2018/02/13 - 2018/03/07
321位(同エリア1381件中)
m205-88さん
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- 旅行記97冊
- クチコミ59件
- Q&A回答0件
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- フォロワー29人
4月からようやく社会人デビューとなる春休み、働き出したら出来ないような体験…ヨーロッパを長期間ぐるぐる回ることを計画しました。物価の安い中東欧も考えたのですが、いかんせんこの時期だと極寒なので中止、「暖かい」場所を中心に周るよう日程を組みました。全て個人手配です。下記におおまかな日程を示しますので、今後旅をされる方の参考になれば幸いです。
☆本記事の旅程
2018/3/3
午前 テルミニ駅から高速列車"italo"に乗車、ナポリへ 鉄道博物館訪問
午後 本場ナポリでピッツァを食し、考古学博物館を見学
夕方 再び"italo"でローマへ
☆ローマでの宿泊先
2018/3/1~4(3泊)
Hotel Amalia Vaticano:シングルルーム朝食つき
59ユーロ/泊(払戻不可)×3泊=178ユーロ
ローマからナポリへの日帰り旅行です。目的はもちろん(?)鉄道博物館。高速列車イタロにも乗車し、イタリア高速鉄道乗り比べもしてきました。
☆今回の旅程
2018/2/13 羽田空港発 HND~CDG
2018/2/14 CDG乗継でLHRへ、ロンドン観光
2018/2/15 ロンドン→パリ(ユーロスター)、パリ観光
2018/2/16 パリ→トゥールーズ(TGV)、トゥールーズ観光
2018/2/17 トゥールーズ→ニーム→アヴィニョン(Intercités, TER)
2018/2/18 アヴィニョン観光
2018/2/19 アヴィニョン→マルセイユ→ニース マルセイユ観光
2018/2/20 ニースとモナコ、ニースのカーニバル
2018/2/21 ニース→ジェノヴァ(TER, Intercity)
2018/2/22 ジェノヴァ→ミラノ→ヴェネチア(Intercity, FrecciaRossa) ミラノ観光
2018/2/23 ヴェネチア観光、ヴェネチア→ミラノ→パレルモ(FrecciaRossa, IntercityNotte)
2018/2/24 パレルモ到着
2018/2/25 パレルモ観光、パレルモ→カターニア(Regionale)
2018/2/26 カターニア観光
2018/2/27 カターニア観光、カターニア→シラクーサ
2018/2/28 シラクーサ観光、シラクーサ→ローマ(IntercityNotte)
2018/3/01 ローマ到着、観光
2018/3/02 ローマ観光(バチカン美術館とシスティーナ礼拝堂)
2018/3/03 ローマからナポリへ日帰り
2018/3/04 ローマ観光、ローマ→ミュンヘン(EuroNight)
2018/3/05 ミュンヘン観光
2018/3/06 ミュンヘン観光、MUC~CDG~HND
2018/3/07 羽田空港着
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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3月3日、日本ではひなまつりです。頑張って6:30に起きてオッタビアーノ駅へ向かいます。ホテルの朝食(7:00から)と電車の時間が微妙に間に合わず、朝食はパスすることに。。
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前日は人が多くて気づかなかったのですが「春夏秋冬」の装飾がされていました。外国で不意に見る日本、ちょっと嬉しくなります。
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Roma Termini
朝のテルミニ駅です。テルミニ駅 駅
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フィウミチーノ空港へ行く列車「レオナルドエクスプレス」。他の列車とは別の完全専用ホームなんですね。
テルミニ駅 駅
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構内に入ると、Palermo行の昼行ICが停車中。
テルミニ駅 駅
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italo9901:Roma Termini 07:40→Napoli Centrale 08:50
クラス:Prima
運賃クラス:LOW COST
運賃:18.9ユーロ
「イタリアの」という意味の"italo"は、深紅の車体が印象的な高速列車です。フィアットやフェラーリなど、イタリアを代表する有名な企業が出資して運行するNTV社の「私設」列車で、フェラーリ特急などと言われているようです。
"Club"(クラブ)、"Prima"(プリマ)、"Standard"(スタンダード)の3クラス制で、今回は真ん中の"Prima"に乗ってみることにしました。チケットはitalo公式ホームページから購入しました。テルミニ駅 駅
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Primaは3号車でした。停車駅の案内も流れる親切仕様です。
運賃クラスは、
PROMO(プロモーション運賃/一切の払戻や予定変更不可)
LOW COST(乗車人変更可・払戻不可・50%手数料で予定変更可)
ECONOMY(乗車人変更可・40%手数料で払戻可・20%手数料で予定変更可)
FLEX(最もフレキシブルな運賃/乗車人変更可・20%手数料で払戻可・無料で予定変更可)
