2018/03/26 - 2018/03/26
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ミズ旅撮る人さん
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皇居乾門の通り抜けは、平成26年に天皇陛下が傘寿(80歳)を迎えられた時に、期間限定で春と秋に行われました。
平成28年秋から29年春は、整備のため行われませんでしたが、以後は毎年の行事となり、平成30(2018)年は、3月24日~4月1日です。
今年は桜の開花が早く、東京は17日に開花宣言が出ました。この時基準となるのが、靖国神社の標本木。
そして、NHKのニュースで必ず映されるのが「千鳥ヶ淵」。これらは、東京の桜の代表です。一気に歩ける距離なので、「桜の三種盛り」と欲張りました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通手段
- JRローカル 私鉄
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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皇居に行くには、東京駅の丸の内側から真っ直ぐ。ほとんど曲がることなく坂下門に至ります。
ところが、乾門通り抜けの時期は、駅前から既にたくさんの人が皇居を目指して歩いています。
皇居前広場を西に突っ切れば坂下門なのですが、広場の入り口には警視庁のバスが横並びに停まってバリケードを築いています。
人々は皇居を右手に見ながら、日比谷方面に歩いて行きます。
そうして、二重橋前の広場に集められるのです。一般の観光の人は左に、通り抜けの人は右に進みます。
ここまで歩いて来るのなら、JRなら有楽町駅の方が近かったなと思います。
地下鉄なら二重橋前でしょうが、日比谷や桜田門でもいいかも。路線次第ですね。二重橋 名所・史跡
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皇居正門のある二重橋濠の高い石垣に、1本だけ満開の桜がありました。
満開宣言の出た東京の皇居で見る桜第一号です。 -
皇居前広場の行列。この列が長くなると、隣に新しく列が出来ました。
右手には、臨時トイレがたくさん設置されていました。
皇居の中にはないだろうと思っていたら、坂下門を入ってすぐにあって、出口になる乾門の内側にもありました。
さすが、一般参賀などで、大量の人が押し寄せることに慣れているんですね。 -
丸の内のオフィスビルを背景に、芝生と松林。
松の裾に東京駅から歩いて来る人々の姿が透かし見えます。 -
白いテントは8つに区切られていて、それぞれで手荷物検査が行われています。
バッグの中身を見せるのですが、口の開いたペットボトルがあると、「一口飲んでください。」と言われます。
未開封の場合は、問題なしです。 -
次のテントは身体検査です。通路の両側に立つ警官のどちらかに、チェックしてもらいます。
米軍基地に入る時のような身分証明書の提示は求められません。 -
綺麗に並んだ警察のバス。これが入り口を閉鎖していて、坂下門に直接来ることが出来ないのです。
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さあ、前方に坂下門が見えて来ました。
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坂下門を正面に見て左側の二重橋濠越しに、見事な一本桜がありました。
水面に映る姿が潔くて、皇居のきりりとした風情を感じます。 -
反対側にある牛ヶ淵の蛤濠にそそり立つ石垣にも、満開まであと一息の桜が出迎えています。
城と桜というのは、お花見の定番ですが、天守なき江戸城での花見というのは、考えていませんでした。
わざわざ地方の城まで行かなくても、身近に城があったんだ。何を今更なことを感じてしまいました。 -
坂下門をくぐると、ちょっと急な坂道です。
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坂を上がった左手に「宮殿(インペリアル・パレス)」と書かれた立て看板の奥に、一般参賀の行われる新宮殿がチラッと見えます。
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宮内庁の方が、紹介の冊子を片手に説明していました。
来年天皇陛下が退位されることが決定し、今年の新年の一般参賀は大層な人出だったとか。
平成31年は、もっとすごいでしょうね。一般参賀の時は、この坂下門からではなく、二重橋から入って、こちらに出て来るのだそうです。 -
新宮殿の隣には、宮内庁庁舎があります。
昭和10年(1935年)に建設された建物で、3階部分は昭和27年(1952年)に改装されて、昭和43年(1968年)に新宮殿が完成するまでの間,仮宮殿として使用されていました。
ここで一般参賀が行われたこともあるそうです。皇居 一般参観 名所・史跡
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ここから乾門まで一本道です。通りの幅が広いので、人々は散り散りになって、それぞれのペースで歩き始めます。
右手の木立が皇居東御苑です。普段から月・金曜日以外は一般公開されています。
尚、この乾門通り抜けが行われている期間は、毎日公開されます。 -
宮内庁舎の脇にも満開の桜が。松の緑とよく引き立て合っています。
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宮内庁舎のお向かいに、江戸城の富士見櫓が見えます。
城と桜の構図にはならないのが残念です。
現存の三重櫓は、万治2年(1659年)の再建で、どこから見ても同じ形にみえるために、俗に八方正面の櫓とも呼ばれます。
天守閣が明暦3年(1657年)に焼失した後は復旧されなかったので、富士見櫓が天守閣に代用されたと伝えられています。富士見櫓 名所・史跡
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八重桜は遅咲きなので、これからもっと咲いて来ます。
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紅枝垂桜。色がちょっと淡いけれど、やはり枝垂は情趣があります。
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蓮池濠の石垣を背景に桜を写すのが楽しくなります。
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江戸城は、長禄元年(1457)太田道灌によって築城されました。
