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2017年8月3日<br />アエロフロート、ロシア航空<br />モスクワ・シェレメチェヴォ空港経由にて<br />ワルシャワ・フレデリック・ショパン空港入り、<br />ワルシャワにて3泊<br /><br />その後8月6日午前<br />EC(ユーロシティ特急列車)で、<br />ポーランドからドイツへ<br />国境越えし<br />ベルリン入り、<br />ワルシャワ中央駅ー終点ベルリン・ゲズントブルネン駅<br />約6時間40分(600キロ)<br />ベルリンにてやはり3泊<br /><br />そしてベルリンから<br />チェコプラハへ、8月9日<br />同じくEC(ユーロシティ特急列車)で、国境越えし<br />ベルリン中央駅ープラハ本駅間(450キロ)<br />約4時間半<br />プラハでは2泊、<br /><br />その後プラハ、<br />ヴァーツラフ・ハヴェル空港から<br />モスクワ・シェレメチェヴォ経由で<br />8月12日<br />成田へ帰国という旅程です。<br /><br />ワルシャワ編全部は、以下の通り<br />公開させて頂きました。<br />https://4travel.jp/travelogue/11275148<br />また、ベルリン編前半も以下の通り<br />公開させて頂きました。<br />https://4travel.jp/travelogue/11286081<br /><br />今回は、プラハの<br />アルフォンス・ムハ(フランス語読みは、ミュシャ)美術館<br />を訪問したした際の記録です。<br /><br />写真は、ミュシャを<br />時代の寵児としたジスモンダ。<br />このポスターこそ<br />ミュシャの名前を<br />確固たるものにした。<br /><br />19世紀末、パリで<br />つつましく暮らしていたアルフォンス・ムハ(ミュシャ)。<br />運命的な出来事が起こる。<br />1894年冬のことである。<br />パリの女神と言われた大女優<br />サラ・ベルナールから<br />戯曲「ジスモンダ」の公演ポスターを<br />至急作成してほしいとミュシャの勤務する<br />工房に依頼が舞い込む。<br />担当の画家たちはクリスマス休暇で誰もいなかった。<br />そこで、今まで何の経験もなかったミュシャに<br />親方はやむを得ずこの仕事を担当させた。<br /><br />結果、このポスターは、<br />サラ・ベルナールから絶賛され<br />すぐにミュシャは、<br />6年間の専属契約をサラ側から<br />申し受けることとなるのである。<br />正に、シンデレラボーイの誕生だった。<br />事実、このポスターこそ、<br />パリっ子たちの人気を独り占めにし<br />後年のミュシャの原型が出来上がるのである。

ワルシャワ・ベルリン・プラハ旅行記(プラハ①ムハ{ミュシャ}美術館にて)

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2017/08/03 - 2017/08/12

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3

73

わき

わきさん

2017年8月3日
アエロフロート、ロシア航空
モスクワ・シェレメチェヴォ空港経由にて
ワルシャワ・フレデリック・ショパン空港入り、
ワルシャワにて3泊

その後8月6日午前
EC(ユーロシティ特急列車)で、
ポーランドからドイツへ
国境越えし
ベルリン入り、
ワルシャワ中央駅ー終点ベルリン・ゲズントブルネン駅
約6時間40分(600キロ)
ベルリンにてやはり3泊

そしてベルリンから
チェコプラハへ、8月9日
同じくEC(ユーロシティ特急列車)で、国境越えし
ベルリン中央駅ープラハ本駅間(450キロ)
約4時間半
プラハでは2泊、

その後プラハ、
ヴァーツラフ・ハヴェル空港から
モスクワ・シェレメチェヴォ経由で
8月12日
成田へ帰国という旅程です。

ワルシャワ編全部は、以下の通り
公開させて頂きました。
https://4travel.jp/travelogue/11275148
また、ベルリン編前半も以下の通り
公開させて頂きました。
https://4travel.jp/travelogue/11286081

