2018/04/22 - 2018/04/23
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tenkoさん
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木曾路という言葉、何と魅力的な響きなんでしょう!
遥か昔、東から西へ、西から東へ様々な人々が行き来した往来。
お殿様もいれば旅人もいる。
そんな人々を受け入れるのが宿場。
今回訪れた3つの宿場はそれぞれ少しずつ違っていて面白かった。
驚いたのは欧米人の多さ。日本的なものを求めて訪れているのでしょう。
すれ違った人々の8割が外国人。日本の観光もかなり世界的になってきたような。
木曾路はすべて山の中・・・
春の花々と芽吹きが美しい木曾路をほんの少し散策しました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 新幹線 JR特急 JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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新宿発8:00「スーパーあずさ5号」で出発。
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新型車両。
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塩尻で下車。
10:27着塩尻駅 駅
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中央西線に乗り換え
10:50発 中津川行 -
11:13に到着
奈良井駅 駅
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奈良井駅ホームの跨線橋から眺めた奈良井の景色
あちこちに桜が咲いている。
ここはまだ春でした。 -
中山道奈良井宿
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素朴な駅舎内
子供たちのお習字が貼ってある。
ちょっと前まで日本の駅はこうだったなぁ。
無人駅なのにきれい。 -
中山道69次
奈良井宿は34番目の宿場 日本最長の宿場(約1キロ)
中山道は江戸日本橋から京三条大橋まで
1番目の宿場は板橋
甲州街道と下諏訪宿で合流
東海道と近江草津宿で合流
北国街道と信濃追分で合流 -
文部科学省選定重要伝統的建造物群保存地区(昭和53年選定)
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宿場に入る前に木曽の大橋を見に行く。
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奈良井川にかかるヒノキの大橋
木曽の大橋 名所・史跡
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総ヒノキ造りで橋脚が無い
橋の裏側の木組みが見事。 -
奈良井宿
江戸時代や明治時代の建物が並ぶ奈良井宿 名所・史跡
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懐かしい日本の風景
木造の塀や壁、遠くに高い山々が見える。
欧米人が多く訪れるのが分かる。 -
水飲み場
6か所あり、まろやかな味がした。
生活用水として今も使われており、地元の水場組合が管理している。 -
何でも木で表現している。
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煙草屋さん
漆喰のうだつ
二階がせり出した出梁造り
二階の格子
これらは奈良井宿の建築の特徴 -
奈良井独特の家々が続く
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江戸時代の宿場をぶらぶら歩いているような気がしてきた。
時間がさかのぼり、今がいつなのか分からなくなってしまうような不思議な感覚に陥る。 -
この家もしっかり奈良井の特徴を表している。
現役の美容室。
今日は終わりました・・・という札が下がっていた。 -
高札場
目立つ場所に置かれて、法度や掟、犯罪人の手配などを板に書き記す。 -
奈良井宿の端にある鎮神社
奈良井宿に疫病が流行り、これを鎮めるために祀られた。鎮神社 寺・神社・教会
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鎮神社から奈良井宿を見る
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端まで来たので戻る
「中山道名所鍵の手」とある。
鍵の手とは道をわざとクランクに曲げて敵から見えないようにするため。鍵の手 名所・史跡
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上問屋史料館
幕府の役人や旅人の為に一定の馬や人足を備えておかなければならなかった。
その馬や人足を管理していたのが問屋(といや)
この奈良井宿の問屋は1602年から明治維新まで約270年続いた。
時には庄屋も務めた。
立派な梁上問屋史料館 美術館・博物館
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幕府の役人や偉い人が休んだお部屋。
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長い間に集めた貴重な資料、美術品が展示されている。
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二階へは箱階段で。
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二階の格子から街道を見る。
ここだけ切り取ってみると映画のセットのように見える。 -
山岡鉄舟の書
「健 色 山」 -
お腹がすき、九割そば・・・と書いた紙に惹かれ。
そば処「相模屋」に入る。相模屋 グルメ・レストラン
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お蕎麦中心のメニュー
地粉挽きたて本手打ち九割そば -
シンプルにざるそばを注文
細めのお蕎麦
800円 -
デザートは五平餅
味噌とごまのたれ
五平餅の名前の由来をお店の人に聞く。
五平さんが作ったという説と
当時わらじの値段が五幣だったという説 -
こちらはごま団子
五平餅のたれと似ているがちょっと甘め -
木曽漆器のお店
さわや漆器店 -
記念に塗りのお箸を購入
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奈良井宿はあまり観光化されてなく、旅人が行き交った当時が簡単に想像できる。
忘れていたものを拾ったような気がした。 -
奈良井川のほとりに咲く桜
奈良井川 自然・景勝地
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奈良井駅を13:32に出発
