2017/08/03 - 2017/08/12
62位(同エリア4555件中)
わきさん
2017年8月3日
アエロフロート、ロシア航空
モスクワ・シェレメチェヴォ空港経由にて
ワルシャワ・フレデリック・ショパン空港入り、
ワルシャワにて3泊
その後8月6日午前
EC(ユーロシティ特急列車)で、
ポーランドからドイツへ
国境越えし
ベルリン入り、
ワルシャワ中央駅ー終点ベルリン・ゲズントブルネン駅
約6時間40分(600キロ)
ベルリンにてやはり3泊
そしてベルリンから
チェコプラハへ、8月9日
同じくEC(ユーロシティ特急列車)で、国境越えし
ベルリン中央駅ープラハ本駅間(450キロ)
約4時間半
プラハでは2泊、
その後プラハ、
ヴァーツラフ・ハヴェル空港から
モスクワ・シェレメチェヴォ経由で
8月12日
成田へ帰国という旅程です。
ワルシャワ編全部は、以下の通り
公開させて頂きました。
https://4travel.jp/travelogue/11275148
また、ベルリン編前半も以下の通り
公開させて頂きました。
https://4travel.jp/travelogue/11286081
今回は、プラハの
アルフォンス・ムハ(フランス語読みは、ミュシャ)美術館
を訪問したした際の記録です。
写真は、ミュシャを
時代の寵児としたジスモンダ。
このポスターこそ
ミュシャの名前を
確固たるものにした。
19世紀末、パリで
つつましく暮らしていたアルフォンス・ムハ(ミュシャ)。
運命的な出来事が起こる。
1894年冬のことである。
パリの女神と言われた大女優
サラ・ベルナールから
戯曲「ジスモンダ」の公演ポスターを
至急作成してほしいとミュシャの勤務する
工房に依頼が舞い込む。
担当の画家たちはクリスマス休暇で誰もいなかった。
そこで、今まで何の経験もなかったミュシャに
親方はやむを得ずこの仕事を担当させた。
結果、このポスターは、
サラ・ベルナールから絶賛され
すぐにミュシャは、
6年間の専属契約をサラ側から
申し受けることとなるのである。
正に、シンデレラボーイの誕生だった。
事実、このポスターこそ、
パリっ子たちの人気を独り占めにし
後年のミュシャの原型が出来上がるのである。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 徒歩
-
旧市街の有名な共和国広場
から、
南西にナ・プシーコピェ通り(この通りは旧市街を守る堀だった)
を右に火薬塔を見ながら歩いて行くと、
すぐにパンスカー通りが左に直角に伸びている。
このパンスカー通りを1分歩くと
写真のようなムハ(ミュシャ)美術館があった。 -
ムハ(ミュシャ)美術館は、
カウニツキ―宮殿の1階である。
入り口には、もう
何ともいえぬ美しきポスター画?が
迎えていた。 -
日本語版の冊子があった。
ということは、
訪れる顧客は、
日本人も多いのだろうが、
それよりもやはり
日本の経済的援助もあるのではないかと
思わせられた。 -
ミュシャ(ムハ)その人である。
1860年
チェコ・イヴァンチッツェ村に生まれる。
父は裁判所の廷吏だった。
1939年死去
それまでの、
ミュシャの人生足跡は、
下記のように年譜が教えてくれる。 -
ミュシャ(ムハ)その人の年譜である。
前半期 -
ミュシャ(ムハ)その人の年譜である。
後半部分を。 -
ミュシャの紹介冊子にそって
以下説明をさせて頂きます。 -
①は、シリーズ芸術で、
4つ絵画ポスターがあった。
いずれもカラーリトグラフで、
詩
舞踏
音楽
絵画
と続いていた。
②は、シリーズ「一日の時」
で、4枚あった。
③は、シリーズ花
で、これも4枚。
④は、ミュージカルポスターのためのデザイン画
があった。
⑤⑥には、「花」「果実」と題していた。 -
シリーズ芸術の
舞踏である。
1898年作。
とても120年も前の作とは
思えないほどの魅力あふれた作品だった。 -
これは、
上記シリーズ「一日の時」
の夕べの夢想と題された作品。
1899年作
何ともいえぬ雰囲気で、
