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青山城(あおやまじょう、埼玉県比企郡小川町青山)は築城時期並びに築城者については不明ですが平安時代に藤原系の一族が比企郡青山に移住し居城、青木姓を名乗って鎌倉幕府や南北朝時代に関東管領にそれぞれ仕えたとの伝承がありますがその域を超えるものではありません。<br /><br />戦国時代には、小田原北条氏が相模を北進し武蔵を手中に収める過程の中で扇谷上杉氏の先兵として比企郡に入部してきた上田氏が当地域に影響を与えていたことから、扇谷上杉氏の没落後小田原北条氏に臣属した後も上田氏本拠の松山城の支城(小倉城・腰越城・中城・青山城)の一つとして動いていたようです。<br /><br />地勢的には南北の山岳を背景にそして東西の谷に囲まれた「瓢箪」型の城郭が配されています。すなわち北からは仙元山から、南からは物見山から伸びる尾根の交差点に在し、東は槻川の蛇行で浸食された谷、西は峠境目から広がる谷でそれぞれ囲まれた自然の要害に恵まれた地となっています。<br /><br />当該城の西側には鎌倉時代の「上道」に当たる鎌倉から上野国に至る街道が通っており、戦国時期においては軍勢移動に使用された幹線道路であったことから敵軍の動静をいち早く察知できることで軍事上重要な役割が求められていたと推察されます。<br /><br /><br />主郭の中央部に置かれた説明板には下記の通り記されています。<br /><br />「 町指定史跡 青山(割谷・わりや)城跡<br /><br />               小川町大字青山字立巌2292-2他<br />               平成4年3月25日町指定<br />                <br />青山(割谷)城跡は、青山と下里の大字境に位置し、青山側では青山城、下里側では割谷城と呼ばれています。<br /><br />城跡は尾根を巧みに利用し、標高265メ-トルの山頂部に築かれた本郭を中心に、南西に二の郭、南東に三の郭をコの字状に配し、それぞれの郭は深い堀切で画されています。また、本郭の南東側および二の郭の東側には通路状の帯郭がよく残されています。一方、北側は小規模な郭と堀を配するのみとなっています。<br /><br />板碑石材である緑泥石片岩の分布域にあり、堀切はこの岩盤を掘り抜いて造られ、本郭周辺の一部には石積みが残っています。城跡の下里側の麓近くには、板碑石材の採掘と加工を行っていた割谷採掘遺跡があります。<br /><br />江戸時代に書かれた『関八州古戦録』には永禄6年(1536)「松山城へは上田安楽斎、同上野介朝広を環住なさしめ青山、腰越の両砦と共に堅固に相守らせ」とあり、松山城の支城であったと伝えられています。<br /><br />東2.6キロメ-トルには小倉城があり、北には四ツ山(高見)城跡、北西に中城跡、西には腰越城を臨むことができます。また、麓を流れる槻川に沿った道や現在の八高線に沿った道を見下ろす地理的な要所に位置した城跡です。」

武蔵小川 扇谷上杉氏から小田原北条氏へと主家を変えながら地域領主上田氏が築いた軍勢街道を眼下に見る関東では珍しい石積みの城砦『青山城』訪問

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2018/04/01 - 2018/04/01

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滝山氏照

滝山氏照さん

青山城(あおやまじょう、埼玉県比企郡小川町青山)は築城時期並びに築城者については不明ですが平安時代に藤原系の一族が比企郡青山に移住し居城、青木姓を名乗って鎌倉幕府や南北朝時代に関東管領にそれぞれ仕えたとの伝承がありますがその域を超えるものではありません。

戦国時代には、小田原北条氏が相模を北進し武蔵を手中に収める過程の中で扇谷上杉氏の先兵として比企郡に入部してきた上田氏が当地域に影響を与えていたことから、扇谷上杉氏の没落後小田原北条氏に臣属した後も上田氏本拠の松山城の支城(小倉城・腰越城・中城・青山城)の一つとして動いていたようです。

