プラハ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
2017年8月3日<br />アエロフロート、ロシア航空<br />モスクワ・シェレメチェヴォ空港経由にて<br />ワルシャワ・フレデリック・ショパン空港入り、<br />ワルシャワにて3泊<br /><br />その後8月6日午前<br />EC(ユーロシティ特急列車)で、<br />ポーランドからドイツへ<br />国境越えし<br />ベルリン入り、<br />ワルシャワ中央駅ー終点ベルリン・ゲズントブルネン駅<br />約6時間40分(600キロ)<br />ベルリンにてやはり3泊<br /><br />そしてベルリンから<br />チェコプラハへ、8月9日<br />同じくEC(ユーロシティ特急列車)で、国境越えし<br />ベルリン中央駅ープラハ本駅間(450キロ)<br />約4時間半<br />プラハでは2泊、<br /><br />その後プラハ、<br />ヴァーツラフ・ハヴェル空港から<br />モスクワ・シェレメチェヴォ経由で<br />8月12日<br />成田へ帰国という旅程です。<br /><br />ワルシャワ編全部は、以下の通り<br />公開させて頂きました。<br />https://4travel.jp/travelogue/11275148<br />また、ベルリン編前半も以下の通り<br />公開させて頂きました。<br />https://4travel.jp/travelogue/11286081<br />プラハ、ミュシャ美術館も以下の通り<br />公開させて頂きました。<br />https://4travel.jp/travelogue/11292427<br />旧市街広場からカレル橋、ザヴィェル像、<br />キリスト教伝来とその後の郡崩れまでを<br />年譜にしてみたも以下の通り<br />公開させて頂きました。<br />https://4travel.jp/travelogue/11295161<br /><br />写真は、カレル橋を通り過ぎてから<br />プラハ城に辿りつき、<br />バロック様式の噴水のある中庭を<br />過ぎると突然現れた<br />聖ヴィート大聖堂である。<br /><br />そのファサードと薔薇窓にやはり圧倒された。<br />巨大なネオ・ゴシック様式の建物である。<br />天に向かって伸びるような<br />二つの尖塔は、高さ82m、<br />薔薇窓は、1927年に完成した。<br /><br />大聖堂の内部は、<br />天井の高さ34m<br />幅60m<br />奥行きは124m<br />城の中の聖堂にしては立派すぎる。<br />けだし、城はがんらい<br />王、乃至領主とその家族が住むものだからである。<br />なにゆえ、城・住まいの中にかような偉容さを誇る<br />でかい建物を建てたのだろう。<br />疑問なしとしない。<br />なにしろ、<br />この大聖堂、着工から完成まで600年も<br />かかっているのである。<br />ますます不思議だ。<br /><br />ゴシック式大聖堂は、<br />元々民衆を対象に建てられているはずである。<br />どこの町でも、大聖堂カテドラルは、<br />大体が旧市街と呼ばれる町の中心地にあるはずである。<br />それが、城の中庭にあるのである。<br />どういうことなのだろう?<br /><br />ところで、元来、<br />ゴシックという言葉は、<br />古代ローマ時代<br />東から移動してきたゴート人(ゲルマンの一部族)<br />を意味している。<br /><br />ゲルマン人は野蛮であるとの<br />そのゲルマンの原始的スタイルの<br />さげすみ乃至蔑称の言葉だった。<br /><br />しかし、時代とともに移り変わり<br />その蔑称も、いつも間にか<br />「理想的な建築」という意味を含意し、正反対の大きな<br />価値を勝ち得ていったようである。<br /><br />ゴシックでは、交差ヴォールト柱の集合が天井などを支える。<br />このために、大きな窓を開けられるようになって<br />ステンドグラスの美しさを際立たせることが<br />できるようになった。<br />設計は、パルレ―シュ一族である。<br />完全完成は、あの世界恐慌の1929年。<br /><br /><br />因みに、聖ヴィ―トは、<br />古代ローマ時代絶対君主制を敷いた<br />ディオクレティアヌス時代の<br />キリスト教が公認される前、<br />迫害で亡くなった人間である<br /><br />また、大聖堂の正式名称は<br />3名の名を冠して、<br />「聖ヴィ―ト・聖ヴァーツラフ・聖ヴォィチョフ大聖堂」<br />となっている。

ワルシャワ・ベルリン・プラハ旅行記(プラハその③聖ヴィート大聖堂外観・内側ステンドグラスなど)