となっています。普通に検索すると3種類の運賃しか出ませんが、italoは毎週Twitter(@ItaloTreno)でプロモーションコードを配布しており、コードを入力するとプロモ運賃が出現します。主にStandardクラスの設定で、なんと最安は9.9ユーロから!乗り損ねても損害額が軽いので、旅行日程が決まったらとりあえず予約するのも手かと思います。テルミニ駅 駅
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なかなか速度でてます。
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イタリアの車窓から。天気予報どおり、ローマもナポリもどんより。
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軽食サービス。おしぼり、パイ、オレンジジュース。
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車内誌"italo"、今月の特集は美術館。
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イタロバスなるものの運行も始めたようです。
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Napoli Centrale(ナポリ中央駅)に到着。皆さんが降りたあとの車内の様子。2-1の配置でシートピッチも広く快適でした。
座席はチケット購入時に画面で選べます。ナポリ中央駅 駅
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シートはイタリアの高級家具メーカー"Poltrona Frau(ポルトローナ・フラウ)"のもの。
ナポリ中央駅 駅
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ローマからナポリ日帰りを考える際、往路の列車が悩みどころでした。
ホテルの位置を考えると8時台にテルミニ駅を出る列車を選びたいところですが、ローマから南進する高速列車は8時台の設定が無く、7時台のitaloの利用となりました。長旅で早起きはきつい!ナポリ中央駅 駅
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折り返し準備をするitalo。カッコイイ。
ナポリ中央駅 駅
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車両はフランス・アルストム社が製造するAGV(Automotrice ?・ Grande Vitesse)。
ナポリ中央駅 駅
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中間車はこんな感じ。連接車ですね。
ナポリ中央駅 駅
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南イタリアは車両の雰囲気もなんとなく違います。
ナポリ中央駅 駅
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さて、鉄道博物館へ向かいます。ナポリ市街からは少し離れていて、近郊線に乗って向かう必要があります。
駅の窓口で聞くと、地下から発車するtrenitaliaのSalerno行に乗ってくれ、とのこと。ナポリ中央駅 駅
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M21253:Napoli Centrale 09:37→Pietrarsa 09:52
クラス:2 classe
運賃:片道1.3ユーロ
fs近郊線は市内1日乗車券の範囲ではないらしく、往復2.6ユーロのチケットを購入。窓口は混んでいることがあるので、スリの居ない自動券売機での購入をおすすめします。ナポリ中央駅 駅
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ナポリの近郊線はいくつかあるのですが、そのうちSalernoへはtrenitaliaが運行しています。東海道線と京浜東北線の関係で、京浜東北線に乗る、と言えば伝わるのではないでしょうか。小さな駅にも停車する各駅停車です。
ナポリ中央駅 駅
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車内の様子。
車窓は、美しい南イタリア…ではなく、コンテナが大量に積まれた港と、大量の廃墟マンション。もはやスラム街ですらなく、"貧の南イタリア"を垣間見ることになったのでした。鉄道博物館の治安が悪いわけではないので、ご安心を。 -
駅到着。しょぼい駅です。
ピエトラルサ国立鉄道博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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すぐ脇が鉄道博物館になっています。
ピエトラルサ国立鉄道博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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受付のねーちゃん「日本の方ですか?」
と、日本語で話しかけられたので腰が抜けかけました。有名観光地ならまだしも、マニアック(?)な鉄道博物館で日本語が通じるとは驚きです。大学の第二外国語で選択したのでしょうが、非常にお上手でした。お見事!!ピエトラルサ国立鉄道博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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まずはA棟から。初期の鉄道車両(SLと初期型EL)の展示です。機関庫として使われていた建物に車両がずらり!
