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 昭和10年(1935年)に菊名神社に合祀された菊名神明社はカーボン山の北側の谷戸を迂回する形で尾根道があり、尾根の先に向かって西北西に参道があった(http://www.city.yokohama.jp/me/machi/kikaku/cityplan/gis/map/014-2.html)。また、文化・文政期(1804年~1829年)に編纂された『新編武蔵風土記稿』には、「神明社 村の東よりの丘上にあり、是も勧請の年歴を知らず、社は一間半に六間西に向ふ、」とあるが、この参道の向きでは社殿は西向きにはできない。昭和初期には東向きに社殿が建っていたと考えられる。<br /> 旧綱島街道からは横浜線の踏切を渡り、法隆寺谷に出て、再び踏切を渡って山麓から北北西に上る道も付いてはいるが、境内までで、社殿前まではついてはいない。裏参道だろう。<br /> 社殿が建っていたと考えられる場所には平成20年代の初めに住宅が建ち並び、神社跡の面影は一切見られない。ただ、住宅内の道路の先が階段になっており、尾根からの谷は斜度があったものと思われる。やはりこの谷を背に東向きで社殿が建っていたと考えると納得がゆく。それならば、カーボン山の北側の谷戸を迂回する尾根道は参道であった方が合点が行く。<br />(表紙写真は菊名神明社跡辺り)

菊名神明社跡

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2017/12/29 - 2017/12/29

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ドクターキムル

ドクターキムルさん

 昭和10年(1935年)に菊名神社に合祀された菊名神明社はカーボン山の北側の谷戸を迂回する形で尾根道があり、尾根の先に向かって西北西に参道があった(http://www.city.yokohama.jp/me/machi/kikaku/cityplan/gis/map/014-2.html)。また、文化・文政期(1804年~1829年)に編纂された『新編武蔵風土記稿』には、「神明社 村の東よりの丘上にあり、是も勧請の年歴を知らず、社は一間半に六間西に向ふ、」とあるが、この参道の向きでは社殿は西向きにはできない。昭和初期には東向きに社殿が建っていたと考えられる。
 旧綱島街道からは横浜線の踏切を渡り、法隆寺谷に出て、再び踏切を渡って山麓から北北西に上る道も付いてはいるが、境内までで、社殿前まではついてはいない。裏参道だろう。
 社殿が建っていたと考えられる場所には平成20年代の初めに住宅が建ち並び、神社跡の面影は一切見られない。ただ、住宅内の道路の先が階段になっており、尾根からの谷は斜度があったものと思われる。やはりこの谷を背に東向きで社殿が建っていたと考えると納得がゆく。それならば、カーボン山の北側の谷戸を迂回する尾根道は参道であった方が合点が行く。
(表紙写真は菊名神明社跡辺り)

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  • 菊名桜山公園入口。

    菊名桜山公園入口。

  • 階段。

    階段。

  • 階段。

    階段。

  • 階段。

    階段。

  • 公園内の尾根道。

    公園内の尾根道。

  • 公園内の尾根道。

    公園内の尾根道。

  • 公園脇の尾根に道路。

    公園脇の尾根に道路。

  • 尾根には道路が。

    尾根には道路が。

  • 下の谷戸にテニスコート跡。

    下の谷戸にテニスコート跡。

  • 向こうは横浜線の切通。

    向こうは横浜線の切通。

  • 菊名神明社跡辺り。

    菊名神明社跡辺り。

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