2018/01/09 - 2018/01/10
5位(同エリア89件中)
かっちんさん
三次(みよし)と江津(ごうつ)を結ぶ三江線を、三次から朝一番の列車に乗り、江津本町(ごうつほんまち)へ向かいます。
江津本町は古くから江の川の舟運と日本海の海運の要所として栄え、その重要性から江戸時代には幕府直轄地である大森代官所領(天領)に組み込まれました。
廻船問屋が軒を並べ、赤瓦(石州瓦)が輝く天領のまちでした。
江津本町には現在でも江戸時代から昭和初期にかけての建造物や面影を多く残しており、2日間に渡り町なかを散策します。
また、赤瓦の集落と三江線の鉄道写真を撮ります。
なお、旅行記は下記資料を参考にしました。
江津市「天領江津本町甍街道」、島根県立大学生徒「甍街道マップ」、
島根県建築士会江津支部「江津本町甍街道 本町散歩」、島根県「夢街道ルネサンスの取り組み」など
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
早朝の三次駅
三江線の5:38始発列車に乗ります。
近くのホテルアルファワンを早起きし、現在の時刻は4:45。
すでに3人が並んでいます。 -
三江線の列車が入線(三次駅)
川が見える右側のボックス席をGet。 -
三江線車内
立っている人はいますが、早朝列車なのでそれほど混んでいません。 -
イチオシ
夜明け前の口羽駅に停車
時刻は6:40。冬なので、まだ真っ暗。
口羽(くちば)駅では28分も停車します。 -
淋しく見える赤いテールライト(口羽駅)
-
ありがとうJR三江線(口羽駅)
三江線廃止まで残り3ヶ月を切りました。 -
口羽駅マルシェ
三江線沿線魅力化プロジェクトの方が、思い出になる写真集やグッズをライトで照らし販売しています。 -
次第に夜が明けてきます(口羽駅)
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青春18きっぷの車内改札
早朝の三次駅には駅員がいなかったので、口羽駅停車中に車内改札(入鋏)してもらいます。
運転手が列車番号と日付「422D 30年1月9日」を手書きし、認印を押します。
手書き改札は三江線に乗車した記念になります。 -
粕淵の第一江川橋梁
線路の横に歩道がある珍しい橋梁を通過します。
この歩道はいつか歩いて見たいです。 -
まもなく江津本町駅
終点「江津駅」の一つ手前にある駅です。
ここで列車を降り、江津本町の古い町並みへ向かいます。 -
列車のお見送り(江津本町駅)
トンネルの先には江津本町の集落があります。 -
振り返ると小さな待合室(江津本町駅)
三江線の列車は「江の川」沿いに走って来たのです。 -
雨上がりのホーム(江津本町駅)
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水管が跨ぐ切通し
山を掘削した切通しの先に江津本町の集落があります。
太い水管は何でしょう? -
「天領江津本町甍街道」の案内図
江の川の河口から約2キロの位置にある江津本町。
古くから江の川の舟運と日本海の海運の要所として栄え、その重要性から江戸時代には幕府直轄地である大森代官所領(天領)に組み込まれました。
江津本町甍街道(いらかかいどう)へは、案内図左下の江津本町駅、または右上の江津駅から入ることができます。 -
イチオシ
本町川沿いの通り(江津本町)
この通りにかつての廻船問屋の蔵や屋敷などが残っています。 -
横田家(江津本町)
横田家は江戸時代初期に当地に移り、廻船業で財をなし、飢饉や開墾に尽力した歴史があります。
煙出しや貴人用玄関があり煉瓦が一段と高く積まれています。 -
本町川沿いの町並み(江津本町)
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高原家(江津本町)
格子が美しい主屋は、元治元年(1864)の建物です。 -
本町川沿いの蔵(江津本町)
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旧江津郵便局(江津本町)
明治10~20年代に建てられた擬洋風建築。
色ガラスやバルコニー、開き窓、階段など当時のハイカラをそのまま残しています。 -
イチオシ
ハイカラな建物(旧江津郵便局)
国の登録有形文化財です。 -
飯田家の門(江津本町)
初代江津町長・初代江津市長の飯田家です。
昭和10年に火災があり、主屋や土蔵などが焼失しました。
門の前に御影石の石橋が架けられ、広大な敷地が当時の繁栄ぶりをうかがわせます。 -
鼻ぐり石(江津本町)
本町川沿いの道端には、丸い穴を開けくり抜いた「鼻ぐり石」が残っています。
小作等が飯田家や横田家に荷を運んできた際、牛馬を繋いだものです。 -
土蔵(江津本町)
飯田家向かい側にある土蔵。 -
城構(江津本町)
城構(とがまえ)は地名であり、屋号としても呼ばれました。
幕末、長州軍の陣営建設は、庄屋を勤め、酒造業も営んでいた飯田六郎右衛門に命じられました。
現在は石垣と土塀が残っています。 -