ピエトラルサ国立鉄道博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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明るいレンズでもう1枚どうぞ。
1両ずつ見ていきましょうか。。ピエトラルサ国立鉄道博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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E551形 001号機
1921年~1965年/軸配置E
老朽化したSLを置き換えるため、1921年から1925年にかけて123両が製造された電気機関車。当時の最新技術を用い出力が大幅アップ。第二次世界大戦で40両ほどが被害を受け、最後まで残った個体はSavonaでの入換に従事、1965年で姿を消しました。ピエトラルサ国立鉄道博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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サイドビューその1。凸型です。
ピエトラルサ国立鉄道博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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サイドビューその2。この時代の電気機関車はパンタグラフが大きく、赤く目立つのが印象的でした。
ピエトラルサ国立鉄道博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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E333形 026号機
1922年~1968年/軸配置1'c1'
ハンガリーの有名エンジニアであるK?・lm?・n Kand?・のデザイン・設計。Alessandria, Genova, Lecceに配置され、その後Firenzeにも配置。イタリア最初の急行列車であるローマ~ミラノ間で運用されたほか、1934年春にはミラノ~カンヌ/サンレモ間の国際列車の任を与えられました。
その後はBolzanoに配置され、Bolzano~Meranoの区間列車や、WienやMunchen方面の国際列車に使用されました。第二次世界大戦後はE431, E432, E554形などの新型車両に置き換えが進み、1968年初頭には7両を残すのみとなり、同年姿を消しました。ピエトラルサ国立鉄道博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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後ろから見てみます。後ろに窓は無く、プラレールの先頭車のごとき状況です。
日本の電気機関車は左右対称に作り両側に運転台を付けるのが一般的ですが、ヨーロッパの電気機関車は非対称で運転台は1つしか無い(ように見える)ものが多いですよね。機関車1台で感じる文化の違い、考え方の違いです。ピエトラルサ国立鉄道博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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E432形 001号機
1928~1976年/軸配置1'D1'
1926年、 Servizo Materiale e Trazione delle Ferrovie dello Stato社(←英語知ってると語感でなんとなく何やってる会社か分かるのがいい)が設計し、Breda(ブレダ)社が40両製造したもの。1929年にリグーリア州で運用開始、国際列車にも使用されました。
1960年代に入り、3000Vの出力を持つ機関車が登場すると徐々に活躍の場を狭め、CuneoとSavonaに集約されます。ローカル列車牽引用として余生を過ごし、1976年5月25日、Alessandria~Acqui Termeの特別列車牽引をもって引退しました。ピエトラルサ国立鉄道博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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FAV E440形 3号機
1932~1967年/軸配置D
ハンガリーの有名エンジニアであるK?・lm?・n Kand?・のデザイン・設計。1932年に、Ferrovia Alta Valtellina(アルタ・ヴァレンティーナ鉄道)向けに4両が製造されました。出力は大きかったものの速度が出ず、最高速度は50km/h、最低速度は30km/hで、なんとこの2段階しか速度調節ができないというシロモノ。設計者はどういう設計思想で作ったんですかね。
1967年の廃車後はSondrioとTiranoに保管されていたようですが、1980年頃までに3両が解体され、Tiranoの車庫に残った1両が展示車両となりました。
Tiranoはイタリアからスイスへ抜ける際の国境駅、レーティッシュ鉄道の始発駅ですね。ピエトラルサ国立鉄道博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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E440形を後ろから。
ピエトラルサ国立鉄道博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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これはなんですか…
ピエトラルサ国立鉄道博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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お、これは消火器ですね。フランスで学習済みです笑
ピエトラルサ国立鉄道博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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これも消火器ですね。ヨーロッパの鉄道博物館は消火器も収集対象なんでしょうか。
ピエトラルサ国立鉄道博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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機関庫として使われていた時代のクレーンがそのまま残されています。
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290形 319号機
1899~1954年/軸配置0-3-0
1850年代のフランスの蒸気機関車をベースにして製造されたもので、1899年に営業運転を開始。小さいながらパワフルで、Porrettana線やRoma~Ancona間などイタリア中部から南部にかけての貨物列車で主に使用されました。第一次世界大戦時にはアドリア海沿いの路線で軍需列車にも使用されました。
