松島・奥松島旅行記(ブログ) 一覧に戻る
待望の松島へ来て、初めて遊覧船で松島湾巡りをしました。約40分の島巡りでしたが、船酔いをするので、ずっとデッキの中央で景色を眺めていました。260ほどの島があるそうで、ところどころに牡蠣や若布、海苔の養殖をしている場所がありました。瑞巌寺の参道奥まで津波が来たということで、復興も少しずつ進んでいるのでしょうか。<br />表紙の写真もその養殖の場所です。<br />松島の四大観とは、壮観(宮戸島、大高森山頂からの眺め)、麗観(富山山頂からの眺め)、偉観(多聞山・七ヶ浜町の代ヶ崎断崖からの眺め)、幽觀(扇谷・壮観山高台からの眺め)のこと。今回はできませんが、いつか4大觀を眺めて見たいものです。

初めての松島湾巡り

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2018/03/15 - 2018/03/15

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belledune

belleduneさん

待望の松島へ来て、初めて遊覧船で松島湾巡りをしました。約40分の島巡りでしたが、船酔いをするので、ずっとデッキの中央で景色を眺めていました。260ほどの島があるそうで、ところどころに牡蠣や若布、海苔の養殖をしている場所がありました。瑞巌寺の参道奥まで津波が来たということで、復興も少しずつ進んでいるのでしょうか。
表紙の写真もその養殖の場所です。
松島の四大観とは、壮観(宮戸島、大高森山頂からの眺め)、麗観(富山山頂からの眺め)、偉観(多聞山・七ヶ浜町の代ヶ崎断崖からの眺め)、幽觀(扇谷・壮観山高台からの眺め)のこと。今回はできませんが、いつか4大觀を眺めて見たいものです。

旅行の満足度
4.5

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  • 船着場から進行方向の左手に見えるのが、福浦島で、赤い橋で渡れます。

    船着場から進行方向の左手に見えるのが、福浦島で、赤い橋で渡れます。

  • 船着場の横には五大堂が見えます。

    船着場の横には五大堂が見えます。

  • 亀に似ている亀島

    亀に似ている亀島

  • 岩の上にカモメが休んでいました。

    岩の上にカモメが休んでいました。

  • こういう島が260余りあるので、アナウンスされている名前は覚えきれません。

    こういう島が260余りあるので、アナウンスされている名前は覚えきれません。

  • こういう景色が好きです。

    こういう景色が好きです。

  • 鐘島

    鐘島

  • 40分コースでしたが、60分コースだともう少し遠く前行くのですが、奥松島の方へは行きません。

    40分コースでしたが、60分コースだともう少し遠く前行くのですが、奥松島の方へは行きません。

  • 40分の遊覧が終わり、五大堂へ行きます。

    40分の遊覧が終わり、五大堂へ行きます。

  • 地蔵堂

    地蔵堂

  • 二つ目の橋を渡って、五大堂へ

    二つ目の橋を渡って、五大堂へ

  • 東北地方最古と言われる桃山様式の御堂。807年に坂上田村麻呂によって建立されたもの。瑞巌寺(当時は延暦寺)が建てられた際に、五代明王像を安置したことが五大堂の由来と言われています。33年に一度開帳するので、次回は2039年の予定です。

    東北地方最古と言われる桃山様式の御堂。807年に坂上田村麻呂によって建立されたもの。瑞巌寺(当時は延暦寺)が建てられた際に、五代明王像を安置したことが五大堂の由来と言われています。33年に一度開帳するので、次回は2039年の予定です。

  • 余り時間がないので、少しだけ瑞巌寺へ行ってみます。

    余り時間がないので、少しだけ瑞巌寺へ行ってみます。

  • 今、津波後の修復工事中で、磨崖仏の並ぶ洞窟へは行けませんでした。

    今、津波後の修復工事中で、磨崖仏の並ぶ洞窟へは行けませんでした。

  • 参道も新しく敷き直されています。この敷石は稲井石(仙台石)だと思われますが、美しい石目が特徴の仙台産出の石材です。鹽竈神社の参道や石段にも使われています。

    参道も新しく敷き直されています。この敷石は稲井石(仙台石)だと思われますが、美しい石目が特徴の仙台産出の石材です。鹽竈神社の参道や石段にも使われています。

  • 東日本大震災「復興地蔵堂」

    東日本大震災「復興地蔵堂」

  • この堂宇は、「わらべ地蔵を被災地へプロジェクト」により、発願され、京都の仏師・富田陸海師によって彫刻された地蔵菩薩を安置したものです。この地蔵菩薩は瑞巌寺第130世住職起雲軒老大師により悲母地蔵と命名されました。