南木曽駅に14:40に到着南木曽駅 駅
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南木曽駅から妻籠に向かう。
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保神行のバスに乗る。
駅の横にバス乗り場がある。 -
15分くらいで妻籠第一駐車場に到着
妻籠宿の通りに出る。
藤棚の藤が満開
甘い匂いが辺りに漂う。妻籠宿 名所・史跡
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妻籠宿の高札場
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脇本陣
南木曽町歴史資料館 美術館・博物館
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偉い客人の入口
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明治10年に総ヒノキで造られたのが現在の建物
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苔むした庭
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島崎藤村自筆の「初恋」の書
この家は初恋の相手の「おゆふ」さんの嫁ぎ先。 -
囲炉裏の斜光が有名
冬のほんの一瞬。
この写真の光が入っているところから格子を通して美しい斜めの光が差し込む。
見られるのは冬。 -
妻籠宿本陣
妻籠宿本陣 名所・史跡
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代々島崎氏が務める。
明治20年に最後の当主島崎広助(藤村の実兄)が東京へ出てしまい建物は取り壊された。 -
平成7年に江戸時代後期の間取りで復原。
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殿さまがお休みになった部屋
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妻籠宿は中山道42番目の宿場
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桝形の跡
桝形は宿場の出入り口を2度直角に曲げて外敵の進入を防ぐために作られた。
明治32年に改修工事で無くなり跡が少し残っている。 -
直角に曲がるとまた家並みが続く。
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階段もあり、道は上ったり下りたりしている。
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妻籠宿は全国に先駆けて町並みの保存を始めた。
鉄道などの普及で街道を使う人々が減り、さびれていくだけの所になってしまった。
昭和43年妻籠保存事業を立ち上げ、その後「売らない・貸さない・壊さない」の信条に基づきに保存に力を注いだ。
今私たちが木曾路を堪能できるのも、自然を保ちつつ観光で生きていこうと決心した地元の人々のおかげだといえる。 -
今夜の宿まで歩く。
宿は大妻籠にあり、馬籠に向かう途中。 -
山道に入り、ちょっと不安になる。
聞く人、聞く人、みんな言う時間が違う。
15分から40分の間のよう。
山道って人によってかかる時間が違うから、聞くほうが間違ってる。
でも中山道を歩いてる気分になったので良しとする。 -
やっと宿が見えてきた。
35分かかった。 -
波奈屋旅館
大妻籠 名所・史跡
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妻籠から歩いて35分大妻籠にある旅館
部屋は障子と襖で仕切られているだけ。
話は筒抜けこういうタイプの宿はすごーく久しぶり。
懐かしい~
廊下にスリッパを脱ぐ。 -
窓側は雪見障子だけ。
障子を開けると道。
風情満点ですが、鍵なしで外から一発で入れる。
不用心!
悪い人なんて歩いていないということ?。(ホント?)
何事もなく一夜が明ける。 -
雪見障子から見た外の景色
向かいの家が静にたたずんでいる。
人通りはゼロ。 -
首を出してもっと外を見ると、まるで江戸時代。
浪人が歩いてきそう。 -
夕食
鮎の甘露煮
五平餅などが珍しい。
ちょうどよい量。
この時判明したのですが宿泊客25名のうち日本人は私たち3人だけ。
あとは全部欧米人。みごとアウェー。ここは何処? -
朝食
特筆すべきものは無し
たくあんだと思ったらパイナップル(缶詰)。 -
8:30チェックアウトしてタクシーで妻籠に戻る。
1泊2食で1人10800円。
日本の妻籠で欧米人に囲まれての食事は不思議な体験。 -
宿の周りは深い山
木曾路はすべて山の中・・・ -
35分かかった宿までの距離もタクシーだと7分くらい。
運転手さんは英語が分からないときは適当に笑ってごまかす・・・・と言っていた。
妻籠の人たちは外国人対応に慣れている。 -
朝9時前の妻籠宿はひっそり。
散策は朝にかぎる。 -
光徳寺
高台にあったので行ってみた。光徳寺 寺・神社・教会
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お寺から見た妻籠宿の屋根の連なり。
狭い所に寄り添って住んでいるのがよく分かる。 -
保存地区なので。
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家々はお花が飾られ、観光客を目でもてなしている。
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洋装店
ジーンズやワンピースが飾られている。
2階にもあり。
このお店を見たとたんベトナムホイアンの日本人町の洋服屋さんと同じだ!(そう思うのは私だけ?) -
妻籠宿の保存は素晴らしい。
観光目的の保存なのに、観光地化していない。
これは訪れる者にとってはとても大切なこと。
高山や湯布院で悲しい思いをしているから。
自然や建物の保存と観光は難しいとは思うけれど、奈良井や妻籠を参考にしてほしい。 -
宿場の中央辺り、観光案内所の裏手の高台に天然記念物の「ギンモクセイ」の大樹が。
これだけ巨大なものは全国でも数本。 -
バスの時間までぶらぶら歩く。
10:12発の馬籠行のバスに乗る。
乗り場は昨日バスを降りた第一駐車場。
バス停は街道筋に沿っている大きい道路(国道256号)に3か所あるので、宿場の途中からも乗れる。 -
15分ほど乗って「馬籠峠」で下車。
ここから馬籠宿まで歩く。馬籠峠 自然・景勝地
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この峠を境に長野県から岐阜県に移る。
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ここから馬籠宿まで2キロ
-
山里をのんびりと歩く。
山桜、山つつじ、水仙、サクラソウ・・・・春の花々が咲いている。
近くの山からはウグイスが、とても上手に「ホーホケキョ!」 -
山の芽吹きはこの季節しか見られない。
ほんとに美しい!