第一次大戦後から数を減らしていったものの第二次大戦時にもまだ残っており、ほとんどがその姿を消したのは1954年、設計から半世紀以上経った時でした。
展示機の319号機は、ローマのトラステヴェレ地区からこの地に機関区が移転した際、最初に配置されたもの。338両製造されたうち唯一現存するもので、1913年当時の技術を垣間見ることができます。ピエトラルサ国立鉄道博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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横から。
イタリア各地で運行されていた私鉄が統合されイタリア国鉄になったのは1905年のことらしく、それ以前の車両では各私鉄・各車両メーカーの様々な特徴を見ることができるようです。日本でも「私鉄買収国電」というのが存在しましたが、同じような経緯です。ピエトラルサ国立鉄道博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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MMO 22号機
1896~1955年/軸配置0-2-0
ベルギーで製造され輸入されたタンク機関車。Ferrovie Nord Milano(北ミラノ鉄道)に納入され、Milanoの奥地や、Milano, Genova, Torinoのいわゆる「三角工業地帯」で列車牽引に使用されました。
技術の進歩により使用線区の電化が進むと、12両のうち9両が廃車となり、残った3両…253(愛称Pallanza), 254(愛称Luino), 261(愛称Carate)は、Monza-Molteno-Oggiono鉄道へ売却されました。この鉄道は1954年に買収されイタリア国鉄線となりましたが、買収後もMMO仕様のまま運行されました。展示機は254(Luino)で、MMO鉄道で運用されていた当時の状態で保存されています。ピエトラルサ国立鉄道博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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MMO 22号機 銘板
ピエトラルサ国立鉄道博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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851形 110号機
1898~1971年/軸配置0-3-0
1898年、Rete Adriatica社により設計されたタンク機関車。207両が製造され、イタリア半島のほとんどの区間、特に中部から南部にかけて使用されました。Roma~Pescara, Ancona, Sulmona~Carpinone, Potenza~Candelaの線区で主に使用され、旅客需要の増加に応えました。1930年代には4両が軍に買収されています。
徐々にローカル線区やヤードの入換用に転用され、Rovigo~Chioggia線では1969年まで運用。1971年に国鉄線上から姿を消しました。ピエトラルサ国立鉄道博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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851-110 後ろから
ピエトラルサ国立鉄道博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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910形 001号機
1905~1955年/軸配置1-3-1
Servizio Materiale e Trazione della Rete Sicula社のエンジニア、Gugliemo Cappaの成功作であるこのタンク機関車は、1906年のミラノ万博で展示されました。車輪配置を左右対称にしたことで、どちらの方向へ進むにも同じ性能を発揮できたようです。この性能を生かし、最初のプロジェクトとなったPalermo~Messina線の輸送力強化が成功となりました。
その後、近郊線の近代化を目的に54両が製造され、Roma~Ostia, Nord Milano(北ミラノ鉄道), Brescia~Iseo, MMO鉄道などで使用されました。第二次大戦時にはユーゴスラヴィアへ10両が輸出され、戦争終結後の1955年にイタリアへと返却されています。ピエトラルサ国立鉄道博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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835形 001号機
1906~1984年/軸配置0-3-0
Rete Mediterranea社が1904年に設計し、Ferrovie dello Stato社が1906~1922年に370両製作した機関車。駅~ヤードの入換を効率化するために作られたため、列車牽引に従事したのは、1910年代のGenova~Sestri Ponente線など僅かな例しかありません。ナポリの駅~フェリー連絡列車にも使われていたほか、各企業の職員輸送など民間企業で使われた例も多かったようです。ピエトラルサ国立鉄道博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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899形 006号機
1882~1959年/軸配置0-3-0
チャーミングで特徴的なデザインのこの機関車、お分かりの通り(?)海外が起源のもの。1881~1905年に13両がドイツで製造され、Bolzano~Milanoで主に使用されました。1918年10~11月のヴィットリオ・ヴェネトの戦いにも駆り出されています。
展示機の006号機は、1938年にPietrarsa配置となったもの。他の車両はスノープロウを装備し、Brunico-Campo Tures線で1957年まで運用、1959年までに運用を離脱しています。ピエトラルサ国立鉄道博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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736形 114号機
1943~1960年代半ば/軸配置1-4-0
このテンダー機関車は、1943年10月にシチリア島に上陸したアメリカ軍によって組み立てられ、1944年1月22日、Anzioで完成をみたものです。2100を超える部品が様々な地域から輸送され、248両が製造されました。その後製造に参加したFerrovie dello Stato社により736形と命名されました。ピエトラルサ国立鉄道博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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736-114 後ろから
