2017/07/19 - 2017/07/29
219位(同エリア309件中)
urufeeさん
- urufeeさんTOP
- 旅行記191冊
- クチコミ48件
- Q&A回答2件
- 196,528アクセス
- フォロワー13人
2017年夏の青春18切符の旅は前後半に分けて行きました。
マレーシアからの移動はマイルの特典旅行で発券して、往路はKL→仙台で取り、仙台から旅行スタートし関東の自宅へ戻りました。後半は自宅からスタートして、小松から戻りました。
前半の仙台からの概略日程は下記です。
7月19日 KL07:00発の成田経由で、仙台到着は20:40頃でした。
7月20日 仙台地下鉄一日券を購入して仙台市街散策。
7月21日 実際の18切符はここからスタートで、仙台→猪苗代へ移動。途中白河に寄り白河小峰城を見学。
7月22日 路線バスを使い五色沼散策。その後、野口英世記念館へ。
7月23日 猪苗代から只見へ移動。只見線は未だ全線復旧してないので、会津川口・只見間は代行バスでの移動。
7月24日 只見ダムと電源開発・只見展示館などを見学。
7月25日 只見→足利へ移動。織姫神社を見学。
7月26日 足利学校などを見学後、石和温泉に移動。いつもの健康ランドでノンビリしてから帰宅。
今回は所用有り、石和温泉から自宅は通常切符の移動にしました。なので、余った18切符一回分使用し、内房線・外房線に乗り房総半島一周しました。一周するだけではつまらないので、舘山城址だけ見学してきました。
写真は白河小峰城の三重櫓です。木造復元された城郭建築で、天守相当の復元としては初めてなのだそうです。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル
PR
-
7月20日。仙台地下鉄一日乗車券を購入して観光スタート。
最初は地下鉄南北線”長町南”駅から徒歩5分ほどに在る、”地底の森ミュージアム” -
このミュージアムの最大の見どころは、2万年前の森林跡をそのまま保存展示しているところ。住居跡は見つかってないらしいですが、旅人がキャンプらしきことをした痕跡が発見されています。天井から巨大スクリーンが下りてきて、その時の想像再現映像が見れます。
-
他にも、人骨展示なども有りましたが、ミュージアムの外側には、当時の森林の様子を再現したという庭も整備されています。
-
次に向かったのは、仙台駅で東西線に乗換、”大町西公園”駅近くの仙台市戦災復興記念館へ。
仙台もB29による空襲に見舞われました。 -
再度地下鉄東西線に乗って、”青葉山”駅の東北大学・自然史標本館へ来ました。
-
お勧めの”みどころ”表示も有ります。もっとも大学の博物館らしい選択肢なのか、無表示だけど素人にはモット面白い展示品も有りました。
-
再度、東西線に乗って終点の”荒井”駅に移動しました。駅舎に併設されている、”せんだい3.11メモリアル交流館”。2階に当時の新聞記事などが展示されてました。
-
仙台最後の観光は、東西線の”薬師堂”駅近傍の”陸奥国分寺”へ。
こちらは、薬師堂と同時期に建築されたとされる仁王門。 -
伊達政宗により1607年に再建されたという薬師堂で、仙台最古の木造建築物なのだそうです。
-
こちらは薬師堂鐘楼です。
-
7月21日に仙台から猪苗代に移動しましたが、郡山駅構内のコインロッカーに荷物預けて、白河駅に立ち寄ります。
以前から東北線の車窓から眺めていて気になっていた白河城。東北大震災で石垣などが崩れ暫く閉鎖してましたが、現在は見学できるようになっています。 -
でもまだ石垣の修復作業が継続されています。
-
この門を通ってイヨイヨ白河小峰城へ。
-
木造復元された三重櫓。
本丸内にある三重の櫓を天守というらしいので、これが白河小峰城の天守閣になるのでしょうか。 -
復元は残された絵図などから検証し、忠実に復元されたのだそうです。そして木材等も極力地元で調達されたみたいです。
-
地元調達された杉の古木には、戊辰戦争時の弾痕をあえてそのままにしてあります。
-
何時もは車窓から眺めていましたが、今日は白河駅のホームから。
-
7月22日、猪苗代駅前からの路線バスを使い五色沼へ。裏磐梯ビジターセンター側から歩き始めました。裏磐梯高原駅までの3.4kmを往復しました。
-
こんな山道を歩いていきます。土曜日で家族連れもいました。親子4人の近くを歩いていた時、小学低学年と思える女の子が、「お母さん、ただ歩いているだけで何が楽しいの?」との一言にはビックリしました。この鋭い指摘に思わず脱帽。