その後、徳川家康が江戸城を居城に定め、秀忠・家光と三代にわたって整備を行い、寛永13 年(1636)に内外郭合わせてほぼ完成させました。
その天守が失われたのが、1657年。築城から200年経っていたとはいえ、江戸幕府の始まりからわずか50年余。明治維新まで200年以上、江戸城には天守が無かったのです。
8代将軍吉宗の時代には当然存在しなかったので、某時代劇のオープニングにある吉宗と天守という構図はあり得なかったんですね。 -
山茱萸(さんしゅゆ)も黄色い花を咲かせています。
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日向水木(ひゅうがみずき)越しに、春の日に輝く桜。
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満開宣言が出たばかりなので、まだこれからという桜も結構あります。
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でも、もちろん花でびっしりの桜もあります。これぞ、お花見の醍醐味。
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乾門通り抜けの地図。坂下門から乾門への一方通行です。
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白い桜が、整備された庭に映えます。
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雪のように白い花びらの中心は、ちょっぴり赤いんですね。
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この先は新宮殿に至る山下通り。
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そろそろ花が終わり、葉が目立ち始めた「冬桜」。
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「薄墨」「Nigrescens」。
根尾の淡墨桜を連想しますが、漢字が違いますね。 -
「局(つぼね)門」。皇居というよりは、神社仏閣に来た感じです。
皇居 一般参観 名所・史跡
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大きな木蓮の木がありました。富士見多聞櫓を背景に、絵になります。
皇居東御苑 公園・植物園
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すらっと立つ桜の木。年を経れば、恰幅の良い姿になるのでしょう。
乾門通り抜けは、平成26年に突如始まった行事。
お花見を前提にしたものではなかったので、平成28年から29年に掛けて整備されました。
桜の数も増えたのですが、まだ植樹されてから年数の浅い木が多く、従来からあった古木と比べると、存在感が薄いです。 -
段々と、こうした枝が増えて行って、素晴らしい名所になることでしょう。
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乾通りのいい所は、右側はずっと高い石垣が続き、左側は古い門や建物などがあって、日常とは異なる空間で桜が見られることです。
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石垣の上に生える松の枝を、ぐぐっと引っ張って下げています。なかなかダイナミックな職人技です。
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乾通り一番人気の紅枝垂れ。
巨木なので離れて撮りたいのですが、ここには監視員がいて、木から離れて撮影すると通路を塞ぐので、木に近付いて撮ってくださいと案内しています。
この木が見えて来たら、距離があるうちに撮ることをお勧めします。 -
「エドヒガン」。「江戸彼岸」と書いた方が、江戸城らしいと思うのですが。
木が若いので、花も少なく、既にはが出ていました。
エドヒガンは、敷地内に結構ありました。名前に「江戸」が付いているので、敢えて増やしているんですね。 -
古い瓦屋根に紅枝垂がよく映えます。この風情は、角館でも見られますね。
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黒板塀になんてよく合うんでしょう!桜が引き立ちます。
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イチオシ
古木は枝ぶりが既に芸術作品なので、こんな風に撮る楽しみもあります。
せっかくの枝垂桜なのに、枝が短いのがちょっと残念。 -
八重紅枝垂。こちらはちょっと早かった。
花付きがよくなって、枝が長く垂れ下がるようになれば、見応えがあるでしょう。 -
門長屋の隣には「道灌濠」があります。
池のように見えますが、元はお堀なので、真っすぐ伸びて左に曲がると、現存する下道灌濠に繋がります。 -
「道灌濠」に差し掛かる白い桜。花がびっしりついて、豪華な一枝です。
もう少し、通路に近いと良く見えるんですが。 -
こちらの桜は、2種類の桜が寄せ植えになっています。
木が大きくなったら、どんなになるか楽しみです。 -
濃い紅色の桜の背景に、山吹を入れてみました。
春らしい華やかな一枚になりました。 -
乾通りは、ここで二手に分かれることが出来ます。右にある西桔橋を渡れば東御苑、真っすぐ進めば乾門です。
どちらも一方通行なので、引き返して別の方向に行くことは出来ません。
桔橋(はねばし)とは、有事の際、橋をはね上げて往来を不可能にする仕掛けのある橋のことです。
この橋と北桔橋の2橋が桔橋となっていましたが、現在は普通の橋となっています。 -
西桔橋です。もっと大きくて長い橋かと思っていました。
東御苑は、江戸城の遺構がありますが、いつでも公開されているので、今回は乾門を目指します。 -
突き当りに乾門が見えて来ました。東御苑方面に行く人もかなりいるのですが、それでも人の行列は続きます。
10時に始まって、そのすぐ後に訪れましたが、だんだんと人が増えてきているようです。平日で良かった。 -
「乾濠」。北桔橋と西桔橋の間のお堀を言います。
皇居 一般参観 名所・史跡
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「コシノヒガンザクラ」漢字で書くと「越の彼岸桜」。
富山県の砺波地方などに分布する珍しい桜だそうで、「越」は「越中・富山」の意味。
エドヒガンの雑種で、片親に諸説あるようです。 -
こちらの紅枝垂れも大人気。乾通の花見の最後を飾るにふさわしい美しさです。
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なんともいいピンクじゃないですか!
