2018/02/05 - 2018/02/08
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Giorgio Bianchiさん
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三度目のローマ旅行です。留学期間終了後、帰国前に行って来ました。チェキニョーラ戦車博物館の予約が取れなかったので、戦車兵歴史博物館とブラッチャーノの空軍歴史博物館に行きます。また、ムッソリーニの官邸が置かれたヴィッラ・トルローニアやサンタンジェロ城を来訪します。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 鉄道 徒歩 飛行機
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ナポリからフレッチャロッサでローマまで。
1時間ちょいで着きます。あっという間。テルミニ駅 駅
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ローマ滞在はテルミニ駅近くの"Hotel Impero"(三ツ星)へ。
南部遠征の後だったので疲れてこの日はホテルで寝ていました。インペロ ホテル ホテル
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翌朝。
まずは、戦車兵歴史博物館(Museo Storico dei Carristi)に向かいます。
地下鉄A線サン・ジョヴァンニ駅から徒歩。 -
サンタ クローチェ イン ジェルザレンメ聖堂 寺院・教会
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戦車兵歴史博物館近くにある、サンタ・クローチェ・イン・ジェルザレンメ聖堂。コンスタンティヌス帝の母であるヘレナがエルサレムから持ち帰った聖遺物を祀るために建設が始められた教会とのこと。
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戦車兵歴史博物館(Museo Storico dei Carristi)に到着!
地下鉄A線サン・ジョヴァンニ駅から徒歩数分で着きます。
敷地的にはサルデーニャ擲弾兵歴史博物館の敷地中にあるようです。
公式サイトによると休日を除き毎日9時~13時に開いているとのこと。
私が行った時は陸軍のガイドさんが付きました。
陸軍が直接運営する博物館で、今回は野外展示のみの開放でした。 -
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M14/41中戦車!
M13/40中戦車を改良したもので、伊軍の主力戦車を務めました。 -
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L33(CV33)豆戦車!
皆大好きカッロ・ヴェローチェ(快速戦車)こと、イタリアのタンケッテ!
武装は8mm重機関銃(フィアットM14/35機関銃)二挺ですが、外されていました。 -
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M47パットン!
戦後のイタリア軍が採用したアメリカ製の主力戦車です。 -
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M4シャーマン!
「やぁ、また会ったね」という声が聞こえてきそうなくらい多くの軍事博物館で見かけるアメリカ製の中戦車です。
これは戦後イタリア軍が採用した車輛。 -
ガイドをしてくれた兵士さんは詳しく解説してくれたり写真撮ってくれたりと優しかったです。
ローマに来た際は是非、皆さんも訪れてみてください! -
続いて、ヴィッラ・トルローニアに向かいます。
地下鉄ポリクリニコ駅から徒歩で行けます。 -
ヴィッラ・トルローニアのカシーノ・ノビレ。
1925年から43年まで王国首相であるムッソリーニとその家族の住居とされた事で有名な邸宅で、現在は美術館になっています。ヴィッラ トルローニア 広場・公園
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元々はトルローニア家の邸宅なだけあって、かなり豪華な造りです。
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3階の美術館。
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2階。ムッソリーニの寝室があります。
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ヴィッラ・トルローニア内にはムッソリーニが邸宅として利用していた頃の写真が紹介されています。
ムッソリーニと科学者マルコーニ。 -
ヴィッラ・トルローニアを訪れたイエメン代表団。
イタリアとイエメンは友好国でした。 -
羊に餌をあげるラケーレ夫人。
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ヴィッラ・トルローニア内の農場。
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長女エッダとガレアッツォ・チャーノの結婚式。
結婚式の様子はモニター室の映像でも確認出来ます。 -
日課のフェンシングに興じるムッソリーニ。
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テニスに興じるムッソリーニ。
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朝食前の乗馬に興じるムッソリーニ。
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ヴィッラ・トルローニアの地下に造られたシェルター。
爆撃やガス攻撃に備えてムッソリーニが作らせたものだそうで。
なお、公開はしていない模様。残念。 -
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ヴィッラ・トルローニアのオーディオルーム。
演説するドゥーチェ、出勤するドゥーチェ、乗馬するドゥーチェ...等々ムッソリーニの日々の暮らしの映像や、エッダとガレアッツォの結婚式の映像、ロマーノ氏(ムッソリーニの三男)へのインタビュー映像などが流れます。 -
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カシーノ・デイ・プリンチーピ。
外観は普通だが、内部はカシーノ・ノビレ同様に豪華な造り。 -
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クオドルンヴィリ(ファシスト四天王)の一人であるデ・ヴェッキの大きな肖像画が展示されていた事。
彼は四天王で唯一戦後まで生き残った人物です。
他の四天王は、ビアンキは病死、バルボは戦死(誤射による撃墜死)、デ・ボーノは刑死しています。 -
カシーナ・デッレ・チヴェッテ。
ヴィッラ・トルローニアの本来の持ち主であるジョヴァンニ・トルローニアJr.(トルローニア家当主)がムッソリーニ首相をカシーノ・ノビレに招待した後、移り住んだ邸宅。
イタリアでは珍しいアール・ヌーヴォー様式の建築。 -
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ヴィッラ・トルローニアの旧馬上試合場と旧厩舎。
ムッソリーニが日課として乗馬をした場所として有名な場所です。 -
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ヴィッラ・トルローニアの劇場とムーア様式の温室。
第二次世界大戦時に連合軍の空爆と占領により大きな被害を受けましたが、戦後修復されました。 -
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昼食はサンタンジェロ城近くの"Ristochicco"で。
アツアツのフライパンで出してくれる濃厚なこってり系カルボナーラが有名ということで、以前から気になっていたので行けて嬉しい。 -
アンティパストのブルスケッタ。
ンドゥーヤというカラーブリア名産のピリ辛ペースト肉とチーズが乗せてあります。アンティパストだけどこれだけでも結構ボリューミー! -
"Ristochicco"のカルボナーラ!
