2017/12/13 - 2017/12/13
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belleduneさん
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いつか行って見たいと思っていた「さざえ堂」をしっかり見て来ました。2条ネジ構造の六角三層の建物は、設計図を見るとよくこんなものを建てたなぁ、と感心するばかりです。世界中を見ても、木造建築で、2条螺旋が交わることなく、構成されている建物はありません。今年は雪が早く、こんなに素晴らしい景色を見ることができ、幸せでした。
- 旅行の満足度
- 5.0
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厳島神社からさざえ堂へ周ることにします。
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柿の木にもこんもりと雪が積もっていて、良い景色です。渋柿かな?
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厳島神社は帰りにお参りすることにして、先にさざえ堂へ行きます。
旧正宗寺の三匝堂で、通称「さざえ堂」と呼ばれ、白虎隊の墓所のある飯盛山の中腹に建っています。 -
日本大学理工学部建築史研究室の「円通三匝堂実測図」をネットで見つけ、じっくりと見ました。素晴らしい!
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平面六角形の特異な構造で、内部は、二重螺旋の斜路が続いて、右回りに上がり、下りる時は、左回り隣、一切交わることがありません。2、3箇所で、中心の柱の間から、向こう側を歩く人が見えました。以前はどうだったんでしょうね。
窓も庇も約15度の傾斜があります。棟梁は山岸喜右衛門道重。 -
江戸後期の寛政8年(1796)に当時の住職・郁堂が建立したそうです。当時は阿弥陀如来を本尊として、斜路には、三十三観音像が安置されていました。神仏混交の信仰形態を持っていた正宗寺でしたが、明治の廃仏毀釈で廃寺となり、個人所有となりました。堂内にあった三十三観音は、他に移され、その代わりに「皇朝二十四孝」の額が付けられています。
正面入り口には、唐破風造りの拝殿があります。 -
平面は、一辺 11尺(約3,4m) の六角形で、堂内中央部には6本の通し柱が立っています。側柱(建物外側の柱)は、6本の通し柱で、中央柱の間には繋梁が渡してあります。
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屋根は見えませんが、ネットで上から写した写真があります。それを見ると、銅板葺になっています。
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「福聚海無量」は、福徳の集まることが、海のように広大であるということで、観世音菩薩の恵みが広大であることを讃えた語です。
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いよいよ上に上って行きます。床が傾斜しているので、滑って転ばないように横板が張ってあります。
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しばらく上ったところに、向こう側に下りてくる人が見えました。
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窓には金網が張ってあるので、外の景色はこんな風にしか撮れません。
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最頂部の天井は、折上げ鏡天井。ここから下りていくことになります。
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頂点には、太鼓橋があります。
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螺旋の床と太鼓橋の端との繋がり部分。
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今はがらんどうですが、以前はここに観音像が安置してありました。
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最上階から下の階への天井部分です。柱と梁の交差が複雑。
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雪が積もってくると、庇の雪下ろしをするんでしょうね。
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もう1階の出口です。
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出口の天井
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中心に向かって梁が集まっています。
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名残惜しくて、下りてきた廊下を振り返って見ました。
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また違う季節に来ます。
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1層部分の高さは、約1,9m です。
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傍に建っている宇賀神社は、会津藩3代目藩主・松平正容公が奉納したものだそうです。
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厳島神社に下りて来ました。
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地蔵堂
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白虎隊引き上げの洞窟が池の向こう側に見えています。戊辰戦争の時、白虎隊士中二番隊は、戸の口原に布陣している味方軍を応援するために派遣されました。城の安否を確認するために、隊士20名が通過した洞窟だそうです。
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厳島神社は、会津藩の領主・芦名直盛公の時代・永徳年間(1381~1384)に建立。明治期になってから厳島神社と改称されました。
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