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2017/08/03 - 2017/08/12

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わき

わきさん

2017年8月3日
アエロフロート、ロシア航空
モスクワ・シェレメチェヴォ空港経由にて
ワルシャワ・フレデリック・ショパン空港入り、
ワルシャワにて3泊

その後8月6日午前
EC(ユーロシティ特急列車)で、
ポーランドからドイツへ
国境越えし
ベルリン入り、
ワルシャワ中央駅ー終点ベルリン・ゲズントブルネン駅
約6時間40分(600キロ)
ベルリンにてやはり3泊

そしてベルリンから
チェコプラハへ、8月9日
同じくEC(ユーロシティ特急列車)で、国境越えし
ベルリン中央駅ープラハ本駅間(450キロ)
約4時間半
プラハでは2泊、

その後プラハ、
ヴァーツラフ・ハヴェル空港から
モスクワ・シェレメチェヴォ経由で
8月12日
成田へ帰国という旅程です。

ワルシャワ編全部は、以下の通り
公開させて頂きました。
https://4travel.jp/travelogue/11275148
また、ベルリン編前半も以下の通り
公開させて頂きました。
https://4travel.jp/travelogue/11286081
プラハ、ミュシャ美術館も以下の通り
公開させて頂きました。
https://4travel.jp/travelogue/11292427
旧市街広場からカレル橋、ザヴィェル像、
キリスト教伝来とその後の郡崩れまでを
年譜にしてみたも以下の通り
公開させて頂きました。
https://4travel.jp/travelogue/11295161

写真は、カレル橋を通り過ぎてから
プラハ城に辿りつき、
バロック様式の噴水のある中庭を
過ぎると突然現れた
聖ヴィート大聖堂である。

そのファサードと薔薇窓にやはり圧倒された。
巨大なネオ・ゴシック様式の建物である。
天に向かって伸びるような
二つの尖塔は、高さ82m、
薔薇窓は、1927年に完成した。

大聖堂の内部は、
天井の高さ34m
幅60m
奥行きは124m
城の中の聖堂にしては立派すぎる。
けだし、城はがんらい
王、乃至領主とその家族が住むものだからである。
なにゆえ、城・住まいの中にかような偉容さを誇る
でかい建物を建てたのだろう。
疑問なしとしない。
なにしろ、
この大聖堂、着工から完成まで600年も
かかっているのである。
ますます不思議だ。

ゴシック式大聖堂は、
元々民衆を対象に建てられているはずである。
どこの町でも、大聖堂カテドラルは、
大体が旧市街と呼ばれる町の中心地にあるはずである。
それが、城の中庭にあるのである。
どういうことなのだろう?

ところで、元来、
ゴシックという言葉は、
古代ローマ時代
東から移動してきたゴート人(ゲルマンの一部族)
を意味している。

ゲルマン人は野蛮であるとの
そのゲルマンの原始的スタイルの
さげすみ乃至蔑称の言葉だった。

しかし、時代とともに移り変わり
その蔑称も、いつも間にか
「理想的な建築」という意味を含意し、正反対の大きな
価値を勝ち得ていったようである。

ゴシックでは、交差ヴォールト柱の集合が天井などを支える。
このために、大きな窓を開けられるようになって
ステンドグラスの美しさを際立たせることが
できるようになった。
設計は、パルレ―シュ一族である。
完全完成は、あの世界恐慌の1929年。


因みに、聖ヴィ―トは、
古代ローマ時代絶対君主制を敷いた
ディオクレティアヌス時代の
キリスト教が公認される前、
迫害で亡くなった人間である

また、大聖堂の正式名称は
3名の名を冠して、
「聖ヴィ―ト・聖ヴァーツラフ・聖ヴォィチョフ大聖堂」
となっている。

旅行の満足度
4.0
交通手段
徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • カレル橋を過ぎると、<br />聖ヴィート大聖堂へ行く<br />途中には、マラー・ストラナ広場が<br />あった。<br />

    カレル橋を過ぎると、
    聖ヴィート大聖堂へ行く
    途中には、マラー・ストラナ広場が
    あった。

  • その広場<br />後方には、<br />白い塔があるが、<br />これは、1700年代初頭に<br />プラハで流行したペストの終焉<br />を記念して建てられたもの。<br />如何に欧州でペストが恐れられたかが<br />わかる。<br />そのため、聖母マリアと<br />5人の守護聖人を配した三位一体像が<br />天を仰いでそそりたっているのである。