ずっと凝視してしまった。 -
シリーズ「一日の時」より、
昼の輝き
1899年の作品。 -
シリーズ「花」
より、
バラと題する作品。 -
シリーズ「花」
の中の
ユリ
と題された作品。
やはり1898年の作品。 -
ここに、1890年代に
パリで製作された一連の作品群が
あった。
特に、
女神といわれたパリの当時の大女優
サラ・べルナールのためのポスターで
占められていた。
1から順番に簡単に説明する。
1、1897年サロンデサンーミュシャ展
2、サロンデサンー20回展
3、ジスモンダ試し刷りNO2
4、ジョブ
5、ロレンザッチオ
6、ハムレット
7、カッサン・フィス
8、ジスモンダ試し刷りNO1
9、ジスモンダーミュシャの名声を確固たるものとした作品・
10、メディア
11、サマリア女のデザイン画
12、サマリアの女
13、黄道12宮 -
上記6の
ハムレット上半身部分。 -
上記6の
ハムレットを
少し違うように。 -
上記6の
ハムレット下半身部分。
足の下には、
横たわっている女性が。
溺死したオフィーリアである。
この作品こそ、
サラ・ベルナールのための最後の作品だった。 -
一躍ミュシャを
時代の寵児にしたジスモンダである。
1894年~1895年の作品
カラーリトグラフ
縦216センチ
幅74・2センチ
写真全体が一枚ではおさまらないので
分割して。
その上部。 -
ジスモンダ中央部分
-
ドレスの下
男がいるのが
気になった。 -
ジスモンダ
顔部分を・ -
ジスモンダの上部部分を
-
第3部は、
装飾資料集で、
1から9まであった。
1902年
装飾資料集が解説付きで
発売になる。
簡単に、
1は、二人の立ち姿の女性
2は、ナナカマドの習作
3は、装飾枠と裸婦
4は、ポスター
5は、ヤドリギをもつ女
6は、菩提樹の葉のエチュード
7は、装飾枠と裸婦「装飾人物」図4の下絵
8は、クマの毛皮の上に座る女
9は、ショーケース内に「パリ」
と題されていた。 -
上記装飾資料集の
ポスターである。
一番下に
ムハ(ミュシャ)のアルハベット文字が。 -
同上
上部部分 -
同じく中央部分を。
-
下部部分を
-
装飾資料集図50
と題される全体図。 -
その細やかなタッチ
-
こちらの方が
写真としては
よく写っていた。 -
装飾資料集図51
と題される全体図。 -
その拡大図一部
-
大きく拡大
-
第4部チェコ時代
1910年
ミュシャは、故郷チェコへ帰郷。
ここでは、
1から10に振り分けられていた。
1は、モラヴィア教員合唱団
2は、第6回ソコル大会
3は、第8回ソコル大会
4は、全国統一クジ
5は、イヴァンチツエ郷土展
6は、プラハ春の音楽歌唱祭
7は、有名なヒヤシンス姫
8は、砂浜に咲くアザミ
9は、岸壁に咲くエリカ
10は、スラブ叙事詩 展ポスター
と題されていた。 -
上記のうち、
ヒヤシンス姫である。
その上部部分 -
全体図
-
スラブ叙事詩 展ポスター
縦183,6Cm
幅81,2Cm
モデルは、
ムハ(ミュシャ)の実の娘
ヤロスラヴァである。
その全体図。 -
背後には
異教の神スヴァントヴィート。
両手にはスヴァントヴィートの象徴
である剣と角の杯を持っている。 -
その下部部分を。
-
第5部は
絵画と題され
1から3までである。
1は、女預言者
2は、星
3は、運命
だった。 -
その内の、
上記2の「星」である。
この作品は、
冬の夜 又は シベリヤ
の題名でも知られている。
ミュシャの妻マリエがモデルを
務めた作品である。
1923年作品で、
ロシア革命後人々を襲った
苦しみや飢餓を描いているともいわれる。
そして、
突然私の脳裏に、
かつて、好んで口ずさんだ
1960年代の詩人
清水昶の詩の1節が
甦っていた。
「昨日もなく/
明日もなく/
汚れを深める夕暮れの/
涙と敵意は/
両眼の裏側で盟約し/
血が引くように/
やわらかな感性の根に吸われ/
しずみきった眼で夕暮れを透かす男の/
その向こうにあるものは/
象牙のように華麗な愛か/
無惨に朽ちた巨象の墓か/
飢餓の露が滴る生者の道/
