2018/01/06 - 2018/01/06
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bakanekoさん
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まさにご無沙汰である。bakanekoが帰ってきました。
さて妄想へ 著者注)
本紀行は、写真撮影記に私の妄想が入り、過去の人物などが出る事があります。入江:入江泰吉 土門:土門拳 佐藤:佐藤義清 楠木:楠木正成
2018年1月5日夜 突然携帯が鳴った。
「わしや。尊治や。ご無沙汰やのう。召集じゃ。明日6時半に吉野大橋で待つ。勅命じゃ!!」
召集
意味:ある場所に人を呼び出して集めること。
『召集』は「人を召し集めること」を指す言葉です。目上の人が目下の人に対して、特定の場所に集まるように指示を出すという意味があります。
「召す」という言葉は呼び寄せるという意味がありますが、もともと「召し使い」などとして用いられるように上の立場の人が下の立場の人に対して来るように命令するという印象を与えるものです。そのため、明らかな上下関係がある状況でのみ使用するのが『召集』の特徴となっています。
日本では古くから上下関係がしっかりとした軍事体制や政治体制が整っていた影響があってよく利用されていました。軍隊で兵を集めるときや、国会で議員を集めるときには元を正せば天皇陛下によって集まるように命令が下されるということになります。そのため、強制力があって目上から目下への指示という意味合いを持つ表現をするのが適切だったのです。この慣習を受けて、国会の開催の際には現在でもしばしば用いられています。
6日 5時過ぎ。意を決してドアを開ける。誰もいない。拍子抜けして、買い替えた中古車に乗る。悪嫁が車を壊し、10年落ちの新車である。5日の雪が心配だったが大阪は雨、奈良盆地も雨だったようだ。ノーマルタイヤなのでどこまで行けるか不安だらけである。桜井を過ぎ大淀町あたりまで来ると、ところどころ道の端に雪がある。路面に気をつけ吉野川を渡ると懐かしい面々が姿を現す。まさに百鬼夜行である。中央に後醍醐帝、その両脇に入江、土門両先生。さらに西行法師の佐藤さんに楠木さんフルメンバーである。
車を降りると、寒さと湿度が襲ってくる。メガネが曇る。
入江「奈良の湿度はいかがかな」
土門「へたくそ。早かったな」
佐藤「吉野の花見にようこそ」
楠木「まっとったで。われ」
尊治「ところで昨年の報告はまだじゃな。」
私「ヘッ!!なんのことですやろか」
入江、土門「控えおろう!!われらの協力で成し遂げたではないか」
私「ウヒャヒャヒャ。四天王寺のフォトコンで初めての投稿したくせに、グランプリになりました・・・・・・」
入江、土門「わしらに礼はないのか」
私「お2人のおかげであります。恥ずかしくて言えませんでした。」
入江「わしの寺社仏閣への入魂のおかげだ」
土門「いやわしの気合のこもった写真の撮り方だ!!」
入江、土門「何!!」
尊治「まあまあ、ご両所のおかげじゃ、仲ようせい。わしも南朝じゃ北朝じゃ言われてもちょっと飽きとる」
佐藤「じゃ行きましょうか」
楠木「馬のひずめに滑り止めしといたから」
楠木さん以外みな車に乗り込ます。
土門「中古の新車はいいなあ」
私「ハイオク仕様なので死にそうです。ところでタイヤはノーマルしかありません。吉野神宮まで坂を上って行けますか」
佐藤「吉野山ふもとに降らぬ雪ならば花かと見てや尋ねいらまし。訳 これは、吉野の山に雪が降ったようだが、麓にいてはそれと確認できぬので、花かと思って尋ね入ってみようと歌ったものである。西行としては、多少とぼけたところのあるこの歌が、吉野と雪を結びつけた唯一の歌だというのは興味深い。」
尊治「それ行け。突撃あるのみじゃ。」
とうとうノーマルタイヤで走り出します。
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次第に道のわきに雪が増えてきますが、路面は凍っていません。いけるぞということでまずは中千本へ
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佐藤「おおっ。花が咲いてる。」
佐藤さん嬉しそう。 -
入江「歌書よりも軍書に悲し吉野山」
土門「もういい。ワンパターンすぎる」
尊治「南北でごちゃごちゃやってた時が懐かしいなあ。人気の南、実力の北やったなあ」 -
楠木「寒いやんけ。金剛山と変わらんで。馬が滑る。ひずめ4つともスタッドレスにせなあかん」
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上千本進出を考えましたが路面が凍っているので断念。
尊治「時が来るのを待つのじゃ」
入江「写真は我慢」
土門「突撃」 -
昨日は蔵王堂のライブカメラで積雪を確認しました。金峯山寺は吉野山のシンボルであり、修験道の総本山。
蔵王堂は正面5間、側面6間、高さ約34m、檜皮葺き(ひわだぶき)の、東大寺大仏殿に次ぐ木造大建築。蔵王権現像(重文)3体がまつられ、本尊は高さ7mにもおよびます。 -
まだ明けきらぬ
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吉野朝皇居跡(よしのちょうこうきょあと)
