2018/02/14 - 2018/02/14
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河内温泉大学名誉教授さん
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昨年秋に聖徳太子クラスの人物の棺にまつわるテレビ報道(歴史秘話ヒストリア)がありました。詳しくはその記事をご覧になっていただきますとして、その棺の展示を柏原歴史資料館で見学して来ました。あまりにも話題となったため1月4日から3月21日まで特集展示とか。
柏原歴史資料館は関西線高井田駅、近鉄大阪線国分駅からそれぞれ徒歩5分から15分という大和川北の丘陵地にあり、周辺が公園にもなっている景勝地です。江戸時代の学者頼山陽が「河内の嵐山」とめでた場所で、春の桜シーズンは絶好の桜の名所でもあります。が、本日はちと寒いが先の寒波よりはまし、こんな日和の中寅号でドライブと輪行でした。
安福寺夾紵棺は常設展示の場所にパーティションで区切り、再現された実物大の棺を中心に絹と漆を重ね合わせた現物を展示しています。現存する部分は小間口と云われる棺の上下の一部だとのこと。これを元に原寸大を再現したと云うが、少々横幅が大きいような気もする。しかし、現代の常識での話であって古は棺に入れる副葬品が多かったのかも知れません。
同館では今回の夾紵棺の展示にともない、夾紵棺に詳しい猪熊兼勝氏(京都橘大学名誉教授)「安福寺の漆の板は、なぜ太子の棺なのか」の講演会を3月10日(土)午後1時半から三階研修室で開催するという。先着順とか、寝坊せずに間に合えば聴講できるかも知れません。
- 交通手段
- 自家用車 徒歩 バイク
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柏原市歴史資料館、入館無料・月曜日休館。
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常設展の一角に特集展示コーナーが。
夾紵棺関連記事
https://blogs.yahoo.co.jp/gourmet_1212/56571781.html -
これが絹を45枚も重ね合わせたという夾紵棺の一部。
展示中
太子様 棺(ひつぎ)貸出 宿(やど)無しか <偐山頭火> -
同アップ。
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夾紵棺の配布資料。
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館内説明。
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柏原市は文化財の宝庫のようです。可愛い埴輪もお出迎え。
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さて、棺(?)を拝見したら太子様が活躍された法隆寺まで一山越えて向かうこととしました。これが足跡巡りというものでしょうか。ならば更にお誕生になった明日香村の橘寺まで向かわねばなりませんが、何処まで行けるかは気力と脚力次第ですな。
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聖徳太子建立の寺院といえば四天王寺や法隆寺が筆頭に浮かびます。中でも法隆寺は創建当時の伽藍といい周囲の情景までもが往時を偲ばせます。それだけ住む人にとっては不便な住環境であったことでしょうが、いまだにこれくらいの規模で合併もせずに存立していけるのも法隆寺あってのことでしょうか。同じことが明日香についてもいえますが、近年はインバウンドとかまびすしい輩の声に押されて都市計画の変更を行いました。古に近い斑鳩の風情を楽しむなら今のうちかも知れません。と寅号のハンドルを握りながら国道から脇道へ入ったら法輪寺の塔が見えて来ました。
斑鳩から飛鳥までの往還道を「太子道」と名付けています。拡大解釈すれば難波宮や四天王寺までの道も太子道といえなくはありません。 -
さて、何処まで行けるかは未定稿です。しばらく当てずっぽうに走ると「中宮寺」の発掘と史跡整備が行われています。現場を横目にして走ると国道を横断します。町の清掃施設や工場が立地しています。富雄川を渡りますと安堵町高安に入ります。高安という地名は河内にもあります、はてなと思っていると道端の説明板には在原業平さんのお名前が。彼が河内の高安の彼女に会いに行く道中にあるこの地区が、業平を偲んで高安を地名にしたという。奈良街道と太子道の交点辺りなのかもしれません。
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安堵町高安の天満宮。
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この辺りは、業平道と太子道の交点だったようです。
太子道
ただの道 太子通れば 太子道 恋の道なら 業平道か
<偐道路公団> -
太子道の説明板があります。
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太子道といえども斯様な「酷道」です。
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集落に入ると1級国道並みでしょうか、町並みにそった良いハイキングコースです。