今回は、プラハの
アルフォンス・ムハ(フランス語読みは、ミュシャ)美術館
を訪問したした際の記録です。

写真は、ミュシャを
時代の寵児としたジスモンダ。
このポスターこそ
ミュシャの名前を
確固たるものにした。

19世紀末、パリで
つつましく暮らしていたアルフォンス・ムハ(ミュシャ)。
運命的な出来事が起こる。
1894年冬のことである。
パリの女神と言われた大女優
サラ・ベルナールから
戯曲「ジスモンダ」の公演ポスターを
至急作成してほしいとミュシャの勤務する
工房に依頼が舞い込む。
担当の画家たちはクリスマス休暇で誰もいなかった。
そこで、今まで何の経験もなかったミュシャに
親方はやむを得ずこの仕事を担当させた。

結果、このポスターは、
サラ・ベルナールから絶賛され
すぐにミュシャは、
6年間の専属契約をサラ側から
申し受けることとなるのである。
正に、シンデレラボーイの誕生だった。
事実、このポスターこそ、
パリっ子たちの人気を独り占めにし
後年のミュシャの原型が出来上がるのである。

旅行の満足度
4.0
同行者
カップル・夫婦
交通手段
徒歩
  • 旧市街の有名な共和国広場<br />から、<br />南西にナ・プシーコピェ通り(この通りは旧市街を守る堀だった)<br />を右に火薬塔を見ながら歩いて行くと、<br />すぐにパンスカー通りが左に直角に伸びている。<br />このパンスカー通りを1分歩くと<br />写真のようなムハ(ミュシャ)美術館があった。

    旧市街の有名な共和国広場
    から、
    南西にナ・プシーコピェ通り(この通りは旧市街を守る堀だった)
    を右に火薬塔を見ながら歩いて行くと、
    すぐにパンスカー通りが左に直角に伸びている。
    このパンスカー通りを1分歩くと
    写真のようなムハ(ミュシャ)美術館があった。

  • ムハ(ミュシャ)美術館は、<br />カウニツキ―宮殿の1階である。<br />入り口には、もう<br />何ともいえぬ美しきポスター画?が<br />迎えていた。

    ムハ(ミュシャ)美術館は、
    カウニツキ―宮殿の1階である。
    入り口には、もう
    何ともいえぬ美しきポスター画?が
    迎えていた。

  • 日本語版の冊子があった。<br />ということは、<br />訪れる顧客は、<br />日本人も多いのだろうが、<br />それよりもやはり<br />日本の経済的援助もあるのではないかと<br />思わせられた。

    日本語版の冊子があった。
    ということは、
    訪れる顧客は、
    日本人も多いのだろうが、
    それよりもやはり
    日本の経済的援助もあるのではないかと
    思わせられた。

  • ミュシャ(ムハ)その人である。<br />1860年<br />チェコ・イヴァンチッツェ村に生まれる。<br />父は裁判所の廷吏だった。<br />1939年死去<br />それまでの、<br />ミュシャの人生足跡は、<br />下記のように年譜が教えてくれる。<br />

    ミュシャ(ムハ)その人である。
    1860年
    チェコ・イヴァンチッツェ村に生まれる。
    父は裁判所の廷吏だった。
    1939年死去
    それまでの、
    ミュシャの人生足跡は、
    下記のように年譜が教えてくれる。

  • ミュシャ(ムハ)その人の年譜である。<br />前半期

    ミュシャ(ムハ)その人の年譜である。
    前半期

  • ミュシャ(ムハ)その人の年譜である。<br />後半部分を。

    ミュシャ(ムハ)その人の年譜である。
    後半部分を。

  • ミュシャの紹介冊子にそって<br />以下説明をさせて頂きます。

    ミュシャの紹介冊子にそって
    以下説明をさせて頂きます。

  • ①は、シリーズ芸術で、<br />4つ絵画ポスターがあった。<br />いずれもカラーリトグラフで、<br />詩<br />舞踏<br />音楽<br />絵画<br />と続いていた。<br />②は、シリーズ「一日の時」<br />で、4枚あった。<br />③は、シリーズ花<br />で、これも4枚。<br />④は、ミュージカルポスターのためのデザイン画<br />があった。<br />⑤⑥には、「花」「果実」と題していた。

