盛岡・宮古から八幡平周辺の旅(三日目)~岩山公園・高松の池・一ノ倉邸・志波城古代公園・岩手県立博物館と盛岡市郊外につなぎ温泉の手づくり村から国見温泉まで。八幡平の前にも見るべきスポットはけっこう豊富です~
2017/10/07 - 2017/10/07
5位(同エリア97件中)
たびたびさん
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盛岡市街の観光は一通り終わっているので、今回の旅の主目的はレンタカ-を利用しての八幡平。以前、八幡平を路線バスで回ったことはあったんですが、かなり限界があったんですよね。
ただ、盛岡市から八幡平周辺をもう少し調べてみると盛岡の観光は、盛岡市の郊外に意外に気になるスポットが目白押しであることが分かってきて。これがレンタカーなら回れるとあっては見逃す負けにはいきません。そうこうあって、計画を立ててみるとこの辺りが積みあがって、たっぷり一日コースとなってしまいました。
さらに言えば、今日は天気が悪くて、明日は天気がいい。そうであれば、なおさら、今日を盛岡市の郊外。明日を八幡平とする順番になってくる。旅は天気も見ながら柔軟に対応することが必要です。
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盛岡市内のホテルを出て。やっぱり今日は雨ですかあ。まあ、それも予報通りですから、仕方がないでしょう。
ホテルの近くの明義堂跡。明義堂跡という名前が前面に出ているかと思ったら、公園のような小さなスペースに建つ説明板は「日影門外小路」。その中に、明義堂についての説明がありました。
ちなみに、明義堂というのは、南部藩の藩校のこと。その後、作人館と改称されますが、文武・医を教え、幕末から明治にかけて多くの有為の人材を送り出す温床となったということです。直接ではありませんが、石川啄木も、宮沢賢治ももしかしたらそうした流れの先にあると考えてもいいかもしれません。 -
ここから、駅前でレンタカーを借りて、いよいよ出発です。
まず向かった岩山パークランドは、子供向けの小さな遊園地。駐車場もとっても広いです。
なお、この辺りには動物公園もあるし、大きく言えば岩山公園の一帯。この時期は紅葉のシーズンでしたが、自然に囲まれた雰囲気こそがこのパークランドの魅力のような気もします。
いずれにしても、盛岡市街からだと程よい距離感。盛岡市民のとってはなじみのエリアなのだと思います。 -
さらに上った岩山公園の駐車場の横にある小さなスペースが啄木望郷の丘。岩山公園はあちこち広いのですが、この丘は狭い場所にひっそりとある限られた一角です。
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イチオシ
石川啄木の銅像と妻、節子と二人の歌碑。簡単な生い立ちの説明板を確認しましたが、やっぱりどこか寂しくなる。短い人生には独特の哀愁があるように思います。
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岩山公園の一番奥には岩山展望台があって、盛岡市街とかを見渡せるはずだったんですが、あいにく一帯は工事中。奥にそれらしい大きな建築物が見えていますが、残念ながら立ち入りはできませんでした。しかし、これだけ大きな建物であれば、見応えはあるんだろうなあと想像するしかありません。
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別の場所から盛岡市街の方を眺めましたが、今日は天気が悪いし、どっちにしてもダメだったようですね。
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岩山公園から、今度は高松公園へ。ここが紹介される写真なんかでは池越しに岩手山を望む景色がきれいだったりするのですが、この日はあいにくの雨。ここでも美しい眺めは拝めませんでした。
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一方で、池の周囲を巡る遊歩道などはそれなりの雰囲気。公園としての気持ちの良さは確かにあると思います。
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イチオシ
ちなみに、池は人口のため池のような感じですが、盛岡城下が出来た際に造られたという歴史あるもの。今では桜の名所としても有名。池の周囲にはけっこうな太さの桜の大木が何本も生えています。
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続いては、厨川の柵跡です。この辺りもレンタカーじゃないと無理ですねえ。
さて、厨川柵は、あの衣川柵と並ぶ安倍氏の重要拠点。前九年の役でも激戦地となりますが、源氏・清原氏の連合軍に敗北し、安倍氏は滅びます。 -
道路脇に「安倍館遺跡」という説明板があって、厨川の柵の範囲が相当に広かったことが説明されていました。周辺の住宅地も歩いてみましたが、奥には崖があったりして、それらしい地形が残っている。説明板を読むだけではなく、この裏一帯の住宅地の方とかは厨川柵の内側だった場所だし、その先は崖になっていて、周囲の散策もするとなんとか柵だったという想像を膨らませることができるような気がします。
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ここも一見荒地のような場所ですが、堀を巡らして土塁を築いた地形が残っているものです。
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すぐそばにあるのは一ノ倉邸。ここも盛岡の観光スポットとしてはあまり注目されない場所なんですが、東京府知事も務めた明治後期の政治家、阿部浩の邸宅。
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今では盛岡市に寄付されて、市が管理しています。敷地に入るとさらに周囲を塀で囲んだ母屋が現れて、
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こちらが玄関ですね。
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さみしかった外観と違って、なんかいい感じ。
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イチオシ
武者の土人形や
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安倍宗任の関係に
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錦絵や竹田人形の組み合わせも渋いですよ。