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富本憲吉の生家、今は旅館とレストランとして利用されています。
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近代陶芸の第一人者として名高い憲吉の生家を修復し彼の作品の展示と後進の育成を目指して昭和49年に開設された。往時の旧家としての風格だだよう立派な家であります。(2011年当時)
富本憲吉記念館
https://blogs.yahoo.co.jp/gourmet_1212/52643797.html -
富本憲吉の屋敷趣は残してはいますが本日の趣旨とあいません。ここは腹が減ってはいますが、軽くパスして直ぐ近くの「安堵町歴史民族資料館」を目指すことにします。
これが、安堵町歴史民俗資料館です、これも地元の名士の旧家です。 -
本来の展示品でしょう。案山子の見学者がおられてびっくりです。
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お庭の垂れ桜も見事です。三月にも再訪でしょうかな。
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白洲正子の「かくれ里 宇陀の大蔵寺」の一文に「法隆寺へ行くのも、王寺から歩いたり、郡山からガソリン・カーに乗って」という下りがあり長らくガソリンカーなるものとはと関心を持っていました。そこへ最近知人が送ってきてくれた宗教冊子にガソリンカーの模型を展示している歴史民俗資料館の事が記されていて、いつか確かめたいと思っていました。資料館の前にトレンクルを置き、切符を購入。学芸員と覚しき女性に軽便鉄道を問いますと、少し引いた様子で屋敷の蔵に展示しているとのこと。鉄道は歴史では無いと云うもののここで扱っている資料の多くは、伝統産業の「灯心」と農業・人々の暮らしの道具。電車のオモチャは脇役の様であります。
これが天理軽便鉄道の模型です。 -
鉄道車両の説明によるとガソリンエンジンで運行していた様ですが、この発展系は現在もあります。
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オモチャというのもはばかるようなジオラマですが、天理教の本部へ信者が参詣する輸送手段として新法隆寺~天理間に敷設されたものだったようです。しかし、軽便という規模のため、他社に吸収合併され良いところ取りの末安堵町平端駅と新法隆寺駅間は廃止された今や幻の路線。良いとこ取りが近鉄天理線ということらしい。先ほどの学芸員にその痕跡を問うと明確には残っていないが、河川を渡るところなどにレンガ作りの遺構があるという。
元々の発想は伊勢の参宮線、水間観音への水間鉄道などと同じ天理教への参詣鉄道でした。
路線の全体図です。 -
こうなると、明日香村への輪行どころではありません。鉄道敷きの痕跡探索隊に急遽編成替えです。鉄道敷きといっても軌道幅が70センチほどの痕跡は簡単に見つかりません。ヒントは先ほどの学芸員の「新法隆寺駅は関西線法隆寺駅の南、転車場もあったが今は民家敷きになっている」という一言。法隆寺駅の直ぐ東には水路が通っていますので、そこならレンガ作りの痕跡が見られるのではと法隆寺駅を目指します。
同町ではよく案山子をお見かけします。素朴で身近に感じられて良いですね。 -
法隆寺駅は近年改修されていますがそれは駅舎のみ、水路などは権利が交錯して中々手をつけられないのが逆に保存にとっては好都合でしょう。案の定、駅南10メートル程の場所に、前後のコンクリとは違うレンガ造の遺構らしいものがハッキリと見てとれます。遺構の東方向を見ると一定の幅で不自然な空き地が続きます。間違いなく天理軽便鉄道が新法隆寺駅へと入っていた線路敷きの遺構です。
それにしても幅が狭いですね。 -
ここから新法隆寺駅へ入線してきたのでしょうか。
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聖徳太子の棺に始まった太子の威徳を偲ぶつもりが、太子道になり最後は天理軽便鉄道を探す旅となってしまいましたが、この不思議な高揚感はなんでしょうか。おそらくガキの頃の「冒険」に通じるものでしょう。ただ少し違うのはその後道端の食堂でトンカツ定食を喰っている現実だけ。ガキならあめ玉でもしゃぶっているのでしょうか。
お洒落好きな方にはこちらがお勧め
布穀薗http://4travel.jp/domestic/area/kinki/nara/ikoma/horyuji/tips/12690831/
心が満腹になったおじさんのお腹を満たしたまんぷく食道です。 -
法隆寺の前面の国道と並松通りの交点。道の交わるところ歴史や文化の交差点でもあります。
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本日のお土産は苺です。今売り出し中は「古都華」です。味が濃厚と農園主やすむらさんは仰っていました。確かに濃厚な味でおいしかったです。
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太子道を更に遡り橘寺への旅は、軽便鉄道の道草で挫折です。橘寺は観光バスでいう「車窓見物」ならぬ「ブログ見物」して頂くことで今回はこの辺で〆としましょう。
拙稿による橘寺観光なら
https://4travel.jp/travelogue/11287721
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