    ①は、シリーズ芸術で、
    4つ絵画ポスターがあった。
    いずれもカラーリトグラフで、

    舞踏
    音楽
    絵画
    と続いていた。
    ②は、シリーズ「一日の時」
    で、4枚あった。
    ③は、シリーズ花
    で、これも4枚。
    ④は、ミュージカルポスターのためのデザイン画
    があった。
    ⑤⑥には、「花」「果実」と題していた。

  • シリーズ芸術の<br />舞踏である。<br />1898年作。<br />とても120年も前の作とは<br />思えないほどの魅力あふれた作品だった。

    シリーズ芸術の
    舞踏である。
    1898年作。
    とても120年も前の作とは
    思えないほどの魅力あふれた作品だった。

  • これは、<br />上記シリーズ「一日の時」<br />の夕べの夢想と題された作品。<br />1899年作<br />何ともいえぬ雰囲気で、<br />ずっと凝視してしまった。

    これは、
    上記シリーズ「一日の時」
    の夕べの夢想と題された作品。
    1899年作
    何ともいえぬ雰囲気で、
    ずっと凝視してしまった。

  • シリーズ「一日の時」より、<br />昼の輝き<br />1899年の作品。

    シリーズ「一日の時」より、
    昼の輝き
    1899年の作品。

  • シリーズ「花」<br />より、<br />バラと題する作品。

    シリーズ「花」
    より、
    バラと題する作品。

  • シリーズ「花」<br />の中の<br />ユリ<br />と題された作品。<br />やはり1898年の作品。

    シリーズ「花」
    の中の
    ユリ
    と題された作品。
    やはり1898年の作品。

  • ここに、1890年代に<br />パリで製作された一連の作品群が<br />あった。<br />特に、<br />女神といわれたパリの当時の大女優<br />サラ・べルナールのためのポスターで<br />占められていた。<br />1から順番に簡単に説明する。<br />1、1897年サロンデサンーミュシャ展<br />2、サロンデサンー20回展<br />3、ジスモンダ試し刷りNO2<br />4、ジョブ<br />5、ロレンザッチオ<br />6、ハムレット<br />7、カッサン・フィス<br />8、ジスモンダ試し刷りNO1<br />9、ジスモンダーミュシャの名声を確固たるものとした作品・<br />10、メディア<br />11、サマリア女のデザイン画<br />12、サマリアの女<br />13、黄道12宮

    ここに、1890年代に
    パリで製作された一連の作品群が
    あった。
    特に、
    女神といわれたパリの当時の大女優
    サラ・べルナールのためのポスターで
    占められていた。
    1から順番に簡単に説明する。
    1、1897年サロンデサンーミュシャ展
    2、サロンデサンー20回展
    3、ジスモンダ試し刷りNO2
    4、ジョブ
    5、ロレンザッチオ
    6、ハムレット
    7、カッサン・フィス
    8、ジスモンダ試し刷りNO1
    9、ジスモンダーミュシャの名声を確固たるものとした作品・
    10、メディア
    11、サマリア女のデザイン画
    12、サマリアの女
    13、黄道12宮

  • 上記6の<br />ハムレット上半身部分。

    上記6の
    ハムレット上半身部分。

  • 上記6の<br />ハムレットを<br />少し違うように。

    上記6の
    ハムレットを
    少し違うように。

  • 上記6の<br />ハムレット下半身部分。<br />足の下には、<br />横たわっている女性が。<br />溺死したオフィーリアである。<br />この作品こそ、<br />サラ・ベルナールのための最後の作品だった。