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係りの人の説明によれば、伊藤博文がここを訪れ、安倍氏にゆかりの地であることから、話が弾んで、前九年の役の話題に。
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戦いに敗れた安倍宗任(安倍頼時の息子で、貞任の弟)ですが、都に連行されても蝦夷に梅など分からないだろうと嘲る都人に「わが国の梅の花とは見つれとも 大宮人は如何か言ふらむ」と歌で返し、その学識で一歩も引けを取らなかった。伊藤博文は、こうした話を聞いて非情に感銘を受けたのだとか。つまり、エントランスのしつらえはこうしたことの伏線だったんですね。なるほどー
そして、これは「南部藩は新政府軍に敗れはしたものの、盛岡・岩手には誇りある長い歴史がある。それは山口にもまったく引けを取るものではないのだよ」といった気概そのもの。阿部浩氏の気宇壮大な人物像が想像されるエピソードです。 -
イチオシ
なお、邸内は驚くような豪華さではないのですが、
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格式を保った雰囲気と合わせて、かなり楽しめます。
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これは先程のエピソードにまつわる書ですが、その他かつての遺品も美しく展示されていて、管理の心遣いも最高でしょう。
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観光客は少ないですが、こうしてしっかり明治の遺産を守っている。
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関係者の方のご努力に深く敬意を表したいと思います。私も、とても、清々しい気持ちになりました。
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だんだん盛り上がってきたところで、今度は志波城古代公園へ。
ここも以前からずっと気になっていた場所です。 -
園内入口に資料館があって、志波城の歴史とともに、目を引いたのは阿奴志己(アヌシコ)の紹介。
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坂上田村麻呂はアテルイ、モレと激しく戦い、なんとか彼らを屈服させるのですが、一方で、大和朝廷と平和的に付き合うべきと考えた蝦夷もいて、それがアヌシコなのだとか。いわゆる俘囚といわれる人々ですね。
ただ、東北の蝦夷・俘囚をめぐる歴史は、そんなに単純ではなく、結局、藤原氏の滅亡まで続いていく。長い長い気の遠くなるような興亡の歴史です。 -
では、志波城古代公園の方へ。こちらは志波城跡を整備した公園ですが、かなりよく整備されていて、古代遺跡にしては荒れた感じが全くありません。
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イチオシ
この城は、坂上田村麻呂がアテルイを降伏させた翌年、803年に造営した城。多賀城の造営が724年ですから、この時期、大和朝廷は急速に勢力範囲を拡張したことが窺えます。時には鎮守府だった可能性もあるとの説明もありましたが、はっきりしたことは不明です。
城跡は周囲を高い塀が囲み、堅牢な門を備えた軍事の構え。政庁跡もあるので、全部を回るとそれなりに時間がかかります。 -
城跡から周囲につながる遊歩道もあるし、田んぼが広がる場所なので、何かと見晴らしもいい。
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広い分、やや殺風景な感じもありますが、それは遺構ですから仕方ないでしょう。
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ただ、雨も降っているし、
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急ぎ足でチェックしました。
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志波城跡から岩手県立博物館へ。
こちらは、その途中に立ち寄ったふるさとや。「手づくりだんごの店」とかかれた看板が出ていて、おばちゃんたちがやっている元気なお店です。 -
串に刺した平たい団子に胡桃醤油を絡めた「おちゃもち」をいただきました。以前、花巻で食べた時は醤油の味しかしないしあんまり印象がよくなかったのですが、ここのはコクがあって抜群においしいですね。もっちりしたお餅の仕上がりも最高。変なところで、おちゃもちの名誉回復ともなりました。
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さて、岩手県立博物館に到着。ここも正直、観光客には縁がないところ。想像をはるかに超える立派な建物でしたが、アクセスがこれだけ悪いとそれも仕方ないかもしれません。
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エントランスも悠々としたものですよ~
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展示の方は、県内で発掘された恐竜の標本から始まって、岩手のイメージではないのであれっという感じだったんですが、
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これもけっこう充実しています。
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イチオシ
古代の土器は米文化も匂わせるもの。
米の文化は南から北に伝わったので、東北は日本では一番遅いと思っている人がほとんどなんですが、実は九州に米作文化が伝わると、一気に青森に伝わって、そこから南下するルートができる。実は、北進のルートと南進のルートは静岡辺りで最後につながるんです。私としては東北は米作りの文化がなかったのではなく、米作りの一方で狩猟採集の文化にも環境的に恵まれていただけと理解するのが正しいのだと思います。 -
そんなところから考え出すと
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きりがないのですが、
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古代の城、胆沢城、志波城、徳丹城の説明から、前九年の役・後三年の役、奥州合戦から
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北上川の水運の歴史、早池峰の神楽や南部鉄器などなど。