アツアツのフライパンで出してくれます。
見た目に反してかなりボリューミーで、超濃厚でこってりなローマ伝統の味付けのカルボナーラ。
お腹いっぱいで満足! -
サンタンジェロ城に行きます。
中に入るのは初めてですね。サンタンジェロ城 城・宮殿
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中はこんな感じでした。
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上からの景色。
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サンタンジェロ城観光後、少しコロッセオに寄りました。
コロッセオ 建造物
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翌日。
ピア門のベルサリエリ歴史博物館に来ました。ピア門 史跡・遺跡
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残念ながら改装工事中で閉館中でした。
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「ベルサリエリの父」アレッサンドラ・ラ・マルモラ将軍。
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ジャコモ・パリアーリ像。
ローマ侵攻で戦死したベルサリエリ指揮官。 -
ルチャーノ・マナーラ像
戦死したローマ共和国軍の指揮官。 -
ゴッフレード・マメーリ像。
イタリア国歌の作詞者。 -
エンリコ・トーティ像。
第一次世界大戦時の独脚のベルサリエリ兵で、第六次イゾンツォの戦いにて戦死した。死ぬ間際に松葉杖をオーストリア兵に投げつけたエピソードが有名となり、「英雄」となった。
後に潜水艦の名前になった事で有名。 -
空軍博物館に行くため、FS線でブラッチャーノ駅に向かいます。
ローマ・ティブルティーナ駅から約1時間ちょい。ローマ ティブルティーナ駅 駅
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ブラッチャーノ駅に到着。生憎結構雨降ってます。
駅前からタクシーでヴィーニャ・ディ・ヴァッレ空軍歴史博物館に向かいます。片道€15で、10分足らずで着きます。 -
空軍博物館の外にあったアルトゥーロ・フェッラーリンの記念碑。
フェッラーリンはローマ-東京飛行で有名な飛行家です。 -
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野外の展示。
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ヴィーニャ・ディ・ヴァッレにある空軍歴史博物館は空軍が直接管理する博物館で、入場料は無料です。
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ヴィーニャ・ディ・ヴァッレ空軍歴史博物館の最初のハンガー。
第一次世界大戦時の航空機が中心。
フォルラニーニの水中翼船やヘリコプター模型もあります。 -
カプロニ Ca.3重爆撃機。
第一次世界大戦時にカプロニ社が開発したイタリアの重爆撃機。
イタリアだけでなく、フランス、アメリカ、アルゼンチンでも使われた。 -
オーストリア製の複葉飛行艇ローナー L。
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スパッド S.VII戦闘機。
第一次世界大戦時にフランスが開発した戦闘機。
こちらはWW1時のイタリアのエース、フルコ・ルッフォ仕様。 -
アンサルド AC.2戦闘機。
1924年にイタリアのアンサルド社が開発した戦闘機。
フランス海軍も採用していたらしい。 -
イタリア空軍の制服色々。
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飛行船開発者であるウンベルト・ノビレ空軍少将のコーナー。
世界で初めて北極点上空を飛んだ飛行船「ノルゲ」や、その後開発された飛行船「イタリア」などについて紹介されている。 -
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「空軍の父」ことイタロ・バルボ空軍元帥。
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大西洋横断飛行に使われたサヴォイア・マルケッティ S.55の模型と、大西洋横断飛行の品々(バルボの杖など)。
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イタリアが開発したレース用水上機たち。
赤い機体がめっちゃ紅の豚っぽい。
マッキ M.39。 -
フィアット C.29。
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マッキ M.67。
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マッキ M.C.72。
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IMAM Ro.43水上偵察機。
1934年にIMAM社が開発した水上偵察機で、イタリア海軍の主要艦載機となった。マタパン岬沖海戦での偵察でも知られる。 -
IMAM Ro.37bis "リンチェ"偵察機。
1933年にIMAM社が開発した偵察機。イタリアだけでなく、エクアドル、ウルグアイ、オーストリア、ハンガリー、スペイン、アフガニスタンにも輸出されて使われた。 -
フィアット C.R.42 "ファルコ"戦闘機。
世界最速の複葉機として知られ、東アフリカ戦線ではトップエースのヴィシンティーニの愛機として活躍した。北アフリカ戦線やバトル・オブ・ブリテンでも戦果を残している。 -
カプロニ・カンピニ C.C.2(N.1)。
「世界で初めて飛行したジェット機」として世界に公表された、カプロニ社が開発したジェット機(モータージェット)。
しかし、1年前に秘密裏にドイツがハインケル He 178の飛行に成功していたため、「世界で二番目に飛行した」ジェット機である。 -
フィアット CR.32戦闘機。