    上記6の
    ハムレット下半身部分。
    足の下には、
    横たわっている女性が。
    溺死したオフィーリアである。
    この作品こそ、
    サラ・ベルナールのための最後の作品だった。

  • 一躍ミュシャを<br />時代の寵児にしたジスモンダである。<br />1894年~1895年の作品<br />カラーリトグラフ<br />縦216センチ<br />幅74・2センチ<br /><br />写真全体が一枚ではおさまらないので<br />分割して。<br />その上部。

    一躍ミュシャを
    時代の寵児にしたジスモンダである。
    1894年~1895年の作品
    カラーリトグラフ
    縦216センチ
    幅74・2センチ

    写真全体が一枚ではおさまらないので
    分割して。
    その上部。

  • ジスモンダ中央部分

    ジスモンダ中央部分

  • ドレスの下<br />男がいるのが<br />気になった。

    ドレスの下
    男がいるのが
    気になった。

  • ジスモンダ<br />顔部分を・

    ジスモンダ
    顔部分を・

  • ジスモンダの上部部分を

    ジスモンダの上部部分を

  • 第3部は、<br />装飾資料集で、<br />1から9まであった。<br />1902年<br />装飾資料集が解説付きで<br />発売になる。<br />簡単に、<br />1は、二人の立ち姿の女性<br />2は、ナナカマドの習作<br />3は、装飾枠と裸婦<br />4は、ポスター<br />5は、ヤドリギをもつ女<br />6は、菩提樹の葉のエチュード<br />7は、装飾枠と裸婦「装飾人物」図4の下絵<br />8は、クマの毛皮の上に座る女<br />9は、ショーケース内に「パリ」<br />と題されていた。

    第3部は、
    装飾資料集で、
    1から9まであった。
    1902年
    装飾資料集が解説付きで
    発売になる。
    簡単に、
    1は、二人の立ち姿の女性
    2は、ナナカマドの習作
    3は、装飾枠と裸婦
    4は、ポスター
    5は、ヤドリギをもつ女
    6は、菩提樹の葉のエチュード
    7は、装飾枠と裸婦「装飾人物」図4の下絵
    8は、クマの毛皮の上に座る女
    9は、ショーケース内に「パリ」
    と題されていた。

  • 上記装飾資料集の<br />ポスターである。<br />一番下に<br />ムハ(ミュシャ)のアルハベット文字が。

    上記装飾資料集の
    ポスターである。
    一番下に
    ムハ(ミュシャ)のアルハベット文字が。

  • 同上<br />上部部分

    同上
    上部部分

  • 同じく中央部分を。

    同じく中央部分を。

  • 下部部分を

    下部部分を

  • 装飾資料集図50<br />と題される全体図。

    装飾資料集図50
    と題される全体図。

  • その細やかなタッチ

    その細やかなタッチ

  • こちらの方が<br />写真としては<br />よく写っていた。

    こちらの方が
    写真としては
    よく写っていた。

  • 装飾資料集図51<br />と題される全体図。

    装飾資料集図51
    と題される全体図。

  • その拡大図一部

    その拡大図一部

  • 大きく拡大

    大きく拡大

  • 第4部チェコ時代<br />1910年<br />ミュシャは、故郷チェコへ帰郷。<br />ここでは、<br />1から10に振り分けられていた。<br />1は、モラヴィア教員合唱団<br />2は、第6回ソコル大会<br />3は、第8回ソコル大会<br />4は、全国統一クジ<br />5は、イヴァンチツエ郷土展<br />6は、プラハ春の音楽歌唱祭<br />7は、有名なヒヤシンス姫<br />8は、砂浜に咲くアザミ<br />9は、岸壁に咲くエリカ<br />10は、スラブ叙事詩 展ポスター<br />と題されていた。

