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スキーを楽しみ、東急ハーヴェストクラブ蓼科でリゾートライフを楽しんだ翌日は、蓼科湖を見て諏訪湖畔にある諏訪高島城へ。

冬の信州へ。 蓼科湖から諏訪高島城へ。

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2018/01/26 - 2018/01/28

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nichi

nichiさん

スキーを楽しみ、東急ハーヴェストクラブ蓼科でリゾートライフを楽しんだ翌日は、蓼科湖を見て諏訪湖畔にある諏訪高島城へ。

旅行の満足度
4.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
旅行の手配内容
個別手配
  • 蓼科湖に着。

    蓼科湖に着。

  • 冬は寂れた場所です。

    冬は寂れた場所です。

  • 冬は静かに佇んでいる人口湖です。<br /><br />灌漑用に作られた溜池です。

    冬は静かに佇んでいる人口湖です。

    灌漑用に作られた溜池です。

  • シラカバやカラマツの木々に囲まれた湖です。

    シラカバやカラマツの木々に囲まれた湖です。

  • 朝はだーれもいません。<br /><br />秋は素敵な光景が広がっていました。

    朝はだーれもいません。

    秋は素敵な光景が広がっていました。

  • ここで暫く2人でぼーっとしました、<br />

    ここで暫く2人でぼーっとしました、

  • でも寒かったーーー!

    でも寒かったーーー!

  • さあ諏訪湖に向かって出発です。

    さあ諏訪湖に向かって出発です。

  • 諏訪高島城にちゃーく!<br />駐車場に車を停めてお城に向かうと最初に現れるのがこの景色。

    諏訪高島城にちゃーく!
    駐車場に車を停めてお城に向かうと最初に現れるのがこの景色。

  • 高島城は天正18年(1590年)、豊臣秀吉の家臣であった日根野織部正高吉によって設計され、慶長3年(1598年)に完成しました。<br />関ヶ原の2年前ですね。

    高島城は天正18年(1590年)、豊臣秀吉の家臣であった日根野織部正高吉によって設計され、慶長3年(1598年)に完成しました。
    関ヶ原の2年前ですね。

  • 2階は撮影禁止でした。<br />一番見所があった場所ですが残念です。

    2階は撮影禁止でした。
    一番見所があった場所ですが残念です。

  • 諏訪湖と高島城はこんな位置関係ですが、<br />以前はお城まで湖がありました。<br />よって、一方は湖、一方はお濠に囲まれたお城でした。<br /><br />このお城は平和な時代に建てられた平城のようにも見えますが、防御を考えた戦国時代のお城なんです。

    諏訪湖と高島城はこんな位置関係ですが、
    以前はお城まで湖がありました。
    よって、一方は湖、一方はお濠に囲まれたお城でした。

    このお城は平和な時代に建てられた平城のようにも見えますが、防御を考えた戦国時代のお城なんです。

  • さあ天守閣へ。

    さあ天守閣へ。

  • 昭和に復元された鉄筋コンクリートのお城です。

    昭和に復元された鉄筋コンクリートのお城です。

  • 大人一人300円。

    大人一人300円。

  • でもJAFカード提示で団体料金に割引。<br />300円→270円だったかな?

    でもJAFカード提示で団体料金に割引。
    300円→270円だったかな?

  • さあ入りましょう!

    さあ入りましょう!

  • この地は、時代の変遷と共に、<br />武田勝頼<br />織田信長<br />豊臣秀吉<br />徳川家康<br />と様々な大物の配下の地でありました。

    この地は、時代の変遷と共に、
    武田勝頼
    織田信長
    豊臣秀吉
    徳川家康
    と様々な大物の配下の地でありました。

  • 高島城主の系譜の説明がありました。

    高島城主の系譜の説明がありました。

  • 梶の木の葉をモチーフにした紋です。<br />諏訪の藩主の家紋に使われていただけでなく、諏訪大社の上社や下社の神紋にも使われていました。<br />上社と下社の神紋の違いは、梶の木の根の数です。<br />上社は4本、下社は5本。<br />この違いです。<br />上の部分は同じですね。<br /><br />

    梶の木の葉をモチーフにした紋です。
    諏訪の藩主の家紋に使われていただけでなく、諏訪大社の上社や下社の神紋にも使われていました。
    上社と下社の神紋の違いは、梶の木の根の数です。
    上社は4本、下社は5本。
    この違いです。
    上の部分は同じですね。

  • 諏訪大社の神官は諏訪氏であり、その諏訪氏が武士になってこの地を治めるようになったんですね。<br />だから諏訪氏の家紋が梶の葉で諏訪大社と同じなんですね。。<br /><br />初めて知りました。

    諏訪大社の神官は諏訪氏であり、その諏訪氏が武士になってこの地を治めるようになったんですね。
    だから諏訪氏の家紋が梶の葉で諏訪大社と同じなんですね。。

    初めて知りました。

  • 撮影できるのはここ1階だけ。。。<br /><br />2階には、「築城」「藩主」「藩士」「藩政」に関する詳しい展示がありました。<br /><br />城のまわりは湖水と湿地に囲まれ、あたかも諏訪湖中に浮かぶようであったので、別名「諏訪の浮城」と呼ばれましたが、その時の図面や絵が展示されていました。<br />撮影禁止で撮れませんでした。

    撮影できるのはここ1階だけ。。。

    2階には、「築城」「藩主」「藩士」「藩政」に関する詳しい展示がありました。

    城のまわりは湖水と湿地に囲まれ、あたかも諏訪湖中に浮かぶようであったので、別名「諏訪の浮城」と呼ばれましたが、その時の図面や絵が展示されていました。
    撮影禁止で撮れませんでした。