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江戸城石垣ともいい感じです。
この木の周辺は、人が殺到するので、木の全体像が撮れないのが残念です。 -
北桔橋が見えました。この辺りが一番お城らしい風景かな?
北桔橋からは、普段一般公開されていない乾通が垣間見えるようです。 -
乾門通り抜けの最後は、この目立つ桜に締めてもらいましょう。「陽光」です。
1981年に桜の新品種としては種苗登録第一号となったこの桜は、寒さに強いアマギヨシノ(天城吉野)と、カンヒザクラ(寒緋桜)を交雑させて作出した園芸品種です。
この桜を創り出したのは、愛媛県川内町(現在の東温市)で生まれ、2001年に92歳で亡くなった高岡正明氏。
教師だった高岡氏は第二次世界大戦で、亜熱帯の島々から、極寒のシベリアまで広範囲にわたって散って行った教え子たちの慰霊のため、どんな気候の地でも花を咲かせる新種の桜を作ることに生涯を捧げました。
その人生を描いた映画が『陽光桜-YOKO THE CHERRY BLOSSOM-』です。
30年もの間、新品種を生み出すために努力し、その桜を自費で各地に送り届けました。 -
ここには何も説明書きはありませんでしたが、これを知って、乾門通り抜けの最後にこの「陽光」があるのは、
即位してからの30年間、慰霊の旅を続けて来られた天皇陛下のお気持ちと同じなのではないか。
そう思えてなりません。是非、この桜の由来を表示して、たくさんの人に思いを寄せてもらいたいと思います。 -
乾門(いぬいもん)です。 この門は明治になってから建てられた京風の門で、皇居の乾(北西)の方角にあるので、 この名がついたそうです。
門の手前、左側には大人数に対応した公衆トイレが設置されていて、春と秋に定例化された乾門通り抜けに合わせて設置されたものと思われます。 -
乾門を出て左に行くと、東京国立近代美術館工芸館が見えて来ます。
この建物は、明治43(1910)年3月、陸軍技師田村鎮(やすし)の設計により、近衛師団司令部庁舎として建築されたレンガ造りの洋館です。
明治以降の日本と外国の工芸及びデザイン作品を収集しています。
陶磁器、ガラス、漆工、木工、竹工、染織、人形、金工、工業デザイン、グラフィックデザインなどの各分野にわたって、約3,700点を収蔵しています。
真葛焼の創始者・宮川香山(みやがわこうざん)の「鳩桜花図高浮彫花瓶」やアルフォンス・ミュシャの「サラ・ベルナール」が展示されていると知って、感激!東京国立近代美術館工芸館 美術館・博物館
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所蔵作品展は250円で入場できます。毎月第一日曜日は無料だそうです。
個人利用にかぎって写真撮影が可能だというから驚きです。
日本の美術館・博物館は軒並み禁止で、ヨーロッパ諸国では、当たり前に撮影可能なのとは逆行していると思っていたら、国立でこんな所がありました。 -
代官町通りは、春爛漫、色とりどりの色彩にあふれています。
乾門から真っ直ぐに出れば、北の丸公園ですが、東京随一の桜の名所「千鳥ヶ淵」に行くため、代官町通りを歩きます。 -
乾通は、元々皇居の中を南北に貫く縦断のための道でした。観覧・散策を目的とした道ではないので、桜の種類や本数が多い訳ではないのです。2年前に整備されたとはいえ、まだ若木が多いのが現状。
ちょっと物足りなさを感じる向きもあるでしょう。でも、皇居周辺は、桜の名所だらけです。
千鳥ヶ淵が有名だけれども、そこに至る代官町通りも桜並木が楽しめます。 -
白い山桜が素敵です。
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皇居の外堀に出ました。右が千鳥ヶ淵、左(写真の場所)が半蔵濠です。
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さあ、いよいよ千鳥ヶ淵です。地図で見るとわかりますが、乾門から千鳥ヶ淵までは、結構お堀沿いに迂回します。
すぐ脇を首都高速が通る東京のど真ん中を感じさせる公園です。千鳥ケ淵 花見
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ここは、ずうっとソメイヨシノが続く桜並木。満開となった今、みごとな桜のトンネルになっています。
それだけに、人出も絶好調。狭い場所ではすれ違いが大変な場所もあります。 -
ここは、クリスマスローズがたいへんよく植えられています。
花付きが見事で、上を向いても下を向いても花・花・花。 -
ところどころ白い桜が混じる並木を、大勢の人が行き交う様は、東京に春が来たという証。