    第4部チェコ時代
    1910年
    ミュシャは、故郷チェコへ帰郷。
    ここでは、
    1から10に振り分けられていた。
    1は、モラヴィア教員合唱団
    2は、第6回ソコル大会
    3は、第8回ソコル大会
    4は、全国統一クジ
    5は、イヴァンチツエ郷土展
    6は、プラハ春の音楽歌唱祭
    7は、有名なヒヤシンス姫
    8は、砂浜に咲くアザミ
    9は、岸壁に咲くエリカ
    10は、スラブ叙事詩 展ポスター
    と題されていた。

  • 上記のうち、<br />ヒヤシンス姫である。<br />その上部部分

    上記のうち、
    ヒヤシンス姫である。
    その上部部分

  • 全体図

    全体図

  • スラブ叙事詩 展ポスター<br />縦183,6Cm<br />幅81,2Cm<br />モデルは、<br />ムハ(ミュシャ)の実の娘<br />ヤロスラヴァである。<br />その全体図。

    スラブ叙事詩 展ポスター
    縦183,6Cm
    幅81,2Cm
    モデルは、
    ムハ(ミュシャ)の実の娘
    ヤロスラヴァである。
    その全体図。

  • 背後には<br />異教の神スヴァントヴィート。<br />両手にはスヴァントヴィートの象徴<br />である剣と角の杯を持っている。

    背後には
    異教の神スヴァントヴィート。
    両手にはスヴァントヴィートの象徴
    である剣と角の杯を持っている。

  • その下部部分を。

    その下部部分を。

  • 第5部は<br />絵画と題され<br />1から3までである。<br />1は、女預言者<br />2は、星<br />3は、運命<br />だった。

    第5部は
    絵画と題され
    1から3までである。
    1は、女預言者
    2は、星
    3は、運命
    だった。

  • その内の、<br />上記2の「星」である。<br />この作品は、<br />冬の夜 又は シベリヤ<br />の題名でも知られている。<br />ミュシャの妻マリエがモデルを<br />務めた作品である。<br />1923年作品で、<br />ロシア革命後人々を襲った<br />苦しみや飢餓を描いているともいわれる。<br /><br />そして、<br />突然私の脳裏に、<br />かつて、好んで口ずさんだ<br />1960年代の詩人<br />清水昶の詩の1節が<br />甦っていた。<br /><br />「昨日もなく/<br />明日もなく/<br />汚れを深める夕暮れの/<br />涙と敵意は/<br />両眼の裏側で盟約し/<br />血が引くように/<br />やわらかな感性の根に吸われ/<br />しずみきった眼で夕暮れを透かす男の/<br />その向こうにあるものは/<br />象牙のように華麗な愛か/<br />無惨に朽ちた巨象の墓か/<br /><br />飢餓の露が滴る生者の道/<br />一途に不安に昏れゆく道を/<br />・・・・<br />手負いの男が今日も/<br />暗夜に向けて/<br />旅立ってゆく/」<br />(暗夜への旅)

    その内の、
    上記2の「星」である。
    この作品は、
    冬の夜 又は シベリヤ
    の題名でも知られている。
    ミュシャの妻マリエがモデルを
    務めた作品である。
    1923年作品で、
    ロシア革命後人々を襲った
    苦しみや飢餓を描いているともいわれる。

    そして、
    突然私の脳裏に、
    かつて、好んで口ずさんだ
    1960年代の詩人
    清水昶の詩の1節が
    甦っていた。

    「昨日もなく/
    明日もなく/
    汚れを深める夕暮れの/
    涙と敵意は/
    両眼の裏側で盟約し/
    血が引くように/
    やわらかな感性の根に吸われ/
    しずみきった眼で夕暮れを透かす男の/
    その向こうにあるものは/
    象牙のように華麗な愛か/
    無惨に朽ちた巨象の墓か/

