2017/12/29 - 2017/12/29
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ドクターキムルさん
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昭和2年(1927年)、東京横濱電鉄が沿線開発の一環として、菊名分譲地として販売した。錦が丘はその分譲地の愛称がそのまま地名になったもの。
また、錦が丘にはロータリーが存在する。ここが本来の駅前になるはずだったが、横浜線との接続を考慮して現位置に建設された。横浜線は明治41年(1908年)に「横浜鉄道」という私鉄として開業していたが菊名駅は設置されておらず、大正15年(1926年)に開業していた東京横濱電鉄の菊名駅に接続する形で横浜線の菊名駅が半年遅れで設置されている。
踏切手前からロータリーまでの道路の両側は銀杏の木が植えられており、「いちょう通り」の看板がある。銀杏並木が道路面に植えられており、歩道を示す白線が引かれているが、車道面より高くした普通に見られる歩道ではない。
踏切手前のお宅は前に洋館、その奥に和館が建つ和洋折衷建築であるが、これまでは和館と洋館が横に並んだ和洋折衷住宅しか見たことがなかったので新鮮な気がする。
踏切の駅側には線路に挟ませた引き込み線があり、池袋行の電車が止まっている。
ロータリーは五差路になっている。ここに集まるいずれの道路にも歩道は設置されてはいない。富士塚2方面に上ってみると分譲当時の住宅は殆んど残っておらず、所々に分譲当時の石積が残っていたり、一部を残してコンクリート壁やコンクリートブロック壁になっている。また、タイル貼の壁も見られる。尾根近くに高く積まれた石垣を壊した区画があるが、ここではこの1区画を3分割して新に分譲する造成工事が進んでいる。戸塚区の不動坂にあった斎藤家のお屋敷跡には2ダースの戸建て住宅が分譲され、鎌倉市の宮通りのお屋敷跡には現在13棟の戸建て分譲住宅が建設中であるが、こうした古い分譲住宅地でも宅地の細分化が進んで行くようだ。
昭和初期の高級住宅地であったのであろうが、現在では住む人たちが変わって家が新しくなった際に変更され、統一性のない雑多な感じの住宅地になっている。また、この住宅地ですれ違った人は少なかったのだが、歩行喫煙している人たちに出会い、横浜市内に残る田舎臭い下町の雰囲気を感じた。
(表紙写真は錦が丘のロータリー)
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線路手前の和洋折衷の住宅。
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線路手前の和洋折衷の住宅。
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線路手前の和洋折衷の住宅。
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踏切横に引き込み線。
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踏切の向こうにロータリー。
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踏切横に引き込み線。
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「いちょう通り」の看板。
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分譲当時のままの住宅?。
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錦が丘のロータリー。
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錦が丘のロータリー。
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錦が丘のロータリー。
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錦が丘のロータリー。
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錦が丘のロータリーに面したお宅と商店。商店は分譲当時の看板建築だ。
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分譲当時のままの大谷石の石垣。
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ここにも分譲当時のままの大谷石の石垣。
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分譲当時のままの石垣を壊して工事中。
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工事看板。
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駐車スペースの角に分譲当時のままの石垣が残されている。
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駐車スペースの住宅側はコンクリート壁。
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分譲当時のままの住宅。平屋だ。
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「ふじ町内会」掲示板。「富士塚」の名はなく、「ふじ」だ。
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