2018/05/29 - 2018/05/29
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ドクターキムルさん
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北寺尾2からJR鶴見駅方面に向かうと店が並び、第二京浜(国道1号線)との交差点「北寺尾」に出る。その先は諏訪坂で、この坂には「昭和坂」の標識柱が立っている。昔からの旧道(大山街道)には諏訪坂があり、昭和になって切通しにしてできた道路が「昭和坂」であろう。諏訪坂側には大きな木立が立ち並んでおり、とても横浜市内の住宅地であるとは思えないほど緑が多い。
昭和坂は、戦前か戦後に寺尾地区の耕地整理を行った際,旧道を拡幅整備し,昭和坂と呼ぶようになったとされる。それ以前については大正9年(1920年)に鶴見駅西口が開設され、 豊岡地区はもとより東寺尾・北寺尾一帯は台地も谷戸も急速に開発され始めた。その後、大正12年(1923年)に関東大震災が起こり、東京湾側や鶴見川沿いの地盤が軟弱な区域から地盤が強固な山手地区に住居を求めた。これに対応するため、鶴見地区耕地整理組合ができて、宅地造成、道路の建設・整備が進められ、不二見台と月見ヶ丘の境辺りの尾根が「切通し」となり、豊岡から寺谷大池の堤上を通って、諏訪坂下から大坂に通じる寺谷道(大池西端)までの道路ができた。この頃に寺谷大池は埋立てられ、現在はその名残として弁天池(https://4travel.jp/travelogue/11364033)が残っている。
この大池西端から寺尾台地に登る道は、鬱蒼と生い茂ったマツやスギ・カシなどの間を縫うようにして、台地上の畑を耕作する寺谷戸の人たちの登り下りする小径があった。その後、昭和4、5年(1929、30年)頃、かつての大池堤西端から昭和坂上を経て北寺尾台地に至る道路が新らしく開設された。その拡張・整備される前の道路が昭和18年(1943年)頃に通されたとも言われているが、戦中の戦況が悪化した頃に敢えて道路整備を行っていたとはとても思われない。戦前か戦後のことであろう。
このかつては尾根であった頃の木立が残って大木が聳える昭和坂の木立となっているのだろう。
(表紙写真は昭和坂の木立)
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