    その広場
    後方には、
    白い塔があるが、
    これは、1700年代初頭に
    プラハで流行したペストの終焉
    を記念して建てられたもの。
    如何に欧州でペストが恐れられたかが
    わかる。
    そのため、聖母マリアと
    5人の守護聖人を配した三位一体像が
    天を仰いでそそりたっているのである。

  • プラハ城正面入り口を<br />過ぎて、歩いている。<br />正面には衛兵が立っていたが、<br />大体が世界中各国どこも正門は同じようで<br />あまり衛兵は珍しくないので、そのままスル―。<br />門の上には、こん棒と剣を持つ二人の<br />巨人像があった。<br />

    プラハ城正面入り口を
    過ぎて、歩いている。
    正面には衛兵が立っていたが、
    大体が世界中各国どこも正門は同じようで
    あまり衛兵は珍しくないので、そのままスル―。
    門の上には、こん棒と剣を持つ二人の
    巨人像があった。

  • 二つの尖塔が見えてきた。<br />聖ヴィート大聖堂の尖塔である。<br /><br />この日とても暑く、<br />日陰にてちょっと小休止したことを<br />思い出した。<br />これは、プラハ城南西側からの撮影。

    二つの尖塔が見えてきた。
    聖ヴィート大聖堂の尖塔である。

    この日とても暑く、
    日陰にてちょっと小休止したことを
    思い出した。
    これは、プラハ城南西側からの撮影。

  • チケット売り場の建物側からの<br />撮影。南西側である。<br />聳え立っている。<br />バロック様式の噴水のある<br />中庭を通り抜けると<br />突然に現れた大聖堂である。<br />全体を写すのは、<br />まず手前の建物があるので<br />不可能ではないかと思う。<br /><br />薔薇窓とふたつの尖塔部分を。

    チケット売り場の建物側からの
    撮影。南西側である。
    聳え立っている。
    バロック様式の噴水のある
    中庭を通り抜けると
    突然に現れた大聖堂である。
    全体を写すのは、
    まず手前の建物があるので
    不可能ではないかと思う。

    薔薇窓とふたつの尖塔部分を。

  • 正面ファサード入り口(左部分)部分を。

    正面ファサード入り口(左部分)部分を。

  • この際、<br />何枚も撮影した。<br />中心上は、99mの鐘楼部分。

    この際、
    何枚も撮影した。
    中心上は、99mの鐘楼部分。

  • 下部分。<br />撮影箇所は、<br />チケット売り場の建物を出たすぐのところ。

    下部分。
    撮影箇所は、
    チケット売り場の建物を出たすぐのところ。

  • 違うように

    違うように

  • 尖塔部

    尖塔部

  • 以下大聖堂の連射写し。

    以下大聖堂の連射写し。

  • 横から

    横から

  • 同上

    同上

  • 下から見上げて

    下から見上げて

  • 同じく

    同じく

  • 同上

    同上

  • 屹立という表現が<br />ふさわしい。

    屹立という表現が
    ふさわしい。

  • 同上

    同上

  • 真下からは、<br />このようにみえる。

    真下からは、
    このようにみえる。

  • 同上

    同上

  • いよいよ内部に入る。<br />250コルナだった。<br />1コルナ5円くらい。

    いよいよ内部に入る。
    250コルナだった。
    1コルナ5円くらい。

  • ステンドグラスが美しい

    ステンドグラスが美しい

  • 世界中のツーリストで<br />溢れかえっていた。

    世界中のツーリストで
    溢れかえっていた。

  • ステンドグラスが映えている

    ステンドグラスが映えている

  • ムハ(ミュシャ=フランス語読み)の<br />ステンドグラスが。<br />入って左側3番目のステンドグラスだったと記憶している。<br /><br />いわゆる「聖キュリロスと聖メトディオス」である。<br />その全体を。<br /><br />ムハ(ミュシャ)は、50歳の頃チェコに帰郷するが、<br />帰郷後、特に晩年は<br />必ずしも恵まれたものではなかった。<br /><br />パリでのサラ・ベルナールポスター画の<br />大成功、<br />そしてパリ万博の功績<br /><br />地元の人々は、羨望のまなざし、<br />嫉みや嫉視で迎え、<br />晩年は、市民会館の内装でも<br />ムハがすることに、<br />色々ないちゃもんがついたようである。<br />1939年、ドイツ侵攻で、<br />チェコがナチス政権の餌食になると、<br />ムハもゲシュタボに逮捕される。<br />役にもたたぬ退廃的な絵画ということで、<br />ナチスににらまれたようだ。<br /><br />ついには、著しく健康を害して<br />その年79歳で亡くなった。