    飢餓の露が滴る生者の道/
    一途に不安に昏れゆく道を/
    ・・・・
    手負いの男が今日も/
    暗夜に向けて/
    旅立ってゆく/」
    (暗夜への旅)

  • 「星」作品を<br />大きく。

    「星」作品を
    大きく。

  • 第6部は、<br />素描画とパステル画となっていて、<br />1から12まであったが、<br />ここでは、<br />5の宝飾品のデザイン画<br />と<br />11のプラハの聖ヴィート大聖堂<br />を取り上げたい。<br />中でも圧巻は<br />プラハの聖ヴィート大聖堂のステンドグラスの<br />デザインだった。<br />

    第6部は、
    素描画とパステル画となっていて、
    1から12まであったが、
    ここでは、
    5の宝飾品のデザイン画

    11のプラハの聖ヴィート大聖堂
    を取り上げたい。
    中でも圧巻は
    プラハの聖ヴィート大聖堂のステンドグラスの
    デザインだった。

  • 上記5の<br />宝飾品のデザインである。

    上記5の
    宝飾品のデザインである。

  • 上記5の<br />宝飾品のデザインである。<br />大きく拡大。

    上記5の
    宝飾品のデザインである。
    大きく拡大。

  • 上記5の<br />宝飾品のデザインである。<br />更に拡大

    上記5の
    宝飾品のデザインである。
    更に拡大

  • 違うように

    違うように

  • 11の<br />プラハの聖ヴィート大聖堂のステンドグラスの<br />デザイン。<br />全体図。

    11の
    プラハの聖ヴィート大聖堂のステンドグラスの
    デザイン。
    全体図。

  • 11の<br />プラハの聖ヴィート大聖堂のステンドグラスの<br />デザイン。<br />その上部

    11の
    プラハの聖ヴィート大聖堂のステンドグラスの
    デザイン。
    その上部

  • 11の<br />プラハの聖ヴィート大聖堂のステンドグラスの<br />デザイン。<br />中央部分

    11の
    プラハの聖ヴィート大聖堂のステンドグラスの
    デザイン。
    中央部分

  • その下部分を<br />大きく拡大して。

    その下部分を
    大きく拡大して。

  • 11の<br />プラハの聖ヴィート大聖堂のステンドグラスの<br />デザイン。<br />拡大して。

    11の
    プラハの聖ヴィート大聖堂のステンドグラスの
    デザイン。
    拡大して。

  • 11の<br />プラハの聖ヴィート大聖堂のステンドグラスの<br />デザイン。<br />一部拡大

    11の
    プラハの聖ヴィート大聖堂のステンドグラスの
    デザイン。
    一部拡大

  • 同上である

    同上である

  • 11の<br />プラハの聖ヴィート大聖堂のステンドグラスの<br />デザイン。<br />拡大部分

    11の
    プラハの聖ヴィート大聖堂のステンドグラスの
    デザイン。
    拡大部分

  • 11の<br />プラハの聖ヴィート大聖堂のステンドグラスの<br />デザイン。<br />拡大部分

    11の
    プラハの聖ヴィート大聖堂のステンドグラスの
    デザイン。
    拡大部分

  • ミュシャ美術館のあと<br />実際に<br />聖ヴィート大聖堂を<br />訪問した。<br />これは、本物の<br />聖ヴィート大聖堂のステンドグラスである。<br />その全体を。<br />ミュシャは、<br />無償でこのステンドグラスを製作したと言われる。<br />

    ミュシャ美術館のあと
    実際に
    聖ヴィート大聖堂を
    訪問した。
    これは、本物の
    聖ヴィート大聖堂のステンドグラスである。
    その全体を。
    ミュシャは、
    無償でこのステンドグラスを製作したと言われる。