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岩手県の歴史はイコール東北の歴史なのではないかと思うほど、
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豊富な内容のラインナップ。
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ただ、展示の美しさもあるので、
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イチオシ
知識があまりなくてもかなり楽しめる博物館となっていると思います。
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マタギの文化や
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神楽の面とか
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こういうのも
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イチオシ
私にとってはたまらない展示です。
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これは後三年の役の絵巻ですが、前九年の役と合わせて、東北の平家物語みたいな存在。平家物語は日本人の心に陰に陽に影響を与えているのですが、これも東北人の心に影響を与えているというのはないことはないでしょう。今朝の一ノ倉邸の話ともオーバーラップしてしまいます。
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近くにある四十四田公園にも立ち寄ります。ここは、四十四田ダム湖の周辺に整備された公園。ただ、このダムを目指して行くにしても、道路標識もしっかりしてないし、いったん下ってからまた上って行くという道で、けっこう不安になりながら辿り着きました。
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散歩をしている人もいなくはなかったのですが、やっぱりマイナー。ダム湖を眺めて終わりかなと思います。
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今度はつなぎ温泉の方に向かって。
こちらは、盛岡手づくり村。 -
名前の響きは何かマイナーな感じですが、内容はかなり本格的。実はなかなかメジャーな施設です。
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型染、
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鋳鉄品の
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南部鉄器とか
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岩谷堂箪笥、
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漆製品などの伝統工芸品の紹介が核にはなっているのですが、
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敷地内には
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多くのおみやげ品のショップや食事処など。
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広い駐車場も備えて、道の駅でも真っ青といった感じです。
私は駆け足になってしまいましたが、本来は時間をたっぷり取って楽しむ施設だと思います。 -
ここからはもう一つのお楽しみ。つなぎ温泉から国見温泉に向かいます。
で、途中の道の駅 雫石あねっこです。この辺りには本当に何もないので、とってもありがたい施設です。 -
まずは、こびるコーナーで、雫石バーガーをいただきました。
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地元の和牛を使ってネーミングしたくらいかなと思ったのですが、ネッチョリ系のハンバーグに、このパンズは歯ごたえがしっかりしていて、ハンバーガーとしての基本的な完成度がすごく高い。なかなかのバーガーです。
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それから、赤飯も。赤飯でも醤油の色がはっきり付いていて、盛岡らしいなと思っていたら、この小豆は甘いんですね。そういえば、そんな甘い赤飯が岩手にあるというのを聞いたことがありました。これがそうなんですね。しかし、これは慣れていないとがっかりする味かなとも思います。。
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さて、国見温泉に到着。国見温泉だとこの石塚旅館が一番有名のようなので、ここで日帰り温泉を利用します。
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玄関で受付をして、
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奥の内湯へ。
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館内には露天風呂と内湯の二か所がありますが、いずれにしても特徴はこのバスクリンのような緑色の温泉。
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イチオシ
風呂の周囲の流し場には白と緑の湯の花が堆積しているのもちょっと見たことがない光景。
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少し飲泉もしてみましたが、さほどの癖はない。少しなら飲めますし、いろいろ楽しめる温泉ですね。
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特徴がはっきりしているので、地元でも人気の温泉。口コミでやってくる人も多いらしく、話を聞いて訪ねてきたという人が何人もいました。
確かに、これだけ鮮やかな色はなかなかない。ただ、その色が効能にどれだけ関係しているかはよく分からない。正直言えば、気分的なものの方が大きいような気がしなくもありません。 -