1336(延元元)年、吉水院に難を避けられた後醍醐天皇は、次に蔵王堂の西にあった実城寺を皇居とされ、寺号を金輪王寺と改められました。
後醍醐天皇は悲運の生涯をここで閉じられましたが、その後、南朝3代の歴史が続きます。徳川時代になり家康は、吉野修験の強大な勢力を恐れて弾圧政策をとり、寺号を没収。もとの実城寺に戻し、直轄の支配下におきました。
明治時代になると廃仏毀釈の嵐にのまれて廃寺に。いまは南朝妙法殿が建ち、皇居跡公園として整備されて、後醍醐天皇以下、南朝4帝の歌碑も建っています。 -
尊治「わしも寒いのに、よう頑張ってた」
楠木「主上」
尊治「今は、天下一品でラーメンすするようになってもうた」 -
雪が興をそそります。
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私「まあまあ、過去は忘れて今を楽しみましょう」
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8時前上千本に登る道が少し溶けてきました。
実は時間をつぶしながら、これを待っていました。大雪の時はノーマルタイヤでは無理です。
突入!!突入!!突入!!
入江「行こう」
土門「ワレ奇襲ニ成功セリ」
いやいや実情は、キスカ島に行く木村艦隊です。 -
クルマを何とか止めます。停車位置から上はこの通り。アイスバーンです。
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大雪の花見
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尊治「この風情が・・・・」
佐藤「感動」 -
路が凍り、アイゼンをつけないと滑ります。
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ああっ!蔵王堂が
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日本アルプスのようです
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そして定番。みなしばし我を忘れます。
土門「いいなあ、田舎を思い出す」 -
そして定番中の定番写真。
入江「わしが開拓した」
ここの場所は花矢倉の下です。 -
全員「ただただ感動」
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雪の吉野を一目見たかった私はしばし感動の時を過ごした。
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さてぼちぼち降りましょう。
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尊治「軍歌!! 雪の進軍」
雪ゆきの進軍 氷を踏ふんで
何處どこが河やら 道さへ知しれず
馬うまは斃れる 捨てゝもおけず
此處は何處こぞ 皆敵の國
儘よ大膽 一服やれば
頼み少すくなや 煙草が二本 -
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かすむ金剛峯寺
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ようやく日が差し込み始めました。
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雪の花が咲いたようです。
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さあ車に戻り下山です。
入江「次は私がいいところに案内しよう」 -
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中千本を通り皆さんと次の目的地へ。
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この旅行記へのコメント (2)
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- bakanekoさん 2018/02/11 13:23:15
- 返信
- ご無沙汰しております。仕事と遊びに忙殺されておりました。10年落ちの新車。亭主の甲斐省がないのがよくわかります。梅雨の蛍、夏の祇園、秋の紅葉大変で写真の整理もままなりません。寒中、ご自愛ください。
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- 墨水さん 2018/02/10 22:02:43
- お久しぶり。
- bakanekoさん、今晩は。
えっ、10年落ちでも「新車」なの?。(笑)
キスカなの?、南朝だから、此所は南京入城かなと・・・。
(北朝方の末裔としては・・・。笑)
写真、グランプリを取られたとか、御目出度う御座います。
雪の吉野は美しい。
しんしんと、吉野の都は、咲く花の、雪踏む音も、消えにけるらん。
追伸。
写真は、上手だね。
墨水。
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