山桜はこの時とばかり存在を主張して咲き誇る。
他の木々は負けじと軟かい緑で対抗。
このグラデーション、見飽きない。 -
畑に咲いてた桜。
1つの幹から白、薄いピンク、濃いピンクと混ざって咲いている。
どうして? -
自然を満喫しながら石畳の道に。片側は竹藪。
-
国道と街道、時々交差しながら進む。
この時、街道の入口を見失いそうになる。
注意して見てみると国道に横断歩道のように道に模様がある。
ここを渡ってまた街道へ入っていく。
基本、国道は歩かず向こう側へ渡るだけ。 -
時々「中山道」と書いた大きな石がある。
道しるべ
いつのものかは不明。 -
小さな山を上り下りして急に景色が開ける。
眼前に恵那山
この先に展望台があり、恵那山が良く見える。 -
下って馬籠宿の入口に。
だらだら約1時間歩く。
馬籠宿は中山道43番目の宿場。
江戸から333キロ -
奈良井、妻籠に比べて整然としている。
建物もちょっと新しいような。馬籠宿 名所・史跡
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お昼ご飯は藤村記念館の隣にある「大黒屋」
お食事処とお土産屋を兼ねている。 -
栗おこわ
馬籠に入る途中の路傍に十返舎一九の句碑が。
「渋皮の むけし女は見えねども 栗のこわめし ここの名物」と詠んだ。
季節外れだが食べてみた。 -
ざるそば
木曽のお蕎麦は何処で食べても美味しい。
注意しなければならないのは手打ちではないお店があるとのこと。 -
藤村記念館
9:00から17:00(12月~3月は16:00)藤村記念館 美術館・博物館
-
この2階の部屋で子供の頃の藤村は勉強していた。
島崎藤村
明治5年(1872)馬籠宿で生誕。9歳で勉学の為上京。のち教師となり長野県小諸義塾に赴任。
「千曲川旅情のうた」「椰子の実」を書く。
その後上京し「破戒」「春」「家」「夜明け前」を書き高い評価を受ける。
「夜明け前」は父をモデルに」明治維新前後を書き、馬籠の様子を知ることができる。 -
馬籠宿はどんどん下っている。
ここも外国人観光客に大人気。 -
さっぱりときれいに整備されている。
今までの宿場に比べると時代感が薄い。
明治28年(1895)と大正4年(1915)の大火で古い街並みを焼失。
昭和47年地元の人たちの奮起で保存に踏み切り、その後の努力により現在の姿になった。 -
13:55発中津川行のバスに乗り、14:20中津川駅着。
中津川駅 駅
-
15:06発特急しなの14号に乗車。
自由席、3人ばらばらだけど座れた。 -
16:01名古屋着
東海道新幹線に乗り換え。
赤福とうなぎパイを買う。 -
16:22名古屋発のぞみ236号、18:03東京駅着
2日間の木曾路の旅。
日本中、故郷が消えつつあり、古い家だけが廃墟のよう残る。
文明が発展し、過疎と貧困に苦しむ山あいの暮らし。3つの宿場は観光を目指して町を再建していく。破壊と保存のはざまでこれまでの辛苦が伝わってきた。
賛成と反対の中で、ここで暮らし続けることを選び、そのためには何をどうしたらいいのか?
たくさんのことを地元の方々から学んだ。
それにしても欧米人の多さにはビックリ!!!
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