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この見事な眺めを、NHKのニュースで千鳥ヶ淵が映される度に思い出すんだろうな。
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桜の根元にはシャガが植えられています。
旺盛な生育を誇り、庭に植えると毎年増殖して、抑えるのにたいへんです。 -
やがて、「千鳥ヶ淵」を有名にしているもう一つの要因が見えて来ます。
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「最後尾」はて、何の?言わずと知れたボートの順番待ちです。
千鳥ヶ淵緑道ボート場 名所・史跡
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なるほど。外人さんも多いんですね。
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絶対に男性が漕いでいる所が笑えるなあ。沽券に関わるもんね。
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これなら力強い男性がいなくても、漕げるね。
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ボート乗り場は、ボートでごった返しています。2~3艘帰って来なくてもわからなそう・・・
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千鳥ヶ淵は、ここで終わり。日本武道館に至る田安門への道(正面奥)には、びっしりと見物客が。
夜間のライトアップにも、たくさんの花見客が押し寄せることでしょう。 -
九段坂周辺の飲食店はどこも満杯。歩き疲れてお腹もすいたけれど、目の前の靖国神社を割愛することは出来ません。
靖国神社 寺・神社・教会
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靖国神社と言えば、東京の桜の開花を知らせる「標本木」があることで知られています。
この時期にここまで来たら、寄らなければ。 -
神門には、菊の御紋がありました。
靖国神社は、明治2(1869)年6月29日、明治天皇の詔勅によって建てられた東京招魂社が始まりで、明治12(1879)年に「靖国神社」と改称されました。だから、皇室の御紋があるのですね。
明治維新前後の戊辰戦争や西南戦争といった国内の戦いで命を失った人々を悼むために建てられたのだそうです。
8月15日の参拝で、とやかく言われることばかりが有名になってしまった靖国神社。本来は、もっと真摯な心で建てられた神社でした。靖国神社 寺・神社・教会
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明治天皇は、1852年生まれ。父の孝明天皇が無くなって即位したのが1867年で、まだ14歳でした。
翌年、徳川慶喜から大政奉還され、その翌年に「王政復古の大号令」を発したことで知られています。
それまで何百年もの間、政権を担うのは幕府だったのが、いきなり朝廷が担うことになり、明治維新で一番たいへんだったのは、この方かもしれません。靖国神社 寺・神社・教会
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さて、お目当ての「標本木」はというと、神門を入って右側に、柵で囲まれてあります。
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「桜の標本木 この桜(ソメイヨシノ)は、東京管区気象台が開花を観測するため指定した「標本木」です。」
と書かれた立て看板が添えられています。
標本木は気象庁に近いことが基準の一つですが、大手町にある気象庁から靖国神社はちょっと遠いです。
1964年以前は、今の一ツ橋にあったので、近かったのでしょうか? -
「標本木」は、意外と枝が長く、こんなに添え木が為されています。
これで、皇居から一連のお花見は、終了です。
結構、時間も掛かるし、食事処に苦労するので、北の丸公園でお弁当などを食べる心づもりで来るといいかもしれません。
来年は、いよいよ「平成」が終わります。
「昭和」が終わった時のように、なんとなく不安という気持ちはなく、「平静」に次の御代を迎えられそうです。
「昭和」の責任を背負ったまま在位を過ごされた明仁(あきひと)天皇陛下。
通り抜けが終わった4月2日に、北桔橋付近を皇后さまと散策されたとか。
来年は、皇居から移られるので、見納めなのかもしれません。
来年は一般参賀に行ってみようかなと、思うようになりました。
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