1933年にフィアット社が開発した複葉戦闘機。
操縦性が良く頑丈な機体で評判が良かったため、各国への輸出も成功しており、中華民国空軍の機体は日本軍と戦っている。 -
カプロニ Ca.100 "カプロンチーノ"軽飛行機。
1928年にカプロニ社が開発した軽飛行機で、イタリア空軍では練習機として使われた。メンテナンスが容易で、機動性が高かった。 -
マッキ MC.202 "フォルゴーレ"戦闘機。
1940年にアエルマッキ社が開発した戦闘機で、優れた性能を持つイタリア空軍の主力戦闘機。 -
サヴォイア・マルケッティ SM.79 "スパルヴィエロ"爆撃機。
1935年のサヴォイア・マルケッティ社が開発した三発爆撃機。
高い運動性能と頑丈さを誇り、爆撃機だけでなく雷撃機としても活躍した。 -
マッキ MC.200 "サエッタ"戦闘機。
1937年にアエルマッキ社が開発した戦闘機。
高い運動性能を誇るイタリア空軍の主力戦闘機として活躍し、各戦線で連合軍と戦った。 -
フィアット G.55 "チェンタウロ"戦闘機。
1942年にフィアット社が開発した戦闘機。
休戦後もRSI政権下の北イタリアで生産され、RSI空軍の主力戦闘機となった。
こちらはRSI空軍(ANR)仕様になっており、国籍マークが変更されている。 -
マッキ MC.205V "ヴェルトロ"戦闘機。
1942年にアエルマッキ社が開発した戦闘機。
休戦後もRSI政権下で生産が続けられ、RSI空軍やドイツ空軍で使われた。 -
フィアット G.212 輸送機。
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フィアット G.59 4B練習機。
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フィアット G.46練習機。
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サヴォイア・マルケッティ SM82 PW "マルスピアーレ"輸送機。
1938年にサヴォイア・マルケッティ社が開発した多目的輸送機。
物資輸送任務や爆撃任務も行った。
何とマルタ騎士団にも使われていたそうだ。 -
カント Z.506 "アイローネ"水上機。
カント(CANT)社が1937年に開発した水上機で、水上爆撃機、水上偵察機、水上雷撃機など様々な用途で使われた。また、民間用でも使われている。 -
ナルディ FN.305連絡機。
1933年にフラテッリ・ナルディ社が開発した連絡機。生産したのはピアッジオ社。練習機としても使われている。
なお、テスト飛行をしたのはフェッラーリン。 -
マリオ・アイモーネ・カート空軍中将像。
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アメデーオ・ディ・サヴォイア=アオスタ空軍大将の像。
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空軍博物館内の映像では、バルボの大西洋横断飛行の映像と、第二次世界大戦時のイタリア航空機の解説が見れます。
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空軍博物館にはミュージアムショップがありました。
イタリア空軍グッズや大戦時のパイロットの書籍、プラモデルなどが売っています。私は「翼のエル・シッド」ことムーティ書記長の書籍を購入。 -
ヴィーニャ・ディ・ヴァッレ空軍歴史博物館はこんな感じでした!
現代機を中心に展示している"Hangar Skema"は今回は公開していませんでした。
ローマから近く、アクセスの良い大規模な空軍博物館ですので、皆さんも是非訪れてみてください!
タクシーでブラッチャーノ駅に戻ります。 -
ローマに戻りました。
テルミニ駅 駅
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昼食を食べに来ました。
以前から気になっていたピッツェリア・ネローネ(ネロ帝のイタリア語読み)というお店。 -
サービスで出してくれたブルスケッタ。
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ピッツァ・ネローネ(ネロのピッツァ)。
ローマ大火を思わせるピリ辛風味!薄くパリッとした生地で、サイズが大きいのでボリューム満点。 -
夜のサンタンジェロ橋。
サンタンジェロ橋 建造物
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夜のサンタンジェロ城。
サンタンジェロ城 城・宮殿
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イタリア滞在最後の夕食。
すっかりお気に入りになったRistochiccoにて、アマトリチャーナ!
カルボナーラ同様に濃厚な味わい。 -
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夜のナヴォーナ広場。
ナヴォーナ広場 広場・公園
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夜のパンテオン。
パンテオン 建造物
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夜のトレヴィの泉。
トレヴィの泉 建造物
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夜のスペイン広場。
スペイン広場 広場・公園
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翌日。帰国の日です。
テルミニからフィウミチーノ空港までレオナルド・エクスプレスで。テルミニ駅 駅
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フィウミチーノ空港に到着。
フィウミチーノ空港 空港
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アリタリア航空の直行便で東京に帰ります。
Ciao, ciao, Italia!
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