城構の道(江津本町)
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土壁の建物(江津本町)
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旧花田医院(江津本町)
昭和12年(1937)建築で、屋根瓦がひときわ目立つ黄色です。 -
珍しい黄色の瓦(旧花田医院)
当時の石州瓦の色は来待(きまち、赤)や鉄砂(黒)が主流でしたので、黄色の瓦は珍しいです。 -
藤田本家(江津本町)
廻船業を営み、後に銑鉄も扱うようになりました。
横田家と同じように、煙出しや貴人用の玄関があります。
では、江津本町を後にし江津へ向かいます。 -
石州瓦の鯱(江津)
江津駅へ向かう途中、民家の庇の上に飾られています。
3匹の鯱が並んで綱引きをしているように見えます。
大将は一番右の鯱。 -
左側には綱引きの対戦相手(江津)
こちら鯱は2匹なので負けそう・・・
なんて考えていました(笑) -
お洒落な建物(江津)
骨董屋ですね。 -
珍品があるかな?(骨董屋)
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江津駅に到着
この日は浜田市下府の国民宿舎千畳苑に泊まります。 -
翌朝の江津本町
江津駅から歩いて1kmほどの距離です。
昭和47年7月12日の洪水の跡が示されています。
建物1階の半分まで浸水し、大水害だったことがわかります。 -
イチオシ
江の川と赤瓦の集落の間を走る三江線
朝9:29の浜田行きです。(次は12:36浜原行き) -
旧江津町役場(江津本町)
次の列車が来るまで、町歩きをします。
大正15年(1926)建築のアールデコ調のレリーフ、コンクリートと木造の混在構造、上げ下げ窓があります。
町役場は昭和37年まで使われ、現在は「甍街道交流館」としてまちづくりの拠点になっています。 -
円覚寺(江津本町)
立派な楼門です。 -
イチオシ
「牡丹に唐獅子」の鏝絵(こてえ、円覚寺)
本堂の正面壁に飾られ、唐獅子が元気に飛び跳ねています。 -
獅子の彫刻(円覚寺)
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近本大正堂(江津本町)
創業は明治時代で、大正時代より当地にて営む和菓子の製造販売店。
マドレーヌ、どら焼きなど1個100円。釣銭が面倒なのでこの値段にしたとか。 -
六地蔵堂(江津本町)
お堂には弘法大師像、左右に三体ずつ地蔵が並んでいます。 -
甍街道(江津本町)
島根県では、歴史や文化を今に伝える中国地方の街道を「夢街道ルネサンス」として認定しており、9地区が登録されています。
その中の一つが「天領江津本町甍街道」。
赤い石州瓦の町並みの「瓦」と「夢」を組み合わせて、「甍」街道(いらかかいどう)と名付けられました。 -
甍街道
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豆茶香&あぷり(江津本町)
ほっこりごはんと手作りデザートの店で、豆茶香(まめちゃか)さんとあぷりさんが料理やデザートを作っています。
甍街道の端の三江線近くにあり、ここで昼食にします。 -
アランビアンナイトのような入口(豆茶香)
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三江線が見える特別席へ
豆茶香は2008年6月24日に10年以上使われていなかった長屋を改装してオープンしたカフェです。
中二階の特別席に座ります。 -
この小窓から
目の前を走る三江線の列車が見えるのです。
でも、今日は撮り鉄をやっているので、ここから見られません。 -
豆茶香ランチ
メイン(肉or魚)、小ばち、サラダ、みそ汁、ごはんの定食(1,280円)です。
地元の人にも人気のお店で、手作りの料理を美味しくいただきました。 -
二楽閣跡(江津本町)
豪商飯田家の別邸だった二楽閣(じらっかく)跡へ行きます。 -
二楽閣跡
明治30年代、江の川河岸の小高い山に建てられ、かつては「江津名所は数々あれど、亀山お城に二楽閣」とうたわれました。
現在は石垣や土塀の一部が残っています。
では、石段を上がり、三江線の撮影ポイントを探します。 -
第二江津橋梁を渡るディーゼルカー
12:36の浜原行きです。(以下時刻は江津本町駅発時刻を表示します)
橋梁の高さは近くを流れる「江の川」堤防と同じ高さです。 -
可愛らしいピンク色の実
マユミの実です。 -
イチオシ
二楽閣から眺める三江線
14:51の江津行きは、最後のお別れ乗車に来る人が多いので3両編成です。 -
吹雪の中を走る三江線
15:17の三次行きです。
突然の雪でレンズに雫が付いてしまいました。
これで冬の三江線とお別れです。江津本町の町並みは昔の面影を残しているところでした。
今晩は米子に泊まります。
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