    ムハ(ミュシャ=フランス語読み)の
    ステンドグラスが。
    入って左側3番目のステンドグラスだったと記憶している。

    いわゆる「聖キュリロスと聖メトディオス」である。
    その全体を。

    ムハ(ミュシャ)は、50歳の頃チェコに帰郷するが、
    帰郷後、特に晩年は
    必ずしも恵まれたものではなかった。

    パリでのサラ・ベルナールポスター画の
    大成功、
    そしてパリ万博の功績

    地元の人々は、羨望のまなざし、
    嫉みや嫉視で迎え、
    晩年は、市民会館の内装でも
    ムハがすることに、
    色々ないちゃもんがついたようである。
    1939年、ドイツ侵攻で、
    チェコがナチス政権の餌食になると、
    ムハもゲシュタボに逮捕される。
    役にもたたぬ退廃的な絵画ということで、
    ナチスににらまれたようだ。

    ついには、著しく健康を害して
    その年79歳で亡くなった。

  • 上からその拡大版

    上からその拡大版

  • 徐々に真ん中そして下へ。

    徐々に真ん中そして下へ。

  • 同上

    同上

  • 同じく右下部分

    同じく右下部分

  • 左下部分

    左下部分

  • 右側

    右側

  • 上部を

    上部を

  • 内部を歩きながら、<br />目立つものを撮影した。

    内部を歩きながら、
    目立つものを撮影した。

  • 以下ステンドグラスなど<br />撮影した。

    以下ステンドグラスなど
    撮影した。

  • 同上

    同上

  • 網目状ヴォールト天井が美しい。<br />設計したのは、パルレ―シュ一族。

    網目状ヴォールト天井が美しい。
    設計したのは、パルレ―シュ一族。

  • 同上

    同上

  • 徐々に下側へ。

    徐々に下側へ。

  • ステンドグラスが<br />続く。

    ステンドグラスが
    続く。

  • 同上

    同上

  • 同じく

    同じく

  • 下側へ

    下側へ

  • 以下ステンドグラスや<br />宗教画を。

    以下ステンドグラスや
    宗教画を。

  • 南側回廊に<br />業務上知りえた秘密は<br />漏らしてはならぬ象徴の<br />ヤン・ネポムツキ―像の墓碑が<br />あった。<br />すべて純銀でできているという。<br />2トンの純銀製だそうだ。

    南側回廊に
    業務上知りえた秘密は
    漏らしてはならぬ象徴の
    ヤン・ネポムツキ―像の墓碑が
    あった。
    すべて純銀でできているという。
    2トンの純銀製だそうだ。

  • ひときわ目を引いた。<br />ここで、しばし佇立して見ていた。

    ひときわ目を引いた。
    ここで、しばし佇立して見ていた。

  • ヤン・ネポムツキ―像<br />舌をかみそうな名なので、<br />「ヤンネポおっさん」と<br />愛着をこめて当方は呼んでいた。<br /><br />

    ヤン・ネポムツキ―像
    舌をかみそうな名なので、
    「ヤンネポおっさん」と
    愛着をこめて当方は呼んでいた。

  • 同上

    同上

  • 左下部分を

    左下部分を

  • 回廊を

    回廊を

  • 出口が見えてきた

    出口が見えてきた

  • 聖ヴィ―ト大聖堂を<br />くまなく見渡して<br />かなり凝視してみたので<br />ここを出た後、ふらふらだった。<br />いつもかような場所では、<br />魂を吸い取られるような<br />気分にさせられるのである。<br /><br />その後カフェで休憩して、<br />新市街のヴァーツラフ広場へ<br />歩いて行った。<br /><br />以下ヴァーツラフ広場編へ続きます。

    聖ヴィ―ト大聖堂を
    くまなく見渡して
    かなり凝視してみたので
    ここを出た後、ふらふらだった。
    いつもかような場所では、
    魂を吸い取られるような
    気分にさせられるのである。

    その後カフェで休憩して、
    新市街のヴァーツラフ広場へ
    歩いて行った。

    以下ヴァーツラフ広場編へ続きます。

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