  • 本物の<br />聖ヴィート大聖堂のステンドグラスである。<br />その上部を。

    本物の
    聖ヴィート大聖堂のステンドグラスである。
    その上部を。

  • 本物の<br />聖ヴィート大聖堂のステンドグラスである。<br />その一部を更に拡大。<br />

    本物の
    聖ヴィート大聖堂のステンドグラスである。
    その一部を更に拡大。

  • 本物の<br />聖ヴィート大聖堂のステンドグラスである。<br />その一部を更に拡大。

    本物の
    聖ヴィート大聖堂のステンドグラスである。
    その一部を更に拡大。

  • 本物の<br />聖ヴィート大聖堂のステンドグラスである。<br />その一部を更に拡大。

    本物の
    聖ヴィート大聖堂のステンドグラスである。
    その一部を更に拡大。

  • 本物の<br />聖ヴィート大聖堂のステンドグラスである。<br />その一部を更に拡大。

    本物の
    聖ヴィート大聖堂のステンドグラスである。
    その一部を更に拡大。

  • 本物の<br />聖ヴィート大聖堂のステンドグラスである。<br />その一部を更に拡大。

    本物の
    聖ヴィート大聖堂のステンドグラスである。
    その一部を更に拡大。

  • 本物の<br />聖ヴィート大聖堂のステンドグラスである。<br />その一部を更に拡大。

    本物の
    聖ヴィート大聖堂のステンドグラスである。
    その一部を更に拡大。

  • 1920年<br />チェコスロヴァキア<br />の20コルナ札。<br />ミュシャのデザインである。<br />現在1コルナ5円内外なので、<br />100円札といったところか。

    1920年
    チェコスロヴァキア
    の20コルナ札。
    ミュシャのデザインである。
    現在1コルナ5円内外なので、
    100円札といったところか。

  • こちらは、チェコスロヴァキア<br />の50コルナ札。<br />やはりミュシャのデザイン。<br /><br />

    こちらは、チェコスロヴァキア
    の50コルナ札。
    やはりミュシャのデザイン。

  • 主の祈りの表紙である。<br />ミュシャは、この<br />主の祈りを自分自身の<br />最高傑作と位置付けていたそうである。<br />その全体を。

    主の祈りの表紙である。
    ミュシャは、この
    主の祈りを自分自身の
    最高傑作と位置付けていたそうである。
    その全体を。

  • 同上、<br />上半分を。

    同上、
    上半分を。

  • 同上<br />下部分を

    同上
    下部分を

  • 絵皿<br />全体を。

    絵皿
    全体を。

  • 大きく拡大<br />上部部分

    大きく拡大
    上部部分

  • 下部分を

    下部分を

  • 冊子裏は、<br />写真のように<br />こんな言葉で<br />締めくくっていた。<br /><br />そして、<br />この言葉通り<br />引き続きプラハの街を<br />歩いて行った。<br /><br />

    冊子裏は、
    写真のように
    こんな言葉で
    締めくくっていた。

    そして、
    この言葉通り
    引き続きプラハの街を
    歩いて行った。

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この旅行記へのコメント (3)

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  • ぴょん太さん 2017/11/19 22:01:03
    ムハ美術館
    懐かしいです。が、美術館内部撮影可能になったのですね!私が訪れたときは、内部撮影禁止でした。

    わき

    わきさん からの返信 2017/11/19 23:03:44
    RE: ムハ美術館
    ぴょん太さん

    メッセージ
    誠にありがとうございます。

    ムハ美術館の内部作品撮影は、
    相も変わらず無理でしたので、
    当方の本件旅行記は、
    有料にて、現地美術館で購入したもの
    の複写を代わりに掲載させて
    頂いております。
    宜しくご理解のほど
    お願い申し上げます。
    わき

    > 懐かしいです。が、美術館内部撮影可能になったのですね!私が訪れたときは、内部撮影禁止でした。

    ぴょん太

    ぴょん太さん からの返信 2017/11/20 09:27:42
    RE: RE: ムハ美術館
    そうなんですね。
    ご苦労様です。
    楽しく読ませていただきました。

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