国見温泉からつなぎ温泉の方に戻ってきて。
川村美術館は、御所湖畔の私的美術館。自宅のような建物に、自分が気に入ったという東欧やロシアの絵画を展示しています。 -
現代アートのような作品から、郷土色豊かな作品まで。
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しかし、こんな分野になぜ目が行ったのか。館長は向こうで暮らしていたのかと思ったらそうでもないようで、その目の付け所の方にむしろ興味が湧きました。
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奥には喫茶ルームもあって、これも見どころのひとつかもしれません。
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続いては、雫石町歴史民俗資料館へ。
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こちらは、地元の昔ながらの生活様式を伝える道具類を展示する施設。
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近くで採れる山の蔓などを上手に使って作ったかごなど。館長が丁寧に説明してくれました。一方で、雫石というのは岩手と秋田を結ぶ街道にあって、かつ、回りを山に囲まれているのですが水が豊富で暮らすのには適した地形。古くから人が住みついた場所だという話も面白いと思いました。
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それにしても、雫石の中心、御所湖の周辺にはあちこちたくさんの公園があって、それらをまとめた総省が広域公園ということ。
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それぞれ特徴があるというより、それらしく地形の整った場所は取りあえず公園として整備しましょうといった感じ。ただ、これだけのものをきれいに管理していることがすごいと思います。
雫石川も拝見しましたが、湿地帯のような平地を緩やかに流れていく川。先程の説明にもありましたが、この湿地のような場所が人が住むには好都合だったよう。周辺からは多くの遺跡が発掘され、古くから人が住みついたことが証明されているし、豊かな恵みをもたらしてくれた川であるという感慨を持って眺めた次第です。 -
つなぎ温泉の市街に到着して、これは真ん前の御所ダムのダム湖である御所湖。ここからでも遠くに御所ダムが見えています。静かな湖面の先にチラチラっと赤とコンクリートの人工的な建造物。さりげなく風景のアクセントとなっていると思います。
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つなぎ温泉の市街から御所湖畔に出たつなぎ大橋のたもとにあるのがシオンの像。ちょっと地味な印象もなくはないですが、ここつなぎ温泉のシンボルといった感じです。
なお、作者の船越保武は、戦後日本を代表する彫刻家で、県立盛岡中学校の卒業生。盛岡ゆかりの著名人という意味では、宮沢賢治や石川啄木と同じ。盛岡てがみ館でも遺品がいくつか展示されていました。 -
つなぎ温泉の市街の一角、ねこいし足湯です。道路端の少し高い場所にあります。周りには何もないので、ゆっくり浸かることはできますが、ただ、あまりにも何もないのでやっぱり寂しい感じは否めない。もうちょっとなにか気持ちがほぐれるような工夫はないかなあとも思います。
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観光案内所にもちょこっと寄って、お菓子屋さんとかないか尋ねたのですが、まったくなし。手作り村という立派な施設があるし、そっちに吸収されてしまっているのかなとは思います。
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さて、今日の宿は八幡平温泉郷。ここからまだ遠いので少し焦ってきましたが、ここで慌てると大事なスポットを見逃すことになる。落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせながら。。
松ぼっくりは、小岩井牧場も近いのでけっこう競合もしているように思いましたが、どうなんでしょうね。 -
イチオシ
ここもやっぱり素通りするわけにはいきませんよ。
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なるほどー。
このジェラートは抜群にうまい。すっきりしているようで、ミルクの香りも十分。あまさも素直です。奇をてらったところは全くないんですが、このバランスの良さはここまで来ると個性的。これなら、わざわざでも行くべきお店でしょう。やっぱり、寄ったのは正解です。 -
小岩井から八幡平市に抜けるのは山越えの道。その途中にあるのが玄武温泉です。二軒か三軒の宿がある小さな温泉で、看板が目立っていたロッヂたちばなを利用してみます。
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少し茶色く濁ったような温泉は時期によって加熱もしているようでしたが、まったく問題なし。
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濁っていかにも温泉といった湯にゆっくり浸かると体がジンジンするような気持ち良さ。すっかり気分爽快になりました。
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さて、本日の宿泊は、このペンション ラム。八幡平温泉郷の中心です。
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ログハウス風のしっかりした建物で、
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内部も快適です。
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ご主人は料理の腕に自信あり。魚に肉に豪華で賑やかな料理が並びました。
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やれやれ、お腹も一杯になって、ホッと一息。
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なお、当然、風呂は温泉。八幡平温泉郷は、松川温泉から湯を引いているのですが、湯量は豊富なのだそうです。
さて、明日からは八幡平。天気も回復する見込み。楽しみです。
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