一途に不安に昏れゆく道を/
・・・・
手負いの男が今日も/
暗夜に向けて/
旅立ってゆく/」
(暗夜への旅) -
「星」作品を
大きく。 -
第6部は、
素描画とパステル画となっていて、
1から12まであったが、
ここでは、
5の宝飾品のデザイン画
と
11のプラハの聖ヴィート大聖堂
を取り上げたい。
中でも圧巻は
プラハの聖ヴィート大聖堂のステンドグラスの
デザインだった。 -
上記5の
宝飾品のデザインである。 -
上記5の
宝飾品のデザインである。
大きく拡大。 -
上記5の
宝飾品のデザインである。
更に拡大 -
違うように
-
11の
プラハの聖ヴィート大聖堂のステンドグラスの
デザイン。
全体図。 -
11の
プラハの聖ヴィート大聖堂のステンドグラスの
デザイン。
その上部 -
11の
プラハの聖ヴィート大聖堂のステンドグラスの
デザイン。
中央部分 -
その下部分を
大きく拡大して。 -
11の
プラハの聖ヴィート大聖堂のステンドグラスの
デザイン。
拡大して。 -
11の
プラハの聖ヴィート大聖堂のステンドグラスの
デザイン。
一部拡大 -
同上である
-
11の
プラハの聖ヴィート大聖堂のステンドグラスの
デザイン。
拡大部分 -
11の
プラハの聖ヴィート大聖堂のステンドグラスの
デザイン。
拡大部分 -
ミュシャ美術館のあと
実際に
聖ヴィート大聖堂を
訪問した。
これは、本物の
聖ヴィート大聖堂のステンドグラスである。
その全体を。
ミュシャは、
無償でこのステンドグラスを製作したと言われる。 -
本物の
聖ヴィート大聖堂のステンドグラスである。
その上部を。 -
本物の
聖ヴィート大聖堂のステンドグラスである。
その一部を更に拡大。 -
本物の
聖ヴィート大聖堂のステンドグラスである。
その一部を更に拡大。 -
本物の
聖ヴィート大聖堂のステンドグラスである。
その一部を更に拡大。 -
本物の
聖ヴィート大聖堂のステンドグラスである。
その一部を更に拡大。 -
本物の
聖ヴィート大聖堂のステンドグラスである。
その一部を更に拡大。 -
本物の
聖ヴィート大聖堂のステンドグラスである。
その一部を更に拡大。 -
1920年
チェコスロヴァキア
の20コルナ札。
ミュシャのデザインである。
現在1コルナ5円内外なので、
100円札といったところか。 -
こちらは、チェコスロヴァキア
の50コルナ札。
やはりミュシャのデザイン。 -
主の祈りの表紙である。
ミュシャは、この
主の祈りを自分自身の
最高傑作と位置付けていたそうである。
その全体を。 -
同上、
上半分を。 -
同上
下部分を -
絵皿
全体を。 -
大きく拡大
上部部分 -
下部分を
-
冊子裏は、
写真のように
こんな言葉で
締めくくっていた。
そして、
この言葉通り
引き続きプラハの街を
歩いて行った。
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この旅行記へのコメント (3)
-
- ぴょん太さん 2017/11/19 22:01:03
- ムハ美術館
- 懐かしいです。が、美術館内部撮影可能になったのですね!私が訪れたときは、内部撮影禁止でした。
- わきさん からの返信 2017/11/19 23:03:44
- RE: ムハ美術館
- ぴょん太さん
メッセージ
誠にありがとうございます。
ムハ美術館の内部作品撮影は、
相も変わらず無理でしたので、
当方の本件旅行記は、
有料にて、現地美術館で購入したもの
の複写を代わりに掲載させて
頂いております。
宜しくご理解のほど
お願い申し上げます。
わき
> 懐かしいです。が、美術館内部撮影可能になったのですね!私が訪れたときは、内部撮影禁止でした。
- ぴょん太さん からの返信 2017/11/20 09:27:42
- RE: RE: ムハ美術館
- そうなんですね。
ご苦労様です。
楽しく読ませていただきました。
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