地勢的には南北の山岳を背景にそして東西の谷に囲まれた「瓢箪」型の城郭が配されています。すなわち北からは仙元山から、南からは物見山から伸びる尾根の交差点に在し、東は槻川の蛇行で浸食された谷、西は峠境目から広がる谷でそれぞれ囲まれた自然の要害に恵まれた地となっています。

当該城の西側には鎌倉時代の「上道」に当たる鎌倉から上野国に至る街道が通っており、戦国時期においては軍勢移動に使用された幹線道路であったことから敵軍の動静をいち早く察知できることで軍事上重要な役割が求められていたと推察されます。


主郭の中央部に置かれた説明板には下記の通り記されています。

「 町指定史跡 青山(割谷・わりや)城跡

               小川町大字青山字立巌2292-2他
               平成4年3月25日町指定
                
青山(割谷)城跡は、青山と下里の大字境に位置し、青山側では青山城、下里側では割谷城と呼ばれています。

城跡は尾根を巧みに利用し、標高265メ-トルの山頂部に築かれた本郭を中心に、南西に二の郭、南東に三の郭をコの字状に配し、それぞれの郭は深い堀切で画されています。また、本郭の南東側および二の郭の東側には通路状の帯郭がよく残されています。一方、北側は小規模な郭と堀を配するのみとなっています。

板碑石材である緑泥石片岩の分布域にあり、堀切はこの岩盤を掘り抜いて造られ、本郭周辺の一部には石積みが残っています。城跡の下里側の麓近くには、板碑石材の採掘と加工を行っていた割谷採掘遺跡があります。

江戸時代に書かれた『関八州古戦録』には永禄6年(1536)「松山城へは上田安楽斎、同上野介朝広を環住なさしめ青山、腰越の両砦と共に堅固に相守らせ」とあり、松山城の支城であったと伝えられています。

東2.6キロメ-トルには小倉城があり、北には四ツ山(高見)城跡、北西に中城跡、西には腰越城を臨むことができます。また、麓を流れる槻川に沿った道や現在の八高線に沿った道を見下ろす地理的な要所に位置した城跡です。」

交通手段
JRローカル 徒歩

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  • 仙元山山頂・標柱<br /><br />小川駅前の通りにある観光案内所でル-トを教えてもらって、JR八高線踏切を渡ってすぐ右折して・・・の道を進みましたが、どいうわけか「見晴らしの丘公園」に出てしまいそこから仙元山頂経由の遠回りル-トとなりました。<br />

    仙元山山頂・標柱

    小川駅前の通りにある観光案内所でル-トを教えてもらって、JR八高線踏切を渡ってすぐ右折して・・・の道を進みましたが、どいうわけか「見晴らしの丘公園」に出てしまいそこから仙元山頂経由の遠回りル-トとなりました。

  • 仙元山山頂・標柱

    仙元山山頂・標柱

  • 仙元山山頂・標柱<br /><br />標高298.9mの仙元山山頂の標柱が立てられています。青山城跡はこの山頂から南南西に築城されています。

    仙元山山頂・標柱

    標高298.9mの仙元山山頂の標柱が立てられています。青山城跡はこの山頂から南南西に築城されています。

  • 青山城跡・案内標識<br /><br />仙元山山頂を経て青山城跡に向かうところですが案内標識では「下里・大聖寺」と共に「青山(割谷)城跡」の看板が付されています。