    この堂宇は、「わらべ地蔵を被災地へプロジェクト」により、発願され、京都の仏師・富田陸海師によって彫刻された地蔵菩薩を安置したものです。この地蔵菩薩は瑞巌寺第130世住職起雲軒老大師により悲母地蔵と命名されました。

  • 3.11には、ここまで津波が来たそうです。

    3.11には、ここまで津波が来たそうです。

  • 海岸線からここまでどの位あるのでしょう?津波体験はありませんが、それほど距離があるとは思えませんし、登りになっていないので、きっとあっという間だったことでしょう。

    海岸線からここまでどの位あるのでしょう?津波体験はありませんが、それほど距離があるとは思えませんし、登りになっていないので、きっとあっという間だったことでしょう。

  • 延命地蔵の銅像は、文久3年(1863)に鋳造されました。右手に錫棹、左手に宝珠を持ち、蓮台に座して、左足を垂下させています。飢饉の時に幼児保護などに勤めた当山117世中万明哉和尚の業績や長命に肖ったと伝えられています。塩釜や石巻の有志によって造営されたそうです。

    延命地蔵の銅像は、文久3年(1863)に鋳造されました。右手に錫棹、左手に宝珠を持ち、蓮台に座して、左足を垂下させています。飢饉の時に幼児保護などに勤めた当山117世中万明哉和尚の業績や長命に肖ったと伝えられています。塩釜や石巻の有志によって造営されたそうです。

  • 昨年大修理が終了しました。

    昨年大修理が終了しました。

  • ゆっくり見る時間がないので、次回にします。

    ゆっくり見る時間がないので、次回にします。

  • 内部の写真が掲示してありました。

    内部の写真が掲示してありました。

  • (1)

    (1)

  • (2)

    (2)

  • (3)

    (3)

  • 次回来る時にはこの磨崖仏もゆっくり鑑賞できると思います。

    次回来る時にはこの磨崖仏もゆっくり鑑賞できると思います。

  • 羽山神社山道とありました。

    羽山神社山道とありました。

  • 瑞巌寺専門道場は入場禁止です。

    瑞巌寺専門道場は入場禁止です。

  • 正面が道場です。

    正面が道場です。

  • 茅葺き屋根の門は、陽徳院山門です。江戸時代に造られ、主柱は、欅、他はすぎ材を用いて、1間1戸、袖塀付き、切り妻造りの薬用門で、質素ですが豪快な造りとなっています。明治時代前迄、瑞巌寺参道両脇にあった塔頭の門だったという。<br />陽徳院は承応2年(1653)に86歳で亡くなった仙台藩伊達政宗公の正室愛姫の廟所を護る香華院で、2代忠宗が母生前の修養道場として雲居禅師を開山に迎えて、慶安3年(1650)に開創したものだそうです。現在は、臨済宗の専門道場となっています。

    茅葺き屋根の門は、陽徳院山門です。江戸時代に造られ、主柱は、欅、他はすぎ材を用いて、1間1戸、袖塀付き、切り妻造りの薬用門で、質素ですが豪快な造りとなっています。明治時代前迄、瑞巌寺参道両脇にあった塔頭の門だったという。
    陽徳院は承応2年(1653)に86歳で亡くなった仙台藩伊達政宗公の正室愛姫の廟所を護る香華院で、2代忠宗が母生前の修養道場として雲居禅師を開山に迎えて、慶安3年(1650)に開創したものだそうです。現在は、臨済宗の専門道場となっています。

  • 陽徳院の日本特産種のコウヤマキです。幹の周囲5,2m、高さ32m以上、枝下長は7,5m、枝の張りは、東西9m、南北13m以上あります。

    陽徳院の日本特産種のコウヤマキです。幹の周囲5,2m、高さ32m以上、枝下長は7,5m、枝の張りは、東西9m、南北13m以上あります。

  • 樹齢は不明だそうです。

    樹齢は不明だそうです。

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