行ってきました。こちらの郵便局にはゆうゆう窓口があり、窓口が開いている時間なら日曜日でも風景印を押してもらえます。風景印のデザインは、南湖公園、白河の関跡、小峰城です。
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10時過ぎに街道歩きをスタート。
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こちらは白河信用金庫本店です。宿場町にマッチした建物ですね。
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旅籠やお店の情報を紹介した江戸時代のガイドブックに、脇本陣柳屋が掲載された時の絵だそうです。
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こちらが脇本陣柳屋の入口。おじゃましまーす。
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明治14年には明治天皇も宿泊したそうです。
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ここは天皇が宿泊した蔵の裏だと思われます。
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そしてこれが蔵の裏にあるという「つるべ井戸(明治天皇御膳水跡)」だと思われます。
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奥州街道に戻りました。ところどころに宿場町っぽい建物があるので、撮影に夢中になってなかなか前に進めませんでした。
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萩原朔太郎の妻・美津子の生家。
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奥州街道と棚倉・石川方面の街道が交わる交差点に建てられていた道標。
「左 せんだい あいづ
でハ(出羽) ゑちご(越後)」と彫られています。 -
こちら側には「右 日光 江戸」
「左 たなくら いハき(いわき) 水戸」と彫られています。 -
嘉永二年に建てられた道標です。
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白河市出身の国語学者である岩淵悦太郎の生家跡。
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立派な鳥居の津島神社ですが…。
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住宅地の間に、肩身の狭そうな感じで建っていました。頑張れ、津島神社!
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大きい川だなあと思いながら渡っていましたが、なんと超有名なあの川でした。
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一級河川の阿武隈川です。小学生の時、社会の授業で習った気がします。まさかあの頃は、阿武隈川を歩いて渡るような大人になるとは思ってなかったでしょうね。
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戊辰戦争の時に悲劇の死を遂げたしげさんについて記された、遊女志げ女の碑。
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半分埋もれかかっている上水道記念碑。
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白河市のマンホール第二弾!アカマツ(市の木)、梅(市の花)、ホオジロ(市の鳥)がデザインされています。第一弾は「奥州街道その3」で既に登場しています。
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こちらは白河根田簡易郵便局です。簡易郵便局なので風景印はありません(この日は日曜なので、そもそも開いていませんが)。
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簡易郵便局の向かいにある、根田醤油合名會社。ちなみにこの辺りは昔、根田宿という宿場町でした。現在では何の表示もないので、気づかずに素通りしてしまいました。
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根田宿は閑散としていましたが、その先の泉田地区は石仏群で賑わっていました。
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畑の間を通り抜けて、国道(現奥州街道)へと向かいます。この後小田川宿があったらしいのですが、やっぱり何の表示もなかったため、気づかずに通り過ぎてしまいました。
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小田川宿を通り過ぎた後、武光地蔵(首切り地蔵)という物騒な名前のお地蔵さんに会いました。
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泉崎村のマンホール。村の花のサツキがデザインされています。村名が書かれていなかったので正面がわからず、適当に撮影してしまいましたが、中央のマークが「いずみざき」の「い」をデザインした村章だそうです。ということはこの画像だと上下が逆なので、見る時は180度回してから見てください。
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このちょっと前に道を間違えました。炎天下の中、昼食をとる場所もなかったので、仕方なくコンビニでおにぎりを買いました。奥州街道では会津は通りませんが、ご当地おにぎりを発見したら買わないわけにはいきませんよね。
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迷子になっているのに古墳の前で余裕の笑顔で記念撮影をし、古墳の下にあるカフェに入りました。そこのマスターは奥州街道について記事を書いたり、講演会で話したりしているそうで、いろんなお話を伺いました。このカフェにはミール君のように、奥州街道で迷子になった人がよく来店するそうです(道に迷わなかった人は来られないということですね)。しかもコーヒーは、カップが空になるとすぐに注がれるというわんこそば方式。サービス満点のカフェでした。
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気温は21℃ですが、遮るものがない道を歩いていたので暑すぎました。
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あと1キロで東京から200キロ!
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こちらは踏瀬宿の愛宕神社。ちなみにミール君が迷子になっていて通らなかったエリアには、太田川宿という宿場町がありました。
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村の指定天然記念物の松並木はとても立派でした。
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五本松の松並木。
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少し前から矢吹町に入っていたようです。
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昔は茶屋があったという説明文。茶屋こそ、現代にも残してほしかったです(休憩する場所がないので)。
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松並木はすでに終わっていましたが、あぶくま高原道路に架かる陸橋は五本松橋という名前でした。
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大和久宿に到着。
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素敵な蔵を発見!さすが宿場町ですね。
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真ん中に町の花の春蘭がデザインされている、矢吹町のマンホール。
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白河藩領の境界を示す藩界標柱。
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左に行くと、関山道という道らしいです。
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大和久宿から1キロちょっとで、次の中畑新田宿に到着。
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大山祇神社の鳥居と、たぶん右に見えるのが神社です。
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常夜灯と水戸街道の分岐点。水戸街道は奥州街道の脇道として江戸と東北をつなぐ幹線道路だったらしいのですが、奥州街道ほどは栄えなかったみたいです。
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矢吹町中町ポケットパークにあった道路元標。この旅行記のために調べたところ、なんとこの日がこの公園のオープンだったようです。だからアイドル風の若い女の子たちが、ステージで歌ったり踊ったりしていたんですね~。宿場町(矢吹宿)だから賑やかなのかなあと思っていました。
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かなり立派な建物の大木代吉本店。造り酒屋だそうです。
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ただの本陣跡ではなく、「最後の」とついているところが気になります。
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下の地蔵。新鮮な花が供えられていて、地域の皆さんに愛されている感じがしました。
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矢吹町のお隣の鏡石町に入りました。
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鏡石町には、どうやらアイドルたちはいない模様です。
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久来石区ということは、この辺りはすでに久来石宿かもしれません。
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町の木の枝垂れ桜がデザインされている、鏡石町のマンホール。
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久来石宿と笠石宿の間くらいにある熊野神社。
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境内へは橋を渡っていくようです。
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笠石宿も宿場町らしさが微塵もなかったので、とりあえずバス停を撮影してみました。
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鏡石宿へ到着。この日はここで終了です。
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