    青山城跡・案内標識

    仙元山山頂を経て青山城跡に向かうところですが案内標識では「下里・大聖寺」と共に「青山(割谷)城跡」の看板が付されています。

  • 青山城跡・案内板<br /><br />林道割谷線と称する小路を歩いていますが、手製の標識には青山城跡まで約15分と記載されています。

    青山城跡・案内板

    林道割谷線と称する小路を歩いていますが、手製の標識には青山城跡まで約15分と記載されています。

  • 青山城跡・小倉城跡案内標柱<br /><br />青山城から尾根伝いに小倉城へつながっています。青山城跡訪問の後小倉城跡訪問予定しています。

    青山城跡・小倉城跡案内標柱

    青山城から尾根伝いに小倉城へつながっています。青山城跡訪問の後小倉城跡訪問予定しています。

  • 林道割谷線

    林道割谷線

  • 青山城堀切跡・案内板<br /><br />青山城跡の一部に入ってきたようです。堀切跡の案内板が視野に入ってきます。

    青山城堀切跡・案内板

    青山城跡の一部に入ってきたようです。堀切跡の案内板が視野に入ってきます。

  • 堀切跡

    堀切跡

  • 主郭に繋がる路

    主郭に繋がる路

  • 青山城三郭跡・案内板<br /><br />この先は切削されたと思われるやや広めの郭が認められます。

    青山城三郭跡・案内板

    この先は切削されたと思われるやや広めの郭が認められます。

  • 堀切跡・案内板<br /><br />三郭を過ぎると再び堀切が施され、敵の侵入を困難にします。

    堀切跡・案内板

    三郭を過ぎると再び堀切が施され、敵の侵入を困難にします。

  • 堀切跡<br /><br />敵の尾根伝い移動を完全に遮断しているのが堀切ですが、先程の堀切よりも大規模に施されています。堀切跡

    堀切跡

    敵の尾根伝い移動を完全に遮断しているのが堀切ですが、先程の堀切よりも大規模に施されています。堀切跡

  • 堀切跡

    堀切跡

  • 主郭跡

    主郭跡

  • 主郭跡

    主郭跡

  • 主郭跡

    主郭跡

  • 主郭跡

    主郭跡

  • 青山城主郭跡<br /><br />主郭の北側を走る土塁が認められ、その奥には説明板が立っています。

    青山城主郭跡

    主郭の北側を走る土塁が認められ、その奥には説明板が立っています。

  • 主郭跡<br /><br />南側にも土塁が走っています。

    主郭跡

    南側にも土塁が走っています。

  • 青山城跡説明板<br /><br />縄張図を付した説明板が書かれています。

    青山城跡説明板

    縄張図を付した説明板が書かれています。

  • 青山城縄張図(拡大)

    青山城縄張図(拡大)

  • 主郭土塁

    主郭土塁

  • 主郭跡<br /><br />土塁の南側には段差のついた廓が北東から南西にかけて走っているのが判ります。

    主郭跡

    土塁の南側には段差のついた廓が北東から南西にかけて走っているのが判ります。

  • 主郭跡

    主郭跡

  • 主郭跡<br /><br />主郭中央に立てられた説明板から南西方向を見据えます。

    主郭跡

    主郭中央に立てられた説明板から南西方向を見据えます。

  • 主郭跡

    主郭跡

  • 主郭跡

    主郭跡

  • 主郭跡<br /><br />主郭の南西辺りから振り返って今まで通ってきた主郭の状況を捉えます。

    主郭跡

    主郭の南西辺りから振り返って今まで通ってきた主郭の状況を捉えます。

  • 主郭の石積み跡<br /><br />主郭の南西部には盛土が見られるがその中に石積みされた状況が認められます。この地に産する「緑泥石片岩」と思われますが設置の背景が判然としません。<br /><br />

    主郭の石積み跡

    主郭の南西部には盛土が見られるがその中に石積みされた状況が認められます。この地に産する「緑泥石片岩」と思われますが設置の背景が判然としません。

  • 主郭の石積み跡<br /><br />今度は盛土の下から石積みを捉えます。<br /><br /><br /><br />

    主郭の石積み跡

    今度は盛土の下から石積みを捉えます。



  • 竪堀<br /><br />ややなだらかですが竪堀が見られます。

    竪堀

    ややなだらかですが竪堀が見られます。

  • 竪堀<br /><br />下に向けて堀が造作されているように見えます。

    竪堀

    下に向けて堀が造作されているように見えます。

  • 二の郭跡案内板

    二の郭跡案内板

  • 二郭案内板と通路<br />

    二郭案内板と通路

  • 二郭跡

    二郭跡

  • 下里方向<br /><br />二郭を過ぎると下り坂となります。

    下里方向

    二郭を過ぎると下り坂となります。

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