2018/05/11 - 2018/05/11
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belleduneさん
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明治32年(1899)に現在の京都駅に近い、崇仁地区に柳原銀行が認可され、当時、町長だった明石民蔵ら地元の有志によって設立されました。被差別部落の住民によって設立された日本で唯一の銀行であり、資金を得られなかった町内の皮革業者などに融資を募り、産業の育成、振興に大きく貢献したということです。その利子を地元の小学校の運営資金、套路建設資金に当てるなど、自力で差別を撤廃していきました。
大正になって、山城銀行と改称し、事業を広げていきましたが、金融恐慌の影響を受けて、昭和2年(1927)、倒産してしまいました。この時期、東京でも大臣の失言で、渡邊銀行ほか、何行かの銀行が取り付け騒ぎで倒産しています。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 交通手段
- 高速・路線バス JALグループ 徒歩
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その後、建物は商店や借家として使われていましたが、昭和61年(1986)に道路拡張工事で、保存の運動があり、平成9年に交差点角から現在地へ移築され、柳原銀行記念資料館として開館しました。平成元年に京都市が調査した際、この建物が貴重な洋風木造建造物だと判明し、登録有形文化財にしてされています。住所:下京区下之町6-7 市バスの「塩小路高原」下車2分です。この存在を地元の方もあまり知らないようで、ちょっと迷ってしまいました。
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木造2階建一部平屋建て屋根寄棟及び切妻造桟瓦葺です。
建築面積は88,58平方m、軒高7,66mです。 -
ペディメントを置くのが、明治期の金融機関によく見られました。
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内部は明治期の他銀行に倣って造られてもので、柳原銀行店舗の内部と同じではないそうです。
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ほぼこれに近い形式だったと思われます。
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柳原銀行出資者の伊勢旅行の撮られた記念写真だそうです。嵩仁學区の旧家から見つかり、当資料館に寄贈されたものです。
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解体調査の際の写真で、金庫室は増築時に造られたもの。扉はこの時期の銀行を参考にして復元されています。
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塩小路通りと河原町通りとの交差点角にありました。
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2階への階段上部の窓
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階段上から階下の裏玄関を見たところです。この階段と手摺は当時のままの形だそうです。平成9年に移築再現されてので、まだ新しい。
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黄色の矢印が当時の柳原銀行です。市電が走っていますね。JRの線路は現在地よりもっと南だったそうです。
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木製サッシュの上げ下げ窓になっています。2階の窓枠上部に付けられた長方形のフィールデットパネル(浮き彫りのある装飾板)が特徴となっています。
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この入り口は、階段下にあった裏玄関です。
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桜田儀兵衛は、天保3年(1832)に銀座跡村に生まれ、明治4年(1871)、「解放令」が発布されると、儀兵衛は銀座跡村北組5人頭筆頭となり、2年後に、戸長(現在の村・町長)となります。明治22年(1889)、市町村制施行で、「柳原町」となり、初代柳原町長に就任しています。柳原小学校建設や私財を投げ打って、貧困者救済、鉄道敷設立ち退き交渉、戸長役場の確保、コレラ発生防止、皮革工場へのドイツ人技師の招聘などの尽力、功績の対して、日本政府や京都府から高く評価されました。町民は顕彰の石碑を建て、敬慕の意を表しました。。
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午後の便で東京へ戻るのですが、まだ時間があるので、お昼を少し過ぎた1時はもう混んでいないかと思い、烏丸から車屋町通へ入ったところにある「本家 尾張屋」でお蕎麦を食べることにしました。
暖簾の「寶」は、14代、15代目が大事にしてきた「宝来」という言葉の「宝」を縁起の良い食べ物ということで、使われ始めました。 -
寛永6年(1465)創業のお菓子屋として尾張国から京都へ出てきたので、尾張屋となったそうです。「関東は蕎麦、関西はうどん」と言われていますが、13世紀、僧・円彌が宋に渡り、菓子や麺類を京都へ持ち帰り、蕎麦を粉にして練る技術を伝えています。お寺では「練る・伸ばす・切る」という技術を賄いきれず、菓子屋に委託したということでした。尾張屋は、菓子屋と共に蕎麦を御所、寺院に届ける「御用蕎麦司」となりました。信濃国の蕎麦切りも、この京都から伝わったのかもしれないと考えられています。異論は多々あることでしょう。
江戸中期頃、初代稲岡伝左衛門が蕎麦屋を始めました。明治時代に綾小路室町にあった店舗をここへ移転しています。この2階は住まいでしたが、15代目の時に店に改装しました。 -
江戸では町民の食として親しまれている蕎麦も、京都では点心の一つとして寺院の食文化に深く根付いてきたものでした。特に禅宗では、瞑想時や籠って修行する時、ひと握りの蕎麦粉を携行したと言われるほど、心身を健全に養う食べ物として禅文化に不可欠なものだそうです。
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1階は混んでいたので、2階へ通されました。蕎麦の味をしっかりと味わうため、ざるそばと薯蕷にしました。地下50m迄掘った比叡山水系の地下水を井戸で汲み上げて使い、麦飯石で濾過したものを使っているそうです。なかなかしっかりとしたお蕎麦でした。因みに13日に浅草で「尾張屋」の笊蕎麦と薯蕷を食べて比べて見ました。二八蕎麦で白く、やや細い蕎麦でした。京都の尾張屋の笊蕎麦は歯応えのあるやや硬いものでしたので、腹持ちが良いという点では、良いかもしれません。秋にお墓参りする際にも、また食べてみようと思います。
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帰りに蕎麦餅を買って帰りました。江戸時代末期から明治時代にかけて、13代目当主が考案したものだそうです。小麦粉と蕎麦粉を混ぜ、鶏卵や砂糖を加えた皮で小豆餡を包んで、てっぺんに胡麻を振った素朴な蕎麦餅は、蕎麦粉を使った菓子の先駆けだったそうです。このように一つ一つ紙で包装するのも、13代目が始めたことだったそうで、進取の精神に飛んだ人だったと言われています。京都では蕎麦のお菓子と言えば、尾張屋さんと言われるようになり、仏事のお通夜(夜伽見舞い)にも重宝されたという。この蕎麦餅もこの本店内、蕎麦を作るすぐ隣で作られています。最近、甘いものが苦手になったのですが、あまり甘くなくて、コーヒーにも合います。なかなか良い出会いをしました。
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