ピエトラルサ国立鉄道博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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736-114 テンダー車
ピエトラルサ国立鉄道博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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980形 002号機
1912~1958年/軸配置0-3-0
スイスの機関車製造メーカー・Schweizerische Lokomotiv und Maschinenfabrik of Winterthur社が、1908~1913年の間に最後に製造した12両のうちの1両。イタリアの標準軌で敷設された鉄道のうち、唯一のラックレール区間であるVolterra Citta~Volterra Saline, Paola~Cosenzaで貨客混合列車に使用されました。
エンジンは速度は出ずとも安定した性能で、15~40km/hの速度で走行、最大70トンまでの列車を牽引できたようです。1925年10月22日、ヴィットリオ・エマニュエル2世のVolterra訪問の際に御召列車の牽引実績があります。
Volterraの4両は路線廃止とともに廃車され、Paola~Cosenzaの8両は1922年に、さらに出力を上げた981形に置き換えられています。ピエトラルサ国立鉄道博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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「蒸気機関車にラックレール」という例は、日本には無いのでしょうか。
ピエトラルサ国立鉄道博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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680形 037号機
1907~1956年/軸配置1-3-1
Rete Mediterranea社が設計し、Ferrovie dello Stato社が製作した機関車(これ、よくあるパターンなんですかね)。670形の置き換えのため機関車です。1906年のミラノ万博には模型のみの展示でしたが、1907年9月27日、680形001号機牽引の249トンの列車が、当時の世界最高速度118km/hを記録しています。
1908年、Milano~Bologna線の急行列車の運用に就き、Parmaに僅か5分の停車で、両駅を3時間で結びました。当時としてはかなり衝撃的な時間短縮だったようです。1920年代まで急行列車の先頭に立ち、徐々に685形へと置き換えられていきました。
680形のうち017号機は、「特別な装備」を加えられ681形とされていました。それは、Savoy Family(サヴォイア家)の特別列車の「公式牽引機」、要は御召列車の指定機関車だったわけですね。
685形の登場により、Voghera~Piacenzaで運用する4両が最後に残り、展示の037号機もそのうちの1両でした。1956年頃まで運用され姿を消しました。ピエトラルサ国立鉄道博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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905形 032号機
1908~1970年/軸配置1-3-0
Rete Adriatica社が1904年に設計、Ferrovie dello Stato社が1908~1912年にかけて84両を製造しました。一部分にミュンヘンのMaffei社やイタリアのBreda社が関わっています。1911年のトリノ万博でお披露目となり、イタリア中部から南部にかけて、特にシチリア島のTermoli~Campobasso~Beneventoや島内にて運用されました。
出力が弱く重い列車の牽引に不向きであったため徐々に新型と交代し、入換用としてCassino, Milano, Sulmona, Roma San Lorenzo, Napoliに配置されました。1930年代の電化推進に伴い急速に職を失い、現存するのは展示の032号機と、Lecceの043号機の2両のみとなっています。ピエトラルサ国立鉄道博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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625形 030号機
1910~1976年/軸配置1-3-0
1905年以降、部品を共通化して整備の効率化やコスト削減を実現する「標準化」のもと設計された機関車で、188両が製造されました。そのエレガントな外観から"Signorine"の愛称が付けられ、1976年まで運用されました。
現在でもいくつか動態保存機が存在するようです。ピエトラルサ国立鉄道博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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R370形 023号機
1911~1971年/軸配置0-3-0
950mmのナローゲージ車両で、主にシチリア島で使用されました。鉱山で栄えていたEnna Caltanisetta, Palermoに配置され、シチリア島の広い範囲で運用されていたようです。かつてのシチリアの風景に無くてはならない機関車で、Catania Centraleに12号機が保存されています(お、これCataniaで見たやつだ)。
イタリアが第二次大戦に突入して1年後、鉱山の突然の崩落により一部が使用不能に陥り、残った15両はサルデーニャ島へ輸出されました。サルデーニャ島では石炭輸送に従事し、経済成長を支えました。
シチリアに残っていた7両が戦後サルデーニャに売られ、1971年に引退となりました。ピエトラルサ国立鉄道博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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R370形を後ろから。
ピエトラルサ国立鉄道博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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741形 137号機
1954~1979年/軸配置1-4-0
1953~1970年の間に、743形蒸気機関車と共に製造されたグループ。740形と比べ、水をボイラーに入る前に加熱することによりエネルギー効率を上げ、出力を上げることに成功しました。
740形と741形で合わせて81両が製造され、第二次大戦後の戦後復興期の需要に応え、主にシチリア島やヴェネト州で使用されました。その効率性にも関わらず、この形式は1979年までに姿を消し、短命に終わりました。現在、Pistoiaに120号機が動態保存機として保管されています。ピエトラルサ国立鉄道博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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477形 011号機