-
チョット曇っていたせいか、沼の色の変化がイマイチ。
-
途中こんな見晴らし台も用意されています。
-
桧原湖に到着しました。1888年に磐梯山噴火によりできた堰止湖。この時の噴火で桧原村が水没し、500人ほどの犠牲者が出たそうです。今でも水位が下がると、山神社の鳥居や、参道跡が現れるのだそうです。
-
桧原湖からまた来た道を戻りました。往路に気が付かなかった瑠璃沼もシッカリ見てきました。この後、ビジターセンター近くで昼食をとってから、バスで猪苗代駅へ戻ります。
-
猪苗代駅から野口英世記念館へ。藁ぶき屋根の家が英世の生家です。
-
記念館に入館して生家を見学。
-
”志を得ざれば、再び此地を踏まず”と柱に刻んでいるところ。
-
7月23日、一度は乗ってみたかった只見線で只見へ移動。
2011年の豪雨で会津川口・只見駅間は不通のままで代行バスでの移動です。勿論、代行バスも18切符で乗車できます。本当は全線鉄道で行きたかったのですがしょうがないです。
只見で一泊した翌24日、只見ダムに来ました。 -
まずは電源開発(株)・只見展示館へ。
-
日本の博物館は説明書きが日本語で読めるので助かります。勿論、内容を理解できるかは別ですが。
それにしても、ゴムで作るダムが有るとは知りませんでした。
以前、旧八百津発電所資料館に行った時、電気の元は何だと分からなくて気になってました。受付の女性に聞いたら、ワザワザ技術者の方に電話してくれました。そしたら車に乗って技術者の方が説明に来てくれました。お陰で疑問は解決するし、水力発電と火力発電の補完機能まで教えて貰い大感激。ありがとうございました。 -
疑問も解消し、昼食取ってお腹も満たされたので只見ダムへ。到着時より凄く霧がかかってしまいました。
-
ダム上から見た只見湖。雲海状態で湖は全く見れなくなってしまいましたが、これはこれで幻想的。
-
只見ダムの見学を終えて、”ブナと川のミュージアム”へ来ました。館内は撮影禁止なのですが、この地区に生息する獣・鳥などの剥製や、生活民具などが展示されています。
-
7月25日、只見から足利へ移動します。
現在は小出方面の始発である只見駅。 -
足利駅には15:42着でホテルにチェックインして、さっそく足利織姫神社へ参拝に行きます。
-
本殿は小高い丘の上なので、こんな階段を上っていきます。
-
左右対称のナカナカ綺麗な神社です。
-
小高い丘の上なので、足利市街を眺めることができます。写真斜め左方向が足利駅方面です。
-
織姫神社は明治13年の大火で焼失しました。その時の教訓から防火対策が取られています。その一つがこの階段の手摺です。なんとこの手摺、消火栓を兼ねていて今も現役なのだそうです。良いアイデアですよね。
-
7月26日はチェックアウト後にホテルで荷物預かってもらい、足利学校の見学に行きました。
-
日本最古の学校と言われる足利学校。1549年にはフランシスコ・ザビエルにより、世界にも紹介されたのだそうです。
この建物は方丈です。 -
方丈の南北には庭園が有ります。こちらは南庭園。
-
そしてこちらが北庭園。こちらの方がに南庭園より格上らしいのですが、素人には逆のように感じてしまいました。
-
こちらは孔子廟。
-
勿論内部には孔子像が鎮座しています。
-
足利学校から近い鑁阿寺も行ってきました。ここは元々足利家の館が在った場所で、周囲は土塁と堀で囲われています。
-
多宝塔なども見てからホテルで荷物を受け取って、石和温泉に移動しました。
石和温泉はお決まりの健康ランドでノンビリしてきました。 -
石和温泉からは所用有って通常切符で自宅に戻ったので、一回分余った18切符で房総半島を周遊しました。
といっても立ち寄ったのは舘山城だけです。
内房線で舘山駅へ行き、そこから路線バスで移動しました。下車したバス停から小高い丘の上に舘山城が見えます。 -
チョットした山登りをして舘山城に到着。内部は”南総里見八犬伝”関連の博物館でした。
-
天守閣からは房総の海を眺めることもできます。
-
徳川幕府により南総里見氏も、房総から伯耆の倉吉へ改易させられました。悲憤のうちに29歳という若さで亡くなった主君を追って殉死した八遺臣の墓が近くに有りました。この8遺臣が八犬士のモデルとも伝えられています。
-
舘山城の入館券で舘山市立博物館も入れるので、最後に立ち寄ってから外房線に乗って帰宅しました。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
51