  • 歴史上の大物たちに翻弄された諏訪なんですね。

    歴史上の大物たちに翻弄された諏訪なんですね。

  • 諏訪大社と藩主であった諏訪氏の深いかかわり。<br /><br />平安時代の後期、諏訪大社の神官が「諏訪氏」を名乗って武士化していった様子が説明されています。

    諏訪大社と藩主であった諏訪氏の深いかかわり。

    平安時代の後期、諏訪大社の神官が「諏訪氏」を名乗って武士化していった様子が説明されています。

  • 3階に上がりました。<br /><br />東側の眺望の説明があります。

    3階に上がりました。

    東側の眺望の説明があります。

  • こちらは東南方面。<br />以前はこちらは沼地でした。

    こちらは東南方面。
    以前はこちらは沼地でした。

  • 東北方面。<br />以前、北側には城下町がありました。

    東北方面。
    以前、北側には城下町がありました。

  • お城の北側の眼下には城のお濠が見えます。<br />凍ってますね。<br /><br />このお濠は川から諏訪湖に繋がっていました。<br /><br />そしてこちら側に街が広がっていました。

    お城の北側の眼下には城のお濠が見えます。
    凍ってますね。

    このお濠は川から諏訪湖に繋がっていました。

    そしてこちら側に街が広がっていました。

  • 西側の眺望の説明。

    西側の眺望の説明。

  • 西側の右の方面です。<br />北西方面です。

    西側の右の方面です。
    北西方面です。

  • 真西方向。<br />建物の奥にはチラッと諏訪湖が見えます。

    真西方向。
    建物の奥にはチラッと諏訪湖が見えます。

  • 南西方向です。<br />奥に諏訪湖が見えます。<br /><br />昔はこのお城の石垣まで湖があったわけです。

    南西方向です。
    奥に諏訪湖が見えます。

    昔はこのお城の石垣まで湖があったわけです。

  • 南方向はこんな感じ。<br /><br />ここも以前は沼地でした。

    南方向はこんな感じ。

    ここも以前は沼地でした。

  • 下に降りてきました。

    下に降りてきました。

  • この右側の道の部分は元々は湖があった場所です。

    この右側の道の部分は元々は湖があった場所です。

  • 高島城公園です。<br />明治になり廃藩置県が行なわれ、お城は取り壊され、この公園が整備されました。

    高島城公園です。
    明治になり廃藩置県が行なわれ、お城は取り壊され、この公園が整備されました。

  • 公園内を散策。

    公園内を散策。

  • 天守閣を振り返ります。

    天守閣を振り返ります。

  • 池は凍っています。

    池は凍っています。

  • 高島城は別名「諏訪の浮島」と呼ばれた所以の説明がありました。<br />城のまわりは湖水と湿地に囲まれ、あたかも諏訪湖中に浮かぶようであったからです。

    高島城は別名「諏訪の浮島」と呼ばれた所以の説明がありました。
    城のまわりは湖水と湿地に囲まれ、あたかも諏訪湖中に浮かぶようであったからです。

  • 門が見えます。

    門が見えます。

  • 冠木門です。

    冠木門です。

  • 「冠木門跡/冠木橋を渡ったところに冠木門があった。冠木門とは、左右の柱の上部に一本の貫を通しただけの簡単な門のことをいうが、高島城を描いた絵図からは、楼門あるいは高麗門と呼ばれる屋根付きの門であったことがわかる。おそらく、当初は冠木門であったものが、後に楼門に建て替えられ、名称のみ残されたものであろう。/諏訪市教育委員会」

    「冠木門跡/冠木橋を渡ったところに冠木門があった。冠木門とは、左右の柱の上部に一本の貫を通しただけの簡単な門のことをいうが、高島城を描いた絵図からは、楼門あるいは高麗門と呼ばれる屋根付きの門であったことがわかる。おそらく、当初は冠木門であったものが、後に楼門に建て替えられ、名称のみ残されたものであろう。/諏訪市教育委員会」

  • 門をくぐり、外から冠木門を見ます。

    門をくぐり、外から冠木門を見ます。

  • 外から石垣を眺めます。<br /><br />手前の木は桜です。<br />春は綺麗んなんでしょうねー

    外から石垣を眺めます。

    手前の木は桜です。
    春は綺麗んなんでしょうねー

  • 濠と石垣の説明。<br /><br />沼地であったため、地盤が軟弱。<br />石積みが沈下しないように大木で組んだ筏の上に石垣を積んだとのことです。<br /><br />ふーん。

    濠と石垣の説明。

    沼地であったため、地盤が軟弱。
    石積みが沈下しないように大木で組んだ筏の上に石垣を積んだとのことです。

    ふーん。

  • 見事な石垣です。

    見事な石垣です。

  • 冠木橋と冠木門。

    冠木橋と冠木門。

  • 冠木橋と冠木門。

    冠木橋と冠木門。

  • お濠と石垣と角櫓。<br />お濠は凍っています。

    お濠と石垣と角櫓。
    お濠は凍っています。

  • 冠木橋と本丸。<br />絵になります。

    冠木橋と本丸。
    絵になります。

  • 凍ったお濠と共に。

    凍ったお濠と共に。

  • このお濠は左側は川と、右側は諏訪湖とつながっていました。

    このお濠は左側は川と、右側は諏訪湖とつながっていました。

  • 広いお濠です。<br />春は桜の名所です。

    広いお濠です。
    春は桜の名所です。

  • 外側から駐車場に戻ります。

    外側から駐車場に戻ります。

  • お濠越しの天守閣。

    お濠越しの天守閣。

  • 天守閣を見上げます。

    天守閣を見上げます。

  • ここの道路は湖だった所。<br /><br />さあ車に戻りましょう。

    ここの道路は湖だった所。

    さあ車に戻りましょう。

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