1918~1950年代半ば/軸配置0-5-0
ドイツやオーストリア・ハンガリーにその起源を持つ機関車で、イタリアの蒸気機関車の中でも流麗なスタイルです。1901~1909年にFerrovie dello Stato社によって製造されましたが、第一次大戦のダメージにより、国鉄線上で営業運転を始めたのは1918年のこと、77両が製造されました。
車輪が小さく5軸であったため、20世紀初頭まで山岳線区の貨物列車やローカル列車で使用されました。蒸気暖房を搭載していなかったため、主に夏季に走ったようです。
第二次大戦の際、多くがドイツ、オーストリア、ハンガリーへ供出され軍需列車の牽引に充当されました。終戦時、イタリアに残ったのはごく僅かで、その後12年ほど使われた後静かに姿を消しました。ピエトラルサ国立鉄道博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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640形 088号機
1907~1976年/軸配置1-3-0
1907~1916年に169両が製造された、国鉄で最初に成功を収めた機関車です。1910年のブリュッセル万博、1911年のトリノ万博に自信をもって展示され、主に国鉄線の速達列車に使用されました。
現在も148, 091, 003, 121, 122号機がメモリアルトレインとして動態保存されています。展示の088号機は、Pietrarsa機関庫が閉鎖される1975年、最後に整備した機関車です。ピエトラルサ国立鉄道博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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R302形 019号機
1922~1983年/軸配置1-3-0
1922~1928年に僅か22両の製造に終わった、ナローゲージのタンク機関車。R301形を置き換え、シチリア島の鉱山で使われていたものです。
第二次大戦前夜、8両が北アフリカへ向けて輸出され、6両がTripolitania(リビア・トリポリ周辺)、2両がCyrenaica(リビア東部)へ配置されイタリアの管轄外となってしまいました。
R302形の終焉は、イタリアの無煙化が達成された1985年12月31日。Castelvetrano-Ribera線で救援車として残っていたものが、この形式の、そしてこの国最後の現役蒸気機関車となりました。展示の019号機のほか、038号機が個人宅で保存されています。ピエトラルサ国立鉄道博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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R302-019 後ろから
ピエトラルサ国立鉄道博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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735形 128号機
1917~1960年代半ば/軸配置1-4-0
第一次大戦前、国鉄は約5000両の車両を保有していましたが、戦争により破壊されたり損傷したりすることが想定されました。イタリア国内の企業は既に戦争向けの工業製品に転換していたため、アメリカ企業に発注することとなり、「740形に近いもの」がカナダのMLW社とアメリカのALCO社に合わせて400両が発注されました。
最初に発送された105両のうち7両が沈没、98両の納入となりました。第一次大戦・第二次大戦中にいくらかの改良が加えられ、軍需列車の任に当たりました。ピエトラルサ国立鉄道博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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735-128 銘板
ピエトラルサ国立鉄道博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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一番奥の2両です。
ピエトラルサ国立鉄道博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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685形 068号機
1912~1968年/軸配置1-3-1
最高速度120km/hという高速運転を実現した蒸気機関車は、Ufficio Studi di Firenze社で1911年に設計、1912年に営業運転を開始したもの。391両が製造されました。
当時の蒸気機関車のフラッグシップで、"Queen"と呼ばれていたとか。主にVenezia~Torinoの急行列車に使われたようです。Pistoriaに動態保存機が1両、Veronaに静態保存機が1両居るそうです。ピエトラルサ国立鉄道博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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480形 017号機
1923~1968年/軸配置1-5-0
第一次大戦の終結後、Ferrovia del Brennero(ブレンナー鉄道…現在のブレンナー線/インスブルック~ヴェローナ)はイタリアのTrentino Alto Adge社と合同で鉄道路線の建設を計画しました。89kmにわたるイタリア側の路線は20パーミルの勾配を擁する山岳路線で、重くて出力のある機関車の開発が急務でした。
ミラノの工場で18両が製作され、Bolzanoに配置。国際列車のスピードアップに貢献しました。1930年、ブレンナー線が電化されるとMessina, Catania, Salernoに転属となりました。
1944年3月3日、8017列車を牽引する016号機が、Balvano駅とBellamura駅の間のArmiトンネルで停止。貨物の過積載と湿気による線路の粘着力の低下が原因と言われており、一酸化炭素中毒で500人以上が死亡するというイタリア鉄道史上最悪の事故となりました。480形の運用は1968年に終了となっています。ピエトラルサ国立鉄道博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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長いのでいったんここで切ります。長々とお読みいただき、ありがとうございます。
ピエトラルサ国立鉄道博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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